5.ネコの気持ちと楓の気持ち
「えっと、それで楓さん。
記憶を見せても良いと言う事ですが本当に良いんでしょうか?」
とても心配そうにさっきの一件を忘れようとして無理やり記憶の話をねじ込む。
「え? あ、ごめんなさい。
出来るのなら直接分かったら良いなって、でも出来るんですか?」
「もちろん出来ますよ」
自信たっぷりに胸に手を置き笑顔で答えた。
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「どうですか、猫がどんな生き物か分かりました?」
自信無さそうに心配している楓。
「はいっ、とても可愛いです!
凄く参考になりました、ありがとうございます楓さん」
早速猫真似を始めたラチェットだが、確かに猫そのままだ。
「「おおぉぉ~」」
「凄いよラチェットさん、そっくりだよ!」
「そうですか~、えへへ、嬉しいな」
デレデレのラチェットは、さっきよりも幾分マシなキモ猫だった。
そこへ空から光の粒をまき散らしながら光の塊が音もなくサッと降りて来た。
「ラチェット、随分時間が掛かっている様だから応援に来てやったぞ」
突然現れた天使を見て目を丸くする楓と猫姿のラチェット。
同僚か上司だろうか、ラチェットよりもちょっと偉そうな感じがする。
かわいい系お花畑のラチェットとは全く異なる筋肉質のアスリートっぽいカチッとした印象の男の天使だ。
「あれ、スポークさん、どうしたんですか?」
猫の姿のまま返事するラチェット。
「連絡して来ないと思ったら得体の知れない姿で何をしているんだか」
ラチェットを確認して安心すると、零司と楓を見たあと周囲も見回し少し考えるような仕草の後で驚愕の存在に気付き目を見開いた。
「そ、それで、そちらのお二人?三人?が旅行者でいいのか?」
若干の畏れを含んだ言い回しでラチェットに訪ねる。
「そうですよ~、男性が零司さん、女性が楓さん、そちらの車輪の方がネコさんです」
「そ、そうか、それでなにか問題はあったのか?」
「問題、何かありましたっけ?」
お花畑である。
「何もなくただ遊んでいたのか?」
話が噛み合わないので零司が間に入る。
「あー、いいかな?」
少しだけ申し訳なさそうにスポークに話しかけた。
「零司殿と言ったか、何だろう?」
「問題と言うのは俺たちが旅行者ではないと言う事だろうな」
「と言うと?」
訝しげに先を促すスポーク。
その時、ラチェットが急に自分の仕事を思い出し叫んだ。
「あー!忘れてました、そうですよ、可愛い猫に気を取られてすっかり忘れてましたけど、わたしはお二人の案内に来たんでした」
大きな口を開けて手をあてながら自白する。
「忘れてた、じゃない!」
スポークは猫姿のラチェットの額にデコピンする。
「痛ったあー!」
猫の姿で転げ回るラチェットは気持ち悪かった。
□
元の天使の姿に戻ったラチェットは正座させられて頭にタンコブが出来ている。
「全く、新人ではないのですから、もう少ししっかりして下さいラチェット様」
「だってだって、そちらの方々は上位神なのに術を使えないと言われるので、簡単な神術講座をしていたところだったんですよ?」
涙目で上目使いにスポークへ訴える。
「神術が使えないとはどう言う事でしょうか?」
零司に向き直り問い質してくる。
「さっき言った通りで、俺たちは旅行者じゃない」
腕を組んで真っ直ぐにスポークを見る姿はなにか偉そう。
「であればどうやってこの世界に渡って来たのでしょうか。神術無しにそのような事が出来るとは聞いた事がありません」
「それは俺たちにも分からない。ただ俺たちの世界で落下事故を起こした時に偶然この世界に来てしまった。俺たちの居た世界では神術など無かった筈だし、あくまでも空想の力としか思われてなかったからな」
半信半疑のスポークは零司を見ながら何かを考えている。
