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19.楓の鍵

「おはよう楓」

「ふんっ、おはよ」

 楓は零司の顔を見るとツンとして厨房に引っ込んだ。

「お、おはようございます零司さん。あのあと何かあったんですか?」

 ギャロは挨拶のあと、小さな声で訊いてきた。

「いや、覚えはないが」

 ソファに座ってヒソヒソと話す二人。

「でも楓さん、相当怒ってませんか?」

「みたいだな。だが俺には覚えがないしな、その内おさまるだろ」

「その、言っては何ですが、良いんですか? なんで謝らないのかってもっと怒るかもしれませんよ」

「いや、それはおかしいだろ」

 そこにダリルもやって来る。

「おはようございます零司さん、ギャロさん」

「おはよう」

「おはようございます」

 にこやかに挨拶したが二人が神経質になっている気がしたダリルはさっきまでの二人のように零司に近づくと囁くように話しかけた。

「どうかなさったのですか?」

 聞かれた二人は顔を会わせた後で零司が溜め息を吐く。

「ええ、ちょっと。どうも楓さんの機嫌が良くないみたいで。原因は零司さんみたいなんですけど零司さんには心当たりがないそうです」

 ふむ、とダリルは考え込むが直ぐに答えを返した。

「零司さん、謝ってしまいましょう。何が原因かではないんです」

「いや断る」

 その時、厨房から楓が顔を出す。


「あ、ダリルさん。おはようございます」

「おはようございます楓さん。昨日はお世話になりました、今日もよろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそお願いします」

 さっきの話を聞いたダリルはできるだけ腰を低くして楓のご機嫌をとる。

 しかし思っていた以上に普通の対応で楓が怒っているというのは勘違いではないかと感じる。

 しかし次の瞬間、零司と目が合うとプイッっとまた厨房に戻っていった。

「ああ、これは重症かもしれませんな」

「ですよねえ」

「まあいつものことだから、気にしてもしょうがない。

 朝食までまだ時間はありそうだから一仕事してこよう」

「私もお供させていただきますよ」

「それじゃ僕が楓さんに伝えておきますね」

「頼む」


 三人とも普段着に着替えて外へ行こうとしたときにローゼがやって来た。

「皆さんおはようございます、お父さんもおはよう」

「ああ、おはよう」

 ローゼは男たちがどこへ行くのか訊ねて自分も同行すると言った。

 特に何がある訳でもないのだが行きたいと言うならと受け入れる。


「昨日は良く見えませんでしたがこちらの畑は見たことがないくらいにきれいな土ですな、それに広い」

 左手で娘と手を繋ぎ楓邸の南に広がる畑を前に感想を述べる。

 昨日出来たての不純物が取り除かれたフカフカの畑なのだから当然だ。

「いったい何を始めるのですかな?」

「まだ決めてないがギャロに土地を借りてとりあえず作っただけだからな。この土地で何ができるかは知らないが耕しておけば好きに使えるだろう」

「確かにそうですな」

「いいえ、こちらはもう零司さんと楓さんの物ですよ! 零司さんが開墾したのに僕たちの物だなんて言えません」

「それなら気にしなくていいと思うぞ。いつかはここを出ていくんだ、その時はギャロたちに返すしな。それに色々教えるって言っただろ? 街を見てからでないと判断できないが役に立つ物を残すつもりだ。それが俺と楓の気持ちだと思ってくれればいい」

 神という存在でありながらこんなことを言う。

 本当に親切な神もいるのだと感謝する。



「ここはそうですね、ギールがいいと思います。

 これから暖かくなりますから育つ物は沢山ありますが、ギールでしたら森の陰になるこの場所でも十分に育ちますし、美味しいサラダにもなりますよ」

 ギールは葉が厚めの白いレタスのような野菜でサラダの定番素材だと言う。

 家の前から順に何を育てるかをギャロと相談しながら通路になる場所を踏み固めつつ最後の作物を決めた。

 楓の家で消費するだけならこれで十分すぎる収穫を確保できるらしい。

 ただ穀物はないので街へ行くか直接農家に買い付けするという。

 他にも冬に閉ざされる間の手仕事などを聞いてみたが、良くある籠作りや乾物がほとんどだった。


 そうしているうちにネコが零司を呼びに来る。

「零司様ー!」

 走ってきたネコに道を譲るギャロとダリル親子。

 ネコはそのまま零司に抱き着き零司は軸をずらして回転しながら受け止める。

 笑顔一杯のネコと困った風に苦笑いする零司を見ていたローゼは、そこに自分の理想を重ね零司に抱かれる自分を心に描き少し照れてしまうが、別に零司に対して恋をしているわけではない。


