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09 古沢さんの告白

 めっきり言葉数の少なくなった古沢さんの後をついていく。

 どこへ行くのかと思って歩いていると、やや急になっている坂を上って、途中で脇に伸びている細長い道へ入り、雑草が生い茂って今にも崩れそうな石垣のそばを通って小さな川を渡ると、その先には一軒の家が見えてきた。

 築五十年くらいは経っていそうな木造二階建て。駐車場も兼ねた広い庭には車が止まっておらず、人の気配は感じられない。

 ごそごそとカバンから鍵を取り出した古沢さんが玄関のドアを開けてから振り返る。


「今日は親の帰りが遅いから、私の他には誰もいないの。遠慮せずに上がって」


「そうさせてもらうよ。お邪魔します」


 ここまで来ておいて、理由もなく帰るわけにはいかない。覚悟を決めて入ろう。

 美馬以外では初めて入る女子の家。しかも彼女の家族は留守にしているらしく、古沢さんと二人きりだ。

 今日は遊ぶことが目的で来ているわけではないが、だからこそ緊張せずにはいられない。

 気づかれないように唾をのんでから中へ入る。


「私の部屋は二階だから。こっち」


 目的地はリビングなどではなく彼女の部屋らしく、人一人がやっと通れるほどの狭くて急な階段を上っていく。

 案内してくれる古沢さんが先頭なので、ひらひらする短いスカートが危ない。普通に前を向いているだけで彼女の健康的な太ももが目の前にあって危険だ。うっかり足を踏み外しそうになって思わず手すりにしがみつく。立ち止まって振り返った古沢さんが心配してくれたのを、大丈夫だからと笑顔で答えた。

 彼女の美脚に見とれていたと知られたら追い出されかねない。

 古沢さんのことだから逆に喜んでくれるかもしれないが。


「じゃあ部屋の中で待ってて。お茶くらい持ってくるから」


「あ、うん。お構いなく」


 たったったっと軽快に階段を下りていった古沢さんを待つ間、彼女の部屋に一人で残されることになった。

 常に来客を想定しているのか、小奇麗に片付いていて気持ちのいい部屋。壁紙やカーテンなど全体的にピンクや茜色の印象が強く、甘く爽やかな香りが漂っていて強烈に女子を感じる。ふかふかのベッドと大きなクローゼットと棚があり、おおよそ俺の部屋と同じくらいの広さ。

 窓がある部屋の隅には彼女が小学生のころから使っているであろう勉強机が置いてあり、机の上には小物などと一緒に本が置いてあった。

 美馬みたいに漫画だろうかと思ってタイトルを確認すると、意外にも小説だ。

 しかも一冊ではなく数冊ある。


「読書家なんだろうか」


 恋愛小説に青春小説、ベストセラーになった娯楽小説もある。

 さすがにラノベはないだろうか……と思って机の隣の本棚を探してみると、SFやミステリなど普通の文庫本に並んでラノベもあった。表紙に載っている高校生くらいに見える女の子のイラストが可愛い男性向けのラブコメだ。つい最近アニメ化もされた人気作なので俺も持っている。余程好きなのか、一万円くらいするメインヒロインのフィギュアが無造作に飾られていた。水着姿でビーチボールを抱えているのは作中の水着回をイメージしたもので、ネットで見て俺も欲しかった奴だこれ。

 二次元のイラストをうまく三次元に立体化していて素晴らしい。アホ毛が目立つ頭のてっぺんから裸足のつま先まで丁寧に作られており、これなら値段が一万円を超えていても仕方ないと思える。

 脚のラインも美しく、腰のくびれも魅力的だ。

 水着に包まれた胸とお尻もすごい。


「それ水着は外れないよ」


「あ、そうなんだ」


 それは残念だ。全年齢向けの作品に出てくるキャラクターだから脱がせられなくて当たり前かもしれないが、正直かなり見たかった。

 というか、いつの間にか古沢さんが部屋に戻ってきていたので眺めていた美少女フィギュアから目をそらす。熱中していたせいで気づくのが遅れた。

 恥ずかしい。


「そのキャラ好きなの? それともエッチだから見てただけ?」


 このキャラ好きだしエッチだから見ていたのだが、男子相手ならともかく女子の古沢さんには正直に言いたくない。こちらにも見栄や建前はあるのだ。フィギュアはエッチだが、エッチなフィギュアを見ていただけで俺までエッチだと思われたくはない。そりゃ人並みにエッチではあるけれど、福富などと同じレベルの変態だと思われたら死活問題だ。

