16.ダリルの受難
街道から家までの緩やかな上り坂をギャロ、ダリル、馬上のローゼ、零司とネコの順で進んでいる。
ネコが運ぶ馬車はもしもの時を考えダリルたちが巻き込まれるといけないと言うことで最後尾に着けている。
そのネコを馬上から振り返りチラリと見ては不思議な光景だとローゼは思う。
それに父から話には聞いていたが実物の精霊であるマルキウとの出会い。
今まで外の世界に接する機会が極端に少なかったローゼは不思議と思うだけで異常とは思っていない。
そんなことを数度ほど繰り返した頃、高い位置から見える景色に気づく。
夕日に染まる西の空と大地、目の前の山脈を仰ぎ見れば美しいグラデーションを見せ、空を見上げれば濃い青色に僅かな雲はオレンジと紫に色づき、首を東に傾ければ既に闇が迫り一番星が煌めいていた。
街にいた頃も、こうして父の実家に身を寄せるために馬車の旅をしてきたときも、落ち沈んだ心ではこんなにもダイナミックで美しい風景を見たことはなかった。
目に映る美しい光景に心が満たされ静かな感動を覚える。
零司の提案を受け入れた今だからこの美しさに気づいたのだと思うと少しだけ零司に感謝の念を覚えた。
「父さんの生まれ育ったこの土地は美しいのね」
病気がちで今まであまり外に出たこともなく、母親が死んでから塞ぎ込んでいた娘が、馬上で優しい風に髪を靡かせながら柔らかな声を響かせる。
「ああ、ああそうだ。私を育ててくれたここは清らかで温かく美しいんだ」
ダリルはローゼに、出会った頃の輝きに満ちた若き妻を重ね見て、不憫な二人を想い涙が溢れるが娘に悟られないように前を向いたまま歩いた。
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それから五分もした頃には道の脇に広がる畑が見えた。
「これは立派な畑ですな」
「いえ、広いばかりで育てるのに中々巧くいかないことも多くてお恥ずかしい限りです。」
そして背の高い作物の向こうに隠れた楓の家を真っ先にローゼが見つけた。
「あの可愛らしい家は何かしら」
明るく大きな声で叫ぶようにはしゃいでいるローゼに父のダリルは何のことか気になったので前を歩くギャロに訊ねた。
「それは零司さんの婚約者、楓さんの家ですね。とても素敵な家なので楽しみにして下さい」
笑顔で返すギャロに年甲斐もなく胸が高鳴るが同時に緊張も覚えるダリル。
「おい、マルキウ」
「何よ、何か用?」
ぶっきらぼうな零司に少し機嫌を悪くしながら寝そべったまま前に乗り出し零司の顔を覗き込む。
「楓たちに帰ったと伝えてくれ」
「いーわ、その代わり食事は美味しいのを頼むわね」
「それは楓に言っておけ」
「ふーんだ」
マルキウは飛び立ち真っ直ぐに楓の家に向かった。
「はは、零司殿は中々豪胆な方でらっしゃるようですな。マルキウ様とは何時からそのような親しいご関係に?」
「今日の昼だな」
「はわっ! 今日ですか、それはまた」
「それに殿はむず痒いから止めてくれ、普通でいい」
「それは失礼しました。では零司さんと呼ばせていただきます」
「ああ、その方が気が楽だ」
あれほどの従者を従え、婚約者の家も素敵な出来映えだというのこの男性は一体何者なのだろうと考える。
一方で『楓さんの家』に想いを馳せるローズは、母の死後初めて明るい希望を持った。
◻
「戻ったぞ」
「お帰り、大変だったみたいね」
「戻ったのにゃー」
「ただいまミティ」
「お帰りなさい」
思い思いに挨拶する。
馬はギャロの家にある納屋へ、馬車は納屋の横に置いて宿泊するのに必要な物と大切な物だけを持って楓の家にやって来たダリル親子。
扉を潜り二人が見たのはネコが抱き着いた双子にしか見えないネコそっくりの優しく澄んだ眼の女性とごく普通の田舎の女性だ。
だとすればこの家の主人はネコにそっくりのこの少女なのだろうかと悩む。
それを見たミティはダリルの状況を理解して助け船を出した。
「ようこそ、ここはこちらの楓さんのご自宅になります」
助けを貰い楓に向き直ると姿勢を正すダリル。
「初めまして、わたくしはダリル、娘はローゼと申します。
この度はこのような素晴らしい家にお招き頂きありがとうございます若奥様」
丁寧に挨拶とお辞儀をして楓に感謝するが最後の一言は余計だろう。
