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失念

家に着いたらまず寝た。眠くて仕方なかった。コンタクトを外してすぐにリビングのソファに倒れ込んだまま、深淵のような眠りに陥っていた。だから、皆が帰ってきてたのにも気付けずに、起きたら真っ暗という寂しい事態に直面した。いや、正確には暗い中はやとんがスマホを構っていて、ほんのり明るいはやとんの顔に正直ビビった。

「…はやとん、目を悪くするよ」

僕のスマホを見つめたまま答えが返ってくる。

「今は22時。気まずい事があって皆部屋に戻ってる。心葉さんの話もできていない。暗いのは、そうだな。紫苑さんが寝てるだけなのに電気を付けているとどこかのお母さんがうるさいもんでね」

眉間にシワを寄せた男子高校生の顔が鮮明に思い浮かんだ。数日ロクに見ていないだけなのに、やけに遠い昔の思い出のような気がする。

「何が、あった?」

起き上がりながら目元をゴシゴシと擦る。気まずい事があった、とはやとんは言った。誰だ。お母さんか、和己さんあたりか。

「楼さんがね」

はやとんがため息をつくように口にした名前に、頭の中で勝手に納得してしまった。反抗期真っ只中の中学一年生の男の子、学校の話を全くしない無表情の少年。

「心葉さんの件もあって、俺も失念していた。今朝、楼さんが紫苑さんに話したいことがあると言っていて、メッセージアプリに送っておいてもらったんだ」

眩しい画面を向けられた。涙が滲む目を細める。昼頃にメッセージが届いていた。クラスのナリヤン男子共にこの家の事で馬鹿にされている、今日も放課後に呼び出されている。なるほど、いじめの類か。

「…そんで、どうなった」

指が鼻の付け根に触れた。ああ、眼鏡が無いのを忘れていた。

「楼さんはボロボロの状態で帰ってきたよ。制服の汚れや怪我について酷く問い質されてね。彼も限界だったんだろう、泣きながら怒鳴って部屋に戻ってしまった。さっきまで酷い騒音がしていたよ」

そうだろうなぁ、と伸びをした。横に置かれている灰色のパーカーを見て、はやとんのものを着ていたことを思い出した。

「…明日、楼君は学校休ませよう。この事は誰にも言わないで。…スマホの暗証番号も変えるか」

脱いだパーカーを膝に置くのと引き換えに、スルリとはやとんの手からスマホを抜き取る。正直自分のスマホを人に構われるのは好きではない。

「今、起きてるんじゃない?」

自分のパーカーを羽織りながらはやとんの顔を見た。この意味などわかるだろうと、いつも通りの無表情をしている。

「僕は感情をそのままぶちまけられるのは嫌いなんだ。頭が冷えるまでそっとしておくよ」

そう答えると、はやとんは苦く笑った。何だか癇に障る。

「紫苑さんは、変わんないね」

立ち上がって、見下しながらフッと笑った。ああ、こんな表情をするのはいつぶりだっけか。

「君がこの家に来たのは二月でしょ。そんなすぐに人は変わらないさ」

また今日も、ただ長いだけの夜になりそうだ。

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