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きみのありか  作者: 兎角Arle
5/7

第四話:よろしく

1.

犬飼の家に戻ってから、3日が過ぎた。

ポチは、まだ心の整理が出来ては居ないけれど、本来の落ち着きを取り戻しつつあった。


犬飼は波紋がこの家の場所を知っていることをポチに教えていない。

隠している訳ではないが、今教えても何処かへ逃げるだけだと思ったからだ。

直感的に、ポチと波紋は一度しっかり話をするべきだと、犬飼は感じた。


とはいえ、そんなに早くここを訪れはしないだろう。

年末年始、犬飼も人が来るような仕事のスケジュールは入っていない。

だからこそ、昼間に家のチャイムが鳴らされた時、ポチと犬飼は少なからず驚いた。


「すんませーん、誰かいますかー?」

気だるそうな少年の声に、呆然としていた犬飼は意識を取り戻し速足で玄関へ向かう。

ドアを開けると、そこには長い髪を一つに結っている少年が居た。


「ああ、すまない。なんか用か?」

見覚えのない少年に犬飼が問い掛けると、少年は片手に持っているメモに目を遣った。

「えーっと、なになに?・・・ポチ?だっけ?此処に居るって聞いたんすけど、あんたが犬飼さんで間違いない?」

「確かに俺が犬飼だが、どうしてポチの事を?」

「波紋から聴きました。俺暇だったんで波紋より先に一回会っとこうと思って・・・。

 あ、波紋ってあんたらが空港で会った奴の事です」

「あいつの友達か・・・・、すまんがちょっと待っててくれ。

 聴いたかもしれないが、ポチは昔の自分のことを知ってる奴に会いたくないらしくてな」

「はあー、どーも」

気だるげな返事を聴き、犬飼は一旦ポチの部屋へ向かう。


「ポチ、お前に会いたいってやつが来てる」

「誰?・・・・・もしかしてあいつ?」

読んでいた本に栞を挟み、ポチは声を潜めた。

「波紋はよほど嫌われているんだなあ」と、犬飼は思った。


「違う。けどまあ、あいつの友達って奴が来てる」

「えぇっ」

布団に顔を埋め、ポチはしばらく考えると、か細い声で「犬が一緒なら・・・会う」と言った。

犬飼はやれやれ、と頬を掻いた。


ポチは犬飼を盾にするように後ろに隠れ、服の端をぎゅっと握った。

玄関へ戻り、少年を中へ招き入れる。

「待たせたな、立ち話もなんだから中入れよ。あと、敬語じゃなくていいぞ」

「じゃ、遠慮なく」

少年はちらりと、隠れるポチに目を遣ったが、直ぐに「お邪魔しまーす」と気だるげな声を漏らした。


リビングへ移動すると、少年は「あー」と間の抜けた声を出した。

「俺、漣 追風っつーんだわ。紹介忘れてた。すまん」

「いや、こっちもちゃんと紹介してなかったな。知ってるだろうが、俺は犬飼、こいつの保護者みたいなもんだ」

「おうー」

座るように促す前に、追風は当然のように椅子に座った。

ずっと後ろで引っ付いたままのポチは警戒をしながら「あ」と。

「ぼ、ぼく、お茶淹れるね」

早速逃げようとするポチの襟首を掴み、犬飼は無理矢理ポチを座らせた。

「俺がやる。追風はお前の客だ」

「う、うー・・・・」

唸り俯くポチを無視し、犬飼ははける。

追風は頭を掻き何を話そうかと考えているようで、片手をパーカーのポケットに入れると、何かが触れた。


「これ、食うか?」

「へっ!?」

いきなり声を掛けられ、驚き顔をあげると、飴玉を差し出していた。

「な、なに?」

「んや、まあ。なんかポケットにあったから。俺その味嫌いだし」

一向に受け取る気配の無いポチに小さく息を吐き、追風はポチの前に飴玉を置いた。

飴玉の包装には、イチゴ味と書かれていた。

警戒しつつ飴玉を手に取り、「ありがとう」と小さく呟く。

特にどうとした風でもなく、「どういたしましてー」と追風が返した。


飴玉をポケットにしまい、ポチはぐっと追風へ向き合った。

その覚悟を感じ、追風は口の端を少し上げる。


「なあ、俺はお前をポチって言うべきか?それとも音無 水面って呼んだ方が良いのか?

