05.告白のち、対峙
「…ごめんね。向こうに私は、もう、……いないや。
結城くんがこちらにきた日に、私も、向こうから、いなくなってるんだ」
言葉選びとは難しい。誤魔化すように笑おうとして失敗する。
「そっ、か。」
数拍置いて、結城くんはまた、そうか、と頷いた。それは驚きの色もあるが、それだけではないようにも思う。
「…知ってた?」
「知ってはなかったけど、まあ……あー、けど、やっぱりくるなぁ。」
目線を少し下に落とした結城くんは、くしゃりと前髪を掴んだ。
「瀬名、俺がこちらにいることにすげぇびっくりしてたろ?あっちで俺がいなくなったこと知らなかったみたいだし、俺がどうなった、どうなるかも知らないみたいだった。
まあ、未来を知るっていうのはタブーだろうし、そこらへんは調整してあったりするのかなとも思ったけど、」
言葉はそこで切れる。結城くんは観念したように、顔を上げる。視線で私をしっかり捕まえた上で、眉尻を下げ苦笑を溢した。
「ごめん、うそ。
俺はたぶん、希望を失う可能性を考えたくなかったんだと思うよ。
冷静に考えれば、さっさと瀬名から今後の俺のこと聞いといて、対策練らなきゃならなかったんだろうけど…。
考えたくなかったんだろうな。目を反らしてた。」
格好悪いなぁ、と結城くんが独りごちる。そんなまさか。格好悪いのは私だ。
「そんな。私こそ、ごめんね。終わった事実なのに、自分のことばかりを考えて、ごねて役に立つこともしないで。」
自分のしでかしてしまったことを今更思い知って、心臓が冷えていく。ああ、本当に、やってしまった。弁解の余地もない。
「……ちょっと待って。それは、」
「勇者さん」
後ろから声が聞こえる。肩に手が置かれ、そちらに視線を送った。ミナハさんだ。いつも落ち着きを払った彼にしては珍しく、少し息が上がっているように感じる。だが、その理由を追究する余裕は今の私にはない。
「勇者さんはどうぞ、こちらの世界のことなど気にせずご自分の思いのまま、帰って下さい。本当に申し訳ないことをしました。貴方も積もる思いがあるでしょうが、どうか収めて頂けませんか。
貴方に録な説明も出来ない者達は、これでもこの国の身内のひとりなのです。」
ミナハさんの言葉に結城くんは表情をぴくりとも動かさない。そんなことでは済むわけないだろう、と口を挟もうとすると、ミナハさんはうっそりと笑みを深くした。
「身内のことは、身内で片付けます。部外者のお手は、煩わせません。
だから、どうぞ気にせず、思いのままにして下さい。」
ミナハさんがただ者ではないことは分かっていたが、実際にそれを目の前にすると、どうしても気圧とされてしまう。
一旦その深い笑みを引っ込めたミナハさんは、いつものようにお手本のような笑みでにこりと笑った。
「ああ、もちろん、ナツキも“身内”のひとりですから」
ドンと地面が揺れた。足元からビリビリと伝わってくる衝撃に歯を食い縛る。
音の方を見ると、視界にあるのは結城くんと床にのめり込んだ剣。剣を床にぶっさしたようだ。信じたくないが、突き刺しただけでこの衝撃。床の壊れ具合と振動が比例していないことに、相変わらず結城くんは器用だなぁ、と現実逃避する。振動を増幅したのかな。床への衝撃吸収だったらどうしよう。
「お前はお呼びじゃないんだよ。」
取り敢えずその手を退けろ、と吐き捨てるように言うと、結城くんはミナハさんを睨み付ける。私は必死に驚きの悲鳴を飲み込んだというのに、向けられた本人、ミナハさんはどこ吹く風と顔に張り付けた笑みをぴくりとも動かさない。それがまた結城くんの癇に障るのだろう。彼は米神を引き攣らせた。まだ握られていた手がくいっと軽く引っ張られ、私の肩に置かれていたミナハさんの手の感覚は消える。
それなら、とミナハさんが口火を切る。
「私に楯突く前に、することがあるのではないですか?」
「……。」
ミナハさんの言葉に結城くんは苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。そして、ちらりとこちらを見る。その視線の意図を量る前にそれはそらされる。寒くなった右手は、自身の左手で握りこむことでやり過ごす。