「い、いえ、大変だったと聞いてますから楽にして休んでくださいね。えっと、私は森山楓と言います、よろしくお願いします。」
零司が家の中を見回すとまた拡張してあり椅子も部屋数も増えていた。
「いま夕食の準備をしているので部屋に荷物を置いたらこちらに来てください。部屋は最低限の物しかありませんけど自由に使ってくださいね」
ミティに案内を頼み、二人にはそれぞれ個室を使って貰うようだ。
「折角部屋も増やしたんだし良ければミティさんたちも泊まっていってね」
「はい! ありがとうございます」
厨房にいるのかラチェットの姿はここにはなく、ネコは楓から離れるとソファの飾りの猫をじっと見つめて突ついたり齧り付こうとしてしている。
「そんなもの食べられないぞ」
零司はネコを彫像から引き離してソファに座った。
(ほっ)
◻
ラチェットが居ないまま食事の時間がやって来た。
楓たちはラチェットがいないのは予定済らしく気にした様子もない。
そして今晩のメインはもちろん鹿に似たクリーテルの肉を焼いたステーキだ。このステーキ用に楓は保温目的で模様の綺麗な岩を加工した特製皿を用意し、木製の受け皿もセットにした。
これにミティが畑から採ってきた野菜などで軽く岩塩を塗しただけのサラダと鶏ガラを出汁にしたスープを作った。
そしてカトラリーは手の込んだ細工が成された物だ。
それは楓がショッピングで見かけた高級食器をイメージしつつ楓なりに意匠を込めてあり、朱とオレンジ色の綺麗なグラデーションを持つ紅葉の葉を配してある。
ローゼは体力的に弱っていることもありお客様然として静かに成り行きを見守っていたが、暖かみのある色合いと丸みを帯びた室内空間、可愛らしい動物の彫刻を配したソファに調度品。
そして平民の生活ではあり得ない神術により産み出された多くの照明に気づき、これは噂に聞く高位神術師の家なのではないかとワクワクとしていた。
しかしそれにしては遊び心があらゆる場所に見てとれることに疑問を感じてはいた。
その一方でこれらを見たダリルは震撼する。
王宮御用達とまでは言わないが、名の知れた貴族が使っていてもおかしくない物が多くあり、さっきの自己紹介でも楓だけではなくその前にファミリーネームらしい名前があったのを聞き逃さなかった。
更にカトラリーに見られる紅葉の葉は斬新で家紋を示すと思われた。
そんな元商会主のダリル故に判る冷や汗ものの食事が始まる。
◻
今回も零司たちの『食事前の掛け声』が話題になり、出自を訊ねられる。
ギャロ夫妻は零司たちの情報を自ら話すつもりはないので、この手の話は全て無言で通していた。
「それはですねぇ…」
ラチェットの声がどこからか聞こえる。
「じゃっじゃーん!」
ラチェットが座るはずの空席のフレームに乗っているネコの彫像が突然跳び上がり、そのままソファの上に着地する。
それを見たダリルは驚きのあまりスプーンを落としてしまった。
『ああ、これで人生が終わってしまった』
傷がついただろう食器を想像してガックリとする。
思えば普段なら美味しく食べることができただろうクリーテルのステーキも全く味が分からなかった。
せっかく親切に家に招いて貰ったのに食事中に騒ぎを起こし家紋入りの大切な食器まで傷をつけてしまった。
こんな田舎の更に人里離れた山の中で暮らす貴族の子息に出会ってしまったのが運の尽きだったのだろう、と。
そんな未来に失望して下を向いてしまったダリルとは関係なく、周囲の話は進む。
フォークを投げ出したネコがソファに着地した猫を両手で鷲掴みにする。
「にゃっ!」
「痛っ、痛いですぅ!」
「ネコ、離してやれ。ラチェット何やってるんだ?」
ちょっと怒っている零司。
「え!?えーとですね、こんなこともあろうかと私がこう、なんと言いますかパッと現れて、えっへんみたいな感じで解説してあげようかと思っていたんですよ?」
今は小さな猫でしかないラチェットは零司に向かって立ち上がり前足を左右に振ってアワアワと説明するが魔王化しそうな零司を前に焦ってしまい要領を得ない。
「零司、実はちょっと二人を驚かそうと思って仕組んでただけなんだけど失敗したみたいね」
楓の目線を辿った先のダリルは気力無さそうに下を向いていた。
「父さん、どうしたの?」
ローゼが心配して声を掛けるが反応がない
「こら、泣き虫ダリル! そんなことで泣くな、顔を上げなさい!」
「は、はいぃぃ…」
