01.出現のち、変異
俺の幼馴染みはめんどくさい奴だ。
家が隣で、親同士が仲が良い。物心つく前から一緒にいる。幼稚園から今まで、全部同じ。もう幼馴染みというより腐れ縁だ。腐りまくってる。早く朽ちないだろうか。
友人は言う。
幼馴染みとか王道だな!と。
バカを言え。
毎朝一緒に登校するんだろ!?――いつも寝坊するし、サボりも平気でするからな。それを毎回注意する先生も大変だからな…。
窓がつきあわせになってて、いつでも話せるんだろ!?――だから居留守も出来やしない。あまり煩くされたら近所迷惑になってしまうし…。
カーテン開けたらあちらの部屋が見えてドキッなんて!?――あまりの汚さに居てもたっても居られなくなる。それが向こうの思惑通りだとは分かってるんだが。けど、汚いのは体にもよくないし…。
窓伝いに向こうの部屋に行けちゃったりして!?――それは流石に危ないから止めさせた。
親がいないときなんかにご飯作りに来てくれたり!?――俺がな。小遣いまで支給されるぞ。
世の中の男共はどうやら“幼馴染み”とやらに夢を抱いているらしい。それはフィクションの世界のもので、実際にそんなことなど起こり得ない。いや、出来事は全く起こり得ないわけではないが、奴らが期待しているものとは系統が違うように思う。
言っておくが、俺が奴を幼馴染みに持って直接的に得したことは何もないと思う。
素直で可愛い幼馴染みなら俺も大歓迎だが、あいつはない。ない。
そんな彼女に、唯一感謝していることがある。
〖幼馴染みの親友〗
「和樹ー!あたし、友達が出来た!」
「あっそう。…………え?お前が?え?」
「……おい、表出ろ」
それは暑い夏の日だった。
何故友達が出来たくらいで驚いているかというと、さっき言ったようにこいつ――茜はとんでもなく面倒な奴だからだ。口は悪く、気に入らないことがあるとすぐ顔にも態度にも口にも出す。相手によっては手も出す。被害者は基本、俺だ。理不尽でワガママ。
そして全くもって女の子らしい集団行動が出来ないのだ。調和だとか協調という日本人が愛してやまない言葉を、茜は鼻で笑いそこらに放り捨てる。
その服可愛いねー。そんなことないよー、××ちゃんの髪型もステキー。――褒め合いキモい。
○○ちゃん一緒にトイレ行こうよー。いいよー。あ、私も行きたーい。じゃあ、みんなで行こうか――お前らいくつだよ。
こんな具合だ。
それぞれにアイデンティティーを確立し、“他人”を受け入れられるような環境にあれば、またそれも個性、となるかもしれないが、小学高学年や中学でそれは不味い。とても狭い横並びの世界で、お手て繋いで皆で一等賞!が出来ないなんて由々しき事態だ。
嫌われたり、悪口は勿論言われたようだが、今思えばよくイジメにならなかったなと感心する。
そして俺は、何故かそのフォローに駆け回っていた。何故俺が、と敢えて考えないようにしたのはいつだっただろうか。そんなことを(不本意ながら)していた俺は嫌でも愛想が良くなるし、男女共に人脈も広がった。
話が逸れた。
まぁ、そんな訳で茜に友達という友達は少ない。
その日から茜の話題はその子一色になった。
「それでね、夏月がね、」
その子は夏月というらしい。
夏月が、夏月は、夏月ナツキなつき。茜の話相手は少なく、しかも今は夏休み。茜の際限ない話に付き合う人物は俺しかいなかった。なんだかんだといって、茜の相手をしてしまう自分に苦笑いが溢れる。そろそろ茜の兄貴という肩書きを与えられそうな気がする。いらないけど。
因みに、そういうと、
何言ってんの。あたしが姉よ。
と言われるのがオチだ。この会話は昔から何度となく繰り返されている。
夏月という子は、俺達と同い年。出会いは病院で、夏月は入院しているらしい。色素の薄い髪と目。色白で、儚げに見えるのに、口を開けばその印象は裏切られる。飄々とした性格で、口がよく回る。茜と軽口の応酬をして、いつも茜が負けるらしい。
茜の言葉で語られる“夏月”は生き生きと輝いていて、茜がどれだけその子を大切に思っているか窺わせた。
相手がどんな人間なのか分かる前に突き放してしまう不器用な茜にはヒヤヒヤさせられていたが、他人を知ることを覚えた茜はきっとこれから世界を広げていくだろう。きっかけを与えてくれた“夏月”には感謝してもしきれない。
なんて言ったら、きっと“夏月”は何言ってんだと眉を潜め、自分がやりたいようにしただけなんだから、俺に礼を言われる覚えはない、と突っぱねるんだろう、と勝手に想像する。
会ったこともない人間相手に何してんだろうと自身を笑う。だが、もう勝手に動いてしまうのだから、どうしようもない。
「ははっ。夏月とは顔を合わせたこともないけど、実際に会ったら、久しぶり、なんて言いそうだ」
