07.喧騒のち、公平
結局、なんなのだろう。
3人が語ったことを反芻する。彼女達は私の思い描いた通りの人物であり、思い描いた通りではない人物であった。
アルコール無しの果実水に手を伸ばすと、赤褐色がじぃっとこちらを見ていることに気付く。クレアさんだ。
「……なんですか」
「タダ聞きなんていい度胸じゃないのぉ。何黙ってんのよ、吐きなさいよ」
どっこい、とクレアさんは腰を上げるとこちら側のソファに移ってくる。狭い。そして酒臭い。
「はあ。もしかして私にあなた方みたく語れと?
けど、ディアナがお前の恋バナなんぞ~とか言ってましたよ」
「アンタはさあ、そろそろいい歳なんだから傍観者気取るのはやめるべきよぉ」
「……そうですか」
聞いちゃいない。ヒック、と酔っぱらいは私の肩に手を回し語る。胸、自慢の胸が当たってますよ、姐さん。
「ほら、それ。すぐ逃げる」
胸中を読まれたような言葉に私はピタリと動作を止めた。それ、ってどれだ。
「君は、……私が言うのもなんだが、澄ました面をやめるべきだな」
「そうね。あと、あんたは逆に、どこかに止まるってことを覚えるべきだわ」
「……。」
雲行きが怪しい。私はただのこの女子会のギャラリーのはずだったのだが、一通り吐き出し終え、気が済んだらしい彼女達は私を構い始める。
「なんか言えよ」
「……何を、言って欲しいわけ」
ディアナの甘ったるくない言葉遣いに私は重々しく口を開いた。だって本当に言うことがないのだ。
言い返す言葉は、ない。
ごもっとも。ぐうの音もでない。さもありなん。至極真っ当。どんぴしゃり。
「べっつにー」
別に、というならそれらしい顔をしろ。たくさんの言いたいことが胸中にとぐろ巻いてますよー、っていう顔してそう言われても困る。
「褒めポイントも挙げてくれてもいいんだよ?」
挽回のチャンスをやろうとディアナに優しく促してやると、彼女は言葉すら使わず語りかけてくる。もういい。顔芸は引っ込めとけ。
「まあまあ、そういじけないの。ディアナもね、心中複雑なのよ。アタシは恨み辛みしかないけど」
肩をポンと叩かれ励ますように言われたが、どこらへんが励ましているのか分からない。
「私、何かしましたっけ」
「何かした……というわけではないが…、間接的にしたというか、存在が問題というか…」
という感じだな、とフェリシア殿は笑ってみせた。フェリシア殿が一番ひどいことを言っているとお分かりだろうか。存在を否定されたぞ。
「なぁに、その全く分かってませんって顔は。
まあ、いいけどね。カズキ直々に来てくれて、ちゃんと話せたし」
「え」
ディアナは呆れを隠さず、ため息を吐きながら首を横に振った。けれど、その口角は少し上がっていた。
「そうだな。有耶無耶にしてしまおうとしていたが、案外きちんと面と向かって向き合ってぶつけた方が楽になったよ。
動揺した面を拝めて、すっとしたし」
「ほんとそれ~。あちらばかりに余裕こかれたら、割に合わないもの。ざまあみろって感じよ。
アタシも黒歴史としてなかったことにしようとしたのに、真っ向から掘り返してさぁ。そんなことされたら、なかったことに出来ないよねぇ」
ふふ、カズキらしいね、と3人が微笑み合う。
「まあ、同時に惚気られた気もしないでもないですが」
ディアナが微笑みを引っ込め、けっ、と吐き出した。あれ、さっきまでの可愛らしいディアナはどこに。フェリシア殿がそんなディアナを窘める。
「まあ、そう言ってやるな。私達の任を考慮して、どっちつかず状態を維持してくれたのだから。枷が消えた今、どうしても舞い上がってしまうのだろうよ」
全く迷惑な話だな、とにこりとする。窘め……てるよね?
