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巨人の腕  作者: 葉寧
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紅蓮の狂人

 周囲の火球を油断なく観察し身構えるヴィンセントに、酷薄な笑みを浮かべたミランダが対峙する。

「予想通り……炎を操る能力か、シンプルに面倒な力だねぇ」

 気合を入れるように、ヴィンセントは両拳をがしんと打ち合わせる。

「……それ、抜かないの?」

 徒手空拳の構えをとるヴィンセントに、思わずミランダは問いかけていた。視線は自然と彼の腰の長物、古めかしい拵えの剣である。

「こいつか? これは護身用だよ」

「だから抜かないのって聞いてるのよ」

「だから護身用だって言ってるだろ」

 挑発するような視線と口元。その言葉の意味するところが分からないほど、ミランダも馬鹿ではない。屈辱と怒りで、目元が僅かにひきつる。

「そう、じゃあそのナマクラともども消し炭にしてあげる!」

 その言葉を合図にしたかのように、空中を漂う火球は動きを静止させると、一斉に突撃を開始する。ヴィンセントは高速の火球の群れをすんでのところで身をかがめて避けると、ミランダへと一足飛びに肉薄する。

 こいつ――速い!

 突進の勢いを乗せた右拳がミランダへ迫る――が、そこに新たに複数の火球が横から飛来してくる。たたらを踏んで急停止するヴィンセント、即座に脱いだコートで火球を打ち払う。ばちばちという不気味な音とともに、火球は形を失って散逸する。

 足を止めたヴィンセントへ、下方から蛇の如くうねる炎が迫る。ガソリンを伝う炎のように足元へ到達すると、ドラゴンのブレスのような火炎がヴィンセントへ放たれる。

 が、既にそこにヴィンセントの姿はない。すんでのところで後方へ飛びのいたらしい。コートの一部はブスブスと白煙を吐いているが、気勢も眼光もいささかも衰えた様子はない。

「防刃・防火特別仕様だ、ちぃっとやそっとじゃ燃やせないぜ」

 思った以上にこの男――できるわね、とミランダは心密かにほぞを噛む。

 口だけではなかったらしい。男と女というハンディを考慮しても感じる膂力・瞬発力の差は歴然。それにあの身のこなし、相当場慣れしている、そんな感じだ。

 だが、この距離ならば私のほうが僅かに有利。それに――こちらにはまだ切り札がある。

「あら失礼、蒸し焼きのほうがお好みだったかしら?」

「なぁミランダ、ひとつだけ聞いていいか?」

 休戦の意志を示すように、ヴィンセントはすっと構えを解く。

「命乞い以外なら」

「……さっき俺が天使の名前を出したときお前はなんで笑ったんだ?」

 質問の意味を捉えかねたように、ミランダの額に縦ジワが浮かぶ。

「どういう意味かしら?」

「お前は悪魔のスレイヴ、悪魔の力を授かった者だ。つまり悪魔の存在を身をもって実証し、実感し、信じている。違うか?」

 掌をじっと見つめ、押し黙るミランダ。それを無言の肯定とみなしたように、ヴィンセントは言葉を続ける。

「だが悪魔をの存在を信じるってことは、暗に神の存在を信じるってことだ。悪魔と神、片方だけってのは理屈として成立しない、違うか?」

「そ、それは……」

 それはミランダがこの力に目覚めてから、初めて与えらた類の葛藤だった。

 天使から聞いた。その言葉を聞いた時に喉元から浮かび上がった嘲笑は、虚飾のないミランダ自身の本心だった。挑発するつもりも、侮辱するつもりもなかった。ただ――馬鹿馬鹿しい、そう思ったから笑ったのだ。

「ミランダ、お前は悪魔なんて信じていないのさ。神を信じていないから」

「そうね、私は神を信じていない」

 これもまた、偽らざる本心である。

「いつなんだ? 神に裏切られた、そう感じるようになったのは」

 どくん、と心臓が不愉快に跳ねる。それは思い出したくもない、あの硬く冷たい眼差しにさらされたときの、どうしようもない凍え。人を焼いているときだけは忘れられた、息が詰まるようなあの閉塞感。

「な、なにを……」

「教会か? それとも部屋のベッドの中か? 祈ったんだろう? 助けてくれと」

「やめて……」

「だが神は応えなかった。奇跡も救いも訪れず、日常は変わらず流れ続けた。恨み、妬み――歪み、そうしてお前は成るように成った」

 なにもかも見通したようなヴィンセントの眼差しに、胸を突く不快感が急速に増大していく。

 やめろ。

 やめろ。

 そんな目で――私を視るな!

