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巨人の腕  作者: 葉寧
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神の使者

「いやー、食った食った」

 椅子の背もたれにどっかりと体重を預けると、ハイネは窮屈そうな腹を撫で回す。

「なるほど聖都にはない刺激的な味ですね。なかなか面白い体験をさせていただきました」

 額に浮いた汗を拭うアリッサ。

 ちょっといまだに舌と耳の奥が痛い……『イフリート』侮りがたし。

「百聞は一見にしかず、ってな」

「はい、やはり外は興味深い物が多いですね。任務を忘れてしまいそうです」

 アリッサは18歳になるまで、騎士団本部の存在する聖都からほとんど外に出たことがなかったのだ。騎士団へ入団するために様々な勉強や鍛錬に追われていた、というのもあるのだが。

 ともかく今回の任務にあたって、奇しくも初のエッダ訪問となったわけである。

 しかもアリッサは今回が小隊長としての初任務である。初の遠隔地訪問にして、初の小隊長の任務、正直なところ不安も大きい。

 騎士団の小隊長を任される者は、その初任務の際にはいわゆる「お目付け役」として上級の騎士がつくのが定例であり、今回はハイネがアリッサにつくことになっていた。

 父と古くからの友人ということもあり、小さな頃から叔父のような存在であったハイネさんが付いてきてくれることは、正直非常に心強いのだが……いまだに子供扱いされてしまうのがなんとも情けないとうか……。

 清澄とした空気を漂わせる聖都とはかけ離れた、よく言えば活気に満ちた、悪く言えばごみごみとしたエッダ。そんな雰囲気に、アリッサも最初こそ気圧されたものの、今ではそのギャップを新鮮な驚きとして楽しみつつあった。

 任務を忘れているわけでは……もちろんない。

「ところでハイネさん、任務についてなんですが」

 腹が膨れて上機嫌になっていた顔が途端に曇る。

 本当にこの人は豪放というか、実直というか……。

「後じゃだめ……?」

「申し訳ありませんが……なるべく早く整理しておきたいことなので」

 優しくなだめるようなアリッサに、ハイネは「分かったよ」と諦め気味に答える。

「今回の捜査方法――つまり盗品の線から犯人追っていくのは失敗したわけですが……今後はどうしましょうか」

 そう、聖都から派遣されたアリッサたちは、なにもこんな名物料理を食べに来たのではない。全てはこの街で出没しているという悪魔のスレイヴ――巷では紅蓮インフェルノなどと呼ばれているらしい――を討伐するために来たのだ。

 その超常の力を以って民へと神の威光を知らしめる。それはあくまで表向きのお題目であって、騎士団の実態は対悪魔のスレイヴに特化したバリバリの戦闘集団である。

 悪魔のスレイヴと一般人、両者の戦力の差は著しく、生半可な武装で補えるものではない。その排除には神の使者セイントの力が必要不可欠であり、一部の例外を除いてほとんどの国に騎士団の支部が設立されている。このエッダとて例外ではない。

 現在に至るまでの紅蓮インフェルノの被害者の数、計8名。その全てが生きたまま焼き殺されている。「死人に口なし」という言葉が示す通り、被害者からの情報はゼロ。焼き殺すという殺害方法は証拠隠滅を同時にこなすため、紅蓮インフェルノを示す物的証拠の一つすら、いまだに見つかっていない。

 つまり、圧倒的に紅蓮インフェルノ本人の情報が不足しており、捜査のしようがないのだ。分かっているのは……炎を発生させる悪魔のスレイヴであるという一点のみ。

 そのうえこの悪魔のスレイヴは、どういうことか目撃証言が全くと言っていいほどない。現場付近をくまなく聞き込みをしたのだが、結果は無残なものだった。そのためアリッサたちは、違った角度からのアプローチを余儀なくされた。

 紅蓮インフェルノの被害に遭ったのは、家ごと燃やされたという者も多数存在している。家一軒ともなると、全てを焼き尽くすまでは相当な火力と時間が必要となる、おまけに燃えた家は巨大な篝火も同然であるため、中途で消火されたケースも少なくなかった。

 この点は、エッダの消防署には感謝せねばなるまい。

 綿密な現場の調査の結果、放火された家から一部の宝石や美術品などの貴重品が紛失していることが判明。紅蓮インフェルノが金に目が眩んで、犯行時に持ち去ったのだろう。そう考えたアリッサは、それらの貴重品の流れをたどった。