「なんだっけ~?『存分に特別扱いしたい』んだっけ?前からある意味特別扱いだったでしょ。」
「下手くそでしたけどね」
ディアナの言葉に、下手くそ!とクレアさんがケラケラと笑い転げる。
「下手くそだったから、今奔走しているのだろう。」
ざまあ!とクレアさんが声を一際大きくして笑った。
その中私だけがひとり、ポツンと取り残される。あの、と喉から絞り出した呼び掛けは掠れていて驚く。舌を湿らせた私は、平生の声色を思い出そうとする。
特別。特別扱い、かぁ。
「皆さんのところには、勇者さまが、いらっしゃったんですか?」
訝しげな視線が私に集まる。
「君の元に、来ていないのか?」
慎重に頷くと、一拍おいてふーん、という生返事が返ってくる。
「あたしは、二日前だった」
「私もだ」
「アタシなんか三日前だもんね~」
よく分からない競争すら加われない私は、唇を引き結んでやり過ごす。
なんで。
なんで私のとこには来ないのだろう。私のところだけ来ないなんて不公平ではないか。
それより何より、あの言葉はなんだったのか。あの言葉に縋って、馬鹿みたいに待っていた私は――
「ええ、クレアさんズルー」
「歳の順か」
「え?なんだって?フェリシア」
「けど、まあ、どうせ一番はリリアンヌ姫の元だろう」
「それは、そうでしょうね。それはカズキの責任ですから」
フェリシアを問い詰めるクレアさんを二人は放って会話を続ける。そうだ。この場には姫さまがいない。姫さまだけ、いない。
「リリアンヌ姫のとこには毎日通ってるらしいわ」
はあ!?とクレアさんの情報にフェリシア殿とディアナは叫ぶ。罵詈雑言が出てきそうな雰囲気だったが、結局彼女達は渋々ながら不平を飲み込んだ。
「しょうがないと思うしかないな。」
何故、彼女達が『しょうがない』と引き下がるのか私には理解できなかった。責任とは何だろう。どうやら私だけが知らないことがあるらしい。
「だって、あの人はあたし達とは違うしね」
違う、って何だ。何が、違うのか。
―――『存分に特別扱いしたい』。
そんな問いなど出来るわけがなかった。何も察せない馬鹿にはなれなかったが、確かめる勇気もないようだ。
「ねえ、おい。――ナツキ。
勝手に湿気た面してんじゃないわよ」
名前を呼ばれ、驚いて顔を上げる。ディアナが唇を尖らして頭をかいた。応えようとして口を開いて、そして閉じた。目線をじわりじわりと手元に戻す。
「いやいや。何を今さら誤魔化そうとしてんの。」
「……なんで知ってるの」
別にバレたって構いはしないが、隠していたという事実はバレたくなかった。ふふん、と笑うディアナに、情報源を聞くと後方を指差された。
「……ミナハさん。仕事があるなら、ちゃんと部屋でしたらどうですか」
後方はいつの間にかミナハさんの仕事場になっていた。私が視線をやると、こちらに気付いた彼は積まれた書類や資料の中からひらりと手を振る。
「お気になさらず」
そんなんでお気になさらないのは彼女達くらいだ。
「んじゃあアタシらそろそろ引き上げるわ」
「そうだな。この数日サボっていた分、やることが溜まっている。」
「あたしも言い訳考えなきゃ」
あんなに山盛りだった食べ物もお酒も粗方片付いている。ディアナの意外っぶりに気をとられていたが、たぶん一番食べたのはフェリシア殿で、一番飲んだのはクレアさんだ。どこに収まったのだろうとまじまじと彼女達のお腹を見る。ブラックホールか。
「そんなに忙しくて、どうして私のとこ来たんですか」
「だってあんた、そろそろ出ていこうとしてるでしょう。」
なんで、と言うまでもなく、フェリシア殿がディアナの言葉を引き継ぐ。