「なにが分かるのよ! 知った風な口をぉ!」

 怒号をともに、無数の火球が宙を舞い、ヴィンセントへと襲い掛かる。

「分かるさ。俺もそうだからな」誰にともなくそう呟くと、ヴィンセントは再び構えをとり、火球の群れに対峙する。その顔には焦りはない、先ほどと同様の結果となることは、火を見るより明らかだった。

 こんな攻撃が通じないことは先刻承知、問題はこの先――。

 さながら蜂の大群の如く襲い来る火球の群れ。ヴィンセントはひょいと身をかがめるとあっさりとかわす。勢いのつきすぎた火球の大部分は、地面や倉庫の壁に激突し、無残にも霧消してしまう。

「なっ!」

「“力”の制御がまだまだだな、予習復習足りてないんじゃねーの?」

「おのれ!」

 再び火球を発生させると、さらにヴィンセントへと放つが――やはり通じない。コートに叩き落され、かわされ、素早い蹴りでかき消される。

 猛り狂う猛火の中、淀みのない動きで次々と火球を相殺していくヴィンセント。その姿は猛々しくありながらどこか優雅で、激しい舞を思わせる。

 だがミランダにはその舞に見惚れる余裕はなかった。粗方の火球を消し去ったヴィンセントが、一足飛びにこちらに肉薄せんとしていたからだ。

「くそ!」

 忌々しげに吐き捨てると、ミランダはさっと右手を薙ぐ。一拍遅れて、ミランダの前方に炎の壁が出現し両者を分かつ。

 にやりと口角を上げるミランダ。次の瞬間彼女が目撃したものは――炎の海を裂いて突撃してくるヴィンセントの姿だった。

「温いんだよ」

 刹那、ミランダは驚愕の表情を浮かべる暇すらなく、ヴィンセントの右ストレートに吹き飛ばされ、くぐもった悲鳴をあげ横転する。

「お、女の腹を殴るなんて、あ……あんたそれでも男!?」

 肩で息をしながら、抗議するミランダに、ヴィンセントはどこ吹く風といった様子。

「レディーファーストを唱えるならまずはあんた自身が淑女レディーじゃなきゃなぁ? 殺人鬼の淑女なんて聞いたことねぇぜ?」

 ずきずきと痛む腹を抑えながら、ミランダは立ち上がる。だが身体に力が入らない。殴られたことによるダメージとは明らかに別。全力疾走した後のような倦怠感が全身を包み、乱れた呼吸は額に脂汗を滲ませる。

「なによ……これ……」

 まさか力を使いすぎた? 確かに短時間にここまで炎を発生させたのは初めてだけれど――この力はこんなにも体力を消耗するものなの?

「なんだガス欠か。ってことはまたハズレか……まぁお前みたいなチンケな人殺しが“心臓”を持ってるとは期待しちゃいなかったがな……」

 気力を振り絞り、ミランダはヴィンセントをきっと睨む。

 まさかこんなにも早く奥の手を使う羽目になるなんて……予定とは違うけれど、なりふり構ってられる状況じゃない。

 むかつくけれど、こいつは――強い。

「心臓ってなに? ヒトの心臓抉り出して食べるのがアンタの趣味?」

思わず口をついて出た言葉がそれだった。もちろん質問の内容それ自体にミランダ自身は興味はない。意識は息を整えることに、視線はヴィンセントの背後の炎の壁に注がれていた。

「気にするな、もうあんたには関係のないことだ。言ったろ、期待はずれだって」

「どうせ私を殺すんでしょ? このままじゃ気になって死にきれないわ。言ったでしょ? 几帳面な性格だって」

「殺しはしねーよ。大人しく投降するなら、な」

 その目と表情は言外にこう告げていた。

 投降しないなら殺すと。

 じゃり、と靴裏を鳴らし、ゆっくりとヴィンセントが迫る。次の瞬間、ヴィンセントの背後の炎の壁が、大鳥の翼の如くぶおっと猛り狂う。ヴィンセントの視線は彼の背後へと流れる。それは反射という名のヒトの必然。

 かかった!

