02 ぐいぐいくるタイプの古沢さん(上)
高校生にもなれば心も身体も大人に近づいてくるもので、正式に付き合っている男女の存在も少なからず目立ってくるようになる。
誰も彼もが恋情の前に良識を失ってしまうわけではなく、愛し合いつつも世間に遠慮して、決して人前ではいちゃつかない隠れカップルも多いだろう。
しかし、いつの時代、どんな場所だって、あえて周囲に自分たちのラブラブ具合を見せ付けたがる恋人達もいないわけではない。
たとえば昼休みの教室というものは一つの目安でもあり、同じ年頃の男女が二人きりで仲睦まじく弁当でも食べていれば、そこには少なくとも好意が介在していることに疑いようもない。ある種のアピールやマウンティングをかねていることもあるだろう。
親しい間柄にある異性が存在する事実というか実績は、ことに思春期の少年少女にとって大きなアドバンテージを持つものだ。
いわゆる「勝ち組」とか「負け組」とかいう概念はあまりに短絡的で下世話な話だが、そうはいっても独り身の寂しさは老若男女問わず我々を苦しめるので、やっぱりみんな恋人やらパートナーを求めてやまない。やまぬといえど、ほとんどの場合、相手が誰でもいいというわけじゃないのが世界の不幸なのだ。
なにしろこの恋愛至上主義の現代社会において、頼れるはずの縁結びの神様は人を導くのが苦手なのか、誰も彼もがすれ違い、うまく矢印のつながらない不完全な相関図ばかり描いているものだから、一番の想い人同士で結ばれる確率などあまりに低い。
最愛の人と結ばれなかったとて、その悲恋や失恋をあっさり忘れられる人間などそうそういないのだ。
午前最後の授業が終わって昼休みになると、教室が騒がしくなったと同時に俺は後ろから声を掛けられた。
若干距離のある声の感じからして、いつもの赤松や榎本ではない。では誰だろうと不思議に思って振り返れば、そこにいたのは古沢さんだった。
いたずらっぽく微笑を浮かべている。
「一緒に弁当食べていい? まずは友達から始める感じでどう?」
「え、うん」
どうと言われても困るが、少なくとも彼女と友達になることについては不満などない。変に意地を張って「あんたなんかと一緒に食べたくないんだからね!」などと、折角の誘いをすげなく断るのもひどい話だ。
もちろん友達から始めるといったって、俺たち二人が恋人関係にまで発展する可能性は限りなく低いのだが、なにも男女関係は恋愛の成就――すなわち結婚――をのみ最終的な目的として育まれるべきものでもないだろう。
普通に普通の友達として、常識的な範囲で仲良くなる分には不健全さもない。
ただし、恋人でもない異性と親しくするには注意せねばならぬことが多いのも事実だ。あくまでも友達として彼女と仲良くするのだと自分に言い聞かせていても、周りの人間からどう見られるかには留意しなければならないのが人生である。
あっちにもこっちにも手を出す不届き者だと思われては沽券に関わる一大事。
清く正しい距離感を間違えぬよう、慎重に人付き合いせねばなるまいて。
無人になっていた俺の前の席から椅子を拝借した古沢さんは座ったまま身を乗り出して、唐揚げをつまんだ箸を俺の口元に突き出した。
「じゃ、はいあーん」
「それ友達じゃないよね! 恋人同士がやる奴だよね!」
「えー、ちょっと仲がよければ友達同士だってやるでしょ? まったく、乙終君はウブだなぁ……。間接キスで大喜びするタイプ?」
「……否定できないけど、それとこれとは別な気がする」
「だったらお弁当交換しよう。私の手作り味わって」
ね? ね? とすごい勢いでお願いされると断れなくなるのが情けない。
「うーん……。今日だけだよ?」
「結局は押しに負けちゃって明日からも毎日食べる羽目になるやつじゃん」
「君が言う?」
「嬉しいことならどんどん自分で言っちゃう。口にすると世界がそれを肯定する気がするから。知ってる? 幸せって自覚するほど幸せになるんだよ」
そんなものかもしれない。逆にネガティブなことは口にするほど自分だけでなく周囲も不幸にしがちだ。常日頃からポジティブな言動をするように心がけていれば本人が感じる幸福度も比例して上昇するという研究結果も、(特に文献を調べてはいないが)存在するに違いない。
レッツ、人生のプラシーボ!