 ここは慌てずに平静を装って釈明する。


「いや、よくできたフィギュアだと思ってさ。プラモデルとかもそうだけど、これってもはや現代の芸術品だよね。高い奴だから珍しさもあって、ついまじまじと眺めちゃったよ」


「ふーん。好きなキャラのエッチな奴だもんね」


「そうです……」


 なんかこれ俺の心が読まれちゃってない?

 そういえば美馬や赤松には考えが顔に出やすいって言われたことがあったな。

 今度から嘘をつくときは気を付けよう。嘘をつかずに済む生き方も探そう。


「大丈夫だよ。好きなキャラのエッチな奴だなって私も乙終君と同じように思ったからこそ、びっくりするくらい高くても買ったんだし。フィギュアに見とれる乙終君を変態呼ばわりしちゃったら、それを買った私も変態になっちゃうじゃん」


「確かに」


 だったら見てもいいかと思って視線をフィギュアに戻す。

 うむ、やっぱり素晴らしい。人気が出るのもよくわかる。

 お金を貯めて俺も買おうかな……。


「そんなに好きならコスプレしてあげよっか?」


「ん? してあげよっかって、まさかこれのコスプレができるの?」


「コスプレって言うのかな……。とにかく、夏に向けてその水着にそっくりなのを買ったんだよ。あとは髪型をポニーテールにすればいいだけだしね」


 そう言って、ゆるふわウェーブな髪の毛を両手でくくってポニーテルみたいにしてみせる古沢さん。

 フィギュアのもととなったキャラクターは元気な女子高生のヒロインで胸は大きく、ちょうど背丈も古沢さんくらいでプロポーションはよく似ている。さすがにアニメのキャラと古沢さんでは顔が違うけれど、どちらも可愛いので問題はない。

 問題というならフィギュアの水着は布の面積が小さい挑戦的なビキニなのだが、本当に似ている奴を買ったんだろうか。

 かなり見たい……。


「見たい……」


「正直でよろしい」


 願望をとどめておくつもりが口に出てしまっていた。

 でも「かなり」は我慢できたのでセーフ!


「だけど水着だし見せるのは夏休みになってからね。ついでだから榎本ちゃんとかも誘ってさ、この子とは別のキャラが付けている水着と似たものを着てもらって、みんなでコスプレパーティーとかしちゃおう」


