17.皿洗い
ダリルの受難は過ぎ去り、やっと落ち着いた食事に戻る。
会話は主にこの世界の基本的なことを中心に進み、マルキウの世間的立ち位置や今まで異世界からやって来た神々の話などを聞くことができたが、零司たちの世界の話は今回は見送られた。
ラチェットに言わせればこの世界の人々には刺激が強すぎるだろうと言うのが根拠だが必要であればそれを止めるものでもないらしい。
「ふー、結構食ったな」
「ほんと、ちょっと作りすぎたかしら」
皆の腹を満たした夕食だが、クリーテルの肉は十分の一も使っていない。
「久し振りに美味しい食事ができました。これで娘も少しは元気になってくれるでしょう。皆さんに心から感謝します」
「とてもお美味しかったです、ありがとう。そしてゴチソウサマでした」
覚えたての御馳走様を笑顔で言い感謝するローゼ。
「そう言えばダリルさん、ローゼさんはなぜ衰弱しているのですか?」
零司が食後の片付けをしていると楓は気になったことを聞いてみた。
もちろんその後でネコが直せそうなら治療してあげたいと思っている。
「そうですな、ローゼは生まれつき体が弱く小さい頃から繰り返し小さな病気に患っておりました。そのうえ半年前に妻が先立ち、気を落として塞ぎ込んでしまったのです」
「そう、大変だったんですね。うん」
楓は大丈夫かなと自分の気持ちを確かめてから聞いた。
「えっと、もし良ければ私たちに治療させて貰えませんか?今のところ怪我なら直せるんですが病気はまだ経験がないので確実に直るとは言えませんけど。もちろん報酬とかそういうのは要らないのでどうでしょうか?」
思いもよらない申し出に驚いて一瞬反応が遅れたが、娘が健康になる可能性のある話に大いに喜んだ。
何せ神からの申し出であり、これを断る理由など何処にもないのだ。
仮に異世界の神がこの世界で求める対象として純真な美しい娘を要求するように、我が娘を求められたとしても親切なこの神ならばそれは決して悪い条件ではないと思う。
「是非お願いします、娘が健康になれるなら私の命を削っても構いません、どうかよろしくお願いします」
深く頭を下げるダリル。
「お父さん! それは止めて。父さんまでいなくなったら私どうしたらいいの」
思っていたよりも親子の反応が大きく逆に驚いた楓は慌ててフォローする。
「そんな必要ありませんから! 慌てないで良く聞いてください」
親子が落ち着いてからもう一度繰り返す。
「対価は必要ないんです。ただ、病気は扱ったことがないので治せるか分かりません。だからもし治らなくてもガッカリしないでください」
今度はきちんと最後まで落ち着いて聞いてくれて安堵する楓。
「分かりました。それでいいなローズ、こんな機会はもうないぞ」
「うん、分かってる。私からもお願いします」
これなら大丈夫だろうと決断する楓だが、現代日本で病院に行く感覚で気軽に考えているからこんな風に言えるが、現地の水準から見て神の施術を受けられるなど奇跡に等しいのだからダリルが大袈裟ともとれる行為に走ったのは仕方のないことだと楓は気づかない。
もしこれからもこれほど簡単に治療行為をしていたら大変なことになるのは少し考えれば解りそうなものだが、そういった経験を積んでいない楓には判らなかった。
しかし目の前で困っている、苦しんでいる人がいるのに、それを治せる力があるかもしれないのに手を差し伸べないのは楓には悲しく思えるのだ。
「ネコ、こっちに来て」
ローゼの横に移動した楓がネコを呼ぶ。
「どう? 治せるかしら」
じっとローゼを見つめるネコ。
「わからないにゃ」
「そう、でもやってみて」
「やってみるにゃ」
コクリと頷く楓にネコは椅子に座るローゼを後ろから優しく抱き締める。
ローゼは目を閉じて身を委ねた。
「我は願う、か弱き少女、ローゼの元気溌剌を。にゃ」
ドカタネコは小さな声で囁くように唱えると淡く光るネコとローゼ。
光は数秒で消え、離れたネコは嬉しそうに楓に抱き着いた。
「できたの?」
抱き着くネコに訊ねる。