「調子乗ってんじゃないわよ」
「何にキレた」
◇ ◆ ◇
そして時は流れ、俺達は高校生になった。
茜はなんとかオブラートという言葉を覚え、俺のフォローがほとんどいらなくなるくらいにはなった。数は少ないが友人と呼べる存在も出来た。勿論夏月との交流も続き、まだ夏月大好きっ子だ。
「和樹…」
「うわっ!なんでお前、俺の部屋にいんだよ!」
入学式が終わり、家に帰ると俺のベッドでうつ伏せになっている茜がいた。せっかくいい気分だったのに、一気に現実に引き戻された気がする。
晴美さん、と俺の問いに茜は顔を伏せたままぼそぼそと答える。一人分の食べかけのお菓子がある時点でそうじゃないかなとは思っていた。母さんはどうも贔屓する相手を間違っているように思う。
俺の分の菓子は残ってるのかなと考えていると、茜は突然身体を起こした。
「和樹、ズルい!ズルいズルい!!」
駄々っ子のようにベッドをバタバタと叩く茜を横目に俺は勉強机の椅子に腰をおろした。クッションは跡が残りやすいので叩くのはやめて欲しい。
茜の断片的な文句を拾っていくに、どうやら彼女は俺が夏月と同じクラスになったのが不満らしい。いつもの如く、俺には全く過失がないものだ。茜の叫びをいつものように聞き流す。
「夏月の名字、瀬名って言うんだな。初めて知った。」
夏月と茜、俺は同じ学校だ。夏月も通うと聞いたときは驚いた。道理で茜が死物狂いで勉強を頑張っていたわけだ。俺を巻き込まなかったら満点だったけど。
夏月はあの夏一時入院していたわけではなく、幼い頃から入退院を繰り返しているらしい。それでも頭が良く、この学校の入試も問題なかったらしい。
「けど、今日は来てなかったぞ」
春は気候が不安定だからねぇー、と相槌を打った後、茜はそんなことより、と顔を上げた。さっきと打ってかわってケロリとした様子で食べかけの菓子に手を伸ばす。茜といい、女の子の切り替えの早さには毎度驚かされる。夏月もそうなのだろうかとぼんやりと頭の隅で考える。
「人のベッドでモノ食うな」
「溢さないから大丈夫大丈夫」
クッキー片手に、どの面さげて言ってんだこいつは。コロコロ片手に、俺は皿を差し出した。
「晴美さんのクッキー、美味しいよね。ついつい手が止まらなくてさぁ。もうこれが最後だってのに」
俺の分はないらしい。
「で?意味の分からん文句を言うためだけに来たのか?」
「意味分からんくないもん」
どこがだ。俺にクラス編成の苦情を言ってもどうしようもないだろうに。
語尾を強くしてそっぽを向いた茜にため息を吐く。高校生になっても子供っぽい。回りに迷惑をかけないか心配だ。
「夏月が…」
「夏月が?」
茜が顔を歪め、言葉を詰まらせた。その深刻そうな表情に驚いておうむ返しする。
「和樹と一緒だって慰めたら、『面白そうだ』って……」
「……。」
「あたしとは離れたのに……!」
「……お前ら失礼だな?」
同じクラスになったことに“慰めた”茜に文句を言いたいところだが、“面白い”と形容する夏月もどうだろう。せめて楽しそうだとかにしてくれないだろうか。いや、嫌がられるよりはマシだし、別にどうこう言うほど酷いことを言われたわけでもないはずなのだが。少し恥ずかしかっただけだ。
「……ん?どうして面白そうだなんて感想になるんだ?夏月、俺のこと知らないだろ?」
その羞恥の理由に考え付く前に、ふと疑問を抱く。クッションを殴っていた茜の手が不自然にピタリと止まる。きっかり三秒沈黙が落ちる。
「……。まあ、とにかく、」
「ちょっと待て。お前、何を吹き込んだ」
人の部屋に勝手に入るのも、俺を除け者にして菓子を食べるのも、クッションをへこませるのも、許そう。今更だし。だが、それは見逃すわけにはいかない。
「言われて困るようなことがあるわけ!?」
「開き直るな!お前が言ってることに不安を覚えるんだよ!」
茜の友達の子にたらし認知されていた記憶はそう古くない。あのときの衝撃は忘れることはできない。
「うるさいなぁ。いいじゃん、別に。和樹は!私と違って!夏月と同じクラスなわけだし!」
茜の刺々しい訴えに、なるほど、と思う。同じクラスなのだから、
「挽回のチャンスはきっとあるわよ」
「挽回ってなんだ。何を言ったんだよ、お前は」
「ちゃんと夏月の役に立ちなさいよね。和樹の無駄な人脈でも使って。けど、変な奴紹介したら殴る」
茜はピシリと人差し指を俺に突きつけて言い放つ。指差すな、とそれを振り払う。無駄な人脈と言われても、今日入学したのに人脈もくそもない。そう伝えると茜に思いきり顔を顰められる。
「……今日、何人と話した?」
「何人って、そんなの覚えてるわけないだろ」