 三日間の捜査の結果、質に流された貴重品を発見し、品物を質に流した人物の特定までなんとか漕ぎつけた。結果めでたく、さきほどの頭の薄いチンピラを捕まえるに至ったわけである。

 紅蓮インフェルノそのものといかなくとも、せめて共犯の可能性は高いと踏んでいたのだが……まさか全く無関係の火事場泥棒だったとは。

 捜査は振り出し、というやつなのだろうか。

「まぁそう焦るな……なにも捜査が無駄だったわけじゃない」

 ハイネは腹筋だけで身を起こすと、アイスコーヒーを手に取る。さきほど一緒に運ばれてきたココナッツミルクをたっぷりとアイスコーヒーに注ぐ。甘く白濁したコーヒーを一口啜ると満足そうに一息つく。

 店員に聞いたところ、激辛料理を食べたあとの舌には、このココナッツミルクの甘ったるい味わいがちょうどいい清涼剤になるんだとか。なかなか面白いバランスの取り方だ。

 つられるようにアリッサもアイスコーヒーにココナッツミルクを注ぐと、一口啜る。

 ……甘すぎる。

「どういうことですか?」

 アイスコーヒーを視界から追いやると、ハイネへと視線を戻す。

「今回の調査で、現場から貴重品を盗み出した人物は、あの頭の薄い男だと分かったわけだ。しかも紅蓮インフェルノとの繋がりもない」

「そうですね」

 確認するような物言いのハイネに対し、素直に頷く。

「つまり……逆に言うならば紅蓮インフェルノ本人は現場から貴重品を盗み出していない、ということが分かったわけだ」

「それって言い方を変えているだけじゃ……」

 怪訝そうな表情で聞き返すアリッサを、ハイネはどこか楽しんでいるようだった。

「いいや、違うね。全然違う。変えているのは言い方だけじゃあない、“視点”だ。単純なようだがこの考え方は大切なんだぜ、捜査でも、戦闘でもだ」

 その真剣な表情に、アリッサはうっと気圧される。

 いつもこんな感じだと助かるのだが。

「つまりどういうことなんですか?」

「犯人側の視点に立ってみろ、って話さ。家も住人も焼いた。現場には金目のモノ。自分が犯人だとして……アリッサ、お前ならどうする?」

 うーん、としばらく考えた後

「そうですね……私なら証拠になりそうなので、現場の品には手を出さないと思います」

「うん、なかなか賢いな。それじゃ条件をつけよう。仮にお前が、さっきの頭の薄い男みたいに経済的に困窮しているとしたら?」

「盗む……んじゃないですかね。多少リスクを犯してもお金は欲しいだろうし」

「そう、つまりだ。紅蓮インフェルノにはそんなリスクを犯す必要性はなかった、あるいは、そいつにとってリスクとリターンが見合わなかったってわけだ」

 言われてはっとなる。

「犯人はそれほど切迫した経済事情ではなかった?」

 そういうことだ、とハイネ。

「具体的に言うならば、紅蓮インフェルノは中級もしくは富裕層の人物である可能性が高いということになるな。加えて言うなら、目撃情報の少なさや証拠隠滅の徹底ぶりから察するに、非常に慎重で狡猾――完璧主義者。そして……だ、金銭目的の可能性は消えたわけだから、紅蓮インフェルノの目的は殺人そのものだってことだなぁ」

 ハイネの講釈に、アリッサは子供のように素直に感心して聞き入る。

「目的が殺人そのもの……ということになれば、他にも色々と見えてくるものがある。被害者については覚えてるな?」

 はい、とアリッサ。

 確か……十八歳から二十二歳までの金髪ブロンドの女性に集中していたはずだ。どの女性も一般的な美醜の物差しでいうのならば「美人」と呼んで差し支えのない人物。くわえて被害者同士の横の繋がりはほとんど無い。

 つまりこの時点で、怨恨の線も考えづらい。

「となると――やはり怨恨ではなく」

「そうだな、単純に考えるなら――紅蓮インフェルノは金にもならない殺しを誰に頼まれるわけでもなく続けている。人を焼いて殺すという行為そのものをだ。胸糞悪くなるような異常者ってわけだ」

 怒りのためだろうか、いつになくハイネの表情が真剣に見える。

 この鬼気迫る表情といい、さきほどの一連の推理といい、騎士団副団長の役職と聖騎士の称号は伊達ではない、というわけか。いつもはダメな大人の典型のような空気を纏っているが……あれもきっとカモフラージュに違いあるまい、うん。