 俺としちゃー、音無の方が呼びなれてて楽なんだが・・・」

「音無 水面なんて、ぼくは知らない。ぼくはポチだ」

「そっ。ならポチって呼ばせてもらうわ」

「・・・・その、音無って人とぼくは、そんなに似ているの?」

「顔はな。こう、右側の髪だけ長かったらそっくりだ。でも性格は似てねえよ。

 俺の知ってる音無は、何やっても何があっても余裕そうな涼しい笑顔で居やがるんだ。

 お前みたいに人の後ろには隠れねえ。いいや、隠れられない性格ってやつだな」

「自分でなんでも背負い込むタイプ?」

「まあなー」

頬杖をつくと、だらんと追風のパーカーが肌蹴た。

ポチはそれに気づき言うべきかと思ったけれど、当の本人は時に気にしていない様子だったので話を戻すことにした。



2.

「・・・・それで、追風は何をしに此処へ?」

「まあ、ちょっとな。あ、写メ良いか?」

「え?っえ?」

追風は立ち上がりポチの隣に行くと肩に片腕を回し携帯を上に上げた。

「はいちーず」

カシャリッ、とシャッター音が響くと、追風は何事も無かったかのように席に座り直した。


「お、良い感じに撮れてるなー」

「な、なに?」

相変わらず表情を変えずに撮った写真を確認し、カコカコと文字を打ち始めた。

「せっかくだからあいつに自慢してやろうと思ってよ」

メールの送信が終わったのか追風は携帯をしまい、まっすぐとポチを見据えた。


「実はここへ来た理由は特にない」


ポチは目が点になっていたが、暫くして呆れて肩を落とした。

「なにそれ・・・・」

「毎年この時期、俺の家だと家族旅行をするんだが・・・両親が、こっち来るとかふざけ腐ったこと言いやがって、

 寮は休みの間閉鎖だし、家族が来るまで時間つぶししなきゃいけなくてな。

 そん時波紋から空港での事を一部始終きいて、暇つぶしに来てみようと思ったわけだよ」


「家の場所は波紋から聴いてたしな~」と、ぼんやり追風が告げると、ポチはキッと犬飼を睨んだ。

そんなポチを無視し、犬飼はお茶を持ってくると、「タイミング良いな」と口を開けた。

「丁度3日前に帰ってきたばかりだったんだよ」

「ああ、それならこの辺の住人から帰ってくる日聴いてたからなー。波紋から名前聞いた時ピンと来たんだよ。

 それなりに有名なんだろ?名前出しただけですぐ帰宅する日教えて貰えたぜ」

「なるほど、そういうことか」

「犬飼 歩って、あの小説家だろ?えーっと・・・・『人形姫』だっけ?」

「『人形姫』?」

眉を寄せ考えるポーズをとる犬飼に、追風は「違ったっけか?」と気にした風でもなく声を出した。

ポチは思い当たる節がある様で、犬飼の袖を引く。


「『人形姫』って、犬の部屋にあったよね」

「いや。確かに俺の書いた本だよ。ただちょっと意外だな。学生ならラノベの方を読んでるかと思ったから」

「ああ、あの超純愛の方な。あんなんげろ甘過ぎて読めたもんじゃねえって音無が言ってたな」

相変わらずどうでもよさげに追風が言うと、「だろうな」と、犬飼は自嘲した。


そこで、ピピピッと電子音が響いた。

犬飼が携帯を確認しようとすると、それよりも先に追風がぼやいた。


「あー、俺だわ。もしもし?」

席を立つこともせず、追風はその場で携帯を耳に当てる。

礼儀として如何なものだろうかと犬飼は思ったが通話中に注意するのも失礼なので通話が終わるのを待った。


「どうだ、俺が送った写真。よく撮れてんだろ・・・・あ?お前なんか暗くねえ?」

電話の相手が普段と違うことに疑問を覚えたのか、追風は茶化すのをやめ真剣な口調になる。

しばらく相槌が続いたかと思うと突然大声と共に追風は立ち上がり、二人はビクリとした。


「家出だぁ!?馬鹿だ馬鹿だと思ってたけどやっぱり馬鹿だなお前!何考えてんだよ?!