そんなことを考えながら、差し出された彼女の弁当箱を受け取って広げる。蓋を外して出てきた料理の見た目は華やかで、第一印象は人間が相手なら一目惚れするレベルだ。素材のいい田舎娘が派手になりすぎない程度にメイクを決めて夜会用のドレスを着こんだようで、上品かつ謙虚に食欲をそそられる。
あ、いや、さすがに料理を女性に例えるのは表現がちょっとオヤジ臭くなってしまった感があるのでこれは撤回。
それはともかく、いただきます。
「おいしい……」
これでおいしくなかったら断る口実もできただろうに、普通においしくて明日からも食べたくなる。もぐもぐしながら考えてみると、俺の姉さんの料理もおいしいから、女子が作ってくれる手料理は普遍的においしいものなのかもしれない。
小学生のころには俺や赤松が作った料理も食べたことがあるけれど、一口で箸を置きたくなるほどまずかった。無残に使い果たされる食材がもったいないので、今では練習するのも気が引けている状態だ。
続いて口に放り込んだ卵焼きは甘い。フワフワしているのが溶けるような舌触りで心地よい。食レポする女子アナみたいに思わず頬に手をやってしまった。
だらしなく口元が緩んでしまう。
「ふふん」
得意げに鼻を鳴らすのは嬉しそうにこちらを見つめている古沢さん。してやられたので悪い気はしない。ここは変に誤魔化したりせず、おいしかったと素直な感想を伝えて、ありがとうと言っておくことも忘れない。
そもそも味がどうであれ、わざわざ自分のために朝から弁当を作ってくれた好意を無下にすることは許されぬだろう。
「明日はサンドイッチにしようかな。二人で校庭にでも行って、ピクニック気分で過ごすお昼休みも素敵じゃない? ベンチに並んで座ったら恋人同士っぽいよね」
「サンドイッチは好きだけど、昼休みに二人で食べるっていうのはやっぱり今日だけにしない? 俺と古沢さんが付き合っているとか噂されるようになると、お互いに困るだろうし……」
「私は別に困らないけれど、乙終君が本気で困るとか迷惑とか言うんだったらやめようかな」
意外と素直にあっさり引いてくれそうだ。ありがたいことに、決して場の空気や相手の気持ちが読めないわけではないらしい。
そう思っていると、俺たちの間にふと一つの影が差した。どうやら誰かがそばに来たらしいと顔を上げてみれば、榎本が立っている。
なんだか浮気現場を見とがめられた気分で背筋が伸びる。
「や、やあ……」
すぐには何も言ってこないので気まずくなって俺のほうから声をかけてみると、返事もしてくれない榎本はいわゆるジト目でこちらを見下ろしているばかりだ。
彼女が何も言ってこないのに俺のほうから言い訳じみたことを口にするのも自意識過剰と思われかねないし、ここは嫌味の一つくらい言ってくれれば、かえって気が楽になるくらいなのだが……。
と、そこへ古沢さん、なにやら興味深そうに俺たちの顔を見比べて、
「ははーん、彼女が君の?」
などと言っては顎に手をやって犯人を見抜いた名探偵みたいに得意顔をしているが、わざわざ最後まで言わなくとも彼女が何を言いたいのかはわかる。しかもたぶん当たっている。というか、実はこれ誰が見てもバレバレなんじゃなかろうか。
そうなのだ。榎本こそ、俺が恋をしている女性のうちの一人だ。
もう一人は幼馴染の美馬であり、つまるところ俺は二人への気持ちに優劣をつけられずに優柔不断な状態で接している。恥ずかしながら明確な答えはまだ当分出せそうもない。
まさか榎本に俺の秘めたる恋心などを勝手に伝えられても困るので、ここは先んじて彼女の言動を制しておく。
「余計なことは言わないでね」
「それはそうだよ。私の発言がきっかけで両想いになられても困るしね」
「言わないでって言ったのに!」
焦って古沢さんの口をふさぎたくなるけれど手が届かない。
榎本は「何が両想い?」みたいな感じで小首をかしげている。察しが悪くて助かった。俺と榎本がいわゆる「両想い」の状態なのかどうかはともかく、少なくとも片道通行の気持ちは俺から彼女へと確実に伸びているので、あまりこの話を広げるのはよくない。
結論を急ぐのも急がせるのも、今は望んでいることではないのだ。
なので話を転換する。
「あ、せっかくだから榎本さんも一緒に食べる? いつも美馬と一緒に食べているんだっけ?」
「んー」
こちらから誘ったら頷いてくれると思っていたのに、彼女は渋い顔をして即答を避けた。
どうしたのかと思っていれば、不意に榎本が顔を寄せて俺に小声を届けてくる。
「今日はいいかな。また明日にでも、古沢さんがいないときに誘って。いじられるのは好きだけど、やりこめられて負けるのはちょっとね……」
「よくわからないけれど、古沢さんが苦手ってこと?」
「ううん、そうじゃないの。だけど、たぶん乙終君を間に挟むと苦手になる」
それはどういう意味なのか。
けれど、それを聞いてしまう前に榎本は背を向けて離れていった。
パクリと一口大のブロッコリーをくわえた後で、うーんと腕を組んで古沢さんがうなった。
「嫌われちゃったかな」
「榎本さんは人を嫌うとか、そういうことあんまりないと思うから大丈夫じゃないかな」
「信頼あるんだ?」
「……ある」
「ふうん」
と言って古沢さん。
あまり感情をうかがわせないポーカーが強そうな表情で、遠くなっていく榎本を見送る。
「私って自分の気持ちには積極的だし遠慮もあまりしないけど、他人のそれにはちょっと身を引いて一線ひいちゃうときがあるんだよね」
まったく心がこもっていない口ぶりだ。
とはいえ根っからの嘘でもないのかもしれない。
「今はこれくらいでオッケーかなって感じでアプローチするのがいいのかな」
と言って、その後はしばらくおとなしく弁当に集中するのだった。