10 美馬の悩み
あくる日、俺は昼休みを利用して図書室に行くことにした。古沢さんとの会話で中学時代に書いた小説のことを思い出してしまったので、執筆への意欲がふつふつと湧いてきたのだ。
何か書きたい。
そう思ったのだが、悲しいことに何を書きたいのか自分でもわからない。
ただひたすらに空回りするエンジン。
そこで図書室に小説のヒントを探しに来たのだ。
「かといって、小説を書くために小説を読むのもなぁ……。やっぱり何か勉強になる本を探してみるべきだろうか」
根っからの読書家に比べればまだまだだが、中学生のころから小説と名のつくものは大衆文学も純文学もライト文芸も趣味でたくさん読んではいるので、せいぜい三十分くらいの短期間にできるネタ探しには別の本を探すのがいいだろう。
科学系や歴史系、あるいは百科事典などでもいいだろうか。どうせならネットでは手に入らないような専門性の高い情報がたっぷり載っている本を見つけておきたい。動物の本もいい。特に子猫や子犬とかの可愛い写真がいっぱいあるやつは癒される……。
本棚を巡って目に付いた本を適当に何冊か選んで、奥のテーブルを目指す。
「あれ、美馬じゃん」
入学してから勝手に俺の定位置にしている居心地のいいテーブルには先客が一人いて、なんと驚くべきことに美馬である。部屋に漫画ばかり置いてあったあの美馬が自分から本を読んでいる。
「あら、オッチーじゃん。今日は古沢さんと遊ばなくていいの?」
確かに最近は古沢さんと一緒にいることが多かったので美馬にそう言われるのは無理もない。
だが遊んでいるとは何だろう。
最近サークル活動がおろそかになっていることへの当てつけか。
「遊んでいたわけでもないんだけどね」
「あ、恋愛のお勉強でしたっけ。聞いたよ、古沢さんとの模擬デート。楽しかったんじゃない?」
怒っているわけでもないだろうが、こういうふうに言われると心苦しい。古沢さんとの模擬デートを純粋に楽しんでいると思われているのは困る。
他の人にはともかくとして、美馬には伝えておくべきだ。
いや、彼女には伝えておきたい。
「その話だけど、古沢さんにはちゃんと言ってきたよ。付き合えないって」
「……そうなんだ。別に私に言わなくてもいいのに」
感情をうかがわせないポーカーフェイス。古沢さんや俺のことを美馬がどう思っているのかわからないので、これ以上あれやこれやと余計なことを言うのはやめておこう。うっかり墓穴を掘って彼女の好感度を下げてしまうのはつらい。
やや強引に話を切り替える。
「ところで美馬は何をやってたの?」
「見てわからない? 読書よ」
「それは見ればわかるんだけど、どうして急に読書を? だってそれ漫画じゃないじゃん。小説だよ?」
「え?」
美馬が手元の本を覗き込んでから、驚いたように顔を上げる。
「あ、ほんとだ。字がいっぱいある」
そう言った後で静かに本を閉じて、こっちに表紙を見せつけてきた。
「……とか言うと思った? わかってて読んでるわよ。これ」
人気作家の人気小説だ。比較的最近出版された本で中高生にも人気なので、読書に不慣れな初心者でも読みやすいと評判だ。
俺も読んだことがあるので感想を共有できると嬉しい。
「どう? 面白い?」
「私は面白いと思うんだけど……いや、実はまだ読み始めて数ページのところよ。だって昼休み始まったばかりだもの」
「それもそうか。邪魔してごめん。俺、もう行くよ」
もっと話していたいけれど、図書室では静かにせねばならない。読み始めたばかりだという美馬も今は読書に集中したいだろう。
小説を書くためのネタ探しは今度の機会にするにして、とりあえず動物がらみの本は元の場所に戻して図書室を離れることにした。
「あ、待って」
だが、意外にも席を立って追いかけてきた美馬に呼び止められた。
「外に出るなら一緒に行く。これは借りてくるから待ってて」
「いいけど、昼休みはそれを読むんじゃないの?」
「本は家に帰ってからでも読めるもの。折角だから二人で話そうよ」
ね? と美馬に言われては首を縦に振る他ない。好きな女子に誘われると普通に嬉しい。
幼馴染である美馬とは子どものころはいつも一緒だったと言っても過言ではないが、高校生になった今や二人きりで話す機会があまりないのも事実だ。恋する心もあって恥ずかしく、俺から積極的に美馬を誘うのは難しいが、このまま会う機会が少なくなって疎遠な関係になってしまうのは避けたい。二人で過ごせるチャンスは大事にしていきたい。
ついさっきまで読んでいた本を胸に抱えて美馬が向かった図書室のカウンターには一人の先客がいて、その人物は数冊の文庫本を借りているようだ。
誰かと思えば鈴木である。
「まさか図書室にラノベがあるなんてな……」
てきぱきと手続きが終わった彼が感慨深げに歩いてくるので、返事くらいはしておこう。
「生徒からのリクエストも受け付けてるんだってさ。好きな本があれば入れてくれるかもよ」
「やったぜ。だったらまずは王道のラブコメとヒロインが可愛い系のバトルもので攻めよう」
「イラストがエッチな奴は問題になったりするから気をつけてね」
「エッチなのは避けるさ。萌えで攻める」
「攻めるのか」
何をだ。
ラノベを借りることができて満足そうな鈴木と向き合っていると、カウンターでの貸し出し処理を終えた美馬が追い付いてきた。
「誰? お友達?」
返答に困ったので鈴木を見る。
「俺達って友達?」
うむうむと何度も頷いて左手で眼鏡を触る鈴木。
「オタク仲間だな」
「オタク……」
まあ否定はしないけど仲間って何?
