6.楓の居場所と観光ガイド
楓は零司の胸に顔を埋めて買ったばかりの作業ツナギで涙を拭いたら、零司が手を引いてくれたので一緒に立ち上がる。
そして零司の横で右手を繋いだままの立ち位置を自分専用の場所に決めた。
「ありがとう零司。わたしはもう大丈夫。だから必ず一緒に帰ろうね」
そう言って零司に涙目の笑顔を見せて、ぎゅっと手を掴む。
「そうだな、絶対一緒に帰ろう」
零司も笑顔で答えて事態は収まった。
「申し訳ありません、わたしの配慮が足らずご心配を掛けてしまったようで」
スポークは謝るが特に問題は無い。
何故なら、重要な情報を手に入れる事が出来たからだ。
そして何より、ただ漠然とした現状に明確な目的が出来たのは良い傾向だ。
「気にしなくても良い、むしろ帰還の可能性を示唆してくれたんだ。感謝しこそすれ謝られる事じゃない。だから気にしないでくれ」
「零司さん、その事なんですが、多分もっとずっと早く帰れると思いますよ?」
気軽に爆弾発言するラチェット。
「どういう事だ?」
「100年という数字はこの世界の普通の天使や神族の場合なので、零司さんたちなら位階が高かったり椅子の創出につぎ込める想像力や知識などから通常はそれらをイメージするだけで多くの時間を費やす部分を省略できる筈です。
それに普通は最初の転移先が全く分からずイメージが合致するまで失敗しますが、零司さんたちは既に以前居た世界を知っていますので位置を特定するのが難しいとは思えません。
つまり、能力の発現さえ出来れば直ぐにでも帰れるのではないでしょうか?」
呆気に取られる楓。
「ええぇぇぇぇ!」
大声で叫んだと思ったら慌てて左手を口に当て、零司を見ると目が合ってしまい顔を真っ赤にして俯いてしまったが、握った手は離さなかった。
□
「まあ、神の眷属が100年なんて僅かな時間で死ぬ事は有りませんが、異世界転移はそうそう獲得出来る物でも無いので、気長に訓練したらいいと思いますよ?」
ラチェットは緊張感もなく緩い口調で続けた。
「僅かな時間って、俺たちの世界では100年なんて生きられる人間は極一部なんだが、こちらの世界ではもっと生きられるのか? それとも1年が365日よりもずっと少ないのか?」
「こちらの人間は長くて90歳くらい、1年の日数もほぼ変わらりませんね。ただ、勘違いしている様ですが零司殿は神の眷属であり寿命はありません。それは楓殿も、そちらのネコ殿も同じです」
スポークが答えた。
「「・・・」それは本当か?」
「はい、どの世界でも神は不滅であり、その眷属もまた神により生み出されほぼ不滅の存在となります。ただ、神または眷属自ら死を望み、そう在れば、それは成ります」
つまり自殺しない限り死なないと言う事か。
「では俺は神の眷属と言われたが、俺の神とは誰だ?」
「申し訳ありませんが、それは私には分かりません。しかしラチェット様なら分かるかもしれません。どうでしょう、ラチェット様」
「そうですねえ、もうちょっと詳しく見てみましょうか。良いですか零司さん?」
「ああ。あと、さっきからラチェットの事を様付けで呼んだりしてるが何故だ?」
「それは…、言ってもよろしいのでしょうかラチェット様」
「構いませんよ~、もうお友達ですし、ね?」
「うん、ラチェットさんは凄く良い人だしもうお友達よね」
楓とラチェットは良い笑顔で握手している。
「そうですか、では。ラチェット様は主神たるスプロケット様の長女であらせられます」
「えええええぇぇぇ!」
楓は手を繋いだままラチェットを驚愕の目で見つめている。
「えへへ、実はそうなんですよ」
「何という事にゃん」
少しズレてノリを合わせるネコ。
「ですから私の様な中級眷属よりも高い能力をお持ちです。そして我が部署の優秀な職員でもあります」
「こんなポンコツが…いや何でもない」
「零司さん酷いです。今確かにポンコツって聞こえました!」
「そんな事は無いから気にするな、それより俺の神を見てくれ」
「ううっ、分かりました。それでは拝見させて頂きますね」
真剣な目で零司の胸の辺りを見つめ、右手をあてて目を閉じ動かない。
「ん~なんでしょう?靄がかかった様に肝心な所が分かりません。でもこれどこかで同じような物を見た事がある気がするのですが全く思い出せません。
どこでしょう?」
ラチェットは悩んだが思い出せないのでそれで判断を終わらせた。
「それで、どういう事なんだ?」
あやふやな言葉に零司が尋ねるが。
「分かりません、何処かで見た事あるような気がするのですが…」
「やっぱりポンコツか…」
「またポンコツって言いました~。酷いです~」
零司はポソッと呟いたのだがラチェットには聞こえていた。
若干涙目のラチェットを楓が慰めている。
□
「分からんものは分からんので放って置くとしてこれからどうするかだ。帰還の術を手に入れるまでは何も出来ないという訳にもいかないからな」
「そうね、少なくとも衣食住を確保しないといつまでもここに居る訳にもいかないわね」
楓は零司の隣を自分の場所と決めてもう離れる気など無い。
「でしたら帰還出来るまで私が神術の講師としておふたりに付き添いながらこの世界の観光でもしてみませんか?元々異世界からの旅行者のガイドをするのが私の役目ですしどうでしょう?」
「それ良いわね」
「そうだな、確かに良いがこの世界の金なんて持ってないぞ」
当然ながらこちらの世界で使える金なんて持っていない。
それにこちらの世界のお金を手に入れるとしたら労働か売却が必要になる。
いつ帰れるか分からないのだから旅行をしながら稼ぐとなればかなり率の良い仕事を探さなければならないだろう。
この世界にファンタジーゲームで良く有る『冒険者ギルド』の様な物があればもしかしたらそれなりに稼げるし旅の助けになるだろうがそう上手く行くだろうか。
「それでしたら問題ありませんよ。観光に必要なものはガイドの私が用意しますので零司さんたちはただ楽しんで頂ければ良いだけですから」
随分気前の良いガイドだな。
「なんでそんなにサービスが良いんだ?」
「それは私たちの世界から別の世界へ旅行する時も同じ扱いを受けるので無茶の無い範囲であれば存分に楽しめる様にという配慮ですね」
「それじゃもしかしたら、俺たちの世界にも別の神が旅行に来たりするのか?」
「確かめようがありませんが、そういう取り決めになっているので恐らくは」
少し呆れた零司と楓だった。
「そういう事なら世話になろう」
「そうね、お言葉に甘えよっか。
ラチェットさんと一緒に異世界旅行なんて今から楽しみだわ」
「ネコも連れていって欲しいにゃん」
「当たり前だ」
「もちろんよ」
「宜しくお願いしますね」
「こちらこそお願いするにゃん」
「お決まりになられたようで何よりです」
「それではこれより零司様たち御一行の旅行に付き添いしたいと思います」
「分かりました。ラチェットさん頑張って下さい」
「はい!ありがとうございますスポークさん」
「皆様、何かあれば遠慮なく私の方へ連絡をお願いします。
それではこの世界を存分にお楽しみ下さい」
スポークは来た時とは違い、その場で光を纏いながら輝きの粒をまき散らして姿を消した。
2019/03/28 再開に向けて若干の修正をしました。内容に変化はありません。