18.ワインの後で
馬車を復活させてチューンナップどころか外観上分かりにくい要所にリファインを施して満足した零司は、ついでとばかりに納屋に馬車も出入りできる大きな扉を付ける。
これなら蔵とまではいかないが倉庫程度には使えるだろう。
それにこれから先は零司たちが来たことで収穫物が増える予定であり、野性動物や直射日光からそれらを守り安全に保管するには納屋や納戸では足りない筈だから、これから楓と畑を始めるのに先行投資としては悪くない。
しかし零司が思い付くのはここまでで、後は地主の判断が必要だ。
「ギャロ、後は何が必要だ?要望があれば言ってくれ」
「ありがとうございます。そうですねえ、これだけ広いと上の方が空いてしまいますから大きく棚があったら使い易いと思います」
「こんな感じか?」
即座に奥側の空いているスペースを二階三階と仕切って両端に階段とハシゴを付ける。
「ああ、凄いです!これなら越冬にも十分な資材の確保ができますね」
「冬は外の地域と行き来が厳しいほどの雪が降るってことか」
「はい、私たち夫婦も二人だけの冬は今年が初めてなんですけどね」
「それは大変ですな、零司さんは暫くここに落ち着くと言っておられましたがいつ頃までのご予定なのでしょうか?」
「特には決めていないが、畑も造ったし作物が実ってそれを楽しむくらいはしたいと思うが最終的には楓次第だな」
「そうですか、もし宜しければ街とここを定期的に馬車で連絡したいと考えていますが如何でしょうか?
せっかく馬車も直して頂いたことですし、私も零司さんが始める畑に興味がありますので是非」
「それは助かります!」
「だそうだ。そちらがそれで良いなら構わない」
「ありがとうございます」
「ダリルさん、私からもありがとうございます。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ」
修理のお礼とお近づきのお祝いにとダリルが持っていた中で最上級のワインを数本持ち込むことにした。
形の揃ったコップを用意できなかったので零司のイメージで人数よりも多く限の良い十個のワイングラスをその場で創る。
限りなく透明度が高く独特の美しい曲線美を持つ小振りのそのグラスに、一般人よりも目が肥えているダリルは息を飲む。
「美しい」
ただ一言、それだけ言ってグラスを手に取り光に翳して見とれている。
零司が創り出したグラスは、薄く若干縦長のボウルと細長いステム、そしてきれいに広がるプレートが一切の淀みなく連続した曲線を持つシンプルな物だった。
いわゆる日本で一般的にワイングラスと言われるものである。
この世界でワインに使われるのは安い大衆向けなら木製か陶器でできた厚手のコップでエールなどとと区別がなく、しかも無地や色の濃い釉薬ばかりである。
貴族などが使うものでも貴金属が主流でありガラスではあっても分厚くどっしりとした切子細工が施されるような多くの手間が掛けられた物ばかりであった。
ギャロは感嘆とするダリルを見ているがどう凄いのかは良く判らない。
ただ薄く細く透明であることしか分からなかったが王都に近い街の元商人のダリルが言うのだからその言葉を信じても良いのだろうと思う。
リビングに戻った男どもは女性たちが戻っていないのを確かめると、ダリルは最初の一本を封切りして三つのグラスに中程まで注いだ。
しかしこの段になってダリルとギャロは思い悩む。
『『何処を持ったら良いんだ!?』』
二人はじっと零司の前に置かれたグラスと零司を交互に見た。
零司は見られていることを意識しながらテレビで見たソムリエを真似してボウルを優しく包むように右手で持ち上げると、軽く回して目を閉じグラスに鼻を近づける。
匂いを確かめた後に少しだけ口に含んで舌を動かし、ゆっくりと転がすように舌全体で味を確認してから飲み込んだ。
それを見ていた二人も真似をする。
