28.零司の悩み
零司:ニヤリ
零司を探しに行って帰ったばかりのラチェットは夕食を目の前にして気を失い脱落した。
「かなり疲れてたらしいな。ネコ、ベッドに寝かせてやれ」
「行ってくるにゃ!」
また手間が増えた事にショックを受けるマルキウ。
「マルキウさんを待たせるのも可愛そうだから私たちは食堂へ行きましょうか」
楓の言葉でラチェットを送るネコ以外は食堂へ移動し、無限倉庫に用意してあった盛り付けた皿を次々と並べていく。
ネコは楓たちの寝室まで一階のリビングから階段を上がって直ぐなので素早く帰ってきたが扱いがどうだったのかは判らない。
今回は街で食べる様な普通の食事だった。
パンとサラダと野菜スープだ。
パンは重量のあるドイツパン風で日本で流通する普通のパンとは比べ物にならないくらいに確りとして腹持ちも良い。
サラダは楓の畑で作る事になっているギールに楓が作ったサラダドレッシングが掛かっている。
スープはミネストローネ風だ。
ただしマルキウは皮を剥き種をきれいに取り除いた桃の砂糖漬けで、いわゆる桃缶である。
楓が用意したマルキウには少し大きな専用カトラリーを使い一口食べた直後。
「んー! んーーー! ぷはっ、美味しいわこれ!」
悲鳴の様なマルキウの感想を聞いたリリが羨ましそうにしていたので桃はデザートとして用意してあると楓が伝えると目の前の普通の食事に手を付ける。
「このパンは何だ? 美味しいぞ。それにこのスープもサラダも口にする度にまた欲しくなる」
只の葉野菜に半透明の何かが付着しているだけなのに、まさかこの葉野菜自身がこれほど美味しいのだろうか、と。
その言葉を聞いて素直に喜ぶ楓は今まで地道に料理を学んで良かったと心から思う。
零司も楓の手製料理は素直に美味しいと感じているがそれを口には出さずに坦々と料理を口に運び続け、スープのお代わりを二回繰り返した。
楓は零司から『美味しい』と言って貰いたくて頑張っているのだが、お代わりをしているので今はそれで満足している。
今回の料理で楓は幾つか神術を使っている。
その一つがドレッシングだ。
酢と植物油をベースとするドレッシングは食卓のサラダに掛かっている時、その姿は白色のドロッとした乳化状態だが、これは良く混ぜて措かないと直ぐに分離してしまう。
長時間乳化を保つ為に宙に浮かせた二つの液体を非常に細かい粒子にしてから非常に強力な捩れた回転を加えて掻き混ぜている。
他にも桃に砂糖を加える時にも真空引きや加圧等、あの味を再現する為に多数の手間を掛けていた。
全ては喜んで貰いたいと言う純粋な気持ちからきている。
人はこれを愛情と呼ぶ。
皆がご飯を食べ終わると一旦零司が皿を片付ける。
その間にひとつひとつ皿に分けられた桃を取り出した。
てらてらとシロップで輝く桃を前に目を輝かせるリリは零司が片付けから戻るのを待ちきれずにナイフで切り分ける。
リリの小さな口に切り分けたその一片が入ると、それこそ花が咲いた様にパッと笑顔になった。
「確かにこれは美味しい。楓の世界はこんなにも美味しい物だらけなのか? 楓たちが帰るときは是非私も連れて行って貰いたい」
「ええ、歓迎するわ」
『帰るとき』そのリリの純粋な願望は楓の『本当に帰れるのか』と言う不安を射抜いた。
しかし零司を信じているから少しの事で揺らぐ事はない。
そして転移術の講義をまだ受けてないなと思い出す。
それは零司も同じだったが零司にはある程度の目星が着いているのだがその方法では零司たちの望みとは理論的に矛盾があるので実行は出来ずにいた。
リリが数百年前に読んだ漫画本は零司が日本で比較的最近読んだ物であり、同じ作品がリリの世界では数百年前に手に入っていると言う事はリリの世界が数百年進んでいるのか零司たちが数百年後のこの世界に来てしまったのか、異世界間の時間の管理はどうなっているのかがハッキリと分からないと今までの話だけでは特性を掴みきれないでいる。
実のところ零司は転移に成功している。
今いる場所から別の場所、つまり別の空間への移動で、異世界転移初日に楓の家の浴場でラチェットが見せたのと同じ方法でだ。
ただし目先の生きた情景を見ながらその場所へというのが前提だが。
これができるなら理論上元の世界に戻る事だって出来る筈だと思う。
だが先のリリの様に世界の壁を越える移動に伴い時間がズレる場合、元の世界には戻れたとしても全く違う時間軸に行ってしまう事になる。
そうなった場合は仕切り直そうとこちらに戻ろうとしてもまたズレる可能性が極めて高くなる。
百年を軽く見る天界を基準にした物差しでは意味がなく、元の世界に帰れると言ったスポークやラチェットの話も、確かに帰る事自体は出来ても数百年後では意味が無いのだ。
そしてこれが事実ならと楓に伝えるにはまだ早いと考えている。
当然それらの情報を知る者に聞けば良いだけなのだが、一番身近で教師の役割を持っているラチェットや他の神から話を聞いた事があると言うリリも、自分でした事が無い以上は先の天界基準を考えれば意味が無い。
そう言えばラチェットの上司のスポークが『何かあれば連絡を』と言っていたなと思い出す。
彼なら新人のラチェットよりも経験が長いだろうからそれなりに知識もある筈だ。
ただ連絡はどう取るのだろう、まさかラチェットに頼むのか?
