03.傍観のち、尋問
ふと、目が覚めた。
「……しまったなぁ」
掠れた声がぽつりとこぼした。
ああ、寝てしまっていたのか、とぼんやりと天井を見ながら思った。久々の屋根付きの寝床につい飛び込んでしまったらそのまま寝落ちしてしまったようだ。もう眠くはないがすっきりもしていない。うたた寝特有のの気だるい感じが体にのしかかる。
しまったなぁ、ともう一度口の中で呟いた。
私はうたた寝後の虚無感というのか、ぼうっとした心地が苦手なのだ。いつの間にか眠りに落ちていて、なんとなく目覚める。それがとてつもなく苦手だ。何か失ってしまったかのような気分になる。実際時間も失っているし。気付かない内に意識を失ってしまうわけだから、自分のしていたことも居場所も一瞬わからなくなる。
就寝は勿論、昼寝など意識して眠るときにはそのような心地にならないから不思議だ。まあ、そちらが大丈夫なら生活に支障はない。
私は気持ちを切り替えるように深く息を吐いて、上体をがばりと起こした。
誰かと、会いたい。
喋ってそれに応じる。目を見合わす。笑って笑い返す。そうして確かめたくなる。
よし、と腰を上げると狙ったように扉が叩かれた。トントンで二拍置いてトンはパーティー内で取り決めた合図だ。
誰だろうと思いながら扉に歩み寄ると、予想だにしない声がこちらに伺いをたてた。確かに、誰でもいいから会いたいと言った。だからって、と顔が渋くなるのがありありと自分で分かる。
私は顔を取り繕った後、扉を開けた。その人は強張った顔でそこに立っていた。後ろにはお供が三人。強張っている所以はまだ分からない。その人はぎゅっと自身の手を握り混むと、きっとこちらを見上げて言い放つ。
「貴女は一体、何なのですか!?」
少し声が上ずっている。怒りかな、と見当をつける。
「ええと…取り敢えず、お入りになられますか?」
(一応)お忍びという体 (らしい)なので目立つのは避けたい私が目の前のお方に控えめに提案すれば、御仁ははっと気付いたようにばつの悪い顔で足を踏み入れた。少し周りが見えなくなっていただけらしい。
御仁が入ればお供も供をするわけで、ぞろぞろと三人中二人が御仁に着いて入ってきた。一人はドアの外で見張りだ。
「お邪魔します」
「あ、いえいえ。狭いですが…」
ほんとに狭いな。
私の豪勢とは言えない控えめな部屋が更に小さくみえる。服装はある程度周りに合わせているとはいえ、やはり生まれもっている雰囲気は隠せていない目の前のお方と、ぶっちゃけ粗末な部屋とのミスマッチがすごいことになっている。
私は部屋の隅にあった存在感の薄い椅子を引っ張ってきて御仁に席を勧めた。失礼承知で私は目の前のベッドに腰かける。御仁を立たせたままなのも、私の方が御仁より目線が高いのも不味いのだ。お供の方には申し訳ないが立ったままでいてもらう。
しん、と静まり返った中で最初に口を開いたのは、勿論ここで一番偉いお方。
「貴女は一体、何なのですか」
姫さまである。
治療師でーす、なんて言ったら流石に睨まれるだろうと瞬きひとつ分の間に考える。
「何なの、とはなんでしょうか?」
「しらばっくれないで下さい」
しらばっくれる、なんてきっと前の彼女なら知らない単語だっただろう。使ってみたかったのだろうか。そういうところが、可愛いんだよなあ。
しらばっくれて――もとい、誤魔化してなどいない。ただ、予想と違って欲しいなという乙女のささやかな願いである。だからそんなに寄って集って睨まないで頂きたい。
「カズキ様のことですわ」
乙女のささやかな願いが潰えた。
「はあ。勇者さまですか。
……前も一度説明させて頂きましたが、以前勇者さまに助けて頂いたことがありまして、」
「そんな誤魔化しはいりませんわ」
私の渾身の説明はピシャリとはね除けられる。どこが気に入らないというのだ。嘘なんてついていないのに。
「カズキ様と貴女の関係は、とてもそんな軽い関係とは思えませんわ。」