結城くんは踵を返し、王達の正面に立ちはだかった。今まで彼が王に尻を向けていたことには気付きたくない。
「あなた方のおっしゃる通り、俺はこちらに残りましょう。ただし、あなた方が俺に命令する権利はありません。行動を制限する権利もありません。一応俺はこの国の元勇者、という立場にいましょう。あなた方にも同意すれば協力します。」
国の中枢達に真っ直ぐ視線を向け、結城くんは凛と声を張って告げた。結城くんは相手の様子をつぶさに観察する。そして、ふ、と目を伏せ、どこか自嘲気味に続けた。
「俺はただの若造です。あんたらの半分も生きていない。特にこの世界では赤子も同然です。舐められてもしょうがないですよね…。」
どうしたのだろうと戸惑っていると、けれど、と声に力強さが戻る。
「けれど、あんたらが騙してでも欲しいくらいの価値はある。赤子にはとても見合わないレベルのね。それに、俺がこの数年間、のうのうと為されるがままに大陸中を旅をしていたとお思いで?」
おい、誰だよ。この偉そ……しっかりした勇者様は。驚くほど芸が細かい。私の知ってる結城くんはいつの間にかハーレム作っちゃってる、優しさと優柔不断さを合わせもってるちょっとおしい人だったはずなんだけど。
「あと、瀬名のことどうこうしたら、即見切り付けますよ。
そう言えば、俺、あの国に結構興味があるんですよ」
あの国、と少し勿体ぶった後、具体的な国名を挙げる。また絶妙な例を挙げるな、この勇者は。
そこはこの国と割りと仲良くしている国だった。――一般的な見解では。そことはある程度国力が等しく、更に言えば気持ちこちらの方が上だ。勇者一人で充分そのヒエラルキーは覆せるだろう。
この結城くんにとって大事な場面で突然自分の名前が出てきてびくりと肩が揺れる。それはどうなのだと口を挟もうか迷っていると、まぁ、と結城くんは少し声色を明るくした。安心してそちらをみると、ピシリと固まってしまう。確かに笑ってはいる。笑ってはいるのだが、
「まぁ、何にしても、今後のあんたら次第ってことですよね」
うわー。黒い。笑みが黒い。
そんな大口を叩いて大丈夫だろうかとどぎまぎしていると、後ろから堪えきれないというように吹き出す声が聞こえた。ミナハさん!あなたの国のことだよ!?悠長に笑ってていいんですか!?
「いや、大丈夫だよ。
私、もうこの国にいるつもり、ないし。元々、他国には行ってみたいと思ってたんだ。わ、私の腕ならどこでだって食っていけるし。」
私が慌てて言い募ると結城くんは不満そうな顔をする。だいたい上との交渉に私の名前を出すなんておかしい。私の身まで結城くんが背負うことないのだ。そんなおんぶにだっこされるいわれはない。されて堪るか。
それより。
「結城くんは、本当に残るつもりなの?」
声が震えるのを必死に抑える。彼の目を覗き込んで尋ねると、結城くんは瞳を瞬かせる。そして瞼を閉じるとゆるりと口元を緩めた。
「もちろん。二言はないよ。向こうに瀬名がいると思ったから、帰ろうかなって思ってたけど、いないならいいや。それに、」
軽い調子でそこまで告げた後、一旦結城くんは口を閉じる。それに?と声のトーンを落として促せば、やっと続ける。
「二十数年もたったら、ある意味あの世界も異世界だよ。あまり、想像したくないけど、そんな長い間行方不明だったら…。まわりも扱いに困るかもしれないよなぁ。同級だった奴らはもうとっくに大人になってるだろうに、俺はコレだろ?俺……異端者みたいなもんだよな」
これほどまで自分の語彙力の無さを恨んだことはない。言葉を探して床を睨み付けても全く浮かんできやしない。いつもはあれほど無駄口を叩いているというのに、肝心な時に役に立たない。
瀬名、と上から名前を呼ばれる。イヤだ、と首を振るがもう一度促されおそるおそるといった体で顔を上げた。結城くんの瞼は持ち上がっていてその瞳に自分の姿が映る。
「確かに、戻りたいっていう気持ちもあるし、会いたい人もいるけど……それは瀬名も一緒じゃん」