 どうせ行く当てもねえんだ・・・・・今空港?っんとになんで音無の事になるとすぐ後先考えなくなるんだよてめえ!

 今からそっち向かうからちったあ頭冷やせ馬鹿が!」

勢いで電話を切ると、再び電子音が響き追風は即座に「なんだよ?まだなんかあんのか?!」と応答した。

通話相手が喋っているようでしばらく無言で、時々ポチをちらりと見ながら、追風は呆れたように溜息を吐いた。


「わーったよ。すぐ電話切られても知らねえぞ」

そう言うと追風は、携帯をポチに突き出した。


「えっ?なに?」

「お前と話したいってよ。・・・あいつ今相当堪えてるから、あんまキツイこと言わないでやれよ」

「・・・・あ・・・うん」

恐る恐る携帯を受け取り、大きく深呼吸をする。


「も、しもし・・・ポチ、です」

ほんの少し緊張で声が裏返ってしまったのが恥ずかしくて直ぐに電話を切ろうとしていると、通話相手の声が聞こえてきた。


『電話、出てくれたんだね。ありがとう・・・波紋です』

心底嬉しそうな、穏やかな声。

けれどどこか疲れているようにも聞こえ、ポチはおずおずと問いかける。

「どうしたの・・・?」

『色々あったんだけどね・・・。ははっ、格好悪くてポチくんには言えないや』

「・・・・・」

『ねえポチくん。キミにお願いがあるんだ』

「何?」

『こんなこと頼むのは間違ってるって思うけどね、僕に、好きって言ってほしいんだ』

ポチは何かを口にしようとしたけれど直ぐに黙った。

長い長い沈黙を経て、「嫌だ」と。


「きみに何があったのか分からないし、きみがどんな気持ちなのかもわからないけど、ぼくは音無 水面じゃない。

 ぼくがきみに其れを言ったって、意味はない、そうでしょう?」


ポチの言葉に波紋は黙し、直ぐにおかしそうに力のない笑いを漏らした。

『せめて声だけでも・・・なんて思ったけど、ポチくんの言う通りだね。本当、可笑しなくらいキミは僕に似てるなあ』

可笑しそうに笑う波紋に、ポチはムッとして「似てない」と返した。


『ふふっ、キミからするとそうかもしれないね。今度会った時はゆっくり僕の話をするよ。

 そうすれば、何処が似てるかキミにも分かるはずだ』

「・・・・波紋の話はあんまり興味ないけど・・・、もう、前みたいに急に掴んだりしないなら会っても良い」

『うん、もう手は出さない。・・・ポチくんと話したら少し気が晴れたよ。ありがとう。追風に代わって』

「わかった、じゃあ、また」

『またね、ポチくん』



3.

