08 二人の温度
学校を出て古沢さんと二人で歩いていると、一分もしないうちに道端で口論している男子二人と遭遇した。
「おっぱいだろ!」
「いや、お尻だ!」
どうでもいいので通り過ぎることにした。
人通りの多い通学路で馬鹿な言い争いをする変な奴らもいたもんだ。まともじゃない人間たちに決まっているので、これは絶対に関わらないほうがいい。
「おっ、ちょうどいい! お前はどう思うか答えろ!」
「おっぱいか! お尻か!」
やっぱりそうだろうなと覚悟はしていたが、そのまま通り過ぎることはできず、あっけなく二人に捕まった。
鈴木と福富だ。
というか、こいつら仲良かったのか。
喧嘩していたように見えたが、二人で一緒になって俺ににじり寄ってくる。
「まず、何の話?」
おっぱいか、お尻か。
こんな選択肢を出されたら、あえて聞かなくても大体の話は想像がつくけど。
いつものように眼鏡をくいっとする鈴木がなぜか得意げに答える。
「フェチの話だ。好きなものの話だよ。実はラブコメの話でこいつと喧嘩になってな。ヒロインのサービスシーンで見たいのはおっぱいかお尻かで、今日は一日中もめていたんだ。俺は最近お尻にはまってて、下着もブラジャーよりはパンツのほうが好きだ。好きすぎて服の上からでもパンツを幻視できる」
「それ女性の前で言うのはやめような」
絶対に気持ち悪がられて引かれる。
女性の前といえば今まさに俺の横には古沢さんがいるけど、二人は幼馴染で仲も悪いみたいだから馬鹿なことを言っても平気なのかもしれない。模擬デートの時の反応を思い出す限り、すでに彼女からの好感度は低そうだ。これ以上は下がることもあるまい。
その古沢さんへ顔をちらっと向けて、眉間にしわを寄せて目を閉じた鈴木が人差し指を立てた。
「赤のスケスケショーツだ」
たぶん下着当てのつもりだろう。まさか本当に幻視できているのか。
新手のスカートめくりみたいなひどいセクハラ発言を受けた古沢さんは怒るでもなく、ふふーんと勝ち誇って首を横に振る。
「いや、今日は特別に白いのをはいてきたよ。リボン付きの可愛い奴をね」
「教えなくてもいいんじゃないかな……」
親切心から言ってあげると、古沢さんはこっちを向いてニコッと笑った。
「赤のスケスケは明日はいてくるね」
「教えなくてもいいんじゃないかな!」
それが目的なのかもしれないが、そうやって教えられると下着姿の古沢さんを想像しちゃう。
さっきもらった例の写真も消せていないので、今夜は眠れなくなりそうだ……。
古沢さんの目の前で古沢さんのよからぬ姿を妄想してしまっていると、無視されていることに耐えられなくなったのか、やたら元気のいい福富がしなくてもいい宣言をする。
「俺はおっぱいだ!」
好きなものの話だろう。単純に生きていそうな奴だ。
「私これ振って正解だったね」
「だと思うよ」
勇気を出して告白した福富には悪いけれど、こんな変態の告白は断って正解だ。
思わず力強く頷いてしまえば、くいくいっと引っ張るように古沢さんが俺の腕をつかんできた。
「ちなみに乙終君はどっちが好きなの?」
「え、古沢さんがそれを聞くの?」
「うん。だって気になるもん。教えてくれたら触ってもいいよ」
「触ってもいい……?」
「どっちでも好きな方をね」
そう言ってウインクした古沢さんが自分のおっぱいとお尻を触ってアピールしてくる。なんと、どちらが好きか答えれば触らせてくれるらしい。冷静に考えるまでもなく、こんなチャンスはめったにない。
正直すごく興味がある。どちらか、というより、どちらにも。
ただ、こんなところで馬鹿正直にフェチや性欲を暴露する必要はない。触るのが目的で答えてしまったら変態の仲間入りだ。
暴れそうになる煩悩を振り払って俺は答える。
「大事なのは心だよ」
と、直接の回答は避けて俺はいいことを言った。
「つまりおっぱいだな!」
「おっぱいなの? だったら素直にそう言えばいいじゃん」
「お尻はどうした!」
お前らがどうした。
テンションが高い三人に三方から囲まれて、俺が悪いみたいに詰め寄られる。
「だから大事なのは心だって……。俺が好きなのは相手の精神性とか、関係性っていうのかな……」
歯切れが悪くなるのは自分でも主張をまとめ切れていないからだ。
誤魔化すのに精いっぱいだけど、実はおっぱいもお尻も好きだからな!
