06.対峙のち、喧騒
それから私は別室へ案内された。取り敢えず必要な調度は揃えられてあるし、生活にも困りそうにない。断ったので常駐というわけではないが、召使いさんもいて至れり尽くせりだ。外に出るのも大体着いてきてくれる。確かに精一杯身も心も粉にして国に奉公したが、身分も持ってない私には明らかに見合っていない。称号の行方も分からないし。
心当たりは多々ある。試しに国立図書館の第二重要図書の貸出しは可能かと尋ねてみた。是という返事はすぐ返ってきた。どうやらこの待遇に関わっているのはミナハさんらしいと分かり、ひとまず安心する。二重三重の理由がある可能性は考えたくない。何か私の好みにそぐわないギラギラした宝石だの装飾品類の贈り物があった気がするが私は見なかったことにした。確実に某勇者のせいである。
取り敢えず私は頭をすっからかんにして、開き直ってゆっくりさせてもらった。お供は第二重要図書である。
なんだかんだと結局私は数日間城にいた。誰も彼も忙しそうで行動がなかなか起こせなかったのだ。さて、と思ったときはいつもまた新しい興味深いものが追加されるし。召使いさんもよく躾られている。
その間私のもとに二組の客が訪れた。
暖かな日差しを元に窓辺で優雅に本を読んでいると、突然影が落ちた。はて、と思って振り返ったその先に人間がいると誰が予想するだろうか。ここ、何階だと思ってんだ。なかなか立派な塔の最上階だぞ。
そんなド派手なクレアさんの登場の後、ガヤガヤと姫さまを除いたハーレム組――元、とつけるべきなのかどうなのか――が私の豪華な部屋に我が物顔で入ってくる。久しぶりの眩しい顔触れだ。そして、彼女達の後ろからお酒や美味しそうでカロリーが高そうな食べ物がガンガン運ばれてくる。パーティーでもするのか。何故この部屋で。
どうしてここにいるんだという私の問いに答えてくれる者はおらず、彼女達は酒を片手に勝手に恋バナ大会を始めた。イジメか!イジメいくない!
何が怖いって後ろでミナハさんがニコニコして茶飲んでるのに誰も突っ込まないのだ。彼女達にとってのミナハさんの立ち位置が気になる。やっぱり狸かな。狐かもしれない。
クレアさんが懐から立派なくじを取り出した。質量保存の法則を無視している。四次元ポケットかな。空気を読んで私も引こうとしたら取り上げられた。てめぇなんかの恋バナなんぞ聞きたくもねぇ、と吐き出される。ディアナに。口調どうした。じゃあ、と空気を読んで部屋から出ていこうとするとフェリシア殿に捕まって強制送還された。どうしろってんだ。
「では、私から」
フェリシア殿がその長いおみ足を組んで語り始めた。いつもはきっちりと結われているプラチナブロンドは、今日はそのまま流されている。
「私は、まあ……見目から分かるだろうが、どうも女扱いされなくてね。寄ってくるのは女の子ばかり。いつの間にやら“氷のプリンス”と呼ばれるようになる始末」
腕を組み、雪のように真っ白な頬に手を当て、青みの強い瞳を伏せ、憂いを浮かべるフェリシア殿は正に“氷のプリンス”だ。だが、
「そうされるように突っ張っていたというのが本当のところだから、本望と言えば本望のはずなのだがな」
そうおどけて笑う彼女もホンモノだ。
瀬名夏月の世界でもナツキの世界でも程度の差こそあれ、女というハンデは大きい。騎士なんて正にそうだろう。
「そうやって気張っていたものだから、お国の命令はなかなか効いた。“オンナ”を理由に貶められたと思えば、利用され、――結局自分はその程度の人間なのだな、と。」
フェリシア殿は伏せていた瞼を上げると、黙って聞いている私達に、フッと笑って見せた。
「八つ当たりでカズキに決闘挑んで、滅多うちにしたのはいい思い出だよ。」
それから私がカズキに手取り足取りで剣教えたんだ、とフェリシア殿はドヤ顔で語る。あの力より技に重きを置いて、容赦なく急所を狙う戦い方はフェリシア殿直伝だったのか。なるほど。いや、けど決闘って。
「あれはとても面白い男だな。
自分の不利に追い込まれても、性を持ち出して貶めたりしない。女の癖に、これだから女は。あの者の口からはそのような言葉すら出てこなかった。変に女扱いしないが、女の性を尊重しようとする。あの者と接していると、性に執着しているのは寧ろ自分なのだと、心底馬鹿らしくなる。」
くっく、とフェリシア殿は一頻り声を出した後、ふう、と息を吐き出した。そしてゆっくりと目を閉じる。秒数を数えれば大したことはないだろう。だが、その数秒の間に彼女の瞼裏には沢山の情景が流れているのだろう。そんな彼女に魅入っていると、彼女の瞼からあらわれた深い青と目が合ってしまった。慌てていると、フェリシア殿は小さく微笑んだ。その美しさといったら、――
「以上だ」
「え~。そんだけ?足んないわよ!もっと酒飲みなさいよ。最後なんだから吐け!」
クレアさんがぐいぐいお酒をフェリシア殿に押し付ける。因みにお酒の入れ物はグラスとか洒落たものではなく、量重視のマグだ。
「え……最後?」
「しゃーないわねぇ。じゃあ次はアタシね!」
またもや無視。だからイジメいくない!
