夢を見ない年頃
「学年で5人もいないだろうな」
二学期の終業式を間近に控えた職員室。今年新米教師として八倉小学校に来た河合紗帆が「今の子もサンタさんって信じてるんですか?」と聞いたのに対して、学年主任の上野は渋面でそう答えた。紗帆は、彼の笑った顔を一度も見た事がない。上野は眉根のしわを深めて続ける。
「河合先生。今の子どもはね、先生の思っているような純粋な生き物じゃないんだよ。そろそろ分かってくれないかな」
紗帆は上野の言葉を反復しながらも、それを信じたくない気分で廊下を歩いていた。
副担任をしている1年2組の前を通りかかると、子どもたちの話し声が聞こえてきた。
「大谷はもう、サンタに手紙、書いたのか?」
「ううん、まだ。ほしいもの、いっぱいあるから」
紗帆は思わず足を止め、耳をそばだてた。どうやら彼らの話題はサンタクロース、そして話の中心になっているのは大谷文雄らしい。
おとなしく目立たない雰囲気の彼がクラスメイトたちと話をしている場面は珍しかった上、内容が内容だったので、紗帆はほんのりと温かいものを感じた。
上野先生、今の子たちも、やっぱりサンタさんを信じていますよ。
今すぐ職員室に戻って、大声でそう言いたくなった。
文雄が教室から出て来た。紗帆に「さようなら」と言ってぺこりと頭を下げ、階段の方へ歩いていく。その後ろ姿をぼんやり見送っていると、話の続きが聞こえてきた。
「な? 信じてただろ?」
声の色がわずかに変わっていた。楽しそうな雰囲気は崩さないまま、そこに冷えた残酷さが現れる。紗帆は凍りついたように身を固くした。
「ああ。やっぱ大谷、普通じゃねえよ」
「マジだったな、あの目」
「あんなバカ、初めて見た」
「特別天然記念物ってやつ?」
「だな」
「おれさ、サンタのプレゼントがショボいって言ったら親に逆ギレされて、それで分かった」
「何? おまえも大谷組だったわけ?」
「あんなのと一緒にすんなって」
子どもたちが一斉に笑った。ついさっきまで文雄と仲良く話をしていたはずの友人たちの姿は、そこにはなかった。
廊下の向こうからぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。紗帆がぎこちなく目をやると、走ってきたのは文雄だった。
「大谷君、どうかしたの?」
紗帆はとっさに声をかけた。今のクラスメイトたちの会話を文雄には聞かせたくない。そのために少しでも時間稼ぎをしたかった。
「忘れ物、しちゃったんです」
短くそう言うと文雄は教室に入って行った。
「どーしたー?」
数十秒前までの会話がまるで嘘だったかのように、ごく平然として文雄に声をかけるクラスメイトたち。文雄はその裏に隠れているものなどまったく気づいていない様子で、
「忘れ物」
とだけ言い、自分の席に向かった。
「あれ、河合先生?」
クラスに残っていた一人が教室の入り口でたたずんでいた紗帆を見つけて声をかけてきた。
「みんな、残ってたのね」
わざとらしいと思いながらも、今ここに来たばかりという風を装って紗帆は教室に入る。どう振る舞って良いか分からなかった、
紗帆のスーツのポケットで携帯電話が鳴った。紗帆は慌てた。校内では音が鳴らないようにしているはずなのだが、今日に限っては設定を忘れてしまっていたらしい。紗帆は顔を赤くしながら電話に出た。
『もしもし、サンタクロースです』
電話口から聞こえてきたのは流暢なドイツ語だった。学生時代に第二外国語としてドイツ語を勉強していた紗帆は、戸惑いながらも、必死に記憶を掘り起こしし、ドイツ語で返答する。
『どうして、お電話を?』
『子どもたちに、サンタがいる事を信じてほしいからです』
「先生?」
電話口で聞いた事もない言葉を話しだした紗帆を、子どもたちが不思議そうに見上げて言う。
「今ね、サンタさんから電話が来ているの」
「う……」
「うそだ」と言いたいに違いない。しかしさすがに面と向かっては言えないらしい。
その代わりに彼らは、紗帆を通してサンタクロースに次々と質問をぶつけてきた。紗帆が携帯をスピーカーモードに切り替え、はらはらしながらドイツ語で質問をすると、ドイツ語で明確な答えが返ってくる。今度はそれを日本語に訳して子どもたちに伝える。
そのうちに子どもたちの質問から勢いがなくなってきた。まだどこか納得のいかないような、それでも信じざるを得ない状況に直面し、どうふるまって良いのか分からない様子だ。うれしそうにしているのは文雄ただ一人である。
『もういいのかい?』
そう聞かれた紗帆は礼を言って電話を切り、職員室へ向かった。
「上野先生、ありがとうございました」
紗帆はドイツ語で電話をかけてきた人物に声をかけた。あの時、発信者の名前は「上野」となっていた。
「生意気なガキどもを、驚かせてみたかったんだよ」
上野がかすかに微笑んだように見えた。