ポチが犬飼の家で同居することになるよりもずっと前。

それは小石 波紋が中学へ入学して半年が過ぎた頃だった。


波紋は入学して半年にもかかわらず学校一の有名人で在り、クラスの人気者だった。

よく居る優等生で在り、よく居る人気者。

波紋にはこれと言って趣味は無かったし、人を嫌いになるようなこともなく、それなりに充実している日常を過ごしていた。

両親とも特に仲が良いわけでも悪いわけでもなく、ただ言われるままに流されて生活していた波紋は、

将来も特に変わったこともなく、親に決められた相手と家庭を作り、同じように生きていくのだと思っていた。

音無 水面と言う少女に出会うまでは。



その日は、優等生で在る波紋は特に部活動をやっている訳ではなかったが、教員の手伝いで遅くまで学校に残っていた。

他の生徒は皆部活も終わり、校舎の中は鎮まり返っていた。

日が傾き初め、空が茜色に染まる。

波紋も帰り支度を始めると、何処か間の抜けたような教師が突然声を出した。

「あ・・・しまった。小石くーん、帰るならついでにこの資料を旧校舎の美術室もってってくれない?」

「え?ああ、良いですよ」

「適当にその辺に置いといてくれればいいよ。報告も必要ないからそのまま帰っちゃって」

「はい、分かりました。さようなら」

「さようなら、気を付けて帰ってね」


教室を後にすると、波紋は直ぐに旧校舎に向かった。

旧校舎は今ではもう倉庫の役割と化し、多くの資料やゴミの吹き溜まりとなっている。

当時は幽霊が出るとの噂があり、生徒は誰一人近づこうとしなかった。


この後家で何をするかなどを淡々と考えながら歩いていると、いつの間にか旧校舎の美術室前まで来ていた。

無言で戸を引き、中に入り、放置されたままの教卓の上に資料を置くと、ふと気づく。

窓際の一番後ろの席に、特徴的な髪型をした少女が座り、窓の外を眺めている。


彼女を認識した途端、小石 波紋の世界は一瞬で形を変えた。



「僕のお嫁さんになってくださいっ!!」


それが、彼が音無 水面に最初にかけた言葉だった。


いつの間にか波紋の体は水面の直ぐ近くにあり、じっと彼女の顔を見つめていた。

水面は驚き、目をまん丸くして暫く波紋を見つめ返していると、次第に状況を理解してかにっこりと笑んだ。


「お友達から、お願いします」


その返答にハッとし、つい先刻己が発した言葉を理解した波紋は顔を真っ赤に染め「あ、ああ」と切れの悪い声を漏らした。

「ご、ごめ、何言ってるんだろうね!僕!!って・・・え?お友達からって・・・えっと?」

「そのままの意味よ。私は音無 水面。貴方は?」

顔をあげると、何処か余裕のある微笑で水面は告げた。

「僕は、小石 波紋」

「あら、貴方があの有名な小石 波紋くんなの?想像していたのとちょっと違うわね」

「あ・・・僕の事知ってるんだ」

「この学校に知らない人はいないわ・・・、と言っても、あんまり周りの事に興味が無いから貴方の顔は今初めて見たけどね。

 貴方、かっこいいってよく言われるでしょう?」

「そ、それって、僕がかっこいいってこと?」

「いいえ、私はそうは思わないわ。でもそうね、綺麗な顔だと思うわ」


波紋は胸が高鳴った。

すぐ目の前にいる水面にも鼓動が聞こえているんじゃないかと言う程にドキドキしていた。

普段言われ慣れている言葉なはずなのに、彼女に言われるだけでどうしてこんなに嬉しいのだろう。

先走った言葉からその答えは明白だった。


「それにしても、貴方も大変ね。何の罰ゲームかは知らないけど私なんかに告白させられるなんて」

「え?」

「小石くんは私の事知らないかしら?まあ、私があなたの噂に興味が無かったように、貴方も私の噂に興味が無くても当然ね。

 私ね、いわゆる“問題児”なの。家庭環境もそうだけど、授業も時々さぼっちゃうから、教師からも生徒からも疎まれてるのよ」

「ちょ、ちょ、ちょっとまって!僕は別に罰ゲームでキミに告白した訳じゃなくて」

「?違ったかしら?じゃあ、どうして?」

「あ、いや、さっきのは、その・・・」

口籠る波紋の顔を、水面は覗き込んだ。

真っ赤に染まった顔がさらに赤みを増し、潤んだ瞳と目が合う。

「一目惚れなんだ・・・・。僕もこんなこと初めてで、よくわかんないけど・・・。でも、好きなんだ!どうしようもないくらい!」


その言葉に水面は頬を紅潮させ、顔を逸らし目を伏せた。

「ごめんなさい・・・」

「ううん、僕こそ、急に・・・」

「そうじゃないわ、勘違いで戯れの返答をしてごめんなさいと言う意味よ」

水面は小さく息を吐き憂いを帯びた瞳で窓の外を眺める。

「人から好意を向けられる事なんて久しくなかったから、その考えに至らなかったわ」


ほんの些細な彼女の挙動だけで、波紋は満たされ、胸が張り裂けそうになった。

息を呑み無言で水面の横顔を惚けたように見つめる。


―――綺麗だなあ。


あまりの美しさに、彼女がこの世のモノとは到底思えなかった。


「でも、そうね。私は貴方がどんな人なのか全く知らないから、今すぐお返事は出来ないわ。

 だからやっぱりこう言うでしょうね、『お友達からお願いします』とね」

「うん。僕もちょっと、自分でもびっくりするくらい急に口に出たから・・・。えっと、さっきのは忘れて!」

「あら?忘れていいの?」

「へ?」

「貴方の気持ち、無かったことにしてしまってもいいのかしら?」

水面がにっこりと優しく笑うと、波紋は大きく深呼吸をした。


「僕の気持ちは、忘れないでいて。いつか必ず、またキミに告白するから」


「そう」

くすぐったそうに笑うと、水面は「これから宜しくね」と、静かに告げた。



4.