クレアさんはマグを片手にソファにふんぞり返る。もうアルコールが回ったのか顔が赤い。潤む瞳とか酔った症状だと分かっていても目に毒だ。女子会とはいえ、その豊満な胸を強調する格好はやめて欲しい。…ちょっと待て、ミナハさんどうした。
「アタシはー、二重スパイしろって言われてたんだけどさー」
「よくそんなんで最初からスパイだって名乗ってましたね。てか、そんなん言っていいわけ?」
ディアナが自身の顔くらいの大きさの肉を頬張りながら、呆れたように言った。そしてハッとしたように、別にアンタの心配をしてるわけじゃないんだから!と突然のデレを発動する。二重には突っ込まないんだ?
「んー。ま、今日は全部ゲロって、切り替えるって決めてたし、いいんじゃない?
別の国から依頼は断ってたし、ただの国内の小競り合いだしいいかなって。それに結局することは同じだし、寧ろあけっぴろに言ってた方が面白いじゃない。」
こんな美貌持っといて過去になんにもありませーん、とか不審でしょ。とクレアさんはきゃっとしなをつくってみせた。
「なんかアタシの他にも色々送り込まれてたみたいだけど、ウブと堅物とぶりっこでしょ?確実にアタシが一番ソウイウのに長けてるし、楽勝だなって舐めてかかったのよね」
隣と真向かいから発される殺気を物ともしないクレアさんは強いな~、と思いながら私はソファの端に寄った。触らぬ神に祟り無し。
「そしたらさ、もう、全ッ然。
カズキのアレは反則だわ。どうみても温室でぬくぬく育った純情好青年で、それなりに照れたりするくせに最後にはするっとかわすの。で、変に紳士だし、素面でクサイこと言うし、調子狂うったらないわよ」
クレアさんのお酒のペースが尋常じゃなくてドギマギする。こっそり度数の高いものは隠していく。それにしてもどのお酒も高価なものばかりだ。料理も彼女達が用意したとは思えないレベルの豪勢さだし。出資者は誰だろう。
後ろでミナハさんが同じものを優雅に食べていたが、私は見なかったことにする。
「腹が立つったらありゃしない!
こんな!美女が!ぼんきゅっぽんが!経験豊富なオネーサンが!迫ってやってんのに!
あんなチョロそうなガキんちょ落とせないとか、私のプライドが許せんわ!」
酒!と叫ぶとクレアさんはまた新しい瓶を開ける。ちょっと待て。それさっき私が隠したヤツ。
「ってもさー、あんたなんだかんだ言って押し倒したことないでしょ?」
なぁに純情ぶってんのよぉ、ときゃらきゃらとディアナが腹を抱えて笑った。わざとだとは分かっていたが、ぶりっこ時との差が酷い。クレアさんが盛大に酒を噴水のように吹き出す。だから、ここ私の部屋だって。フェリシア殿はクッションを盾にしないで欲しい。
「るるるる、るっさいわね!?」
いつも余裕を崩さないクレアさんの声が裏返るのを初めて聞く。いつもは色っぽさを演出したいのか低めだからこんな高い音は珍しい。実は割りと可愛い声をしている。
「そ、そんな誰でも簡単に落ちるようなことしたくなかっただけよ。腹が立つからこそ、正攻法で勝ち取りたかったのよ。」
「はぁん。そうですか。」
ディアナのにやにや顔にクレアさんは言葉も発さずにただクッションを投げた。なんで食べ物が散乱する場所でそんなことするかなぁ!