そう思った時、リリを救ったあの時と同じく突然解った。
どうせなら転移術で解れと思うのだが解らないのだから仕方が無い。
◻
夕食の後、零司は一人で最初に舞い降りた山に居た。
そこで呼び出したスポークと三人で話をしている。
「突然呼び出して済まない」
「その様な事、魔神を討伐して頂けた事に比べたら些末に過ぎません。天界と人類一同、心より感謝しております」
どうやら先のラチェットの報告で世界の各都市街に天使たちが通達したらしい。
そして初見の天使とその後ろに控えるスポークは胸に手をあて会釈する。
スポークの前に居る古代ローマの彫像を思わせる天使はスポークの上司なのかもしれない。
「遅れましたが私、天使長を務めているハブと申します。以後見知りおきを」
僥倖だ。
天使の中で最も地位の高い者が来るなど思いもしなかった。
「俺は時崎零司、零司でいい」
「はっ、零司様。それで今回はどの様な御用でしょうか」
頭を下げたままで話をしている天使たちに居心地の悪さを感じた零司は普通にして欲しいと伝えて通常の会話になった。
「異世界転移に関する具体的な事が知りたい」
「異世界転移ですか、フム」
ハブは腕を組んで考え始める。
「零司様は神術の勉強を始めたばかりと聞いていますがそれは正しい情報でしょうか」
「ああ、独学でもソコソコ出来る様になったつもりだが比較対象が無いからな、どの程度かは自分では判断出来ないが」
零司の言葉に続いてハブに後ろからスポークが小声で話をしている。
「なるほど、始めてから四日目……ラチェットが教師に着いていると聞いていますが家具類の創造辺りと言ったところでしょうか。いや、四日、四日ですか?」
「ああ、そうだ」
ハブは何か混乱している風に見え、後ろに居るスポークに向き直り小声で話をしている。
二人の話し合いは終わったらしい。
「話の途中で失礼しました。重ねて失礼ですが少しお話を聞かせて頂きたい」
ハブが改まって零司を真剣に見つめている。
「なんだ?」
真剣なハブに気負う事なく応じる。
「転移して来られた際には神術が全く使えず、その後僅か三日で魔神を討伐されたのでしょうか?