助ける、だなんてなかなか大層なことだと思うのだが、軽いと括られるほど結城くんはそれをしているのだ。
そりゃあもう、某勇者はほいほい助けるのだ。誰でも。端から見ててドン引きするレベルだ。何が恐ろしいって、本人は特に救おう、と思ってやっているわけではないのだ。どこのマンガのヒーローだよ。物理的ならまだしも、精神的にも無意識のうちに救っちゃうのだ。だから、どこの。各話ごとに違う女の子を助け、仲良くなる系主人公を思い浮かべて貰えばよろしかろうと思う。あれを素でやるのだ、某勇者は。
「どうしてそう思われるのですか?」
さてどうしたものか、と考えていると、強い光を宿していた姫さまの瞳が小さく揺れた気がした。私が驚いて二度見を試みたときには、姫さまは澄ました――“姫様”の顔に戻っていた。
「貴女に答える義務はありません」
「……そうですか」
言っていることも行動も無茶苦茶だが、彼女にも見栄があるのだろう。私も人のことは言えないので、同じように澄まして応じる。
(……私が言えたもんではないけど、)
可哀相に。
彼に惚れた――惚れてしまった人はさぞしんどいだろうな、と思う。
彼は優しいと形容していいだろう。その優しさが何からくるであれ、奴はあまりにソレが上手すぎる。大体の者は、落ちてから気付くのだ。
なんだ、自分だけではないのか――と。
決して自分は特別ではないのだと、気付くのだ。
特別ではない優しさに、なんの意味があるのだろう。強欲な人間達に、『ただの』優しさなど意味はない。
気付いてても、落ちるものは落ちるのだから、そこをグダグダ言ってもしょうがないが。しょうがないのだ。
「わたくしは、」
姫さまが口を開いたのをいいことに、私はそちらに意識を集中させる。そんなもの、いくら考えたところでどうしようもない。
姫さまは慌てたように小さな口を押さえた。つい出てしまったのだろう。視線が忙しない。
私が聞きたかろうが、聞きたくなかろうが、私が今言葉を発することは許されていない。黙って待っていると、姫さまは一度深呼吸をして背筋を伸ばした。床を睨み付けていた瞳がこちらに向く。小さな白い手がぎゅっと握りこまれるのを視界の端で見つけた。
「わたくしは、――わたくしも、カズキ様に救われたのです。」
ああ、やっぱり聞きたくないかもなぁ。
姫さまの真っ直ぐな水色を見ながら、私は胸中で呟いた。
「わたくしは、その……あまり、国王に似ておらず、母もただのメイドで、その……王宮はあまり居心地がよいとは、言えませんでした。」
この世界は前世の日本のように一夫一妻制ではない。死亡率が高いここで、そんな悠長なことは言ってられないのだ。とはいえ、何人もの妻を囲えるのは金持ちだけ。王様は言わずもがな。ここには本物のハーレム、日本風に言えば大奥があるのだ。
如何に早く産まれるかで待遇が違う熾烈な戦いの中で、そういうのは格好のいいがかりになるだろう。だから、姫さまみたいな境遇は珍しくない。
珍しくないからといって、大したことないなんてことはないけれど。
「そんなとき、わたくしは会ったのです。あの方に。
いつものように裏庭で泣、……少し休んでいたわたくしを見つけて下さりました」
ふっと目を細める姫さまをみると、居心地の悪い気分になる。その瞳に映っているのは、きっと私ではない。
『見つけた』だとさ。ヤだなぁ。物は言い様だなぁ。そう言わせた彼はやはり恐ろしい奴だ。
やだなぁ。
「あの方は、わたくしを一目見て、国王の娘だと思われたのです。驚いていると、似てるのに、と朗らかに笑われたのです。わたくしは、その笑みに、」
と、姫さまは慌てたように口を噤んだ。そこまで話すつもりはなかったのだろう。コホン、と誤魔化すように小さく咳払いをする彼女の頬は桃色だ。
「カズキ様曰く、魔力で判断されたそうなのですが…」
平たい顔に慣れてる日本人にとって、欧米のような濃い顔は大体同じに見える。私もまだ苦労している。平たい顔の時も苦労してたけど。患者さんは覚えるからいいんだよ、こんちくしょう!