「まあ、あたしは押し倒しましたけどね」
ピキリと空気が固まるのを肌で感じる。
言葉を発したディアナはどこ吹く風とケーキを自分の皿に入れる。いつもはダイエットと叫んで食べるものにも食べ方にも気を使っているディアナだが、今日は肉と油ものと甘味というあり得ない組み合わせで食べている。見た目上はなんともない…寧ろ砕けた対応で生き生きしてるように見えるが、要はそうではないということだろう。
金縛りをなんとか解いた私達は目だけで作戦会議をする。なんてことない、二人が私に厄介役を押し付けただけだ。
「……あー、押し倒すってあれかな?ラッキースケベみたいな?」
はは、と冗談を交え尋ねると無言の訴えが前方二人から送られる。押し付けた奴らは引っ込んでろ。
「らっ……って何よ」
しくった。
どうしたもんかと笑っていると、フェリシア殿が思い出したように声をあげた。
「あ、私は知っているぞ、らっきーすけべ。カズキが言っていた。
あれだろう。『偶然のお導き』という意味なのだろう」
「そうなの。じゃあらっきーすけべではないわ」
美女達にに何言わせてんだ、某勇者は。そしてなんという説明。結城くんの必死さが伝わってくる。
使ったってことは、『偶然のお導き』、あったんだろうなぁ。流石主人公気質。
後方で語録を持ってくるように召使いさんに頼むミナハさんの声がした。ミナハさんが結城くんを使って勝手に異世界語録(名言含)を作っていたのは知っているし、私も結城くんをからかうのにそれにお世話になったが、ちょっとこれは頂けない。「おや、お久しぶりですな」「これはこれは。本当ですな。らっきーすけべですな」なんて挨拶聞きたくない。
「普通に意図的にやったのよ。こっそり忍び込んだら攻撃されちゃうから、堂々とね」
「何!?それでカズキ入れてくれたわけ!?」
見損なったわ!とクレアさんは瓶を机に叩きつけるように置いた。そんならアタシもやればよかった!という叫びはいらなかったと思う。
ちっちっち、とディアナは首を振って、鼻で笑って見せた。
「こちらはオバサン方とは違って若さと可愛さ、そして泣き落としを持ってるもんでしてね。
『ちょっと相談事があるの…。誰にも聞かれたくなくて…カズキにしか頼めないの、ねぇ、お願い』
って目ェ潤まして言えば楽ショーですよ」
ご丁寧に再現まで入れる。む、確かに可愛いんだよ、これが。
「プライドを優先してしまうあんたらは出来ない芸当でしょうがね」
思うところがある各々は、押し黙る。ディアナはそれを眺めた後、耐えきれないように吹き出した。
「そんな愉快な面しないで下さいよ。折角食べたものが出ちゃうじゃないですか」
「もっと言葉選んで」
一頻り腹を抱えて笑い転げたディアナは、深呼吸をしてなんとか我を取り戻す。そんなに面白かったのか。
「まあ、安心して下さい。
あんたらがカズキにそう出来ないのと同じように、あたしも押しきれませんでしたから。」
「……。」
にこりとして手を振ってみせる。そういう話ではないのだが、適切な言葉を選ぶことも出来なくて私達は微妙な顔をして押し黙った。
「あたし、竜の里出身じゃないですか。
竜との契約って基本、親から子へと受け継がれていくもんで、ひとつの契約に家族全員がしがみついてたりするんですよね。新しく契約もぎ取ろうってもんなら、一族総出で大変な労力払わなきゃならない」
竜は年々減っていっているという。特に白竜など伝説に登場するような強いものはまだ存在するのかも怪しく、それに相成り竜を操る者の数も衰退の一途を辿っているらしい。
私もセレモニーなどで遠目にしかみたことなかったし、パーティーに加わってからは結城くんに頼み込んでしがみついて駄々こねてやっとみせてもらえたくらいだ。因みに見せてくれたのは立派な白竜だった。――某チートの話は止めよう。チートって便利な単語だよね。
