1.大剣vsラチェットレンチ
ページを開いてくれてありがとうございます。
『もののけと僕と注連縄さん』に続く連続小説二作目になります。
中断していましたが復帰できたので再開しました。
よろしくお願いします。
「ふんっ! ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
夏の朝6時、既に明るくなった空の下、熱を帯びてきた朝日を浴びながらある田舎の家の庭先で上半身裸の男が素振りをしている。
男の手にはファンタジーゲームを思わせる巨大な剣が握られていた。
剣は鉄製で素振りも困難な重さだが、その男は額に汗しながらひたすら素振りを繰り返す。
「そこっ!!」
突然素振りから空中のある一点を突き刺す様に体を捩じり剣を素早く突き出す。
「…ふっ、逃げたか」
男は何も見えない空間を睨み付けた後にそう言って鍛錬を終えた。
「れーじ、なにやってるの毎日毎日逃げただの何だのって、何と戦ってるんだか」
突然背後から声を掛けて来た者、それは隣に住む幼馴染の小柄な少女だった。
「いつもの例の機関の刺客が来ただけだ。楓は俺が守ってやるから安心しろ」
「また訳分からないこと言って。私を守ってくれるのは嬉しいけどその前にきちんと就職しなさいよ」
「今はまだその時ではない。もう直ぐやって来る終末戦争でお前を守れるように鍛えてるんだ」
危険レベルの幻想脳である。
ボカッ!
「だから! それ以前に! 就職して自分の生活を守れるようになってから言いなさいっての!」
「くっ、さては例の機関に洗脳されたか! 俺の女を洗脳して操るとはなんて卑劣な奴らだ!」
少女はきつい目で男を睨み本気で怒っている。
「本気で殴られたい?」
少女の手にはバールの様に大きなラチェットレンチが握られている。
「やめろ楓、お前とは戦いたくない!」
子供の頃から田舎の隣同士で回りに家が少なく同年代が居ないと言う事もあり、一緒に遊ぶ事が多かったせいか零司の遊び相手をさせられてガサツに育った楓は負けるのが悔しくて勝つまで続けるのが日常となっていた。
そして付き合うという感覚もなく当たり前の様に二人が将来一緒になるのを朧気に自覚していたし既に尻に敷かれている零司だった。
さて、楓がラチェットレンチを持っていたのは家の仕事で使う道具だからだ。
楓は親の手伝いで父親と一緒に鳶をしているがまだまだ新入りで父親の後を付いて行くのがやっと。
それでも普通の女子よりも心身共に強くあるのは零司に負けまいとしたその根性によるものだ。
「ねえ零司、貴方全く働く気がないみたいだけどうちで働かない? なんならおばさんに言ってあげよか? おばさん涙を流して喜びそうだしね。きーめた、零司は今日からうちで働け」
「ちょっ、何言ってんだお前、俺にはやる事ガフッ!」
ラチェットレンチの丸い方で手加減はしたが思いっきり腹を突いた楓は蹲る零司を放って零司の家に入って行く。
暫くして楓と母が慌ただしく家から出てきたと思ったら蹲る零司には目もくれずお隣さんへ行き、母が沢山お礼を言ってるのがここからでも聞こえる。
これは不味いと逃げ出そうとしたが一足遅く、ニコニコと愛想の良いおじさんが気さくに話しかけて来た。
「おはよう零司君。君、うちで働いてくれるんだって? 助かるよ、丁度人手が欲しいと思ってた所なんだよ。うちの楓とも仲がいいみたいだし、今日からよろしく頼むね。道具はこっちで貸すし、現場に向かう途中で作業服とか揃えようか。出るのは大体九時で服はジャージの手ぶらでいいから家に来てね」
あ、もう駄目だ、母もまた礼を言ってるし、完全にアウトだ。
「おとーさん、そんなに優しく言うこと無いって。零司は遊んでるんだから使ってもらえるだけでも感謝しなさいっての」
「そうは言っても零司君はアレだろ? お前のフィアンセなんダフッ!」
「お父さんはちょっと黙って! 何でもないから忘れなさいれーじ!!」
真っ赤な顔の楓がこちらを睨み付けレンチを振り翳す。
「酷いじゃないか楓、いつも零司君の事ばかり話しデフッ!」
「なーに言ってるのかなお父さん、何の事かさっぱり分からないよ」
父親と話をしてるのに真っ赤な顔の冷めた目で俺を睨む楓。
「今の手伝いだって結婚資金ヴォフッ!」
「それ以上言ったらわたし、お父さんがいない子になっちゃうかもしれないな」
完全に目が据わってる、楓よ早く帰って来い!
