29.混乱の朝
タイトル命名が絶望的なのは分かってる。orz
零司が疑問に思っていた異世界転移術の不明点を天使長のハブとラチェットの上司スポークに会って訊いてみたが疑問は解消しなかった。
結果として零司が持つ疑問は誰にも判らない事が判っただけである。
零司は館に戻りリビングに顔を出してみたが誰も居なかったのでもう寝たのだろうと自室へと向かう。
出来立ての小屋へ入ると、天幕の明かりが窓から入り室内をぼんやりと照らしている。
そしてその部屋は覚えのある甘い香りがしていた。
出来立ての質素なベッドを見ると一部が膨らみそこに人が横になっているのが判る。
「ネコ……まあ良いか」
服を脱ぎ、ネコが眠るそれほど広くないベッドに腰を下ろして布団に潜り込む。
真新しい布団は直ぐ隣で眠る先客の匂いで満たされていて、零司は安心して直ぐに寝てしまった。
零司の寝息を聞きながら楓は胸が高鳴る。
ドアの音で目が覚め、零司が布団に潜り込むと直ぐ目の前に来て寝てしまう。
『ネコ……まあ良いか』
それを聞いた楓は『ネコが居ても楓と一緒に寝るのは大丈夫』と、この時はそう言っているのだと思っていた。
楓は自分の部屋に居ると思っているが、寝てる間に無意識で零司のベッドに転移していた。
食事の時リリに聞かれた『帰る時は』の言葉で自分では気付かないほど不安になっていた楓は無意識で零司に助けを求めていたのだ。
零司の呼吸が安定して眠ったのを確認すると目を開けて眠る零司の横顔を見つめ、彼の匂いを感じていた。
あの時の様に零司に甘えたくて零司の腕に抱き着いた。
物心ついた頃、良く一緒にお昼寝していたのを思い出す。
非日常だけど、こうしていると安心できる。
幼い思い出を胸に、楓は深い眠りに就いた。
◻
地平線から日が登りきった頃。
楓は中庭の小屋の中に居るせいか明かりの加減が違っていつもより遅く目覚める。
いつもよりも温もりに包まれ心から安心している自分に気付くと大きく深呼吸してから目を開けた。
楓は肌着だけの零司の胸に顔を埋め包まれる様に抱かれていた。
声が出そうになるのを押し留め、激しい鼓動を落ち着かせるのに暫く掛かった。
心を落ち着かせようとする間も、いま零司が目を覚ましたらと思うと気が気でなかったのだ。
布団から出てみれば零司と自分以外誰も居ない零司の部屋に居るとここで初めて知るのだった。
何故零司の部屋で寝ていたのかを物音を立てない様に無限倉庫から取り出した服に着替えながら昨晩の事を思い出す。
寝る時は確かに自分の部屋でネコたちと同じベッドに居た筈だ。
それに零司が部屋に入って来た時の事を考えると…そう言えば確か零司の横顔越しに見えた窓はこの部屋の物だった。
どう言う事なのか?
脱いだパジャマを無限倉庫に仕舞いながら考え続ける。
少なくとも零司がこの部屋に運んだ訳では無いだろう。
何故なら他に誰も居なかったこの部屋で自分の事をネコだと零司は言っていたのだから。
それなら夢遊病の様にここまで自分で歩いて来たのだろうか?
他の誰も態々楓を抱えて運ぶ意味など無いのだから、と。
考えていても答えは出なさそうだと限りをつける。
それに理由はどうあれ零司に抱かれながら目覚めたのはこれで二回目で恥ずかしさはあるが不安が払拭されるのを悪い事だとは思わない。
転移前なら出来なかったファーリナの街で零司と手を繋いで歩いた様な事も今の楓には必要なのだ。
頼れるのは零司だけでありそれ以外はおまけでしかなく零司が居ればこそ安心出来るのだから。
そしてこんな時になっても自信に満ちた零司の中二病が初めて羨ましく思えた。
着替え終わった楓はベッドに腰掛け零司の寝顔を眺めて堪能すると、何となくキスしてみたくなった。
彼の唇に近付き零司の匂いを感じた時。
「かえで」
寝惚けて呟く零司に驚いて顔を離した。
零司を起こさない様に静かに部屋を出て振り向いた楓は花に囲まれていた。
まだ黒い大地に近い太陽は中庭をハッキリとはさせなかったが、小さな照明が所々で花たちを照らし出し幻想的だ。
『零司は何で花壇を作ったのかしら』
そう言えば零司が楓のために造った様な事を言っていたのを思い出して頬を染めた。
楓は一旦自分の部屋に戻って静かに扉を開き皆の様子を窺う。
ラチェットもネコもベッドで寝ているがマルキウが見当たらないので探してみれば天井から吊り下がる照明の上で吊り金を背に寄り掛かりながら器用に寝ていた。
人が活動する場所で寝ると、気が付かずに踏みつけられるかもしれないからだ。
全員まだ眠っているのを確認して楓はキッチンへと向かう。
楓は零司に教えて貰った無限倉庫術を使って保管した葉野菜とキッチンで保管した物を見比べると無限倉庫に保管したのは痛みが進んでおらず時間停止しているのを確認した。
ただ、楓としては長時間煮込む料理で使えたら、移動しながらでも煮込めるので便利だなと思っていたのでその辺りはどうなのか零司かラチェットに聞いてみようと思いながら両手とエプロンに調理器具、用意した食材をまとめて浄化術で清潔にして朝食の仕込みが始まる。