姫さまが、ふ、と目を伏せ、白い手を胸の前で握った。
―――わたくしは、その肯定がずっと、欲しかったのです。
(肯定、ね)
欲しい言葉をくれる、というのは堪らなく魅惑的だ。承認欲求は子供だって持っている人間の欲求のひとつだ。怪しい宗教が流行るのもそういうことが上手いからだ。
それくらいで、と馬鹿にするようなことは出来ない。琴線とは案外浅いところにあったりするものだ。呆れるほどに下らなく、つまらないところにあるのだ。人を笑って墓穴を掘るつもりはない。
私だって、それが如何に心地よいかくらい知っている。
「それで、姫さまは私にどうさせたいのですか?」
夢見心地の姫さまに端的に問う。もっと言葉があっただろうに、という後悔をしても後の祭りだ。反省してる。だからそんな冷たい目で見ないで下さい、侍女さん達。
無害なか弱い私より、べたべたと結城くんにくっつく美女達を牽制した方がよいと思うのだがどうやら姫さまは私が目障りらしい。
無闇に仕事以外で関わるなというのか、口をきくなというのか、目を合わせるなというのか、――存在するなというのか。まあ、正しく私はか弱い――弱っちい一介の治療師であるし、姫さまが要請すれば代わりくらいいくらでも用意するだろう。私がお願いしたときはうんともすんとも言わなかったけどね!
「………ええと、その」
姫さまは言葉を詰まらせ、考えを巡らすように少し難しい顔をした。そんな表情も可愛いのがすごい。
「まさか、考えていなかったのですか?」
「……はい。だって、今日は私が貴女にお尋ね事があっただけですもの」
「それだけ?」
ばつが悪そうに頬に手を当てる姫さまを、私はつい言葉を漏らし、まじまじと見つめた。あ、睫毛は髪の色より濃いんだ。
「それだけ、ではありせん!大事なことです!」
「はあ。それは申し訳ない」
ぷくっと頬を膨らまして、姫さまは私を睨んだ。睨んだって言ったって、そんなのただの上目遣いだし、怒ってますよ!と必死に見せようとする姿は日頃の大人しそうな見た目に反していて、私の心を掴んで離さない。要はギャップ萌えだ。この世界にもギャップ萌えってあるんだね!
「た、ただ、わたくしもカズキ様に救われ、お慕い申し上げているのだということを伝えただけですわ。」
「……。」
もごもごと言葉を紡ぐのは、ただその場を繋ぐ言葉を探しているからだ。つまり、
「お慕い……申し上げている」
「はい」
「それは、恋愛とかの好き、ですよね?」
「はい」
姫さまは何てことないように頷く。この場で困惑をしめしているのは私だけだ。
「それは…結城、勇者さまにも…?」
「?勿論です。」
―――伝えなければ、始まりませんわ。
なるほど。これは、
「……姫さまは素敵な方ですねぇ」
強い。
訝しんだ様子の姫さまに、私はにこりと笑みをみせる。必殺笑って有耶無耶にする、だ。姫さまは何か問おうとするように口を開いたが、残念、時間切れだ。
とんとんで二拍置いてとん、と扉が叩かれる。
「瀬名ー?リィいるか?」
いる、ってキミ。敬語どうした。
リィとは姫さま――リリアンヌ姫のことである。愛称なのには突っ込まないであげて欲しい。そういう奴なのだ、某勇者は。
あわあわと焦る姫さまに失礼、と断りを入れて私は扉を開けた。目の前には案の定、噂の勇者さまだ。
「姫さまに用事ですか?」
「ああ。使いの人が来てるみたいだけど、大丈夫?」
結城くんは私をじっと観察した後、部屋を見渡して、それから姫さまに目を向けた。
邪魔しちゃった?と笑う結城くんに、私はどうかなとぼかす。驚きのタイミングの良さだよびっくりだよ。
「何か話してた?」
「まあね。恋バナあたりを少々ね」
軽く調子を上げて言えば、ひっ、と後ろから裏返った声が聞こえた。いや、冗談なんだから信憑性を上げて貰っても少し面倒だ。…あ、けど本当に恋バナだったのかもしれない。
ほら、結城くんを見てみなよ。あの鉄壁の万人受け笑顔が引っ込んだぞ。一瞬で戻ったけどね。
「え……瀬名も恋バナとかするんだ…?」
「勇者さまって時々失礼ですよね」
「あ、ごめんな。びっくりして」
マジな感じに謝るのが一番失礼だからな。いつもの気遣いはどうしたのだ。
「ああああの!わたくし行ってきますわ。教えて下さりありがとうございます!」
そう言うと、姫さまは顔を覆ってばっと駆け……ることは出来ないが、足早に去っていった。お供の方も結城くん――と私にお辞儀をして慌てて着いていく。いや、お辞儀の深さの違いとか表情をどうこういうほど私はねちっこくないけどさぁ。
姫さまは今のどこらへんが恥ずかしかったのだろうか。はて、とその背に首を傾げていると、姫さまは突然立ち止まりこちらを向き直した。言い残したことがあるのだろうかと、隣に立つ結城くんを見上げた。
「あ、あの。お邪魔しました」
「……。」
「瀬名?」
「あ、う、はい。こちらこそ、まともなおもてなしも出来ず……」
まさかの姫さまの言葉は私に向けられたものらしい。不意打ち攻撃に言葉が詰まり、結城くんに促されやっと喉から絞り出す。そんな私をお構い無しに姫さまは続ける。
「わ、わたくし、負けませんから!」
「……は?」
は?え?何に?