「あたしは受け継ぐ竜もいなけりゃ、手助けしてくれる一族もいないもんだから、割りと面倒な立場にいたんですよね。閉鎖社会なもんだから、竜が全てで、竜と契約しているかしてないかで社会的地位が全く違うんですよ。里も狭けりゃ、視野も価値観も世界も全てが狭い。上からの命は絶対。」
だから今この場にいるんだけど、と苦々しそう吐き出すと、ディアナは果実酒を煽った。アルコール濃度は少な目のものだが、酒が嫌いなディアナが飲むのは珍しい。
「里を出るという選択肢は考えなかったのか?」
フェリシア殿がおずおずと口を開く。その言葉にディアナはパチリと目を瞬き、理解するやいなや大きく口を開けて笑いだした。今日のディアナは笑い上戸だ。いや、ここにいる皆が、そうか。
「ははっ。全くですね。
けど、それはあんたらだから出来るんですよ。なんかあたし、借金あるらしいし」
「…軽率なことを言った。すまなかった」
フェリシア殿の白磁の美しい肌に青みがさすのに気付いたディアナは慌てて弁解する。
「あ、嫌みじゃない、嫌みじゃない。
あー、なんというか……借金もあるんだけど、まずね、あたしらに“里を出る”っていう選択肢は思い浮かばないんですよ。これが洗脳教育のすごいところっていうか…」
だから別に怒ってるわけじゃないんだからね!とピシリと指差し仰られる。ちょいちょいデレ挟むな。
「まあ、契約竜もおこぼれながら手に入れたし、これでパッパと金返してまたこれからを考えますよ」
ディアナは軽い調子で言うと、肩を竦めて見せた。ディアナなりに気を使っているということくらい分かるが、どうしても我慢ならなくて口を挟む。
「“おこぼれ”はディアナを選んだあのコに失礼だよ」
「……。」
「うわ、アンタなんで今突っ込むかな」
クレアさんに小声でどつかれる。大丈夫です、反省は今すごくしてる。口から出てしまったものは戻せないから、せめてもの意地で澄ました顔を張り付けているだけだ。
私はどういう縁かそのコとディアナが契約する場にいたのだ。結城くんもいたけど。確かにきっかけは結城くんの白竜だけど、あのコ――小柄ながら綺麗な色を持つ水竜は自らディアナを選んだのだ。
ディアナは私を暫く見つめた後、舌打ちをした。
「……るっさいわね。分かってるわよ。言っとくけど、あんたが想像してる以上にあたしはあのコを大事にしてんだからね?」
分かってる。だから、駄目だと頭で理解してても口を出してしまったのだ。ディアナはもう一度舌打ちをすると、ふいっと顔を背けた。
「ちょーっとあのコに気に入られたくらいで調子に乗んじゃないわよ。別にあんたのおかげだなんて、思ってないんだからね!」
「え?私、気に入られてるの?おかげ?」
「………で、話を戻すわよ。なんだっけ」
そうですよね。私が質問した途端無視するんですよね。そこは通常運転だな、安心したよ!
地味ながらこっそり恨み言を言おうとすると、フェリシア殿に口を塞がれた。そんな警戒しなくてもいいんじゃないですかね。確かに私はディアナに対して口が緩いけど。
「“外へ出る”っていうあたしにとっては当たり前じゃなかった選択肢も貰いましたし、上手くやりますよ」
ディアナの言葉の節々にいくらかひっかかるが、これで終わりとばかりに食事に集中されると聞くことも出来ない。
私はディアナとの距離の取り方を測りかねているらしい。言い換えれば、測ろうと足掻くくらいには無関心ではないということだ。
私は取り敢えず目の前にあったキッシュに手を伸ばした。食べていれば、口を開かなくても不審ではないと思ったからだ。たぶん、とてつもなく美味しい。頭に『たぶん』がつくのは、頭の中では彼女達の話が繰返し繰返し流れているからだ。
私に、どうしろと。