26.果樹園
広場で始まったお祭り騒ぎは零司の計らいで酒が配られ人々の喜びは収穫祭を上回った。
そしてファーリナでの歓待は翌朝まで続く。
男たちは肩を並べて酒の飲み比べ、女たちはこれから建設しようとしている銭湯と、楓が作ったハンバーグや日本の料理の話で盛り上がっていた。
当然だが大人たちが歓喜の声を上げて騒いでいれば子供たちもはしゃいで遊び回る。
だがそれだけに疲れてしまい早々に眠ってしまったのでバンの宿屋でまとめて寝かせられていた。
騒ぎが終わる頃には男たちの殆どがのびてしまい女たちが後始末している。
「男たちはホントにだらしないねぇ」
大笑いした女たちは飲み過ぎで倒れた男たちを抱えて、お祝いのために持ち込んだ食べ物を載せてきた荷車に乗せると、子供を預かっていたバンに礼を言いお互いに挨拶して家路に着いていた。
「兄ちゃんはホントに酒に強いな」
宿屋の主人のバンはあまり飲まなかったらしく、ほろ酔いで一階食堂のカウンターから椅子に座る零司に話し掛ける。
「酒は飲んでも飲まれるなって爺様が言ってたが、全く酔わないのも無粋なもんだな」
零司はこの世界で主流のエールを十杯くらいは飲んでいるだろうか。
それでも元から強い体質なのか全く顔色を変えていないが味は普通に感じるので大丈夫だろう。
住人たちと乾杯を繰り返したあとバンと二人で宿屋まで帰り今度は少し値が張る果実酒を飲んでいた。
零司が知る日本で飲んだワインよりも質は低いが祝いの馬鹿騒ぎの後に落ち着いて飲む酒としては十分に楽しめる。
そこに家路に着いた人々を見送った楓たちがやって来てテーブル席に着。
「お水もらえるかしら」
「お疲れ様。そっちはどうだった?」
零司はバンが用意したピッチャーとコップを載せたトレイを受け取りテーブルに置くと、コップに水を入れて一人ずつ渡していく。
「皆いい人ばかりよ、世界は違っても人は変わらないわね、ふふ」
何か面白い話でも聞いたのだろう、楓が思い出し笑いをしている。
「私が知る人間とは随分違っていたが、こちらの方が幸せそうだ。戦の世界よりも皆が穏やかに生き生きとしている」
この席にいる者たちはリリの意見を優しく受け止めるように肯定する。
しかし零司はリリが血塗れの戦士たちが勝利と栄誉を渇望する願いから生まれた事を知っている。
それだけにこの言葉がどれだけ重みがあるのかを分かっていた。
宿屋で一息着いてから一度屋敷に戻って休むと言い、店の外にリムジンを出すと乗り込んだ。
運転席の窓を開けてバンに休むように言うとリムジンを空に向かわせる。
数分で屋敷に到着した一行は、そのまま風呂へ直行する。
リリは楓に香りの秘密を聞きながら、楓の真似をして自分で髪の手入れをし始める。
しかし、湯に浸かってリラックスする以外の行為は神にとっては本来不要であり、浄化してから香り付けすれば良いだけなのだが、楓の日本での習慣でそれが普通の事として受け入れられていたし、リリも髪を手入れするのが結構気に入っていた。
そして手入れも済んで体の汚れを流し、皆して湯船に浸かるとほっこりとした笑顔でお互いを見て、街の人々が歓喜していたのを話題に話が盛り上がる。
◻
暫く湯の中で話していたせいで逆上せてきた一同は、タオルを体に巻き庭園の東家に場所を移して会話が続いている。
「それにしてもうまくいきましたね、零司さんにはちょっと気の毒かなーと一瞬だけ思っちゃいましたけど、うふふ」
「いーえ、そんなこと無いわ。レージには魔王がお似合いよ」
「私の魔王様……フフフ」
「この屋敷も外は誰が見ても魔王の屋敷と言うか館よね、あはは」
「零司様は魔王様になったのにゃ!」
皆それぞれに楽しそうに笑っている。
一方で零司は風呂の壁一枚隔てた直ぐ隣に、比較すると屋敷が豆粒に見える程の広大な空間を確保していた。
リリが焼き払った土地から見れば極僅かな土地だが、そこは温室の果樹園建設地であり、個人の果樹園として見れば大き過ぎるくらいだ。
果樹園は日本のスーパーにあった目ぼしい果物や草木の実などを育てるための場所で、受粉を促すために蜂と巣箱、アゲハチョウと山椒の木なども用意する。
これらは今のところ、この土地以外に繁殖しないように物理的に隔離されており、この世界の生態系に影響を与えないように配慮しているので環境に優しい魔王と言えるだろう。
山椒の木はアゲハチョウの幼虫が葉を食べるので必要である。
アゲハチョウ以外も秋にはアカタテハが活躍しそうではあるが、こちらは葉野菜などに卵を産み付けてしまうのと温度管理されたこの果樹園では必要性がなく採用されなかった。