 だが、と一旦言葉を切る。

「少し気になる部分もあってな」

 言ってハイネは、カバンから事件の資料を取りだしテーブルに広げる。紅蓮インフェルノ被害者の遺体の所見や、現場の状況を事件後とにまとめたもの。

「被害者の遺体の状況を確認してくれ」

 穴が開くほど読んだそれを、記憶と照合するように再び目を通していく。

 第一の被害者、上半身に重度の火傷。腹部に十数か所の刺し傷あり。直接の死因は火傷によるショック死、刺し傷は死後つけられたものと推定。左手に抵抗痕あり。

 第二の被害者、全身に及ぶ重度の火傷。目立った外傷はなし。

 第三の被害者、左手首と頭部の一部(顎の上部)を残し全身が焼失。

 第四の被害者、頭部のみ白骨化するまで延焼。生前、手足を縛られた痕跡あり。

 第五の被害者、両の腕と足が白骨化するまで延焼。生前、舌を焼き切られた痕跡あり。

 第六の被害者、下腹部から胸部にかけて、腹腔内を延焼。生前、舌を焼き切られた痕跡あり。

 第七の被害者、全焼した家屋から白骨死体のみ発見。直接の死因は不明。ただし上半身と下半身を別の部屋で発見された。

 第八の被害者、両腕を焼き切られたうえ、窒息死。胃と食道から左腕の一部と思われるものが発見される。右腕の行方は不明。

 ……むごすぎる。何度見ても。

「エスカレートしているのは分かりますが」

 俺もそう思ってたんだがな、とハイネは机の資料のうち一枚を差し出す。

 渡された紙は、第一の被害者の資料。恐らく後続の事件さえなければ、一般的な殺人事件や焼身自殺として処理されていたであろうものだ。

「この第一の殺人から感じる臭いは、とても快楽殺人者のそれじゃねぇ。もっと衝動的でなんというか――余裕がない」

 言われてみれば確かに、とアリッサ。

 上半身のみの延焼、執拗な被害者への刺突。遺体から犯人の混乱が伝わってくるようだった。

「他の異常な犯行に隠れて気付きませんでした。この第一の殺人を単体で見るのならば、そこに感じるのは狂気ではなく、むしろ強烈な――憎悪と焦燥」

 ああ、とハイネ。

「そしてなにより――被害者は犯人と揉みあっている。おかしいと思わないか? 人外の力を持つ悪魔のスレイヴが、か弱い女性一人焼き殺すのに手こずるだなんて」

「第一の殺人の時点では、犯人は悪魔のスレイヴではなかった?」

 ああ、とハイネ。

紅蓮インフェルノだって人間だ。いくら人外の力を手にしたといって人を殺さなきゃいけねぇわけじゃねえ。じゃあ逆だとしたら? 怨恨が元で第一の殺人を犯し、その過程で力に目覚め――そしてハマっちまった。手段が目的になっちまった、そういう構図さ。少なくねぇんだ、特に――悪魔のスレイヴの場合な」

 悪魔のスレイヴという言葉に、アリッサの瞳がわずかに揺れる。

 圧倒的な力をもって他者を蹂躙する。そこにある優越感や恍惚は、否定しがたいほどに純粋で原始的な感覚。だがそれをなにも考えず受け入れるのであれば、それは野の獣となんら変わりない。知性と理性をもってそれに臨み、倫理と正義をもって拒むからこそ、人は人たりえるのだ。

 その意味で紅蓮インフェルノはもはや人ではない。倒すべき――悪魔の僕なのだ。

「それともう一つ、これは勘なんだが……こいつは単なる快楽殺人者――つまり殺しそのものを楽しんでいる殺人者ではないような気がするんだ」

「といいますと?」

 ハイネは頭をぼりぼりとかき、言葉を選ぶように押し黙る。自分の感じている感覚をうまく換言できない、そんな様子だった。

「確たる証拠があるわけじゃない。ただこの手の現場はごまんと見てきた身としては、なにか――違う気がするんだ。なにかが――」

「違和感……ですか」

 どの現場の情報も、私には一様に凄惨極まりない地獄絵図にしか見えない。まるで悪魔の催した狂乱の宴。

 だがハイネさんにはなにかが見えて――いや、感じられるのだろうか。犯人が現場に残した匂い――犯行の本質を示すなにかが。

 考え込むアリッサの様子に、ハイネははっと我に返ると「すまない、混乱させるつもりはなかったんだが」とやや強引に話を切った。

「まぁ、なんにせよ次の捜査の方針は」

 軽くため息をつくと、アリッサは頭を切り替えるように目頭を押さえる。

「……そうですね。ハイネさんのお話をまとめると、紅蓮インフェルノは中級もしくは富裕層の人間で、性格は慎重かつ狡猾な完璧主義者タイプ。そして第一の被害者となんらかの接点があった可能性が高い――と」