「かなり見たい……」


「かなりかぁ……。まったくもう、さっき私だけの時にそう言ってくれたら素直に喜べたのになぁ」


 そうなのか。だったら我慢せずに言えばよかった。何がセーフだ。


「ちなみに誰のが一番見たい?」


 馬鹿なことを考えていたら不意打ちで切り込んだ質問が来た。

 うろたえそうになるのを耐え、動揺を隠す。


「誰のがって、それは……」


 目の前にいる古沢さんはもちろん、ここにはいない榎本や美馬、それから峰岸さんの顔がよぎる。

 誰の水着姿が一番見たいか。単純な質問だけれど、それを決めるのは難しい。

 見たいと言えば全員の水着が見たいが、ただの雑談で終わる話ではないだろう。

 彼女たちの中で、今の俺は誰を一番好きでいるのか。現時点における俺の本命は誰か。そう問いかけられているようなものだ。


「ごめん。意地悪な質問しちゃったね。私のが一番ってわけがないのに」


 そんなことないよ、とは、今の俺には言えなかった。

 嘘をついて期待させるわけにもいかない。そもそも、内面を隠すのが下手な俺の嘘が通じるはずもない。

 だから黙るしかないのだ。

 気を悪くするでもなく、古沢さんは優しく笑顔を見せる。


「とりあえず、そのあたりに座って? それからゆっくり話をしよう」


「うん。じゃあ、お言葉に甘えて失礼するよ」


 テーブルの前に置いてあるクッションに腰を下ろす。目の前にはジュースの入ったコップがある。

 向こう側にも同じようにコップが置いてあるので、そこに古沢さんも座るんだろうなと思っていると、そこへは行かずに彼女はベッドに腰かけた。


「ごめんね。私、家では裸足にならないとリラックスした気分になれないの」


 そう言って靴下を脱ぎ始める。スカートとの絶対領域を生み出すことで有名な、膝上までを覆うニーソックスだ。


「謝らなくてもいいよ。ここは古沢さんの部屋なんだから、自由にしてくれても」


 むしろそういう仕草を見るのは好きだ。ニーソだけとはいえ、身に着けているものを脱いでいくので、なんだか女子の着替えを覗いている気分になれる。

 さすがにじっと見ているのはよくないだろうか。

 でも見てしまう。

 古沢さんがこちらをちらりと見て、ふふっと微笑む。


「ゆっくり待っててね」


 それから、まずは片方のニーソを脱ぎ終えた。それを丁寧にたたんで床に置き、自由になったばかりの足の指を閉じたり開いたりして、足の運動でもしているみたいだ。

 逆の足も同じようにやるので、終わるまで黙って見届ける。

 直後、ニーソを脱ぎ終えて裸になった足が床に向かって投げ出された。

 ベッドに腰かけたまま足を伸ばした古沢さんは後ろに手をついて、足を持ち上げるとつま先をピンと前に伸ばす。うーんと背伸びをした後で彼女は勢いをつけて足を下ろし、その反動を使ってベッドから腰を上げた。