「後はきちんと品種を再現しないとな」
そう言って更にもうひとつのエアシャワー室を持つ厳重な機密を保つ部屋を創る。
そこで品種を再現するのだが、間違って危険な品種を産み出していないかを確認するための重要な施設だった。
例えば、スイカを創ろうとして出来上がったのが血肉が炸裂する爆弾だった、なんてことの無いようにだ。
実際にはそんな言葉通りの意味ではなく危険な品種と気づかないで畑に植えてしまい、他の正常に育つ品種が影響を受けないようにとの配慮だ。
そして第一段として幾つかの果樹を創造する。
それを急速に成長させておかしな兆候がないかを十回ばかり繰り返して問題がないことを確認すると畑に持ち込み植えていく。
こんな事をしなくても果物その物を都度創れば良いのかもしれないが、これは楓が楽しむための設備として産み出した物だから採取する工程そのものが目的なのだ。
◻
零司が果樹園で頭が一杯の頃、楓たちはもう一度湯に浸かり体を温めてから風呂を上がり、昼食の準備を始めている。
今回はこちらに来てから初めてのまともな食事だったピザだ。
キッチンには零司が用意した基本的な調理器具一式と昨日の朝大量に持ち込まれた食材があるので、楓が先生になって皆それぞれに好きな具で作っている。
マルキウは生地を練るときマルキウ自身が巻き込まれてしまうので生地だけは楓が用意してあげると、好きな木の実をせっせとキレイに並べていた。
「ねー、レージはまだなの?」
出来上がった木の実ピザを前にお預けを食らったマルキウが早く食べたくて楓に向かって訪ねる。
ピザを焼く段になって手が空いたネコが零司を探しに行っていて、全員分焼き終わっているのにまだ帰って来ないのだ。
目の前には良い匂いのする食べ物があるのに食べられないなど、山で自由な生活をしているのでそんな事は殆ど無かっただけに零司が見つからないのを恨めしく思う。
「遅いわね。冷めるのも勿体無いから先に食べちゃいましょうか」
楓がそう言うと早速マルキウが頂きますと言って焼けた木の実を手に取って口にする。
「これ、美味しいわね!」
チーズで手がベタベタのまま、良い笑顔でとても嬉しそうだ。
「気に入って貰えて良かったわ」
しかし、マルキウ用のピザはどう見てもマルキウ一人で食べきれる大きさではなく、あまり小さいと焼くときに焦げ易いので大きめで作ってあった。
もしマルキウがその上に転んだら、きっと取り餅に貼り付いた蝶のようになってしまうだろう。
「んぐっ。ふむ、確かにこれは美味しい。これなら幾らでも入ってしまいそうだ」
リリはピザ一枚では足りなそうで将来が危ぶまれる。
そこに零司とネコが帰ってくる。
二人とも果実を籠一杯にしてリビングに入ってきた。
無限倉庫を持っているにも関わらず、 態々籠に入れてきたのは最初のインパクトを狙ってである。
零司の演出は成功し、リビングの皆の目線は籠の果実に集中する。
「それどうしたの!?」
目を真ん丸にしてローテーブルに置かれた籠を見ながら楓が訊ねる。
「一杯生ってたのにゃ!」
楓は花咲くような笑顔で抱きつくネコにピザを落としそうになる。
しょうがないわねと頭を撫でながら改めて零司を見る。
「どう言うことなの? これ全部地球の果物よね」
食べ掛けのピザを置いてリンゴに見える赤い果実を手に取り眺めた。
周りも籠の中の果物が気になりそれぞれに一つ二つ手に取り、初めて見る果物に興味津々だが、マルキウは特にリンゴの匂いが気に入ったらしく顔を近づけている。
「果樹園を造ったからな、ここにある物はいつでも採れるぞ」
『また? またなの?』
そんな言葉が楓の心に響く。
毎日のように難易度を上げ、今では生命まで誕生させた零司にちょっとした畏怖の念を持ってしまった。
しかし零司に『女神になっても楓は楓だろ』と言われたのを思い出す。
そう、こんな事ができたとしても零司は零司だ。
楓を想うその心根も何も零司そのものだった。
そう思うと楓の心も温かくなる気がした。
「ありがとう、零司」
自然と笑みが溢れる。
「ああ、まだ増える予定だから楽しみにしてくれ」
「うん、楽しみにしてるわね」
楓が満足しているのを見て零司も笑みを返すのだった。
二人のやり取りを見ていたリリはその様子を羨ましそうにしていた。
◻
昼食を終えた零司はひとりで風呂に浸かっていた。
神という存在は不滅であり、疲れを知らず、睡眠食事も不要で、もし損傷しても元通りになる。
そんな零司たちは実質的に休養を必要としていないのだが、心までは変化する訳ではないので以前の生活スタイルは二人にとってとても重要な意味を持っていた。