「そういうことだ」

 いつの間にか取り出した煙草の箱から、ハイネは片手で器用に一本だけ、煙草を取り出して口に銜える。懐から取り出したジッポライターで火を点けると、大きく煙を吸い込む。しばらく肺に煙を満たすと、満足そうに煙を吐き出す。

 気を遣ってくれているのだろう、煙の吐き出される向きが私を避けている。

「煙草……体に悪いですよ」

「んー……コイツはなぁ」

 それとなく拒否の意思を示す。

 お金を払って健康を害するものを摂取するというのは、どういう感覚なのだろうか。それほどまでに、煙草というものは魅力を持っているということなのだろうが……煙草を吸った事すらない私には、考えるだけ栓のないことではあるのだが。

 まぁ私としても、本気でやめさせられると思っての発言というほどではないのだが。

「では……明日からはこの犯人像を基に、さらなる聞き込みというわけですね。捜査にあたっている部下たちにも、折を見て伝達しておいたほうがよさそうですね」

 これからすべきことが明確に分かった。今日ま捜査は無駄ではなかったのだ。

 紅蓮インフェルノを討ったところで、被害者が戻ってくるわけではないが……だがしかし、少しでも被害の拡散を防ぐため、一日も早く止めなくては。

「あーあ、それにしても……また地道な聞き込みかよー」

 対照的にハイネはぐったりとテーブルに伏せてしまう。

「なんかこー……悪役なら悪役らしく、たけーとこからばばっと登場してくれんかね」

「いつの時代のノリですかそれ」

「そこをなんとか」

「いや私に頼まれても……ん?」

 と、言ったところで、ふと気付く。あれほど混んでいた店内にはもうまばらにしか客がいなくなっているのだ。

 なんだろう……なにか妙な感じがする。

「アリッサ……気付いたか」

 周囲を見やると、猫っ毛の店員が目に入る。忙しそうに、帰った客の食器などを回収しているようだ。

「すいませんが」

「はいはーい? 注文の追加ですか?」

 マイペースな店員に対し、堅い表情で尋ねる。

「いえ、随分と店が閑散としてるようですが……なにかあったのですか?」

 本気で分からないのか、とぼけているのか、わざとらしく口をヘの字曲げて「んー……」と考え込んでいる。

 しばらく考えた後、掌をぽん、と軽く叩くと

「ああ、そういやさっきお客さんがなんか言ってたかも。確か……そうそう、火事かなんかがあったとか、スラムのほうだとか言ってたけど。スラムが現場ならこっちまで燃えることはないだろうけど……やっぱ怖くて家に帰ったんじゃないかなー。ほら、今火って言うと、どうしてもアレを連想しちゃうしねー」

 アレとはもちろん紅蓮インフェルノのことだろう。

「おお、言ってみるもんだな」

「ハイネさん……」

 き、と咎めるような眼差しに「すまん」とハイネ。

「ま、行くしかねーわな、これは。もしかすると……もしかするかもしれねぇしな」

 言うが早いかローブを手にとると、ハイネは手早く身につけていく。

「本当にいたら随分とご都合主義な展開だな」

 冗談めいたハイネの物言いに対し、アリッサは否定も肯定もしない。

 ご都合主義? 大いに結構じゃないですか。それで少しでも早く紅蓮インフェルノの凶行を止められるならば。

「やる気があるのはいい事だが、あまり気負うなよ、アリッサ」

「ええ……分かっています」

 そう、分かっている。失敗は許されない。冷静に、確実に、任務は遂行してみせる。

 手早く会計を済ませると、店の扉を開けて二人は外に出る。

 店に入る前よりさらに厳しさを増した冷たい空気が、二人の体温を容赦なく奪っていく。だがそれが火照った体には逆に心地いい。

 大きく、ゆっくりと息を吸って――吐き出す。

 冷たく澄んだ空気が肺を通して全身を駆け巡り、熱をもった頭が冴え渡っていく。

「行きましょうか」

「……おう」

 ひときわ強い風に、二人のローブがバタバタと激しい音を立てのたうちまわる。

 厳しい寒さも強い風も人ごみもものともせずに、二つの白い影はゆっくりと進んでいった。夕闇の空を紅く染める、彼方の火柱を目指して。


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