釈然としないものの美馬に並んで友達のペースで鈴木まで歩き始めたので、ついていかざるを得ない。美馬と二人きりの時間を過ごせるはずが、まずは鈴木をどうにかせねばならなくなった。
別に嫌いではないが……。
「お前らって恋人なの?」
何気ない質問が俺と美馬の時間を止めた。
そういうこと平気で聞いてくんな。
うーんそうねえ、と答えを濁しながら美馬が髪をいじって俺を見る。
「私たちって恋人?」
この場で俺が答えるわけがないとわかっていて、だから冗談めかした質問だ。
ふふっと笑っていることから推測するに、さっきのやり取りを真似して遊んでいるのだろう。
「いや……」
と、そのまま否定しようとして思いとどまる。
美馬からされた二度の告白を思い出す。昨日された古沢さんからの告白も。
これまでの告白とは違って、あくまで幼馴染同士の軽口とはいえ、ある部分では核心に迫るような彼女からの質問に対して適当に答えることで、こちらに美馬への好意が全くないと思われたくはない。
かといって迷っているなどと正直に答えられるわけもないので、口振りはあやふやなものになる。
「違う……けど、あまり力強く違うとは答えたくない。その、なんていうか……」
本人の前なので自分の考えを口に出すのもはばかられる。彼女への好意はあるけれど、同じように好意を持っている榎本との間で迷っているから明確な答えを出せないなどと、冷静に考えれば最低な発言だ。
そんなだから美馬を泣かせてしまったというのに。
「そんなに真剣に答えなくていいから。……幼馴染よ。恋人じゃないわ」
「へえ、幼馴染か。高校でも仲がいい幼馴染って本当に存在するのか、意外だな。大体は遊ばなくなるだろ」
「……そう?」
意見を求めているのか、美馬が俺を見てくる。俺達は仲が悪くないし、同じサークルだから遊ぶもんな。
世間の一般的な幼馴染がどうかは知らないけれど、鈴木の場合はよくわかる。
「古沢さんの幼馴染なんだよ、鈴木って。だけど今は仲がね……」
「ああ、なるほど。彼女は難しそうね」
鈴木が古沢さんと幼馴染だと聞いて納得する美馬。彼女が言う通り、確かに古沢さんは難しそうである。もっとも、いわゆるマンスプレイニングの傾向が強い鈴木は他の女子とも難しいだろうが。
その鈴木は眼鏡をくいっとして美馬に指を突きつける。
「油断するなよ? 昔から仲のいい幼馴染だからって、きっとこれからも大丈夫だろうと油断してると知らない間に違う奴と付き合い始めるからな。もしも好きなら今のうちに攻めとけ」
「……何の話?」
「ラブコメの話」
それはおかしいだろ。美馬も要領を得ないのか眉をひそめている。
けれど、この話を広げられると俺の立場が悪くなりそうだ。あまり突っ込むのはやめておこう。
ぞろぞろと三人そろって図書室を出て、人の少ない廊下を進み、教室に戻るまでの間にあった部屋に入る。これ見よがしにミシン台が並んでおり、家庭科の授業などで使われる被覆室だ。ちょうど誰もいないので静かに話すには都合がいい。
なぜか鈴木がついてくるので俺と美馬はそろって振り返る。
「なんで一緒に入ってくるの?」
入ってくるなと責めているわけではない。単純に疑問なのだ。
あまり好意的でない俺たち二人の視線をもろともしないのか、アロハシャツを着た陽気なミュージシャンみたいに馴れ馴れしく鈴木は俺の肩を叩いてくる。
「いいじゃん。俺は暇なんだ。俺達は同士だろ?」
「いつそうなったのか俺には見当がつかないな」
「じゃあ今だ。異論は?」
あったとしても口にしたら話が長くなりそうだ。昼休みに弁論大会はやりたくない。相手が鈴木では勝っても負けても遺恨が残りかねない。
ついでだから気になっていたことを質問してみよう。
「そういえば前から聞きたかったんだけど、鈴木って小説とか書いてんの?」
「小説か……。ライトノベルとかネット小説とか、定義を広くするなら興味はあるな。書いたことはないが」
「ないのか」
偉そうにいろいろ語ってたから、何か一つくらい書いたことあるのかと思った。