これから先、日本へ帰れた時にはこの力は失われるかもしれない。
自分を自分足らしめる精神が変化していないように人としての生活をしていくのだ。
特に楓が望んだ事を叶えて笑顔でいて欲しい零司はこの面で揺らぎがない。
「・・・」
「・・・」
「何故ここに?」
零司は突然背後に現れた覚えのある気配を感じて質問する。
「ふふ、バレてしまったか。気配を消したつもりであったが魔王様に隠し事はできんな」
湯に浸かる際はタオルは湯に入れてはいけないと楓に言われていたリリは裸で零司の背中に優しく抱きつく。
「折角魔王になったのだ、私を好きに使って良いのだぞ」
リリがそう言った背景にはマンガの影響がある。
そのマンガとは通常の全年齢向けのオリジナルと薄い本の数々である。
「そう言うことか、それなら……」
零司はニヤリと笑い、リリに命令を下す。
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楓たちは果樹園にやって来た。
「これは何て言うんですか?」
ラチェットは黄色い果実を指差して楓に訊ねる。
「レモンよ。主に中身を絞って味付けに使うけど、皮も摺り下ろして香り付けにも使えるわね」
「カエデー。こっちのは何?」
今度はマルキウが呼んでいる。
薄黄色に赤っぽい実の前に浮いたまま目を閉じて臭いを嗅いでいる。
「それは桃ね、果肉が柔らかくて甘いのよ?」
「いーわねそれ! 持って帰りましょう」
楓に向き直り、良い笑顔で注文する。
少し離れた場所ではネコが嬉しそうに転がっていた。
暫く果樹園の入口近くを散策してみると実が着いていない物や花を着けているものもある。
実を着ける時期をずらして長い間楽しめるようにと工夫されていた。
そして木々の隙間から見えてはいたが開けた空間に出た。
そこはまだ苗が植えられていない広大な畑だった。
「はわわ、零司さんはどれだけ作る気なんですか!」
「レージはここ全部果樹園にする気なの?」
マルキウの目が輝く。
「零司がやりたいならやらせても良いんじゃない?」
零司を肯定したものの、楓もやり過ぎだと思うと苦笑いになった。
ひと回りしてマルキウが要望した桃を三つだけもぎ取り、皆でキッチンへと向かった。
キッチンに着く前に、と言うか風呂への連絡通路が直ぐ上の地上の道を歩いていると「もう許して」とか、「そこはだめ、ああっ!」とか、零司が入っている筈の風呂の方からリリの切ない叫び声が聞こえてくる。
リリは零司が言っていた果樹園へ一緒に行かないかと誘ったが、やる事があるからと自室に向かった筈だった。
楓は皆と目を会わせると、急いでローマンジャングル庭園銭湯風露天風呂へ向かうのだった。
◻
「ああ、もうだめぇ! そこはだめなのぉ!」
楓たちが駆けつけた先で見たものは、床に正座させられたリリと足の指先を突っつく零司だった。
もちろん着衣済みだ。
駆け寄りながら呆れる楓は何故こうなったのかを零司に訊いた。
ラチェットはリリの様を見て何て酷いことを、と思っている。
やっぱり零司は魔神なんじゃないかとマルキウは思いながら、楓と話すためにリリの足を突っつくのを止めた零司に替わって突っついている。
「入浴中に忍び込んできたからな。当然のお仕置きだ」
零司が見たマンガは一般向けだけなので、リリの望みは叶えられる筈も無かったのである。
「リリさん、本当なの?」
零司を信じていないわけではないのだが、リリの言い分も聞かなくては公正ではないと楓は思う。
「たす、けて」
涙目で救いを乞うだけで頭が一杯のようだ。
「もう止めてあげたら? 実害はないんでしょ」
実害はないんでしょ、その言葉にじっと楓を見つめる零司。
「私の監督責任だって言うの?」
「いや、楓が良いと言うならそれで構わない。リリ」
「は、はひぃ、ああぁぁ!」
不可解そうにリリの足を突っつき続けるマルキウを捕まえる。
「聞いたな? 正座を止めて良いぞ」
「はわわわ、楓、ありがとぅ、くっはぁぁぁ、ひぃぃぃ!」
正座を崩したリリだが、正座は止めた後にも責め苦がやって来るのだ。
その光景に地獄を見たラチェットは震えた。
ラチェットの心に異世界から跳ばされてきた零司への疑念が渦巻く。
この世界で最も恐れられた焔の魔神を僅かな時間で倒して従え、あまつさえこの様な虐待を行う零司。
しかしそこには楓と言う希望の光がある。
あの恐怖の権現、零司を一撃で倒す楓は正に救いの女神だ。
ラチェットはこれからも楓と仲良くしていこうとスラゴーの天幕に誓うのだった。