ぼんやりと姫さま達の背を眺めていると、結城くんに名前を呼ばれた。
「瀬名、ほんとリィと何話してたんだ。」
随分長かったようだけど、と結城くんは続けるが、結城くんの言葉は耳を素通りしていく。
「姫さまは、素直な人だねぇ。」
「いや、今はそんな話してなくて、」
「びっくりするくらいまっさらだね。」
王宮に閉じ込められてたとは思えないほど、素直でまっさらで、真っ直ぐで正直だ。
ね、と首を傾げて隣に同意を求めると、結城くんは不満そうに口を噤んで頷いた。
「生きにくそうだなぁ」
「……。」
貶しているわけではないが、逆に誉めているわけではない。可哀想だなと思うが、逆に、
「瀬名」
上から名前を呼ばれ、しょうがなく視線を上げた。そんな名前を呼ぶ声色くらいで彼の感情など読み取れない。諌めるようにも聞こえるし、不満そうにも聞こえるし、焦れったそうにも聞こえるし。沢山挙げた候補の中から一番楽なのを選ぶ。
「別に貶してるんじゃないもーん。素直なのは美徳だよ。特に女のコっていうのは、素直なコが一番可愛い。庇護欲そそられるよね」
生きにくかったら、それを守ってくれる人を見つければいい話だ。
「…だから、そんな話は今はいいって。何を、話してた?負けないって?」
何故そんなに気にするのか理解に苦しむ。
「別にいいじゃん。女同士のお話だよ。あー、恋バナ恋バナ。何?結城くんも入りたかった?姫さまの恋バナ聞きたかった?」
「え?ほんとに恋バナしてたの?
…って、いやいや。俺は真面目な話をしているんであって、」
そっかー。やっぱり気になるよねー、とちゃかしても、結城くんはうろんげな視線を寄越すばかりでまるで乗ってくれない。乗ってくれないどころかぐいぐい問い詰めてくる。(美女に囲まれている)結城くん観察は私の日課なのだが、私の考察よりずっとしつこ……粘り強い。
「ねえ、瀬名。もしかしてだけど、イライラしてる?」
「……え?そんなことないと、思う」
そう、と頷くと、気を取り直したように結城くんはまた事情聴衆を始めようとする。
どうしたもんかと一歩一歩追い詰められながら考えていると、ミナハさんの姿が見えた。この契機を見逃すわけにはいかない。
「あー!ミナハさん!約束の時間を守るミナハさんにしては遅かったですね!」
こちらを振り向いたミナハさんは一度瞬きをするが、直ぐさまいつもの微笑に戻る。数字にすると0.2秒くらいだ。結城くんもなかなかだが、ミナハさんは格が違う。
「お待たせしてしまい、すみません。おや、勇者さん。どうかなさいましたか?」
頼りになる狸だ。きっと彼は立派な大狸に成長することだろう。これからの為に私は、敵には回したくない。
「勇者さま、私、ミナハさんと先約がありまして。すみませんが、お話はまた後で!」
勢いのまま結城くんの顔を見上げた私は、何事もなかったようにすぐ顔をそらした。私は何も見てないよ!なんでこの二人はこんなに緊張感のある関係なんだ。誰とでも仲良くなれる人たらし結城くんと誰にでも振る舞いは丁寧なミナハさん。何故そんなに相性が悪いんだ。
といっても一方的に苦手意識を持っているのは結城くんで、ミナハさんはそんな彼を面白がってわざとやってる節がある。ああいう狸には剥きになったら負けってことは、結城くんとて分かっているだろうに、何を意地を張っているのだろう。まあ正直私も時々、この狸め、と思わなくもない。
そんなことを考えながら結城くんの手から逃げ出すと、ミナハさんはにこにことさも当然のように私の部屋に促した。別段断る理由もないので、私は澄ました顔で着いていく。着いていくが、思う。
この狸め、と。
「……ミナハさんって、実はすごく結城くんのこと好きでしょ」
「ええ?そうですか?
ただ、大変そうだなぁ、とは思いますね」
どの口が言ってんだ。