□
「ちわー、来ましたけど」
言われた通りのジャージ姿によれよれの運動靴、財布と携帯だけを持って来た。
「やあ、よく来てくれたね。ああ、零司君のお母さんも一緒に来てくれたんですね。今日は殆ど見学みたいになると思うので安心して下さい。それじゃ楓、零司君の準備手伝い頼むよ」
何事も無かったかの様に振る舞う楓の父。
そういえば叔父さんも叔母さんに笑いながら叩かれてた気がする。
森山家の事業用箱型バンの後席に楓と二人で座り、高校卒業以来初めて町の外に向かう零司は楓に首を繋がれた牛の様に流れる景色を眺めドナドナを歌っていた。
「ドナドナドフゥ!」
工事現場に向かう前に仕事に必要な服装をワーク〇ンで買い揃えて着替えると、何か引き締まるものを感じている雰囲気の零司に楓はちょっと嬉しくなるが甘い顔はしない様に気を付ける事にした。
現場に到着して車から降りると自分の体積の半分くらいしかない小さな楓に装備を装着してもらう零司は様にならない新人丸出しで微妙な気分である。
装備は結構重い物もあるが今回は基本的な身を守るものと、新人として作業の手伝いと仕事を覚える為に見る事を優先してレンチ1つを持つだけなので、あの重く巨大な鉄剣で素振りする事を思えば重さを感じない程に軽い物だった。
楓の父親から安全な作業の為のレクチャーを受けながら担当の場所に到着する。
「それじゃここ頼むよ。危険な所は無い筈だから楓に聞いて安全最優先で作業してね。楓は昨日と同じだから零司君に教えてやって」
そう言うと楓の父は事務所に向かった。
「零司いい? ここではわたしが先輩なんだから、きちんという事聞いてよね」
くそっ、嵌められた。
「仕方ないな、それじゃ先輩今日はよろしくおねがいします!」
「よろしい! 気に入った、新人!」
「調子に乗るなっ」
周りに聞こえない様に小さな声で軽くヘルメットの上からゲンコツする零司。
「それじゃ始めよっか」
業界では新人の楓だが零司という後輩を従え嬉しそうに昨日の作業を思い出しながら作業個所をチェックして行く。
楓は零司に見られている事を意識し過ぎて浮かれてしまい足元の確認を怠ってしまった。
「きゃっ!」
本来ならある筈の事故防止の綱が引いていない、足元の薄いベニヤ板を踏んでしまい片足が突き抜けてしまう楓に零司は気付くのが遅れてしまった。
『始めよっか』その言葉を聞いた後、近くにあった作業用の一輪車に目が行き、それを掴んで具合を確かめていたからだ。あほである。
仕事という物が何なのかまだ良く分かっていない零司は責任感が欠落していた。
しかし悲鳴を聞いて声の方へ素早く目を向けると、鉄骨の足場から片足を踏み外して縁で尻餅をつき反動で外へ跳ねてしまう楓を見た。
楓は手を伸ばして何かに掴まろうとしているが周辺には何もない。
あの手を掴まないと!
「楓!!」
零司は鍛えた筋肉で瞬時に駆け出し楓の手を掴んだ。
が、しかし、短い距離とはいえ勢いがつき過ぎていた事と楓を捕まえた手の反対の右手には一輪車がしっかりと握りしめられていたので、他に何も掴めないまま楓と一緒に地上数十メートルから落ちて行った。
2019/09/23 零司の素振りがまるでマッチョのような表現だったのを修正。
2019/03/27 再開に向けて軽く修正しました。内容に変更はありません。