「どうだいローゼ。何か変わったかい?」
期待しながらも、もしやと心配するダリル。
「分からない。でも何だか手が温かい気がするの」
不健康な白さだったローゼの肌に少しずつ朱が差していくのが分かる。
「おお、おお! ローゼ!」
ダリルは血色が良くなっていく娘を優しく抱き締めた。
「おとう…さん?」
なぜ抱き締められたのか分からず周りを見回すと皆が嬉しそうにしているのが分かった。
「もしかして治ったの?」
自分を抱き締めている父親に目を向けて訊ねるが楓が答えた。
「まだ判らないわ。でもいい兆候は出ているから様子見しましょ?」
そう話している間にも肌の艶も出てくるその手の甲を眺めて実感したのかローゼも気持ちが上向いていく。
「はい、ありがとうございます」
そう言ったローゼの笑顔は健康な少女そのもので、周りの皆も同じく幸せを感じていたのだった。
◻
ダリルの受難から一転して幸せへと変化を遂げた楓邸内では風呂に入る準備が始まっている。
風呂の清掃や湯の入れ換えは零司がしてくれたので楓とラチェットが追加で三人分のパジャマを用意していたのだが、困ったのはマルキウ用のパジャマで小さい造りが手に負えず悩んでいたところ、零司から普通サイズで作ってから縮小できないかと言われ、やってみたら思ったよりもずっと良くできたのでそれを使うことにした。
ローゼは子供のように泣きじゃくる父のダリルが落ち着くのを待っていた楓の誘いを受けて久し振りの風呂を楽しみにしていた。
脱衣場でタオルを巻いて準備完了する女性陣。
「さあ、入るわよ!」
分厚い曇りガラスの扉を開き、楓を先頭に銭湯へ入る女性たち。
昨日入っている三人は慣れた感じでシャワーの前へと進み先に座る。
初めて見る様式の風呂に周囲を見回しているローゼ。
何度かお湯を張った深い桶に身を沈めたことはあるし、貴族が入るような大きな風呂も話では聞いてはいたが、世間に疎いローゼでも脱衣場と風呂場を隔てる澄んだ水面のように真っ平らな分厚い曇りガラスが異質な存在だと分かるし、床を敷き詰める丸みを帯ながら表面がツルッとした小さな四角いタイル群はその精緻な並びに息を飲み、広い割には簡素な造りで装飾がないのはとても不思議に思えた。
「ローゼさん、こっち」
隣にひとつ空けて座っていた楓は空いている席へ呼ぶと、ローゼはハッとして楓に向けて歩き出す。
「はい、今そちらに」
既にシャワーを浴びているラチェット、ミティ、ネコの後ろを通り過ぎて楓の前で止まろうとしたとき、濡れたタイルで足を滑らせて尻餅をついてしまう。
「痛い……くない?」
タオルが外れ露になる素肌はとても健康的なもので、ローゼが自分で見ても別人の健康的な肌に見えたし、以前ならこんな転び方をしていたら暫く動けないくらいに痛みが残っていた筈である。
ローゼは自分の体を確かめつつ立ち上がろうとすると楓が横で心配して見ていることに気がついた。
「大丈夫?」
楓に聞かれるが答えは早かった。
「はい!」
元気になったことを楓に教えたい、感謝の気持ちを込めた大きな返事だった。
一応はと、楓に手を引かれて立ち上がり隣の席に座るローゼは皆から見られていると分かり少し恥ずかしくなった。
銭湯の利用方法を教わりながら体を洗って楓と一緒に湯船に浸かり、湯船の縁にタオルを畳んで置くと両腕を上に伸ばし目一杯に伸びをして人心地ついた。
こんなにも気持ち良く、心も体も澄んだ状態なのは初めてだった。
「どう?気持ちいいでしょ」
「ええ、とても気持ちがいいです。ここは素敵な所ですね」
「ですよねえ?楓さんの世界ではセントウとかオンセンって言うそうですよ」
「初めて入ったときは驚きましたけど、こうして皆で入っていると何だか楽しくなってきますよね、ふふ」
「にゃぁ~」
風呂に浸かり気が抜けるネコ。
「こら、離せ、ちょっ、おま!んがぁ…(ブクブク)」
ネコに掴まれたままのマルキウが水没する。
「やっぱり夜空を見上げながらゆっくりと浸かれるこっちもいいわよね」