「いや、待て。それは確かにラブコメの核心をついている」
「どうしたんだ、突然」
「いやいや、お前のおかげで俺は気づいたんだ」
そう前置きした鈴木は眼鏡をくいっとする。
「どんなサービスシーンがいいかばかり話し合っていたけど、大事なのはヒロインそのものの魅力だよな。あんまり好きでもないキャラが裸になってもありがたみは薄いが、大好きなキャラだとパンチラでも大興奮できるじゃん。フェチにこだわるのも大事だが、フェチにとらわれるのは悪手ってことか……」
「うーん、まあ、そんな感じ」
めんどくさくなったので同意しておこう。下手に反論すると、またこの前みたいにヒートアップして長々と演説されてしまう。しゃべりたがりの鈴木はおとなしく相槌さえ打っていれば適当に聞き流しているだけでも満足してくれることが今までの経験でわかっている。
と、いきなり背後から制服の袖をつかまれて、くいくいっと腕を引っ張られる。
抱き着いてくるみたいに口を寄せてきた古沢さんだ。内緒話をするみたいに俺の耳へと小さな声を届けてくる。
「乙終君、もし私のパンチラが見れたら嬉しい?」
「……答えなくちゃダメかな?」
「ふふ、そう聞くってことは答えているようなもんじゃん。えへへ、明日は期待してね」
そんなことを言われたら古沢さんのパンチラを妄想しちゃうので俺の煩悩はやばい。さっき言ってた赤いスケスケのパンツが頭から離れないのは一体どうしてくれるんだ。
普段から他の人よりスカートを短めにしている古沢さんなので、明日は彼女に視線を向けないようにしないと大変かもしれない。俺の視線に気づいた榎本や美馬に古沢さんのパンチラを期待していると思われたら死んでしまう。
「俺はおっぱいだ……」
誰かと思えば福富だ。みんなに相手にされていないから元気がなくなっている。
「俺はおっぱいが好きだ……」
「もういい、わかったから黙るんだ」
こいつ今日はおっぱいしかしゃべってないな。同じクラスだけど、今まで普通に生活できていたんだろうか。さすがに学校でも胸の話ばっかりしてたら悪い意味で俺の耳にも入っていただろうから、ちゃんとTPOはわきまえるんだろうけど。
さすがに無視できなくなってきたのか、古沢さんが初めて福富に目を向ける。
「あのさ、もしかして私に告白してきたのもこれが目的なの? あんたそんなんで誰かと付き合えると思ってんの?」
呆れた口調の古沢さんが自分の胸を両腕で抱えるようにして見せつける。男三人の視線がそれに引き付けられ、まずは俺、そして鈴木、最後に福富が目をそらす。
制服の上からでも大きくてすごい。
「自分で言うのも悲しいが、誰かと付き合うなんて無理だと思ってるぞ」
「意外と素直に認めたな……」
女性からどう見られているのか自覚がないタイプかと思ったが、そうじゃないらしい。
でも自覚があるのに変態発言ばっかりするのもな……。
嫌われる原因がはっきりしているんだから、もっと女性に好意を持たれるような振る舞いを心がければいいんじゃないかな。
「ははっ。だから古沢に告白したんだろ」
眼鏡をくいっとしないので誰かと思ったが、そう言ったのは鈴木だ。どんな意図がある発言なのかは知らないけれど、個人的には嫌味っぽく聞こえた。さっきまでフェチの話で言い争っていた福富への皮肉ではなく、どちらかと言えば古沢さんを狙った悪意ある軽口だ。
今までは楽しそうにしゃべっていた古沢さんの声が急激に冷たくなる。
「だからって、何?」
「俺じゃなくて福富に聞いたほうが早いだろ。なあ?」
古沢さんと鈴木との二人の間で流れる険悪なムードを感じ取ったらしく、答える福富は少しだけ気まずそうにする。
「失恋した状態で男を探している古沢なら俺とも付き合ってくれると思って……」
確かに思い出したら告白の時にそう言っていた。古沢さんのエッチな画像を見て火が付いたとか、失恋直後だから狙い目だとか、誰とでも軽い気分で付き合ってくれるんじゃないかと思ったとか言っていた。
冷静に考えると最低だ。そう思っていたとしても本人に言っちゃダメな奴。