いえ、正確には三日足らずでしょうか」
額に汗を流し零司に訊ねる天使長のハブ。
「言われてみればそうなるな」
天使長は驚き言葉を失う。
「そうですか、異世界転移の話でしたね」
落ち着いてから仕切り直してきた。
さっきまでの話は何だったのかとは思うが客観的に自分を見てみれば『まあそうか』と納得する零司。
異世界転移術ですら百年単位の所を僅か数日で迫る勢いなのだから、零司が、と言うよりも日本の中二病が架空でしかなかった能力に対して理解力があり過ぎて困るレベルと言うしか無い。
「異世界転移は基本としてふたつの能力が必要となります」
「ひとつ、近距離でも良いので転移が出来る事」
これは零司が予測した通りだった。
「ふたつ、転移先の明確なイメージ」
これもラチェットやリリが言っていた通りだ。
しかしこれだけでは零司が懸念する時間のズレの問題が解決していない。
「それだけか?」
零司の質問に訝しげに言葉を返してくる。
「それだけと言いますと?」
零司はリリの事をこの世界に来た時からを順を追って話した。
ハブとスポークは揃って驚く。
リリが暴れるのを許可したのはこの世界の最高責任者スプロケットだったのだから当然だ。
「零司様、どうかこの事はご内密にお願いします」
二人の焦り様が半端ではない。
「構わん。この前リリの話でラチェットは言わなかったのか?」
面目無さそうにしているので憐れに思えた零司はあまり突っ込まない様にしつつ話の続きをする。
リリが数百年前に持っていた本が実は零司の世界で最近発売された物だと説明した。
「なるほど、時間遡行または跳躍ですか」
ハブは目を閉じて考えを巡らせている様だ。
「私も天使長として多くの神々の話を聞かせて頂く機会がありますがリリ様の様な話は聞いた事がありません」
基本的に時間がズレる事は無いと言っているのだが天界基準なので懸念を払拭できるかもう一つの質問をした。
「俺が元の世界に帰った場合に時間のズレ無く戻れるか? または向こうに行ってそのままここに戻った場合、俺が感じた時間で同じここへ戻って来られるか? そうだな、例えばここに二つの輪を書こう」
零司が両手別々に足元と少し離れた地面に手を翳した。
グラウンドに引く白線の様な輪が三人を囲み五メートル離れた場所にも同じく輪が描かれた。
「いま三人共この輪の中に居る。これをこの世界だとして」
零司がハブたちの目の前から掻き消え、もう一つの輪の中心に転移した。
「こちらの別の世界に来て直ぐに」
声のする方へハブは目を遣ると零司はまた姿を消して元の場所へと。
「戻る」
元の場所に居る零司に驚愕する二人。
「つまりこれと同じ要領で時間のズレ無しに行き来出来るのかどうかを知りたい」
話は二時間に及ぶ。
その殆どが理論と神々の話で埋められて明確な答えは得られず、この世界唯一の神はいま正に旅行中であり直接話を聞く事は出来なかった。
詰まるところ誰もそんなに時間を気にする短期間での異世界転移などしていないので、当然誰にも分からないのだ。
「零司様は異世界転移する事自体は問題が無いと言えるでしょう。しかし時間の正確性は今のところ誰にも分かりません。それに出立した神がそれ以前に戻って来たと言う報告は受けた事が無いため、リリ様と零司様の整合性については私共では何とも言いかねます」
結果、要は彼らを呼ぶ前と状況は変わらなかった。
「そうか、良い話が聞けたありがとう」
判らない事が解った。
だがこれ以上こちらの事情で相手を困らせる必要は無い。
「お役に立てず申し訳ありません」
「いつまで掛かるか判らないがやれる事をやってみるさ、何かあればまた頼む」
「はっ、いつでもお待ちしております」
零司は別れを告げ館へと飛ぶのだった。
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零司が出掛けた後、気絶したラチェットを残し全員で夜の中庭へ向かう。
「ねえマルキウさん、中庭ってどんな所だったの?」
楓は中庭に向かいながら訊ねる。
「そーねえ、花が一杯咲いてたわ」
そのまんまか、と思ったのは黙っておこう。
「それにしても零司が花壇か、どんな所か楽しみだわ」
地下には魔王の謁見室があるのだが知らなければ只の綺麗な花壇がある中庭と、謁見室の入り口が隠された素朴な零司の自室小屋である。
「何これ、本当に零司が作ったの?」
毎度の中二って何? と言いたげだ。
「零司は凄いな、私にはどうやったらこれが出来るのかすら分からない」
リリは戦しか知らなかったのだから仕方の無い事だが、それだけではなく漫画と薄い本を知っていてもそこには美しい背景など無く、ただただ戦いのカッコ良さと仲間の絆、そして肌色だらけだった。