追風が訪れた直ぐ翌日の事。

手土産を片手に他人行儀な笑みを浮かべた波紋が犬飼の家に訪れたのは昼下がりだった。


ポチは相変わらずの人見知りで犬飼を盾にビクついている。

そんなポチとの交流をはかるべく、波紋は水面との馴れ初めを語って聴かせた。

時々口を挟むポチに、波紋は可笑しそうに、しかし嬉しそうに言葉を返した。

犬飼はそんな二人の様子を静かに眺め、時々頼ろうとしてくるポチを無言で修めた。


キリの良い所まで話すと、「今日の所はこのくらいで」と、波紋は区切り犬飼に向き直る。

「自分勝手だと重々承知で、犬飼くんに頼みごとがあるんだ」

「なんだ?」

「僕も此処に泊まらせてくれないかな?」

「え!? やだよぼく!」

反射的にポチが声を荒げると、犬飼はそれを制し波紋の言葉の続きを待った。

「家に帰りたくない・・・でも学校は休みの間利用が出来ないんだ。飛び出して来たからホテルに泊まるお金もないし、

 銀行から下ろすことも出来るけど、それだと父さんや母さんに気付かれちゃう。

 犬飼くんから借りたお金は今度きちんと返すし、家事の手伝いもする。絶対に迷惑はかけない。だから、お願いします」

深々と頭を下げる波紋に、ポチはうろたえ犬飼をちらりと見る。

犬飼は溜息を吐き肩を落とすと、「わかった」と短く言う。


「俺としては泊まることに何も問題はない。だがお前の部屋は用意出来ないしベッドも布団も生憎空いてない」

「僕はソファでも・・・、ううん、床でも平気だよ。掛け布団の代わりになるものがあれば十分だ」

「・・・・・なら良い。あと、金銭面は別に気にしなくていい。お前らガキんちょが気にすることじゃない」

ふっ、と小さく笑うと、犬飼は立ち上がった。

波紋の寝床になる部屋を確認しようとしたのだろう。

しかし波紋は真剣な面持ちで低くつぶやく。


「ガキ、ね」

「波紋?」

不思議そうに名を呼ぶポチを無視し、真っ直ぐに犬飼を睨む。

「僕らはもう自分で物事を考えて行動することが出来る。分別のつかない子供とは違う。キミと違いないと思ってるよ」

「そうかもな」

「自分のしたことの責任は取れる。今はキミの力を借りるけれど、必ず返すから」

「そうしたいならそうすればいい」

子供をあしらう様な態度に、波紋は少しムッとしたが、平静を装った。


「僕は、犬飼くんみたいに人を子供扱い大人が嫌いだ」

「おう。でも俺は波紋みたいに素直な子供は好きだよ」


にやりと不敵に笑うと、犬飼はポチの頭をわしゃわしゃと撫で、「こいつは妙に捻くれてるから可愛くない」と言った。

「可愛くなくていいよ、別に」

ポチはぐしゃぐしゃになった頭を手櫛で整えながら、ふてくされるようにこぼした。


仲睦まじい二人を見て、波紋はふと口に出す。

「犬飼くんにとって、ポチくんはどんな存在なの?」

「なっ、何聴いてんの波紋!」

「どんな、かぁ・・・」

わざとらしく悩むようなポーズをとる犬飼に、「ただの同居人だよね?」とポチが喚く。

犬飼はぶっきらぼうに笑みを溢し、二人が静かになったのを見計らい、あらかじめ決めていた返事を言った。


「家族、みたいなもんかな」



5.