やはり機嫌が悪いのか古沢さんは頬を膨らませる。
「あのね、断った時も言ったけど、そんなわけないじゃん。私だって好きでもない相手と付き合ったりはしないわよ」
それはそうだろうと思っていると、それは違うんじゃないかと余計な声が飛んでくる。
「どうだかな」
鼻で笑うように鈴木が言ったからか古沢さんの目が細くなり、さっきよりも声の温度が低くなった。
「どうだかなって何?」
明らかに声色に険がある。敵意だ。空気が悪くて、いたたまれない。
もしかすると本気で怒っているのかもしれない。
一触即発の雰囲気を悟って俺と福富がびくびくしていると、まったく動じていない鈴木は肩をすくめた。
「誰とでも付き合いそうだなって意味」
「それ、どういう意味?」
「軽いって意味さ」
「……何が?」
「それはもちろん――」
さすがに黙っていられず、俺は二人の間に割って入ることを決めた。
仲裁するというか鈴木を批判する気持ちで、古沢さんを守るように立つ。
「ちょっと待て、鈴木。さすがにひどいぞ。なんでそんなこと言うんだ」
「なんでって?」
「だって、お前たちは幼馴染なんだろ?」
それに、昔は好きだと言っていた。
なら、なんでそんな相手にひどいことを言えるんだ。
俺が言わんとすることを汲み取ったのか、鈴木は眼鏡をくいっとした。
「ああ、そうだな。幼馴染だ。そんで好きでもあったさ。古沢には恋をしていた。本気でな」
「えっ?」
と、思わず声が出たのは俺ではなくて古沢さんだ。
きょとんとした顔で驚いている。
てっきり彼女は彼の好意に気づいていたのかと思っていたけれど、その反応を見ると今の今まで知らなかったようだ。
ということは、こんな流れではあるけれど、鈴木は彼女への秘めた想いを初めて打ち明けているのだ。
感情をうかがわせない鈴木は俺から古沢さんへと顔の向きを変えて、まっすぐに彼女の目を見つめたまま、ただ事務的な温度で彼女に声を届ける。
「昔は好きだったよ。本当に好きだった。お前が誰かとくっつくまでは」
「それって……」
「ああ、今は大嫌いだよ。友達としては嫌いでもないが、異性としては嫌いだ。どうやったって好きにはなれない。他の誰かに一度でも恋をした女性は、俺にとって恋愛の対象外だからな」
「……そう」
ともすると嫌悪感さえ含まれていたであろう拒絶を受け取って、古沢さんは寂しそうに顔を下げた。
昔は確実に胸に抱いていたという彼女への恋心を伝えることはともかく、今は嫌いだと、ここまではっきり彼女に伝えるのはどういう意図があるのだろう。
どうして彼女を傷つけるようなことを口にしたのだろう。
「なあ鈴木、お前がどう思おうとそれは自由だ。どんな主義で生きていてもいい。でもな、だからってそんなこと言う必要あるか?」
悲しそうにする古沢さんを見ていられず、彼女に肩入れしつつあった俺は批判を込めて鈴木に問いかけた。
なおも感情を見せない鈴木は反論するでもなく眼鏡を外す。
そして俺ではなく古沢さんを見た。
低く、無機質な声で、吐き捨てるように口を開く。
「中学生のころの話だよ。お前が誰かと付き合い始めたって聞いて、悔しくて漫画やアニメに逃げた俺をお前は馬鹿にしたよな」
「……それは、いつもみたいな」
「そう、彼氏ができて浮かれていたお前にとっては悪意のない言葉だったろうさ。なんでも言い合える幼馴染への悪ふざけだったかもしれない。けどな、そうやって言ったほうは忘れているのかもしれないけど、悪口って言われた方はずっと覚えてるんだからな」
二人の間でどんなやり取りがあったのか、俺にはわからない。
けれど、昔は仲が良かったという二人にとって、それは致命的なすれ違いだったのかもしれない。
古沢さんも自分が何を言ったのか覚えているのだろう。
遅すぎる謝罪かもしれないが、鈴木に向かって頭を下げる。
「ごめん。あの時のことなら、本当はあんなこと言うつもりはなかった」
「ひどいことを言う奴は大抵そう言って許しを請うんだ。そして許さないほうが悪くなる」
「違う。本当に悪いと思ってる。だって……」