 ミランダは再び右手を薙ぐと、さきほど同様炎の壁が出現する。ヴィンセントを挟んだ二枚の炎の壁は、お互いの尾を喰らいあう蛇の如く伸びて結合し、ヴィンセントの周囲3メートルほどを円状に囲い込む。

「こおれ!」

 その瞬間、立ち昇る業火から音が消える。静まり返った倉庫街の薄暗闇を貫き、燃え続ける火柱の閃光が、ミランダの顔を染めていた。

「こんなんで閉じ込めたつもりか? 言ったろ、あんたの炎は温いってな」

「減らず口は出てから叩いたらどう?」

 次の瞬間、ヴィンセントがいるであろう炎の壁の向こう側から、激しい衝突音。続いて人が勢いよく転倒したような音が響く。

「あっは! どうしたの? 足でも滑らせた?」

 なにが起きているかはミランダ自身が一番理解していた。恐らく、先ほどと同様炎の壁を突っ切ろうとして衝突・・したのだ。炎の壁そのものに。

「痛ってぇ……なんだこりゃ……」

「言ったでしょ? 蒸し焼きにしてあげるって」

 炎の壁の向こう、薄っすらと見えるヴィンセントのシルエットには動揺は見られない。落ち着いた足取りで周囲の炎を観察している。

「あのチンケな悪党の喉、どうやって焼き切ったのかと思っていたが……なるほどね、炎を固める能力――か。不思議なもんだ、見た目も放射する熱も炎そのものだが、鉱物のような実体がある。水をかけたらどうなるんだ?」

「さぁ? 小便でもかけて試してみたら?」

 ヴィンセントの推察は当たっていた。発火能力はミランダの悪魔のスレイヴとしての力の一端。発生させた炎を固め留めるこの能力こそが本質といえた。

 燃え盛る熱そのままに固められた炎は、鋼鉄に比する硬度を有し、ミランダのみがその灼熱の脅威に晒されず触れることが可能。

 噴き出した炎は剣となり、射出された火球は弾丸となる。そして炎の壁は鉄壁の防壁でもあり、こうして囲んでしまえば、人間を丸焼きにする巨大なオーブンにもなる。

 へクターを殺害した際には、指先に小さく鋭い炎を噴出させ、固め切り裂いたのだ。

「そいつは次の機会にしとこう」とヴィンセントはあくまで落ち着いた様子。

 固まったといっても本質はあくまで炎である以上、水をかけられれば消える。表現は間逆だが、あたかも熱湯をかけられた氷のように。

 そのことを当然ミランダは知ってはいるが、口に出すことはしない。言ったところでこの状況、大量の水を確保できないヴィンセントにとっては瑣末事だろうが。

「なるほど熱いな……こりゃ5分もいればローストチキンになっちまいそうだ」

「ならさっさと出たら? 出られるもんならね」

 挑発するような物言い。言葉に反してミランダの目は鋭く、炎の上方を油断なく睨んでいる。

 次にあいつがどうするかは――察しがつくわ。

 あの高い身体能力、そして炎と痛みを恐れない胆力。あの男はこの壁を乗り越えてくる。よじ登ってくるか、はたまた壁を蹴って高く跳ぶか――それは分からないが、大人しく丸焼きになるタイプの人間ではないことは確かだ。

 その時がチャンス。壁を乗り越えこちらに跳んできたその時に――殺る。

 どれだけ経験が豊富だろうと、どれほど身体能力が高かろうと、落下という物理現象に対して人間の身体は無力だ。ただあるべき放物線を描いて落ちるべき地点へ落ちるだけ。

 そこを迎え撃つ。地面から炎を鋭く噴出させ、その瞬間硬化、串刺しにする。

 燃え盛りのたうち回る被害者、人間の皮脂の焦げる独特の臭い。いつものあの光景が脳裏によぎり、ミランダの口角を歪ませる。

 さぁ出てきなさい。選ばせてあげる。蒸し焼きか串焼きか、好きな死に方をね。

 ヴィンセントの大きな溜息に、自嘲じみた乾いた笑いが続く。

「馬鹿みてーだなぁ」

「なにかおかしいかしら?」

 嘲笑交じりのミランダの言葉を、ヴィンセントは再び乾いた笑いで返す。

「いや、アンタを馬鹿にしてるわけじゃないんだ。ただ――可笑しくってさ、身構えてた自分自身があんまりにも滑稽というか……」

「私もそう思うわ。ちょっと腕に自信があったようだけれど、その結果がこれだもの」

 いや、そうじゃなくて。と三度みたびの乾いた笑い。

「アンタがなにか隠しだまを持っているのは勘付いてた。だがそれを警戒して、三味線弾いてた結果がコレだもんな。虎だと身構えていたら藪から猫――いや、鼠が出てきた気分っつーの? ったく笑うしかねーよなぁ」

「……なに言ってるのあなた」

 言葉の意味を捉えかね、眉をひそめるミランダの前で、それは起こった。

 炎の壁の向こうから激しい激突音。それはあたかもハンマーで鉄壁をぶん殴ったかのような衝撃を伴って、周囲の空気をびりびりと震わせる。

「な、なにを……」

 まさか――こいつ!