泣いてそうな情けない声で返事をしたと思ったら突然謝罪が始まる。
「こ、この度は驚いたとはいえ、このような美しい食器に傷を付けてしまい、大変申し訳ありません。つ、つきましては、この責任はわたくしひとりに背負わせて頂きたく…」
「え、食器なんて気にしなくても大丈夫よ?」
「は、はい?」
「それに原因はこいつだしな、な?ラチェット」
「ひぇっ!零司さん!お痛はいけません! お痛はーっ!」
迫る零司の顔に恐怖を感じて後退りする猫のラチェット。
バシッ
「きゅぅ…」
チョップで失神してしまった。
気にするなと言われて顔を上げてみれば変わった小動物が言葉を喋り、零司に殴られる場面に遭遇したダリルはまた意味が分からず呆然とする。
「父さん、食器のことは許してくれるそうよ?」
娘の言葉に心底力が抜け安堵するダリルだが改めて喋る動物を見る。
「ラチェットさん(ペシペシ)、ラチェットさん(ペシペシ)」
楓が軽く頬を叩きながら呼び起こす。
「ふぁ?」
「気がついたわ」
「私は何を…あー!酷いです、何も殴らなくてもいいじゃないですか!」
「うるさい、お前があんな事をしたからダリルさんが悩んだんだからな。反省しろ」
「うぅ… 済みませんでした」
「分かればいい。それで、何であんなことをしたんだ?」
ダリル親子が来るということで取り敢えず零司たちの素性に気づかないようにとラチェットは身を隠すことにしたそうだ。
しかしもし聞かれるようなら本人が良く解っていない状態で話すよりもラチェットが話す、と、楓と取り決めていたらしい。
「だからといってあの登場の仕方はないだろう」
「はぃ、済みませんでした」
小さな猫が更に縮こまってゴニョゴニョとしている。
「もういいから元の姿に戻れ」
「それじゃあの件はいいんですか?」
猫のまま首を傾げて零司を見上げるラチェット。
「ああ、それならとっくにネコが力を見せているからな、大丈夫だろ」
「そうですか、それでは」
ラチェットはソファの背もたれを飛び越す。
そして光り輝きながら元の姿に戻った。
「ダリルさん、ローゼさん初めまして、わたくし天界から派遣され、零司様と楓様のガイドを担当しております、ラチェットと申します。
どうぞよろしくお願いします」
ダリルは混乱する。
突然現れた美しい天使が笑顔で自分の名前を呼び挨拶したのだ。
「父さん天使様がいらっしゃるわ。こういうときは何て答えたら良いのかしら」
これが現実とは思えず震えるダリル。
徐に立ち上がり後ろを向いて自分の頬を両手の平で叩き、向き直る。
やっと現実だと受け入れ冷静になる。
「そ、それではそちらの方々は…」
「はい!異世界の神様になります」
「はわわわわわ、これはとんだ失礼を!」
土下座でもしそうな勢いでテーブルに両手を着いて頭を下げた。
「あ、あー。さっきも言ったが普通に話してくれたらそれでいいんだ。俺たちは何も特別じゃない、普通の人間として生きてきた。だから普通に接して欲しいんだ」
とても普通の人の態度とは思えない零司の台詞に説得力はない。
「そうよね、この世界でも普通の人間として生活したいわ。これから暫くここに住む予定だから、寧ろ助けが欲しいのよ。それにせっかく知り合えたのだから仲良くしたいわよね、零司」
「そうだな」
「ネコもにゃー!」
「マルキウ様はこの事をご存知で?」
「もちろんよ、それにレージは強いわよ。もしかしたらあの魔神だってやっつけられるかもしれないわ」
「焔の魔神をですか!?」
「それ以外の魔神なんていないわよ」
零司たちが普通にしようとしているときに、また面倒な話を持ち込むマルキウを睨む零司。
「な、何よ、私は弱らせはしたけど倒してないんだから、アタシよりも強いかもしれないレージなら倒せるかもしれないでしょ?」
次々と世界を揺るがす新事実が明らかになる楓邸の夕食にダリルはただ呆然と聞いているしかなかった。
娘のローゼはあまり外に出られず友人と呼べる人物もいなかったせいか人間関係に疎く、反って変に抵抗を持たず普通に受け入れているがそれは本の中の物語のように目の前の人々に心踊る期待を感じているせいもあるのだろう。
「と言うわけでこの話はこれでお仕舞い! せっかくの温かい食事が覚めない内に食べちゃいましょう」
「賛成ですぅー」
厨房に用意してあったラチェットの分を楓と二人でテーブルに運んで食事は再開した。