期待を裏切られた気がして文句じみたことでも言おうとすると、俺の横から美馬が口を挟んできた。
「ふうん。興味があるなら書いてみれば? かく言う私もこれから本格的に小説を書き始めるつもりだから」
「へえ、どんなのを書くつもりなんだ?」
鈴木が聞くと、美馬は困ったように眉をひそめる。
「それを考えているところね。ジャンルは模索中」
小説に限らず漫画でもゲームでもそうだと思うが、初めての創作活動でいきなりうまくいく人間はそうそういない。自分がどんなものを作りたいのかもわからず、内容以前にテーマやコンセプトさえ漠然としがちだ。
美馬の場合、悩みすぎてペンネーム集とかになっていないといいが。
見てないけど鈴木が眼鏡をくいっとした。
「ラブコメがいいんじゃないか」
「お前そればっかだな」
「好きだから好きなものを勧める。何も間違っちゃいないな!」
「まあ俺も嫌いじゃないから別にいいけど」
それに美馬が書くラブコメには興味があるな。例えば男性向けのラブコメに挑戦したとして、どんな主人公やヒロインを書くんだろう。
あとサービスシーン。
本気じゃなくてもいいから、練習感覚の軽い気持ちで書いてみてほしい。お金を出してでも読んでみたいから。
しかしラブコメを勧められた美馬の顔は浮かない。
「恋愛ものはちょっと……」
「いや、そんな真面目に恋愛を考える恋愛小説とかじゃなくてラブコメ……というか、美馬って恋愛ものは苦手なの?」
探るように俺が聞くと、照れているのか美馬は少しだけ耳を赤くする。
「苦手ね。読むのは好きだけど書くのは無理だと思う。古沢さんから模擬デートの話を聞いて、私なりに昨日と今日も考えてみたんだけど、ずっと一人で考え過ぎたせいか、恋愛がわからなくなってきたの」
こちらと顔を合わせようとしないので本当に恥ずかしがっているらしい。
しおらしくて可愛い。
悩んでいるのは彼女だけじゃないことを伝えて安心してほしい。
「わからないっていうなら俺もわからないよ」
と、言ってしまってから後悔する。
恋愛のことがわからないからこそ、美馬の告白を誤魔化してしまった。彼女の心を傷つけ、現在進行形で悩ませてしまっているのは俺のせいなのだ。
そのことを思い出しているのか、あるいは別のことを考えているのか、うつむいたまま美馬は深々とため息をついた。
「自分の気持ちも相手の気持ちも考えては空回りして、所詮は恋愛って一人芝居なのだと思わざるを得ないわ……」
声をかけづらい。彼女が悩んでいる原因の一端は煮え切らない俺の態度にあるだろうから、励ましそうとして「そんなことないよ」とも言えない。
俺たちの話を聞いていた鈴木が口を開く。
「一人で考え過ぎた結果、最初よりもわからなくなることはよくある。簡単に答えが出ないような難しい問題ならなおさらにそうだろう。だが考えることは大事だ。考えなしに軽い言動をするよりはずっといい」
「軽い言動って?」
「ほいほい付き合っちゃうようなこと」
恋愛における「軽さ」を批判する鈴木。これは古沢さんにも言っていたことだ。
幼馴染だったという二人の間にどんな因縁があったのか詳しくは知らないが、やはり鈴木は根に持っているのかもしれない。
鈴木と古沢さんの関係を知らない美馬はあまり重く受け止めなかった。
「ほいほいは無理よ。相手が受け入れてくれそうなら、今すぐにでも付き合ってみたいけれど」
そう言って美馬がちらりと俺を見るので気まずい。
どんな反応をすればよいのだ。
正直なところ嬉しくないわけではない。本当に俺のことを今も好きでいてくれるのかはわからないけれど、嫌われてはいないのを感じるたびに俺は美馬のことを好きになっている気がする。好意を向けられることで、昔あれほど持っていた彼女への想いが蘇ってくる。
ただ、だからこそ不誠実な対応しかできない自分が嫌いになる。
どうして美馬は俺なんかを好きでいてくれるんだろう。
「お前はどうなんだ?」
「え、俺?」
いきなり話が俺に飛んできたので動揺を隠せない。