「それでは、お二人の後ろに『居る』ネコ殿はどう言った方なのか、説明して頂けますか?」
「それはわたしがお答えしましょうにゃん」
突然ネコが口を開いた、開いてないけど。
少し文末が変だが学習中だろう。
「わたしはこの世界で初めて自我を持ったにゃん。自我を持ったその時、零司様にそう求められたにゃん(ぽっ)」ピンクのボディが赤くなりクネクネとローリングしているネコを見たスポークが目線を零司に向け呆れている。
「ただ、その時は意思を伝える術が無く何も出来なくて悲しかったにゃん。でもラチェット様がわたしの意思を感じて主人の零司様に伝えてくれたにゃん。それで零司様と楓様が今のわたしにしてくれたにゃん。伝えてくれたラチェット様も、綺麗な体にしてくれた楓様も、主の零司様も、とても感謝してるにゃん。みんな大好きにゃん」
一輪車に大好きと言われる日が来るとは思いもしなかった。
「ネコさんは神器でもあるんですよ~」
嬉しそうに言い放つラチェット。
「それは本当でしょうか、零司殿」
急に真剣な目で零司を見る。
「ああ、そうらしいな。重い物を軽く運べる、だっけ? だが神器だけかと思っていたら意思があると分かって今のネコになった。それが無ければただの便利な道具として使っていたかもしれないな。そこはラチェットに感謝してルグォ!」
ラチェットを見て優しく微笑む零司の腹にラチェットレンチがめり込む。
「…その、聞く限りでは神器としての能力はアレですが、生命や思念体ではなく、神器が意思を持つなど前代未聞です」
スポークも楓が怖いのか殴られた零司にはお構い無しに話を進めている。
「ですよね~、ですから時間が掛かるのは仕方ありませんよね?」
さっき自白したばかりなのにそれを忘れているようだ。
「まあ確かに仕方ないですね。では零司殿は旅行者ではなく神術は今ラチェットに教わっている最中と言う事で宜しいでしょうか?」
チラッと椅子を見るスポーク。
椅子は神界では神術講義で最初に創る物なのでスポークにも分かったようだ。
「ああその通りだ。それと普通は旅行者って事は当然帰る方法もあるんだろう?」
「それはもちろん、通常100年単位の経験と知識が必要となりますが」
「そんな! それじゃ帰れないじゃない!」
『もちろん』の声に喜んだのも束の間、100年という時間を知り絶望する楓。
人の人生100年なんて長い方で、普通はそれ以下だ。
どう考えても生きてるうちに帰れるとは思えない。
それに何も言い残せず親と別れてしまった事に楓は心を痛めている。
うちと楓の森山家はお互い一人っ子だから二十歳前の二人が同時に居なくなってしまえば両家とも跡継ぎはもう絶望的だろう。
ついさっきまでは帰れるかどうかなんて考えになかったが、いざその可能性が閉ざされてしまうと心はそこへ向かって渦を巻くように閉じ込められてしまう。
そんな思いが楓の心の中を駆け巡り泣き崩れてしまう。
「お母さん、おとうさん、うぅぅぁぁ」
零司は座り込んだ楓の前で片膝を着き、目の前の小さな両肩を優しく掴んで体を起こすと、顔をこちらに向けた楓に伝えた。
「大丈夫だ、俺が何とかしてやる。いつだってお前を守るし、将来、絶対幸せにしてやる。だから、俺を信じて一緒に来てくれ」
楓を慰めたくてとっさに出た言葉が、事実上のプロポーズになっている事に全く気付いていない零司は、真っ直ぐに楓の目を見て微笑んだ。
「零司… うん…分かった」
いつも言われている『俺が守ってやる』という言葉、そして『一緒に来てくれ』という、いつも傍に居てくれる人を実感させる言葉、今の言葉の中に楓に安心を与えてくれる幾つもの想いを感じて素直に了承してしまう。
本当はもっときちんとしてから言って欲しかった言葉なのだが零司が気付くことはないのを楓は知っていた。
2019/03/28 再開に向けて若干の修正をしました。内容に変化はありません。