ただいま、おかえり
「ただいまー…っと」
楼君の声が玄関から聞こえた。帰宅部の中学一年生、せっかくなら部活してみればいいのにと思う。持っていた本を閉じ、リビングのドアを開ける。
「おかえり楼君。ガッコ、どうだった?」
階段を少しのぼった楼君と目が合った。階段の上の窓から日が入り、少し眩しい。
「いつも通りだよ。それより紫苑さん」
他の眩しさとは対照的に暗く、表情が読み取れない楼君はいつもより低い声で言った。
「右目、赤いよ。パソコン構うの程々にしたら?」
そのまま階段を上がっていく楼君の背中に「気を付けるよ」と告げた。そろそろほかの人達も帰ってくる頃だろう。玄関の前に座ると、ドアの曇りガラスの向こうに人影が見えた。
「ただい…うおあっ、紫苑さん、そんな所でなんしてん…」
「おかえり大樹君。相変わらずゴリマッチョだなぁ」
最近髪がプリンになってきている元ヤンが帰ってきた。なんだか楽しそうな顔をしている。仲のいい人が楽しそうだとこっちまでニヤける。
「随分幸せそうじゃん?片想いのコと話せたの?」
「いやー、そうなんよ…紫苑さんなんで知ってん!?俺言ってないよな!?」
立ち上がって、顔を赤くする年上の頭を撫でる。「紫苑さんに隠し事なんてできるわけなかったわー」と顔を隠したプリンを念入りにわしゃわしゃかき回す。
「紫苑さんで良かったら話聞くぞー。それより時間やばいんじゃない?そろっと尚ちゃんバス停着くと思うんだけど…」
時計を見ると15時43分。尚ちゃんの乗ったバスが最寄りのバス停に着く頃だ。
「えっ…やばっ!行ってくる!」
鞄を放り投げ、走り出そうとする大樹君の袖を掴んだ。「どうしたん?」と焦りながら振り返る。
「尚ちゃんのこと任せっきりでごめんね。ほんと、相談とか要望あったら聞くから」
キョトンとした顔が見えた。その顔はすぐに笑顔になった。
「心配せんでも大丈夫よー。俺、尚さんと話すの好きやけん、任せてや」
頭をポンポンと撫でられた。「子供扱いした仕返しやで」と笑って走っていった。いつも通りの対応をしてくれる年上は落ち着く。
ため息を吐きながら振り返ると、はやとんが立っていた。体が跳ねるくらい驚いたが、はやとんはそんなコト気にしていないようだった。ただイライラした顔で玄関の扉を指さしている。
「あー…今日やばそう?」
「ベランダから眺めててすぐわかるくらいには。竜也さんに晩飯抜かれそうだから早めに抑えよう」
外からギャンギャンと言い合う声が聞こえる。いつもの二人だ。双方共もう少し大人になってくれないものだろうか。ドアを開けて二つの人影を引きずり込む。
「おかえり。心葉さん、和己さん。近所迷惑になるから家の中でそういうのはやってくれないかな?何でそんな猫の縄張り争いみたいに喧嘩してんの」
ムスっとした顔ではやとんに怒られる女子中学生と男子高校生。今回はどんなくだらない事で喧嘩してたのだろうか。
「…何でもない」
そう言いながら二階に上がろうとした和己さんを呼び止めた。不機嫌そうな顔で睨まれるが、気にしない。
「帰ってきたらなんて言うんだっけ?」
笑顔で、でも声は低めに言う。一瞬だけ不満げだった和己さんの表情はすぐに恐怖混じりの驚いた顔になった。
「…ただいま」
「おかえり」
背を向けた和己さんから目をそらす。心葉のただいまも聞き、そのままリビングに入ろうとした。心葉が既に愚痴を始めている。
「…紫苑さん」
後ろから参謀の声が聞こえた。指さされたドアの方を見ると、少し小さめの、スーパーの袋を持った人影がうつりこんでいる。
「心葉、悪いけど愚痴後で聞くね」
リビングのソファにそう告げ、扉の前にまた胡座をかく。すぐに扉が開き、近くの高校の制服を着た男子高校生が入ってきた。
「お母さんおかえりー。今日の晩ご飯は?」
「…うん、今日は肉じゃが」
「マジで?嬉しいなぁ。お母さんの作る肉じゃが好きなんだよー」
お母さんはそのままリビングのドアを入って行った。中から心葉がおかえりと声をかけるのが聞こえる。
「竜也さんって頑なにただいまって言わないよな」
参謀が耳元で囁いた。視線はリビングのドアのまま、答える。
「ウチらは家族じゃないらしいからね。仕方ないよ」