「どうした、もう飯か?」

 ネコを引き剥がして地面に下ろした。

「そうにゃ、楓様が待ってるにゃ」

 てへへという感じに右腕に抱き着くネコ。

「というわけだ」

「楽しみですな」

「ミティがパンを用意するって言ってましたから出来立てですよ」

「それも楽しみですね」

 すっかり顔色が良くなったローゼが優しくギャロに言う。

「好きなだけ食べてくださいね、今日は街へ行きますから残らず食べても大丈夫ですよ」

「いっぱい食べるにゃー」

 楽しく笑いながらリビングに帰ってきた零司たちは、それぞれ自分の席に座ったり運ぶのを手伝ったりしている。

 全員が席についてお祈りが始まるが楓と零司の間が少し離れているのにほぼ全員が気づいていた。



 朝食は若干ぎこちなかったものの特に問題もなく終わり、零司とマルキウ以外の皆は街へ出掛ける準備へと向かった。

 零司が食器を片付けていると頭の上のマルキウが訊ねる。

「ねえ、あんたたち何かあったの?」

 零司に判る筈もないが、いつものことで放って置くのが一番だと答えた。


 リビングに戻り玄関扉を見ると鍵らしい物が無いと気づいたので、DIYもソコソコこなす零司は枠をしっかりと固め、扉の印象を変えないようにピッチリとシーリングできるほどに調整した。

 シリンダー式の鍵を取り付け、きちんと施錠できるように仕上げた。

 こんな事をしなくてもシールドを張ってしまえばいいだけなのだが、何があるか分からないので施錠のコントロールは楓に任せることにした。

 鍵は普通の鍵に見えるがロックすると家の敷地内の位置関係がロックされるもので、形は重要ではないからカトラリーにあるように持ち手の部分を楓の葉の形にしてみた。


 その頃楓は自室で現地でもあまり目立たない、それでいてシンプルで機能性のある服装を次から次に作り出してはネコに着せて鏡の代わりにしていた。

 実際のところ後ろも見られるし左右反転しないのでとても重宝した。

 幾つもの試作を繰り返すうちに自分だけでなく隣に並ぶ零司の服も考える。

 ファッション雑誌にあるように手を組んで歩く姿や、楓を後ろから軽く抱き締め耳元で囁くようなそんなポーズを思い浮かべると赤くなって手が止まる。

 しかしそこで思い出す。

 零司に対してあんな態度をとってしまったことを。

 零司に非がある訳ではないのは分かっているのだが、今は受け入れられないけれど期待している自分がいて、それでもあのとき零司ではなかったのが勿体無いのか悔しいのか良く判らない気持ちがごちゃ混ぜになってしまい、ついキツくあたってしまった。

 気分を悪くしているだろう零司を思うとさっきまでの浮わついた気持ちはあっという間に萎んでしまい、悲しくなってネコに抱き付いてしまう。

「楓様どうしたのにゃ?」

 ネコは楓の変化に心配して訊ねるが返事はない。

 楓はネコみたいに素直になりたいと思った。


 それから三十分くらいして何とか納得の行く服が出来上がり、部屋から出てきた楓は零司を探したが見当たらず、零司のために作った服を彼の部屋に置いておこうと扉を開けるとテーブルの上に手の平に乗るほど小さな箱が置いてあった。

 楓は気になって箱を手に取り零司のために用意した服を丁寧にテーブルへと置いた。

 箱のふたには楓の葉のレリーフがあって木目から木製だと判るが手にしてみると思っていたよりも重く表面はつるりとした硬質な物で組み立てた物ではなく、ふたを開けると中がくり貫かれた物だと判る。

 内装は蔓の繊維を細く裂いて乾燥させてから緩衝材として織り上げた物を幾重にも重ね、その上に置かれた金色の鍵には楓の葉の意匠が凝らされていた。



 ギャロとミティは久し振りに街へ行くので、この日のために用意していた数々の手芸品や動物の皮、干物や畑で採れた新鮮な野菜などを手押しの荷車に載せている。

 それらはいつもなら日が出た頃に出発して昼前に街に着くと露店で売り出すのだが、今日は楓が用意してくれた朝食があったのでかなり遅れて到着するには昼を過ぎるだろうと考えている。