「やっぱり、僕は犬飼くんが嫌いだよ」

「んー。そりゃーどーも」


ポチが寝静まった後、波紋は犬飼の部屋を訪れた。

今だ仕事中の犬飼に言葉を投げると、犬飼はおざなりに返答をする。

しばらく無言で手を動かすと、キリの良い所まで行ったのか筆を置き波紋に向き直った。


「なんか用か?」

「寝る前に絵本を読んでほしくてね」

「なんだ、そんなことだったのか」

「冗談だよ。真に受けないでよ。気持ち悪いなあ」


悪態を吐くと、波紋は部屋の隅に腰を下ろし、膝を抱えた。

「水面ちゃんは人形姫が大好きだった」

ぽつりと呟く。

その呟きに、何処か納得した犬飼は相槌を打つこともせず続きを待った。

「人形姫の王子が嫌いだと言っていた。自分勝手で周りを傷付けてまでも姫を愛そうとする王子が。

 あの話の全てが嫌いだともね。王子も姫も物語のオチも。後味が悪くて最悪だって」


そりゃあそうだ、そういう風に書いたのだから。と、犬飼は心の中で思った。

「でも、その後味の悪さが大好きだってさ。在り来たりじゃない気持ちの悪さが心地いいと」


人形姫のお話は、姫に恋した王子が姫を攫って狭い部屋に閉じ込め、生活するという話だ。

人物は二人だけ、救いも希望も無い。

物語の終幕は、王子が死に、後を追うように姫も死んでゆく。

最悪の結末。


犬飼 歩の作品の中ではマイナーで、あまり人気のない作品だ。

「『貴方は人形姫の王子に似てる』って、水面ちゃんは言った。僕もそう思った。

 閉じ込められるものなら、彼女を閉じ込めて死ぬまで、・・・死んでも愛したいと思ってるもの」

「それなら、音無 水面はさながら人形姫か・・・」

「そうだね・・・、そう思ってたけど、違ったかもしれない。だって水面ちゃん、人形姫みたく大人しくしてないもの。

 目を離したらすぐ何処かへ行っちゃう。僕は鎖で縛り付けてる心算でも、彼女全く気にせず駆け回るから・・・」


「人形姫らしくない」と語る波紋とは裏腹に、「人形姫らしい」と犬飼は思った。

犬飼が理想に思う人形姫は正に音無 水面に近いものだ。

とはいえ、その人形姫は初期設定の段階で没になり、出版された人形姫はだいぶ大人しくなっているので、波紋が知る由も無かった。


「それに、今思えば水面ちゃんにとっての王子役は僕じゃなかったのかもしれない」

「? ・・・お前は音無 水面の恋人なんだろう?」

「うん。そうだよ」


波紋は視線を落としそっとオレンジ色のピンに触れる。


「でもね、彼女が一番に愛していたのはきっと、『彼』だよ」



だから居なくなったのさ。と、波紋は声を震わせた。

沈黙がその場を包む。


暫くして犬飼が疑問を投げかけた。

「『彼』ってのは?」

「わからないの?」

見下すように嘲笑し、静かに告げる。


「ポチくんの事だよ」


犬飼は床に座り直し、波紋と出来るだけ視線を合わせ、真剣な面持ちで問う。

「波紋はあいつのことを知ってるのか?」

「・・・ポチくんは僕の事を知らないだろうけど、僕は知ってる」

畳み掛けて尋ねようとする犬飼を制し、波紋はじっと犬飼を見つめる。

「もう一度聴く。キミにとって『彼』はどんな存在なの?」


唾を呑み、犬飼はそっと口にした。

「あいつは俺の家族だ」


「そう」

目を細め、少し口をとがらせると、波紋は早口で言う。

「明日、僕はポチくんとこの事について話す心算だ。出来れば犬飼くんは居てほしくない」

「俺が居たらまずいのか?」

「・・・・・これはあくまでも希望だから。聴きたいなら聞けばいい。でも、僕は犬飼くんやポチくんの味方にはなれない」

「?」

「僕の望みは、水面ちゃんが戻る事だから・・・」

そう吐き捨てると、犬飼の言葉を待つことなく波紋は部屋を飛び出した。

追うタイミングを逃した犬飼は、呆然とし、床に寝転がる。


天井を見上げ、「仕事どころじゃないなあ」とぼんやり呟いた。


今夜は、明日どうするかをじっくりと考えなくてはならない。と、犬飼はそのまま瞼を閉じた。

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