ギャロはワイン自体初めて飲んだせいもありエールに比べて渋味に驚くが、そこには果実の甘く濃い香りが感じられて好きになれそうだと感じた。
さてダリルである。
今までこんな飲み方を見たことも聞いたこともない。
酒と言えばクイッと煽り飲むものだった。
酔うために飲み、酔わせるために飲ませる物だった。
酔えば気持ちも軽くなるし、嫌なことも忘れて楽しくもなれた。
そのための飲み物というだけで値段は客向けの面子として使われるもので、ここまで何かをして飲む物とは思っていなかったのだ。
しかし今、零司の真似をしてこのグラスで飲んでみると、今までの飲み方は何だったのかと思えるほどに芳醇な香りとコクのある深みを感じるではないか。
『ああ、今までどれ程のワインを無駄にしてきたのだろう』
そう思うと涙が溢れ出した。
「あがったわよー、って何だか酒臭いわね」
ゾロゾロと風呂上がりの女たちがお揃いのピンクのパジャマを着てリビングに戻ってくる。
「ああ!」
男どもが酒を飲んでいるのを見つけてマルキウが叫ぶ。
「何よー!酒ならアタシにも飲ませなさいよ」
零司のグラスに抱き付いて傾けろと零司を睨む。
マルキウは小さいので元々酒の入ったコップの周辺に広がる臭いに敏感で、ワインのような果実酒は特に好物だった。
零司はマルキウが吸えば飲める程度にゆっくり傾けてやると、まるで赤ん坊が哺乳瓶からミルクを飲むようにグビグビと飲み始める。
グラスに頭を突っ込み酒の臭気の中でがぶ飲みするマルキウはあっという間に出来上がった。
「ひょっと、らりる、あんらまら泣いれんの?」
フラフラとダリルの頭に乗ると胡座をかき、頭を平手て叩きながら大声で笑い、叩かれているダリルはただただ涙を流して周りのことなど一切目に入っていないようである。
その後、女たちにもワインが配られ、零司が最初にしたようにギャロが実演して見せ、その通りに真似ると異世界組は揃ってワインの味に驚きを見せていた。
楓はネコに飲ませて良いのか悩むが、お祝いだし一杯だけと差し出す。
ワインを貰ったネコはイッキ飲みして目を回してしまい、眠ってしまった。
ソファの端に座る楓の腿に頭を置いて眠るネコを、赤子を宥めるように肩を優しくとんとんとしながらほろ酔いでワインを楽しむ楓。
「本当に美味しいワインね」
「たぶん父の秘蔵でしょう、よほど嬉しかったのだと思います」
そう言いワインを一口飲んで父親を見るローゼの目は優しかった。
「お父さん、お酒はその辺りにしてそろそろお風呂に行ったら?」
そのお父さんは感動と後悔の余り、ワインをまだ一口しか飲んでいない。
◻
風呂にやって来た男ども。
ダリルは周りを見渡すと広くて簡素な造りだがそれを構成する材料に目を見張り、中々流しまで辿り着かない所はやはり親子なのか。
ギャロは昨日零司に教わった通りにダリルに教えている。
各工程毎に感心しては品定めをしているため作業が捗らないが、二人は同じくこの世界の住人であり異世界の風呂文化を分かち合いながら楽しんでいた。
その間に零司はひと足先に露天風呂へ直行した。
今日も満天の夜空を見上げ、心地よい風を感じながら気分良く手足を伸ばす。
「ふう」
湯に浸かりながら今日も無事に過ごせていることに、誰にと言う訳でもないが感謝する。
そして旅に出ると言っておきながら暫くはここでこちらの世界に馴染もうと言った楓はやはり不安と寂しさがあるのだろうと思う。
そして神として特別な待遇を受けるよりも今まで通りの立ち位置に近い生活を望み、今は問題もなく知り合いが増えてはいるが、一般人として生活する以上は問題が発生することもあるだろうしギャロが言うように神だと話が広がってしまえばここでの生活も簡単に失われてしまうだろう。
要は身を明かす相手は選べば良いだけなのだがそれでも目敏い者は何処にでもいるだろうから、ここにどれくらい居られるのかは判らないがそういった者が現れたときにどう対処するのかを考えておかなければならない。
