第2章 二
美希の父は公務員、母は幼稚園の先生だ。東京郊外で、家の内外からみても、小市民的幸せをすべて実践しているような一家に、兄と弟に挟まれて育った。しかし、のんきな家風をよそに、彼女には子どものころから、何かにせっつかれるような義務感があり、これが彼女を医学へと導いた。成績が良かったため都心の大学を選ぶこともできたのに、頑として譲らない。
「地方医療をみてみたい」
医療環境の整った首都圏だけでなく、へき地や老人医療も将来の視野に含めたいと主張した。両親はいぶかったが、美希は反対を押し切ってこの県の大学を選んだ。
しかし、実際に入学してみると、理想はすぐに崩れた。退屈な勉強だけではない。医師になるという使命感を共有できる同級生は少なく、親の後継ぎか不況に左右されないという「安定」や「永久資格」を求めて入学してきた人間が多かった。すでに将来を見通した風に、医師仲間の人脈づくりに励み、それを処世術だと思っているクラスメート達に、若くてナイーブな美希は、暗澹たる気持ちに陥ることが多かった。割り切れない自分が、烏合の衆に紛れ込んだブリキ人形のように思えた。やがて、美希は逃れるように外の世界に希望や共感を求めるようになり、休みになるとアルバイトで貯めたお金で発展途上国を貧乏旅行した。飛び込みで現地の病院でボランティアをしたこともある。病気や障害に苦しむ恵まれない人々を垣間見ることは美希に使命感を再認識させた。旅行から帰るたび、ぬるま湯に戻ったような居心地の悪さを感じて、美希はますます意固地に海外貢献を夢見るようになった。専門を持たず、広く多く学ぶことを選んだのも、その夢を実現するためであった。
「そんな。智絵ちゃんだって、ママ業がんばっているじゃない。私には遠い世界だよ」
そう言って紅茶を飲んで、静かに笑った。