全員で露天風呂に移って夜空を見上げている。
沈められたマルキウが屋内銭湯のお湯を全て流してしまったのだ。
今のネコは楓の胸に抱かれて幸せそうに眠っている。
解放されたマルキウは初めての風呂を楽しむために専用の浅いスペースを楓に造って貰った。
◻
零司たち男どもはリビングで話をしていた。
「なるほど、ダリルさんは故郷に大きな商会を持つのが夢だったんですね」
「ええ、たまたま行商に来ていた方に商売人の素質を見込まれて弟子入りしたんですが計算はできても肝心の取引で失敗しましてね、この有り様です」
「残念でしたね。でもこれからファーリナへ帰ってから何をするんですか?」
「さあ、何をしましょうか。向こうではどうにもならずこちらに戻って来ただけで特に決めてはおりませんでしたので。ただローゼのことだけが心配で、あの子が少しでも元気になればと思っておりましたが、その心配は皆様のおかげで無くなりました。心から感謝しております」
深く深く心から感謝を示すダリル、腕を組んで目を閉じ無言で受け入れる零司、そのふたりを優しい目で見るギャロ。
「風呂の順番が回ってくるまで馬車の修理をしてみるか。俺は馬車に詳しくないからダリルさんにも見て貰いたいんだが」
「こちらこそ是非ご一緒させて頂きます」
「一人で待つのも何だし僕も見てて良いですか?」
「そんなことは気にしなくていい。行こうか」
男どもは納屋の横に停め置かれた壊れた馬車の前に来た。
「ギャロ、作業し易いように納屋を拡げてもいいか?」
「え? はい。零司さんがやり易いようにしていいですよ」
零司は納屋の横にもうひとつ、隣同士で繋がる納屋を僅かな時間で創る。
きっちり詰めれば馬車が六台は入るスペースで高さもそれなりにあった。
「おおお、これは凄い」
出来上がったのは四角四面の箱のような建物で柱が一切無かった。
ギャロとダリルが壁に触れてみるが暗がりで見た感じでは良く分からないと思っていたら、本来なら梁のある場所に二ヶ所、白い光が灯った。
納屋は白く土蔵に似ているが、材質は土でも硬く締められて石のようだが触った感じでは石の冷たさがない。
表面的にはキレイに平らな物でも、内部は多孔質で断熱性に富んでいた。
それはつまり熱を伝えにくいと言うことだ。
日本の土蔵がそうであるように、この納屋も保存に向いた構造を目指した。
あとは扉をつけたら出来上がりだが、今回は馬車の修理をするのに明るい場所が欲しかったので、白い壁で光を反射しガレージのように使える建物を創ったのだ。
「これならいいだろう」
納屋の中心にある馬車の状態を確認する面々。
ここまで保ったのが不思議なくらいにあちこちが傷み、反対側の車軸も壊れる手前まで来ていた。
「これはもう駄目ですかね」
「ローゼが生まれる前から使っていますからね、良く今まで頑張ってくれたと思います。ここまで痛んでいるのならいっそのこと街で馬車を借りて荷物を運んだ方が早いでしょう。零司さん、心配してくださってありがとう。でもこれはもう寿命が来たのだと諦めます。本当にありがとう、今まで本当に…」
ダリルは涙を堪え亡き妻との思い出を甦らせていた。
そしてひとしきり想い出に浸ったあとに目を開けるとそこにはまるで新品の自分の馬車があった。
目の前の自分の馬車が別物にすり替えられたように真新しい姿になり目を見開き驚くダリルは、そろりと零司を見てみる。
零司は既に場所を移動して馬車の下に潜り込み思案している姿があった。
「こ、これは一体…」
馬車の下にいる零司に目線を会わせて座り込んだダリルが恐る恐る訊ねる。
「あー、本来の姿に戻しただけだ。他には何もしてないぞ」
そう言われ慌てて馭者席に刻まれた家族の名前を確認すると、そこにはきちんと刻まれた当時のままの姿で残っていた。
「シーラ」
ダリルは名前に手をあてて消え入りそうな小さな声で妻の名を呼んだ。
その後、周囲から悟られない程度の僅かな改良を加えてダリルに引き渡す。
『まさか皿洗いの術が使えるとは』
自分で驚く零司だった。