「あるお方がね、言いたいことは今のうちに言っといた方がいいって助言して下さったんだ。場と肴と監視は用意してやるから、とね。」
「また会うかもしれないし、会わないかもしれない。けど、取り敢えず言えるのは、この面子で肴付きでアンタに憂さ晴らしを出来る機会はなかなかないってこと」
憂さ晴らしって、だから私が何をした。声に出していたのか顔に出ていたのか、ディアナが私が来てから旅のピッチが上がったことを告げる。知らなかった。
「憂さ晴らし出来たかは分からないがな」
「あー、予定とは違う方向だけど、まあ出来たと思いますよ。カズキも巻き込んだ感じで」
そりゃあいい!とクレアさんが手を叩く。
結局、あなた達はどう決着が着いたんですか。
考えて考えて、私はそのあまりにも無粋な問いは外に出さないことを選んだ。気を使ったわけではない。問いがそのまま返ってきても困るからだ。私は結論が出ていない。
そしてフェリシア殿とクレアさんとディアナに挨拶をする。さようなら、今までお世話になりました。そんな感じ。
扉をくぐる直前、ディアナが突然こちらを振り返り、ズンズンと怒ったような足取りで私の元に歩みを進めた。表情は怒っているようにも苦虫を噛み潰したようにも――照れ臭そうにもみえる。
「これ、別に私の意思じゃないんだからね。あのコに頼まれたから、しょうがなく。」
ん、と手を出すように言われ、従う。そして掌にコロンと水の色をした薄い石のようなものが落ちてきた。
とても、綺麗な色をしている。
なんだか見たことのある色だとまじまじと観察していると、持ってて、と短く言われる。なんの物かも教えてくれない。
「じゃあ、また」
はいそうですか、と頷ける性分ではないのできちんと尋ねようと口を開くが、ディアナのぶっきらぼうな言葉に口を噤んだ。
―――また。
へえ、と思う。
私は、実はかなり彼女のことが気に入っているらしい。
「うん、またね」
応じるとディアナは暫し黙って、小さく舌打ちをした。相変わらず私に対してはツンが多目だ。
◆ ◇ ◆
私はミナハさんを待っている間に片付けに勤しんだ。
奴らは食うだけ食って、飲むだけ飲んで、喋るだけ喋って帰っていったのだ。知ってた知ってた。腹いせとか言ってたしね。
ここにはよく出来た召使いさん達がいるので、私が手を出したらかえって邪魔かもしれないが、私も食って飲んで喋ったわけだし、何より暇だし一緒に片付けさせてもらった。
片付けは予想以上に早く終わり、暇を持て余していると召使いさんが私にお茶を出してくれた。
「お待たせしました」
何が入っているのか当てっこをしているとミナハさんが私の隣に座って笑った。向かいの席空いてますけど。
ミナハさんにも同じものが出される。バラされた仕返しに何が入っているか問題を出せば、私と同点で6種類中5種類当てられてしまった。私は職業柄、薬草やらには詳しい。寧ろ同職の中でも得意な方だ。
何が言いたいかというと、ミナハさんにはそろそろいい加減にして欲しい。いい加減にして欲しい。
「はは。光栄です。」
趣味なんですよ、と微笑むミナハさんは、確か趣味なんですよ、といいながら毒の配合をしたり爆薬作ってみたり、古代文字を読んだりしていた。趣味なんですよ、と言えば済まされると思っているのか。
「ところでなんで私の名前バラしたんですか」
無言の訴えなど反応してくれるお方ではないので、観念して正面突破してみる。おや、とミナハさんは文字面は驚いているようなことは言ったが、その表情は相変わらずで全く驚いた様子はない。
「何故知っているのか、とは聞かないのですか」
「そんなつまんないこと、聞きませんよ」
「それは残念。とっておきを用意していたのに」