違う、という否定の言葉は喉に張り付いたまま出てこない。脳裏に浮かぶ沢山の人の顔に心臓が破裂してしまいそうだ。
「……っ、でも、」
私は結城くんと違って短いながらも確かにその一生を終えた。そしてこの世界に生を受け、少し特殊おまけ付きではあるがこの世界で食べ、眠り、人と出会い、笑って涙を流した。私は疑いなくにこの地で生きている。
「うん。」
結城くんは柔らかく目を細めた。何に頷いたのかも分からないがその声色にストンと心が落ちた。
けれど、向こうでも、確かに私は生きていた。そして沢山のものを置いてきた。
記憶などそう簡単に捨てれるわけがない。それが如何に不利益で邪魔なものだとしても、私は“瀬名夏月”を捨てることは出来ない。
「あとさ、もうひとつ。終わったことだなんて、言わないで。その言い方は、俺も悲しい。
希望を失う可能性に怖気付いてた俺に気を使ったげて」
結城くんはおどけたようにそう言った。その言葉の意味を理解するのは容易ではなくて、理解するのに時間を有し、またそれに頷くのにまた、時間を有した。
「……う、ん。」
小さく頷き返すと、彼は満足げにこちらに手を伸ばした。撫でると形容できるかも分からない程度にそれは私の髪にさらりと触れる。つい身を固くするが、結城くんは腕をさっさと引っ込めて誤魔化すようにカラリと笑った。
あの美人達相手にこれくらいのこと平気でしてたのにねぇ、なんて言えばきっと結城くんのガラスのハートは壊れてしまうだろうから黙っといてあげよう。
結城くんがガラスのハートなら私は何だって言うんだ、ってことになってしまうし。
同じように口角を上げて誤魔化しに乗ろうとするが、あえなく失敗する。唇を引き結んで黙っていると、結城くんはまた柔らかく目を細めた。
さて、と結城くんは顔を上げ、あたりを見回す。結城くんの呆れたような顔に、はてと首を傾げる。
「…ごめん、瀬名。一旦お開きにするな?」
そう結城くんが言った瞬間、雑音が耳に入ってくる。あたりを慌てて見渡すと、少し離れた所にいるミナハさんと目が合う。その顔に浮かぶのは苦笑の類いのもので、一度話に入ってきたときの彼の様子を思い出し、まさかと口を開けた。
目の前のことに必死で考えに至らなかったが、そういえば周りの存在を忘れていた。忘れていたのは、感じなかったからだ。つまり、
「え…?結界…?」
つい漏れた呟きに、結城くんが照れたように笑った。
「ちょっと鬱陶しかったから」
表情と言葉が激しく一致していない。
あまり考えたくないが小細工も沢山仕組んであるようだし、それを詠唱なしでとか相変わらずのチート具合だ。とはいえ、そんなことも気付かなかった私の間抜けさは弁解のしようもない。如何に自分が一杯一杯になっていたか分かる。恥ずかしい。
もしかしてハーレム要員たちは。野次馬たちは。――国王たちは、と考えるだけでも恐ろしい。途中で外野が空気化してたのも、とそこまで考えて思考を打ち切る。いや、だってまさか。
あーでもないこーでもないと敢えて思考をずらしていると、とんとんと軽く肩を叩かれる。私は渋々この羞恥の元凶を見上げた。名前を呼ばれた気がするが、周りが煩くてあまり聞こえない。確かにこの中で呑気に話をするのは難しそうだった。
羞恥と周りに気をとられていた私は油断していたといえば油断していた。気付いたときには距離は詰められていた。
驚きでつい肩を竦めると、ふ、と結城くんの笑む音が耳を擽る。そうしてやっと、この煩い中で息遣いさえも聞こえる距離にいるのだと考えが追い付く。
なんで笑われなければならないんだ。当たり前じゃないか。そんなことされたら。自分の意思と関係なく、心拍数が上がり、身体が固まるのだ。それがどんなにもどかしいものか。
ああ、絶対最後の笑みでまた悪化した!
そんな胸中で叫ぶ悪態などお構いなしに、結城くんは一言言葉を放った。
「瀬名、―――」
ああ、どうしよう。もう、到底ゴミ箱に大人しく入ってくれそうにない。
私の中にどっかり居座ったのは、向こうの思い出だけではなさそうだ。
全部全部、彼のせいだと、私は胸中で八つ当たりするしかなかった。