 そして机のところに行って何かを手に取ってから、テーブルを挟んだ俺の向かい側に座る。


「まずは、ありがとう。わざわざ私の家までついて来てくれて」


「いや、お礼を言われるようなことじゃないよ。話を聞きたかったのは俺の方だから」


 彼女が俺を好きになった理由。それを教えてくれるという話だ。


「そっか、そうだよね。だったら、その話をしよう。あんまり遅くなると暗くなっちゃうからね」


 気遣いは嬉しいものの、無理に急かしていると思われても申し訳ない。

 自分の気持ちを打ち明けるのは誰にとっても難しいものだ。

 気になるからといって、相手にそれを強要してはならない。


「もしも何か言いにくいことだったら、無理に教えてくれなくても大丈夫だから。また後日でも、俺は待てるよ」


「ううん、大丈夫。言いにくいことなんかじゃないよ。むしろ、すぐにでも聞いてほしい」


 そう言って彼女は手に持っていた何かをテーブルの上に置いた。


「これなんだけど……」


「これって!」


 テーブルに出されたそれを目にした瞬間、反射的に俺は腰を浮かせて身を乗り出していた。

 まじまじと見てしまう。これだけは見間違えようもない。

 まさか、との思いがする。


「俺が中学時代に書いた小説が載ってる冊子……!」


 中学の文化祭で発表した文芸部の小説だ。俺が初めて書いた恋愛小説。

 どうしてこれを古沢さんが持っているのだろう。中学が違うから、俺が小説を書いたことを彼女が知っているとは想像もしなかった。


「中学生のころ、友達にもらったの。それで、当時は時間もあったから、なんとなく読んでみたんだけど……」


 そこまでを口にして言いよどんだ古沢さんが、ちらっと遠慮がちに俺の顔を覗き込んだ。どうやら言いにくいことらしい。

 もっとも、おおよそ何を言いたいのか俺にはわかる。

 当時は散々みんなに馬鹿にされた小説なので、今さら傷つくようなプライドも残っていない。


「俺のことは気にせず、言いたいことは正直に言ってくれていいよ。その方が話もしやすいだろうから」


「うん……じゃあ、気を悪くしないでね?」


 こほん、と、のどを整えてから古沢さんは話を続けた。


「この小説はすごく粗削りで、読みにくい文章だったし、最後まで読んでも話そのものは面白くなかった」


「だろうね」


「……だけど、なぜか心が惹かれたの。何にって言われると難しいけど、私はこれを読んで感動した」


 テーブルの上にある薄い冊子の表紙へ手を乗せて、大事そうになでる。宝物を扱うように。

 自分がそうされているようで気恥ずかしくなる。俺が書いたものを好きだと言われて、掛け値なしに嬉しくなる。


「これを書いたのが自分と同じ中学生だと知って、まずは驚いたんだけど、感銘も受けたんだ。憧れたんだよ、その恋に。小説そのものじゃなくて、これを書いたあなたの恋に」


 古沢さんが顔を上げて俺を見る。

 まっすぐに目を覗き込んでくる。


「もっと正直に言おう。あなたに恋をしたんだ」


「……俺の書いた小説を読んだだけで?」


「だけ、っていうのはちょっと違うかな」


 言葉を探しているのか少しの間じっくりと考えて、うーんと古沢さん。


「会うまでは確信が持てなかった。恋じゃなくて憧れで、どんな人が書いたんだろうっていう単なる興味本位だった。だけど、会ってみたら私の期待した想像通りの人だった」


 どんな想像をしたのだろう。自分で書いておきながら、俺には想像もつかない。

 自分が好きなもの。大切だと思うもの。美しいと思うもの。

 中学生らしく語彙の限られた拙い言葉でそれらを書き綴っただけだ。

 なのに古沢さんは俺のへたくそな小説を大事に読んでくれて、それを馬鹿にはしなかった。


「違うな……。もっと知りたいと思えた。あなたのことをもっと知りたいって。だからね、もう一度だけ言わせてくれるかな。最後に一度だけ、はっきりと」


 お願いされているというより、これは彼女の覚悟を伝えられているのだ。

 頷いた俺は背筋を伸ばして、彼女からの言葉を受け止める心の準備をした。

 それを見た古沢さんは大きく息を吸って、緊張をにじませながら声を振り絞る。


「付き合ってください。乙終君、私の恋人になってほしいの」


 それは今度こそ本物の告白。

 嘘や冗談ではない。俺が書いた小説なんかよりも気持ちがこもった彼女の言葉、彼女の心だ。

 真剣に答えなければ彼女を傷つける。

 だからそうした。


「……ごめん。その気持ちは嬉しいけれど、古沢さんと付き合うことはできない」


「うん、わかってた。こっちこそ何度も断らせちゃってごめんね」


「いや、それは……」


「ううん、大丈夫」


 正座を崩して横座りした古沢さんは冊子を手に持って胸に抱えた。


「伝えられてよかったよ。断られちゃったけど、告白もちゃんとできたから」


 悲しむでもなく、笑顔さえ浮かべて満足そうにする。

 そんな彼女を見て安心すると同時に、ふと俺は美馬や榎本のことを思い出した。

 思わず聞かなくてもいいことを問いかける。


「もし告白をはぐらかされたら……?」


 脈略のない質問だったのか、ぽかんとした古沢さんが答える。


「それはひどいんじゃないかな。私だったら悲しい」


「……そうだよね」


 当たり前だ。告白を告白として受け取らず、はっきりと答えもしない。

 それは卑怯だとか身勝手だとか以前に、勇気を出して伝えようとしてくれた相手の気持ちを否定して踏みにじるような悪行である。

 美馬は二度、榎本は一度、俺に告白や告白まがいのことをしてくれた。なのに俺は彼女たちの気持ちに向き合えず、逃げるような形でひどいことをしたのだ。

 心が痛む。

 自分の醜さや情けなさを悟られたくなくて古沢さんから視線をそらせていると、家の外で車の音がした。


「あ、お母さんが帰ってきたのかも。今日は遅くなるって言ってたのに……」


「お母さん? まさかとは思うけど、俺がいるの知ったら怒ったりしないよね?」


 親が留守の間に男を連れ込んだとかで。


「普通にしてれば大丈夫だよ。でも、そろそろ帰った方がいいかもね。お母さんは平気だけど、父さんは怒るかもしれないから」


「なるほど。それは大変だ」


 だったら急いで帰ろう。

 優しそうな古沢さんのお母さんに挨拶をしてから俺は彼女の家を出た。

 逃げる口実ができたと思った自分がますます卑怯者に思えてくる。

 夜を待ちきれない気の早い星のいくつかが浮かぶ日暮れ色の空を眺めて、足元から暗くなった坂道を降りていく俺だった。

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