最初に製パン用として露店で売られていた小麦粉と塩、ベーキングパウダー、零司から受け取っていたクリーテルの脂肪から精製したショートニングなどを用意する。
小麦粉に材料を混ぜて少しずつ水を混ぜて捏ね上げると、三つに分けて濡れ布巾に巻いて暫く寝かし、零司に用意して貰った型に入れ、山形パンに成るようにフタをしないで釜に入れ焼いている。
次にドレッシングだ。
ドレッシングは主材料に酢と食用油を用いるのが基本だが、これに卵を混ぜるとマヨネーズになる。
今回は零司の果樹園で採れたレモンとファーリナの露店で入手した植物油、それにさっき他の食材なども一緒に衛生的にきれいにした無菌生卵を使いマヨネーズを作り、ペースト状になったトマトに似た味の野菜を混ぜて置く。
これに細かく刻んだ食感と香りの良い組み合わせに向いているだろう野菜と香草を混ぜ、最後に塩で整える。
出来上がったのはサウザンド風ドレッシングだ。
味見をした時点で合格していたので後々を考えて大量に作り無限倉庫に保管した。
山形の食パン一本が焼き上がると型から外して自然冷却する。
その間にクリーテルのバラ部位でベーコンの製造を進める。
本来なら時間や設備、場所など大きく必要とされる事も、神術を使う事で代用できたり調理そのものがより思い通りにできる様になり、楓が作り出す料理は益々美味しくなっていく。
◻
朝食は普通に食パンとスクランブルエッグ、サラダにウサギカットのりんご、現地でも常飲されている牛に似た家畜の乳を牛乳代わりにした、日本の家庭で良く見られる普通の朝食だった。
初めてそれを見る子供がそうであるように、ウサギカットのりんごは受けが良く食事の楽しい話題にもなっている。
席にはラチェットもきちんと居たのだが零司に対しては挙動不審で可能な限り避けながら普通に振る舞おうとしていたのは事情を知らない零司以外からしてみたら謎ではあったが、特に問題もなさそうなので皆も放置している。
零司は朝食が終わり皿の片付けを済ませてリビングへ行く。
ひと息ついている皆に向かい今日はファーリナの街に向かう事を告げ、行く者はリムジンに乗ってくれと伝えたが少し思案しただけで全員が行く事になった。
館に居てもする事が無いと言うのが理由だが、零司にしてみれば休まず働いても良いくらいに今はやることだらけである。
各自お出掛けの装いになるが基本的に殆ど変わらない。
楓は最初にファーリナの街へ行く時に作った現地で目立ち難い服に更に手を入れて使い易い工夫をしてあり、零司にも渡した。
使い易いと言ってもこの世界の一般人だったらであり、人の街に人として居るなら使い易いポケットや着脱で楽だったり洗濯し易い構造だったり、襟にワンポイントで楓ファミリーを示す楓の葉を自分とネコ、零司にも入れてある。
ネコは楓に貰ったお気に入りの帽子と楓とお揃いの服にご機嫌で楓の腕に抱き着いている。
ラチェットは猫に変身して楓の肩に乗った。
マルキウは楓が日本で使われる幾つかの代表的な服を試作した中から選んだと言うパリッと糊の効いたスーツスタイルだ。
リリは街へ行った時に着用していた女神様の衣装ではなく楓と同じ服を用意して貰い縮小でサイズを合わせた。
ワンポイントはピンクのユリだ。
ラチェット以外は全員細身なのでネコサイズで作った服をネコに複製させて、マルキウとリリは縮小で済むのは便利で良いのかもしれない。
最初はそれぞれに創りはしたがネコが裸だったとき最初に楓が着ていた作業服を瞬時にコピーしたのを思い出し、それ以降は全てネコが複製している。
もちろん後から同じ服を即座に用意出来る様にオリジナルは楓の無限倉庫に保存されていた。
「行くぞ」
「出発なのにゃ!」
今回は若葉を想わせる鮮やかな発色のオープンカーである。
前回の問題を改善しつつ、景観を楽しめる様にとオープンカーではあっても戦闘機の天蓋の様に見えないシールドで守られているので風の影響や転落の可能性は無い。
十分の一程度の重力加速度でゆっくりと空へ飛び立ち、もう見慣れたミテールヌ山脈を左に眺めながら今回は直接ファーリナの街へと向かった。
ファーリナの街上空へ来てみれば、中央広場と広場に近い小さな建物、領主の館周辺の人口密度が高く、広場には降りられないのがひと目で判った。
それじゃあと小鳥のさえずり亭前はどうかと思うが目を遣ればそこも人が多く着陸出来そうに無かった。
仕方無く街の入り口に目を向けて見るが隣街へ繋がる街道は、恐らく街道上なら何処に居ても見える範囲には必ず馬車が居るくらいの行き来はあるようだ。
◻中央広場
少ないながら露店が並んで買い物客がそこそこ来てそれなりに笑い声も飛んでいた広場は、今は街の外からやって来た人たちが乗る馬車で一杯になっていた。
馬車が所狭しと並び押し込む様に流れ込んだため、今では身動き出来なくなっている。
◻小鳥のさえずり亭
「おやじ!