「古沢とは付き合ってないって言ってたが、じゃあ誰かと付き合ってんのか? 今のやり取りを見る限り、お前ら二人には何か事情があるっぽいが」
やけに鋭いな。ただし、他の人にはともかく鈴木には教えたくない。
こいつのことだから何を言われるかわからぬ。
誤魔化すか。しかし下手に誤魔化すと美馬の機嫌を損ねてしまうかもしれない。
困っていると代わりに美馬が答えた。
「私たちのことは私たちだけの問題でしょ。あなたに答える必要がある?」
ごもっともだ。鈴木もこれには反論がないらしい。
「確かに俺が口を出すようなことでもなかったな。それに見てればわかる」
「見てればわかるって?」
もうわざとだろと言いたくなるくらい鈴木が眼鏡をくいっとする。
「はっきり言えば、あの頃の俺を思い出す。恋愛をあきらめつつある感じだ」
「あきらめるっていうか……。さっきも言ったけど、わかんないのよ。というか、あなたはわかってるの?」
「俺は……」
さあ答えなさいと美馬が詰め寄ると露骨に言いよどんで眼鏡をくいっともしなくなったので、いつものお返しと追及する気持ちで俺は言い寄る。
「そうだぞ、鈴木。いつも偉そうに言ってるけど、お前はどうなんだ」
「俺か? 俺は今探している最中だな。もっとも、無理に探してはいないが」
「オタクだもんな」
「そ、だからリアルな恋愛には興味が薄いんだよ今は。ないわけじゃないぞ。ただフィクションで手一杯だからな」
そう言って図書室から借りてきたばかりのラノベを掲げて見せた。たぶん可愛いヒロインが出てくるんだろう。
今度こっそり俺も借りておこう。
対抗意識なのか美馬も自分が借りてきた本を取り出して、読むでもなくパラパラとめくって文字を追う。
「まあ、私もそうね。今はフィクションで勉強するっていうか」
「ふうん。小説を書くって話か。へえ……」
鈴木が眼鏡には触らず目を細めて美馬を見た。何も言わないが、何か考えているのかもしれない。
俺も架空の本を手に持っている振りをしながら鈴木に声をかける。
「小説を書くことに興味があるとか言ってたっけ。仲間やライバルはいつでも大歓迎だからな。お前もサークルに参加するか?」
「考えておこう」
今度こそ眼鏡をくいっとすると、そう言って部屋を後にする鈴木だった。
たぶん次くらいのサークルには様子を見に来るんだろうな。
静かに本を閉じた美馬が肩をすくめる。
「ようやく行ってくれたわね」
「ああ、やっと二人になれたな」
そう言うと美馬が頬を赤くした。
「そう、二人。なんで二人になりたかったんだっけ……」
「いや、俺は美馬に誘われたからだけど……」
「そうだったわね。私が呼び止めたんだったわね」
くすくすっと笑った美馬はチラッと壁にかかった時計を確認する。
図書室でのやり取りや鈴木との会話で時間を使いすぎたのか、そろそろ昼休みも終わりそうだ。
「ねえ、今日はもう時間がないから、また今度二人になれる時間をとらない?」
「いいけど、また昼休みとかか?」
「昼休みじゃなくて、私の家。暇な放課後でも休日でも、ちゃんと連絡さえしてくれればいつでも来ていいから」
「……いいの?」
「よくなかったら誘わないでしょ」
「それはそうだけど……」
でも本当にいいんだろうか。
小学生の頃は何度も遊びに行った記憶もあるけれど、今は二人とも思春期真っ盛りの高校生だ。軽い気持ちで女子の家に遊びに行けるものではない。この前も一度だけ美馬の家に行ったことはあるものの、あれは話があると言われたからで、遊びでもなかった。
ためらっていると美馬がそっぽを向いた。
「あんまり難しく考えなくていいから。……別に、恋愛とか関係なく、あなたとは仲良くしたいのよ」
恋愛とは関係なく仲良くしていたい。勝ち負けなど関係なく、一緒にいたい。
思い返せば、これは榎本にも言われたことだ。
あるいは悩める俺のために言ってくれている、彼女たちの優しさだろう。
「ありがとう、美馬。じゃあ、今度時間ができた時は家にお邪魔するよ」
ふふっと嬉しそうに笑った美馬がこちらを見る。
「部屋を片付けて待ってるわ」
「それは楽しみだ」
本当にそう思えた。