だから、残念と言うならばそれなりの顔をしろ。ふふ、と笑うミナハさんに一応、“とっておき”を聞いてやる。
「貴女のことが知りたくて知りたくて堪らなかったからです、と。嘘ではありませんよ?」
「でしょうね」
楽しそうで何よりだ。
ミナハさんにも騙されたと言えば騙されたのだが、何故かこの人のことを受け入れてしまうのだ。苦労仲間ゆえだろうか。まぁ、ミナハさんの苦労はハーレムだけではなかっただようだし、規模が違うので肩を並べるのもおこがましいのだが。
「で?その心は?」
「特に無いですよ。ただ、聞かれたからお答しただけです」
予想外の答えに、私としたことが一拍返答が遅れる。
「……誰に」
皆さんに、とミナハさんは相変わらずの微笑みで答える。ピクリともしない顔から目をそらしてふーん、と口を引き結んで頷いた。
「ああ、けど、勇者さんには聞かれてませんよ。
世間話に、そういうことを聞かれて、教えて差し上げたんですよって話したら舌打ちされました。」
「…舌打ち」
舌打ちさせるような言い方でもしたのだろう。まんまとそれに乗る結城くんもなかなか珍しいが。
「勇者さんのおかげでここ数日大層忙しいんですが、大分勇者さんとは打ち解けることが出来た気がします」
喜ばしいことです、とくすくすと笑うミナハさんを横目に、結城くんに同情する。ミナハさんが楽しそうだと、相手は大体楽しくない。まあ、いつものチートパワーで頑張って欲しい。
そういえば、私を呼ぶように手配したのはミナハさんだそうだ。要は、知りたいもくそもないと言うことだ。ほう、と目をミナハさんにやりながら頷くと、文字に表せる事実が全てではないでしょう?とどこ吹く風と笑いかけられた。
女性で高位の治療師を先のために探していたらしい。丁度いいし、力を見ておこうと思っていたそうだ。なるほどね。試されていたことにはちょっとイラッときたので、一睨みしておいた。
丁度いい、とは女性であることも含まれているのだろうか。それならば私は勇者のハーレム要員補助員だったわけだ。もう一度ほう、と目を眇めて頷くとすっと何かの権利書を渡された。これを振りかざせば近場の国なら国立図書館の入場許可などある程度の特権が得られるという。私は最後にほう、と頷くと目を閉じてそれを懐に仕舞った。しがない市民は権力に弱いのである。
「いつ出ていかれるおつもりなのですか?」
ミナハさんの言葉にむう、と片眉を上げてみせる。
「……人聞きが悪いなぁ。何?行かせたくないんですか」
「おや、軟禁してもよいのですか?」
それは助かります、とニコニコされる。ミナハさんに挑戦した私が悪かった。
「もう充分ですね。ところでどうしてそう判断したんですか?」
「第二重要図書、なかなか面白かったでしょう?」
そこまで把握されているのか。優秀な召使いさん達だ。
「その節は」
「いえいえ。
こちらの都合上、貴女には数日は城に居て頂かなくてはいけなかったので、それくらいはいくらでもしますよ」
黙認されるってことは、お役御免らしい。第二重要図書で釣るほど、私に何の役目があったのだろう。内容を聞くつもりはない。蛇が出てくると知っていて藪をつつくほど私は愚かではないし、強くもない。
「戸籍は置いていってくれると有難いです。飽きたらいつでも帰ってきて下さいね。
ではまた。」
いつも通りに笑って、ミナハさんは私の手の甲に恭しくキス落とした。
「……なんでディアナの『また』とミナハさんの『また』はこんなに違うのだろう」
「下心の差じゃないですか」
なるほど。
「あ、あと、最後に一言。
私は公平な人間ですからね、同じ言葉を貴女にも差し上げます。」
場と肴と監視は用意して差し上げられないんですが、許して下さいね、とミナハさんは笑った。