俺にもはんぱーくってのをくれ!」
「わたくしにも女神より賜ったと言うはぬばるぐを下さらないかしら、お金なら幾らでもお支払いします。私を最優先でお願いしますね?」
「何言ってんだアンタ! わしの方が先なんだ、すっ込んでてくれんか」
そんな怒号にも似た声が店内に飛び交っている。
「済まんがさっきも言ったが材料が切れてもう何も出せない。それに部屋も満室で空きはない。だから粘っても何もならんよ」
そのひと言に皆しょんぼりとして店を出るのだが外で順番待ちをしている人たちには聞こえて無いのか店内から人が去るのと同じだけまた人がやって来る。
宿主のバンは昨日から延々とこれを繰り返していた。
今のところこの街にやって来るのは馬車だけなので、この街唯一の宿屋に誰も宿泊出来なくても何とか大丈夫だった。
ただ、これだけの人がこんな田舎街に突然集まってしまうと食べる物も出す物も大変な量になる。
当然街のあちらこちらで食糧を買い求めて農家や民家に押し掛けたり、ちょっと人目を避ける場所に排泄物が溜まっていたりと、非常に良くない状況が発生していた。
これには領主のシエルも頭を抱えながら胃をキリキリとさせているが街の住人のために何とか解決しなければならない緊急課題だった。
◻ファーリナの街、聖堂
中央広場からひとつ外側の通りに接する聖堂には沢山の人で溢れている。
聖堂とは言っても教会と言った方が正しいのかもしれないが、この街で唯一の聖堂は小さくギャロの家とあまり変わらない大きさの建物だった。
その理由の多くは過去この街で神に関わるイベントが無かったのが影響しているのだろう。
しかし今、目に見える形で事実上『神々の降臨』を目の当たりにした人々と、神から直接神光石を授かる住人まで現れた。
その神光石はこの聖堂に納められた上に世界を恐怖に陥れた焔の魔神が異界よりやって来た戦の女神に倒された。
今この街は噂話の中心地となり、人伝で届く限り世界中がファーリナの街と神々の話で持ちきりだったのだ。
そんな時だ。
ギャロによって聖堂に持ち込まれた神光石が後から後から詰め掛ける人々の目に晒されていたその時、僅かに光を帯びた神光石に街の外からやって来た人々が驚愕し騒ぎになっていた。
騒ぎはあっという間に街中に伝播して行き、空を見上げた人々は上空を旋回するリムジンを発見した。
「あれは何だ!」
「鳥か? 鳥にしては翼が無いぞ」
「もしかしてあれが神が乗る馬車なのか?」
人々から歓喜の声が湧き上がる。
◻リムジン室内
「地上の人たちが気付いたみたいですねぇ。こっちを見て手を振ったり礼拝の姿勢を取っていますよ?」
「何でこんなに人が居るの? 街の人口の十倍は居るんじゃない?」
「アンタ自分が何なのか忘れたの?」
「え? ああ……そうよね」
楓はマルキウに言われ自分は女神だったと思い出し言い淀む。
「でもあそこに降りるの危険じゃないかしら。零司はどう思う?」
聞かれた零司は街の状況をデータベース化している最中だ。
非常に多くのインフォメーションチップをひとつひとつ確認するのではなく、データの抽出とグラフ化により必要な情報を素早く手に入れ、いま出来る対応を探している。
「ちょっと待ってくれ、今調査中だ」
楓は何を? と思うが零司の言う事なので黙って待つ事にした。
「治安は悪くはない。ただ俺たちが降りるとパニックになるのは確実だな。それに衛生状態が良くないな、浄化を掛けておくか」
零司は街全体に浄化を掛ける。
もちろん発酵している食糧や人の生活に必要な菌類まで排除はせずに生活する上で不衛生な物に限定してあった。
「これで大丈夫か?」
もう一度地上の状況を読み込んで確認すると、人々の感情変化から人の肌に溜まる垢も綺麗に浄化している事に気付く。
『まあいいか、楓たちには黙っておこう』
騒ぎの種を自らばら蒔いた零司だった。
銭湯建設どころじゃなくなってきた。