じゃあ連絡先は、と吐き捨てるように尋ねられて、スマホを取りだし数えていくが、途中で遮られる。
「もういいわ」
「は?あ、茜はちゃんと友達出来たか?」
「るっさい!鼻歌歌ってたような奴は黙ってろ!」
鼻歌は関係ないだろう。
◇ ◆ ◇
季節は瞬く間に巡り、5月。
「4月はちょっと病院の方に居ました。
瀬名 夏月です。よろしくお願いします。」
夏月はクラスの視線を一身に受けながらも、全く臆した様子もなくにこりと笑ってそう言った。慣れてるな。茜に散々夏月の話は聞かされているが、実際見るのは初めてだ。
日に当たったことのないような真っ白な肌。色素の薄い茶色寄りの髪はその白い肌と合っていて染めた加工物のような違和感を感じさせない。癖のないすっきりとした容姿。茜が言った通りの容姿をしていて、きっとほとんどの奴の第一印象は『儚い』だろう。
こんな子が茜とぽんぽん軽口の応酬をするのか。ギャップありすぎだろ。
「なんか、儚いだとかおしとやかだとかの単語が似合いそうな、昨今の女子高生にはなかなかいない感じの子だねえ」
儚い、おしとやか、と頭の中で繰り返す。ただでさえ少ない情報の中から入院していた、という事実はインパクトが大きい。だからそんなイメージになっても可笑しくない。
前の席のカナコが俺の机に肘を着き、ほうほう、と頷く。目線は後方の席につく夏月の方に向かっている。俺もそれを辿って夏月を窺う。茜が珍しく心配していたので夏月は人見知りなのかと思ったが、話しかけてくる者と普通に和気藹々と喋っており、社交的なようだ。
「さあ、どうだろうな」
俺の言葉にカナコの視線はこちらに戻ってきて、まじまじとこちらを見る。なんだよ、とその視線に答える前に、真横から声が割り込む。
「絶滅危惧種ってわけだな!」
「というか、和樹、珍しいね」
「何が?」
「え、うそ、なんで無視してんの。ねえ」
カナコのスルーに、「ドヤ顔がうざっかったの?ごめんね?だから無視ヤメテ」と纏わりつくタクミを俺は押しやりながら首を傾げる。
「タクミうっさい。それ上手いこといったつもりなの?」
カナコは耐えかねたようで、タクミに視線もやらず、けっと眉を寄せながら吐き出した。
「タクミのことはどうでもいいよ。で、何が珍しい?」
「転校生とか、そういうのに真っ先に飛び付きそうな奴が、今回は珍しく傍観してるから」
「……ちょっと待て、なんだその決めつけ」
「あー、それね。オレも思った」
カナコの発言を飲み込むのに少し手間取る。どう解釈してもあまりよい響きではない。頭を悩ましていると、先程まで横で、冷たい、ヒドイ、人でなしと俺達を詰っていたタクミはけろりとして同意を示した。
「俺ってそんな奴なの?……タクミ、その顔うざいわ」
「オレは…そんな和樹がいいと思うゾ!」
タクミの憐憫だか同情だかの視線が鬱陶しくて肩に置かれた手を払った。カナコは中学からの付き合いだが、会って一ヶ月やそこらのタクミまで同調するとはどういうことだ。
「なあに?もしかして、和樹はあんな感じのタイプ、苦手なの?」
「お前にも苦手な奴、いるんだな」
びっくりー、と笑うタクミに目を眇める。だから、お前らの中の俺はどんな人物なんだよ。
「…そんなことないけど。」
出てきた否定の言葉は思ったより控えめだ。そんな声色に、カナコはぱちりと目を瞬いた。そして、暫し考えるような仕草をした後、徐に口を開く。
「あのさ、自覚はあるわけ?」
「何が?」
突拍子のない問いかけに首を傾げれば、カナコは片眉を少し上げた。そんな彼女の表情を不審に思いつつも聞き返す。
「さっき私が瀬名サンのことを好き勝手言ったとき、和樹は『さあ、どうだろうな』って言ったでしょ」
タクミが邪魔してきて有耶無耶になっちゃったけど、とカナコはタクミに意味深な視線をちろりとやりながら言った。
「ああ。」
「ああ、ってどっちに頷いてるの!和樹サン!」
まさか俺が邪魔したことじゃないよねぇ!と叫ぶタクミを取り敢えず頭の隅に追いやる。
「そのとき、あんた、笑ってたよ」
「……。」
ピシリと空気が固まったような気がした。息を詰める。
「?それがどうかしたの?」
「いや、それなら知り合いなのかなぁって思ったら、違ったから」
そう感じたのは俺だけのようでタクミは通常運転だし、カナコも特に気負った様子もなく尋ねている。
状況を確認し、静かに息を吐き出す。思っていたよりそれは深く、自分の動揺具合が窺えた。
「……。
そうだっけ?んー、なんか紛らわしくしちゃったな」
ごめんごめんと笑えば、タクミも笑い、カナコも釈然としない様子を残しながらも頷いた。
たぶん、夏月のことに思いを巡らすカナコへの感情を名付けるなら、優越感だったのだと思う。
『茜の夏月』しか知らない俺が、どの面下げて。