楓のために先手を打つ必要があるのだ。
体を流し終わった二人が露天風呂へとやって来る。
「おおお、体に染みるような気持ちよさですな」
緊張しながら湯に入り、ピリピリとした感覚を味わいながら次第に解れる緊張に思わず声が漏れる。
そして夜空を見上げて大きく深呼吸し力が抜けた。
「娘が言った通り本当に素晴らしい。星の世界に身を委ねているようです」
「僕もそう思います」
「楓が喜ぶな。そう伝えておくよ」
この夜空を見上げると昨日の夜を思い出す。
思い出すのは女たちの風呂ではなく、あの黒い土地のことだ。
周りの話からあそこには魔神が居るはずだ。
とは言ってもあそこは広大で、偶々あの場所にいたなんて確率は無いに等しいくらいに低いだろう。
そう零司が考えていると連動でもしたようにダリルが昨夜の話を始める。
「そういえば今朝リーデルの街を出る前に耳にしたのですが、夜中に空が一瞬だけ輝いたそうです。方角がファーリナだったと聞いているのですがこちらでは何かありませんでしたかな」
ハッとしてギャロが答えた。
「確かに昨日の夜に空が光ったとうちのミティも言ってましたね。
それに地揺れがあったんですが方角は禁足の地だったと聞いてます」
「零司さんは何か気づかれませんでしたかな」
「いや、特には」
「そうなると魔神が起きたのかもしれません。しかし前回起きたのは一年前ですからまだ早いんじゃないでしょうか」
「なるほど、しかし魔神が森を焼き払うなら数日は燃え続ける筈ですな」
二人は魔神について話し合いながらも、もしかしたら零司が何かしたのではないかと憶測していた。
◻
男どもが風呂から上がると女たちは既に出来上がり、起きているのは楓だけだった。
「あー、お帰り」
「何だ、潰れてるのか」
「楓さん、とても素晴らしいお風呂をありがとうございました。一生の思い出にさせていただきます」
「へ? あー、良いんですよ。好きなときに遊びに来て貰えればいつでも歓迎しますからっう。美味しいから飲みすぎちゃったわね」
「喜んでもらえて私も嬉しいですな。次に来るときにはまたお持ちしますよ、はっはっは」
恩人の楓に喜んで貰えたことが余程嬉しかったのだろう。
「ほら、ミティ、起きて。寝室に行くよ」
「うーん、ふわーぁ。ん?ぎゃろぉ?」
「そうだよ、ほら立って」
「んー、抱っこして」
「あ、こら」
ギャロの首に両手を回して抱き付き、そのまま眠ってしまった。
ミティが落ちないように背中に担ぎ上げて挨拶すると行ってしまった。
「それでは私も娘を寝かせますのでこれで失礼します」
ダリルはローゼを優しくお姫様抱っこすると、静かに頭を下げて寝室へ向かった。
静かになったリビングには寝かし付けられたようなネコとテーブルに突っ伏しているラチェット、空のグラスをひっくり返してその中に頭を突っ込んだまま寝ているマルキウが静かに寝息を立てていた。
零司は三人を浮かせて楓の部屋にそっと寝かせるとリビングに戻る。
楓はちょっと悔しそうにそれを眺めていたが二人きりになれたことに喜び、しかしそれを隠す。
零司は楓の隣に座ってグラス二つをきれいにリフレッシュすると、残っているワインをグラスに注ぎ、ドラマで見たような雰囲気で楓に差し出す。
「ふふっ、解ってるじゃない」
「こんな時くらい良いだろうと思ってな」
(チン!)
軽くぶつけて見詰め合うとクイッと煽る二人。
「ダリルさんに感謝ね」
「だな」
楓はグラスを空ける前に眠ってしまった。
気が付くと、楓はベッドの上でうつ伏せに寝ていた。
楓は背中に重みを感じ、肩越しにハアハアと荒い息と激しく体を擦り付けてくるのを感じる。
「ちょっと!零司、まだダ「ん、はぁはぁ。大好き…にゃあん」…」
寝ぼけたネコが抱き着いていた。
2025/11/17 修正
物語の流れで一部不整合のある部分を削除しました。