古沢さんはぎゅっと服の裾をつかんで、少し迷ったそぶりを見せながらも、最後には声を大きくした。
「だって、昔は私も好きだったよ」
震えそうになっていた。
今は違うにせよ、かつては彼のことを好きだったという古沢さん。
きっと今まで隠し続けてきた秘密だったのだろう。
けれど、それを打ち明けられても鈴木は全く動じなかった。
「どうせ今は違うんだろ。今まで付き合った奴も結局は別れたんだろ。そうやって心変わりする奴の何を信じろって言うんだ」
「何をって、私は……」
「その気持ちが俺には薄っぺらく届いてくるんだ。一度でも本気で愛し合った相手と別れるってことはな、これから先お前がする誓いの重さに疑いを持たせるってことだ。いいか、つまり愛が軽くなるんだよ。すでに誰かと交際経験があって、そのくせ愛が冷めて破局したってことはな、俺に言わせれば前科持ちなんだよ。お前の愛は長続きしないんだ」
「そんなこと……」
言葉に詰まり、唇をかみしめた古沢さんは何も言えなかった。
今にもこぼれそうなくらい目に涙をためていた。
さすがに言い過ぎたと思ったのか、鈴木は頭をかいて彼女から目をそらした。
「すまん。感情的になるあまり俺も言い過ぎたな。ほんとに好きだったんだ。だからお前の気持ちが軽く見えるのが我慢ならなかった」
「……私、軽くない」
「わかってる。いつも一生懸命だったもんな。でも、だからこそお前の気持ちが別の誰かに向いたときに俺はあきらめるしかなかった」
そこまで言ってから、鈴木は今まで外していた眼鏡をかけた。
すぐ近くにいる古沢さんから目をそらしたまま、誰にともなくつぶやく。
「岩に刺さった聖剣は最初に引き抜いた者だけが正統なる運命を背負い栄誉を得るのだ。引き抜かれた後でやっぱり君にあげると渡されても、剣そのものに選ばれたとは言えない。俺は選ばれたかったんだよ。お前に選んでほしかった。だけど他の人間を選んだんなら、俺だって他の奴を探すさ」
そして鈴木は背を向けると俺達のそばを離れていく。
「あ、おい、待てよ! お前とは決着がついてないぞ!」
こちらに三人で残されるのが気まずいのか、あたふたとした福富は立ち去る彼を追いかけていった。
騒がしい二人がいなくなって、ようやく涙をこぼした古沢さん。頬を伝う水滴はそのままに、俺に顔を向けて無理に笑おうとする。
「今の私はあいつのこと全然好きじゃない。あいつへの恋心なんてなくなってる。なのに冷たくされると意外と傷つく自分がいておかしいの。昔の私を全否定されているような気がするから。たぶん、今の私さえも」
そこまで言って涙をぬぐった古沢さんは真剣な表情で俺を見る。
その目には嘘はない。心を全部伝えるように俺だけを見ている。
「ねえ、乙終君。今の私は君のことが好き。大好きだって、本当にそう思ってる。だけど……」
「……だけど?」
「信じてって言っても、信じられるわけないよね。交際経験については前科持ちの私じゃ、好きって気持ちを伝えても本気だとは思ってくれないよね」
「そんなことないよ。大丈夫。あらゆるものへの偏見が強い鈴木はああ言っていたけど、俺は君を疑わない。前科なんてひどいじゃないか」
「ありがとう。……でも、じゃあどうして私が乙終君のことを好きになったかわかる?」
試すような言葉。
あるいは諦めか、ほんのちょっとは期待も含まれているかもしれない。
ここで嘘をつくわけにはいかない。誤魔化すような言葉も今はふさわしくない。
「それは……」
俺は悩んだ。
そういえば、どうしてなのだろう。
福富が彼女に告白する現場に居合わせるまで、同じクラスでありながら古沢さんとはほとんど話したこともなかった。高校生活で彼女に好かれるようなことをした記憶もなく、悲しいけれど俺は誰かに一目惚れされるような人間でもない。
なのに、どうして彼女はここまで俺のことを好きでいてくれるのか。
「そのことで話がしたいの。お願い。今日これから私について来てくれる?」
「……うん、わかった」
泣きそうな顔で言われたので、断るわけにもいかなかった。
何より、俺は彼女の話を聞きたいと思ったのだ。