「もう飽きた、そう言ってるのさ」

「私の炎を壊そうってつもり? 馬鹿ね、できるものなら――」

 次の瞬間、衝撃音とともに炎の壁に亀裂が走る。二の句を告げることができず、顔をひきつらせるミランダの眼前で、衝撃音とともに亀裂はどんどん広がっていく。

「嘘……嘘よ! 鋼鉄に匹敵する私の炎が……!」

「鋼鉄? ちょっとカルシウムが足りてねーんじゃねーか?」

 炎の壁に大きく広がった亀裂は、壁の崩壊という未来を如実に語っていた。あと一撃か二撃か、間違いなく近いうちに壁は完全に崩壊するだろう。

 馬鹿な馬鹿な馬鹿な! なんなのよこの化け物じみた力は!? こんな非常識な輩、どう対処すれば――いや、落ち着くのよ。まだだ、まだ私に分がある。

 相手は脱出間近とはいえ、まだ壁の中。壁に穴を空けたその瞬間は、私にとっても最大のチャンス。穴を空け顔を覗かせたその瞬間、最大火力で焼き払う。

 ミランダは精神を集中し、両の掌の上にあえりったけの炎を発生させ、巨大な火球をつくり、身構える。再びどっと疲れが押し寄せるが、気力を振り絞って炎の壁を睨む。

 次の瞬間、一際大きな衝撃音、壁の一部がバラバラと崩れ始める。次の一撃で完全に穴があくことは、火を見るより明らかだった。

 出てきなさい――丸焼きにしてあげる!

 衝撃音、身構えるミランダの前で崩れ去り、固まったままの炎は灼熱の瓦礫と化し地面に広がる。

 ぽっかりと空いた穴。そこに見える黒いシルエットに向かって、ミランダは間髪入れず両の炎を投げつける。ありったけの力をこめて放たれた大玉の火球は、着弾の瞬間爆裂し、さながら火刑の火柱の如く天を焼く。

 燃え盛る炎の渦の中、喜色満面のミランダが見たものは、鞘ごと地面に突き立てられた剣と、そこにかけられたヴィンセントの黒いコートだった。

 その光景に、ミランダの顔からさっと血の気が引いていく。

「う、嘘、なんで――」

 狼狽するミランダの背後に、なにかが降り立つ音。振り返る暇はミランダにはなかった。

 両腿に強烈な衝撃、わけもわからないまま横っ飛びに吹っ飛び、壁に激突するミランダ。こちらを見下ろすヴィンセントの姿に、ようやく自分が蹴られ吹き飛ばされたのだということを理解する。

「また会ったな」

「ど、どうやって――あぐっ!」

 ずきずきと痛む両脚に、ミランダは立ち上がることすら出来ず這いつくばる。

「地面に突き立てた剣を足場に跳んで壁を乗り越えた、単純だろ」

 そうか、壁の破壊は――囮。空いた穴に向かって私が攻撃してくるであろうことは容易に想像がつく。逆に言えば、その瞬間は壁の上に対する注意力が散漫になる――つまり、安全に壁を乗り越えることが可能。

 私は――誘導されたのか!

 ぎりりと悔しげに奥歯をかみ締め、きっと睨むミランダの双眸を、ヴィンセントの紅い双眸は無感情に受け止める。

 くそ、こんなはずじゃあ――。

 鼓動とともに激しくなる足の痛み。十中八九両方折れていると見て間違いない。女性の脚とはいえ、両の脚を一度に折るなど人間業ではない。

「この異常な膂力りょりょく……まさかアンタも……!」

 こいつも私と同じ――悪魔のスレイヴ

「ああ、そうさ」

 じゃり、と靴底に地を噛ませながら、ヴィンセントはゆっくりとミランダに迫る。

「あの男と同じさ、あんたにもツキがなかった。諦めな」

 その紅い瞳には、怒りも憎しみも、哀れみも愉悦もない。それは無慈悲に罪人を焼く地獄の炎のように、あるいは人々を照らす太陽のように、ただただ紅く紅く燃え滾っていた。

 日が――落ちる。

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