 ほとんどの場合はその日のうちに売り切って家路に着くので、この遅れは結構痛いものがある。

「あとは何かあるかな」

「まだあるよ、遅れたけどお母さんに作った膝掛けがあるわ。取ってくる」

 二人で住むのが一杯の小さな家に戻るミティを見ながら胸元に吊るした革袋を取り出し、袋の中から零司に貰った神光石を掌に出して転がすと、それを摘まんで空に翳した。

「きれいだな…」

 透明の澄んだその石は、虹色にキラキラと輝いてギャロを魅了する。

「ギャロ?」

 何かを見詰めるギャロを不思議に思い声を掛けたがミティも直ぐに何をしているのか解った。

「本当にきれいね」

 隣で呟くミティに顔を向けることなく神光石を見たまま頷くギャロだった。



 ダリルは昨日連れて来たまま何もしてやっていない馬を納屋から連れ出して、沢と呼ぶのも大袈裟な小さな川にいた。

 これからまた馬車を引いてもらうのだからと嬉しそうに馬に話し掛けながら丹念にブラッシングしている。


 ローゼは新しい納屋にやって来ると、はしごを登って荷台に上り昨日転がった時のまま荒れている積み荷を前にして大きく溜め息を吐いた。

 ひとりで小さな荷物から片付けていくが明らかに体が軽いのを感じる。

 小さくても重い箱だって、手を掛けられさえすれば持ち上げられるのだから嬉しくて、つい重い荷物に挑戦してしまう。

 以前では絶対に持ち上げられなかった幾つかの重い荷物を運べたことに気を良くして、そろそろひとりでは無理かなと思っていた物でも大丈夫かもしれないと過信してしまった。

 手にしたそれは斜めに傾いた荷物が崩れない要になっている小さな箱だ。

 運び込むときに自分で持ってきたから中身だって知っている軽い箱、のはずだった。

 持ち上げようとしても動かず、そんな筈はないと思いきり引っ張った。

 途端に荷物の山の後ろにあった大小様々な荷物がローズを目掛けて崩れる。

「きゃぁ!」

 ローゼはとっさに下がろうとするが足元にあった荷物で足を取られ尻餅を着くように倒れ目を閉じる。

 しかし、いつまで経っても荷物が崩れてこないし音もしない。

 恐る恐る目を開くと、荷物は崩れる途中のまま止まっている。

 おまけに尻餅をついて倒れたはずなのに、それにしては位置が高い。

 冷静に状況を確認していると人の暖かみを感じた。


「大丈夫か」

 零司に抱き上げられているのに気付いたローゼは呆気に取られ言葉も出ないまま零司を見上げる。

 目と目が合い、零司の静かな目が少し柔らかくなったのが分かった。

「大丈夫みたいだな」

 そう言うとお姫様抱っこを解いて荷物の箱の上に座らされる。

 もう一度零司を見上げるとさっきは近過ぎて見えなかった頭の上に寝そべったマルキウがこちらを見ているのに気づく。

 突然、事態を認識したローゼはハッとして赤面しながらも丁寧に礼を言った。

 崩れる途中で止まった荷物は零司がシールドを張って止めていたので、取り出す荷物の部分だけシールドを解除して安全に並べ直すことができた。

 そこにダリルが馬を牽いて戻って来る。

 話をローゼから聞いたダリルは深く頭を下げて感謝するが零司はいつものように気にしなくていいとだけ伝えた。

 

「これでうちの準備はできましたかな」

 ダリルは馬を馬車に繋いで手綱を握り、鼻面を撫でている。

「父さん、こっちも大丈夫だよ」

 すっかり元気になったローゼの声を聞いてダリルは笑顔になる。

「それじゃ動くから座ってなさい」

 馬を牽いてギャロの家の前にある荷車に馬車を並ばせた。

「もういいんですか?」

 家の前に置いてある小さな腰掛けにミティと並んで座りながらギャロが訊ねた。

「ええ、皆さんのお陰で出発できます。本当にありがとう」

 馭者席のすぐ後ろに顔を出してミティたちに頭を下げるローゼ。

「こっちはもう良いみたいだな、俺は楓を見てくる」

「行ってらっしゃい。マルキウ様には相談があるのでちょっと良いでしょうか」

 ギャロたちに見送られてひとりで楓の家に向かう零司。

 

 玄関扉を開けてリビングを見渡すが誰もいない。

 楓の部屋の扉をノックするが返事はなかった。

 そこに零司の部屋から出てきたネコに見つかって飛び付かれる。

「楓を見なかったか?」

「こっちにゃ」

 出てきたばかりの零司の部屋に引っ張るネコだったが、零司が部屋の前に来たときに楓が出てきた。

 下を向き両手で大事そうに箱を持つ楓。

「ああ、見つけたのか」

「うん」

「家を空けるのに不用心だからな」

「うん」

「使って欲しい」

「うん…ありがとう」

 下を向きっぱなしの楓は箱をぎゅっと胸に抱き締めて涙を溢す。

「れいじ、あのね… わたし、いじわるして、ゴメンね」

「いつものことだ、気にするな」

 優しく答える。

「そうじゃない!」

 ぎゅっと体を引き絞る。

「わたし、なんか、おかしいのよ…」

 黙って聞いている零司と楓の横で心配そうに状況を見ているネコ。

「この世界に来てからずっと…ずっと怖いのよ」

 震える楓を優しく引き寄せて抱く零司は黙ったままだ。

 暫くの沈黙のあと零司はまた宣言する。

「俺がいる、いつだってお前を護る。不安ならいつだって抱いてやるから安心して側にいてくれ」

 何度だって言う、それが零司。

「うん、れいじの…えっち」

 小さな声で返す楓だが、零司の言う『いつだって抱いてやる』は今しているような『抱き締める』であって楓が想像する『えっち』な方の抱くではない。



 零司は楓が用意した現地風の新しい服に着替えて三人で家を出る。

 もちろん零司が楓にプレゼントした鍵で戸締まりも完全だ。

「遅くなった」

「ごめんねみんな、ランチ作ってたら遅くなったわ」

 嘘だが皆にとってはそんなことはどうでもいい。

 重要なのは零司と楓が手を繋いでいることだった。

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