「こんなだったかしら? よく覚えてないわ」
マルキウはネコの頭から飛び上がり上から花壇を俯瞰している。
楓は花壇も綺麗だが零司の部屋が気になったので一度見ておこうと思い館の一部とは思えない本当に只の小屋の扉を開くと、照明を点けて室内を確認した。
そこは簡素な家具が置いてあるだけで何もない部屋だった。
零司にしては簡素過ぎると怪しむが、零司が楓を呼んで楽しむために用意された部屋だと思うとおかしなフィルターが掛かってしまい正常な評価が難しくなってしまった。
慌てて窓から中庭を見るとネコが嬉しそうに外周の小径を走り回り、じいっと見つめてはまた走り回っているのが見えた。
中庭に出て少し様子のおかしいネコに近付く。
「楓さま! お花キレイなのにゃ!」
話終わるとかなり興奮して跳び回っている。
「やだ、ネコ大丈夫?」
もしかしたらネコに良くない系の何かがあるのかもしれない。
走り回るネコに楓は歩いて近寄り声を掛けた。
「にゃーん!」
振り向き様に楓に抱き着き押し倒して息が荒い。
「どうしたの? なんだか目付きがっ! んーっ!?」
突然キスして頬をなめるネコ。
「にゃーん!」
また行ってしまった。
楓は初めてのキスをネコに奪われてしまい、唇に手を当て呆然としている。
「もうっ! 何なのよ!」
上から全体を見ていたマルキウはネコの異常な反応に覚えがあったので心当たりの花を探すと確かにそれはあった。
「あー、この花だわ。楓、こっちに来て」
花壇のあちこちに大量に植えられたその花は数年に一度だけ花を付ける変わった物で、普通はこんな大量に存在しないと言う。
そして学者かと言いたくなるほど詳しいマルキウの解説が続く。
この花は元々雌雄別で群生はしていないのだと言う。
そして雌花がある種の夜間に活動する小さな生き物を引き寄せて興奮させて動き回らせる事で周囲の雄花と交配するのだという。
「だけどこれっておかしいのよね」
地上付近に降りて花を突っつくマルキウに楓もその花を見たが日本で見られる花と大して違わないので良く分からない。
「何がおかしいのかしら?」
リリも楓の反対側から覗き込んでいる。
「よーく見比べてみなさい」
隣り合う花を比べるが同じ品種の花なのだ違いが分からないのが普通だろう。
リリも零司と出会うまで花に興味を持った事など一度もなかったので当然分からない筈だった。
「花とは全部同じものなのか?」
「ふーん、リリは判ったのね。楓には少しだけ分かるように教えてあげる。そーねぇ、楓とネコみたいって言えば分かるかもね」
考え込む楓がネコを見る。
「もしかして……判ったわ。全部形がそっくり同じなのね」
でもどうして? と楓はマルキウを見る。
「知らないわ、レージが何かしたんじゃない? それにここにあるのは雌花だけでこんなに沢山あるんだからネコがおかしいのもそれが原因じゃないの?」
楓は少し考えてマルキウに質問した。
「元に戻す方法は?」
「放っとけば勝手に直るわよ。効果があるのは夜中までだからその内正気になるわ」
「それまでずっとこのままって訳にもいかないわね。花壇を楽しめないのは残念だけどとりあえずここを離れましょうか」
跳び回るネコを捕まえて抱き着かせると体を擦り寄せて求愛の様な行動に移るネコに、つい眠ってくれたらと思うとネコは寝息を立てていた。
ネコを背負って階段を登り、ラチェットが眠るキングサイズのベッドにネコを転がして一息つく。
「ネコを背負っても全く疲れないなんて我ながら驚くわね」
「楓も女神なのだ、それくらいの事で疲れるなどあり得ないだろう?」
戦の女神が笑顔で太鼓判を押す。
そんなリリに苦笑いを返してベッドの縁に腰掛けて仰向けにひっくり返る。
「花壇をゆっくり見れなくて残念だったわ」
楓がデザインした可愛らしい装飾の天井を見上げ、ポツリと漏らす様に語る楓。
「日が出てる時なら安全よ?」
マルキウはローテーブルに置いたフルーツバスケットにあるリンゴの香りを堪能しながら楓のぼやきに答える。
「そうなのね、また明日行こうかしら」
眠くなってきた楓は語尾も消え入りそうだ。
「もう眠った方が良さそうだな。私もあの部屋に帰って寝るか、フフフ」
ユリの花の装飾を思い浮かべ少し気分が良くなるリリは楓たちが休む部屋を離れリリライトピンクの装飾に囲まれた寝室に来た。
窓を開け放ち見る景色は、見慣れた焼け爛れた漆黒の土地であり生命活動の面影すら無く、零司が生み出すこの部屋の美しい造形や、あの風呂や中庭の様な花壇を思うと自分が如何に何も世界に産み出していないのかを思い知る。
そして天に棚引く美しい自然の産物を眺めて溜め息を漏らし、零司を思い浮かべながらベッドに入るのだった。




