神の使者
夕闇が押し迫る午後の時刻。
家路に急ぐ人々。
立ち上る夕餉の香り。
鈍い黄色の夕日に染められた街の情景は、見る者にノスタルジィを感じさせる。
そんなほのぼのとした雰囲気を余所に、街外れの路地裏で三人の人間が睨み合うように対峙している。
よく見れば、正確には三つ巴ではない。一人の男に対して、同じようなデザインの制服に身を包んだ二人組みが、逃げ道を塞ぐように立ち塞がっている。一触即発の剣呑な空気である。
「そろそろ話す気になって頂けましたか?」
男を取り囲む一方の人物が、最初に口を開く。
年のころは二十代前半といったところだろうか。華奢とも見えるすらりとした無駄のないボディラインをしている。表情は凛々しいのだが、童顔な顔つきと若々しい肌が相まって、どこか幼く見える。肩にかからない程度のショートカットにまとめられたブロンドは、薄暗闇の中でうっすらと光を放っているようである。身を包む白と青を基調としたローブが、まるであつらえたかのようにぴたりと似合っている。
髪は清潔に整えられ、ローブは染み一つない。凛とした声と物腰から、清潔な性格と高い教養が伺える。
濁りのない青い瞳で、油断なく男を睨みつけている。
「だから知らねぇって言ってるだろうが!」
対する男の方は余裕なぞ微塵も感じられない様子だ。
禿げ上がった頭には申し訳程度の黒髪が生えており、衆目から頭皮を隠蔽すべく、無駄な抵抗を繰り広げている。頭とは対照的に毛むくじゃらな腕はすらりと長く、なんだか猿かヒヒのような人物だ。
「こりゃ本気で知らないのかもしれんな」
二人組みのもう片方が、片手で顎の無精ひげを撫でながら残念そうに呟く。
柔和で落ち着きのある面立ちの男性で、年のころは四十代前半といったところだろうか。短く刈りこまれた黒髪、がっしりとした体型から、非常に男性的な印象の人物だ。髪と同色の細い瞳は、言葉とは裏腹に暢気そうな表情を浮かべている。
同じデザインのローブを着用しているようだが、随分とくたびれていてまるで別の服のようである。
「嘘をついている可能性は?」
「なくはない……が、この様子だとそんな余裕もなさそうだしなぁ」
ふぁぁ、と欠伸をしながら答える中年男。もはやこの追い詰めている男には興味がないようだ。
「その制服――騎士団の連中だろ? 俺が悪魔の僕に見えるか? そんな力あったら、こんなケチなヤマなんか……あ、いやそういう意味じゃなくて……」
悪魔の僕、それは人でありながら人の枠を遥かに超えた特殊な能力備えた者の呼称だ。教会によるならば、彼らは悪魔の誘惑に負けその魂を差し出す代償として、人ならざる邪悪な力を手に入れた神への反逆者であり、大罪人であるという。
当然そのほとんどが、その異常な力を悪用した凶悪犯罪者であり、我々が追っているのもその一人である。
確かにな、と肩を震わせる黒髪の男。しかし金髪の人物はいたって冷静である。濡れた刃のような眼差しで、冷静に男を観察している。
「共犯者という可能性もあります――が」
まだ微妙に納得がいかない、といった表情を隠そうともせずに「いいでしょう」と答える。
途端に緩む男の表情、しかし
「ただし」男の淡い希望を絶つように、凛とした声が響く。
「あなたの犯した罪に関しては別問題。身柄を拘束の後、エッダの警察に引き渡させて頂きます」
「ぐ……っ」
期待が外れたのだろう、余裕のない表情に戻る。対照的に呑気な表情で、中年男は一歩進み出ると
「えー、エドワード……えーと……」
「エド・パーソンですよ、ハイネさん」
「ああ、そうそう、それだよ。いやぁ最近物忘れが激しくってなぁ」
呆れたように半眼をむけると、早く続きを、と金髪の人物が促す。
「あー、悪い悪い。えーと、エド・パーソン。窃盗、家宅侵入、及び放火幇助の疑いで身柄を拘束する」
どうしようもないほど棒読みだ。傍らで金髪の人物が軽く頭を抱えている。
「た、頼む! 見逃してくれ! こちとら最近いきなりクビ切られてよぉ、そのせいで前から抱えてた借金の返済で首が回らなくなっちまったんだ……。ほんの出来心でよぉ、なぁ頼むよぉ!」
「だはは、切れたり回らなくなったり首も大変だな……」
冗談めいた物言い。金髪の人物の咎めるような視線にハイネは首を縮こませる。
「なぁ、後生だ見逃してくれよお!」
恥も外聞もなく、明らかに年下の人間に頭を下げるその姿は、なかなかに同情を誘う。
そんな男に対し、金髪の人物は若干の侮蔑を孕んだ頑なな表情のまま、静かに答える。
「あなたの事情は了解しました。ですが……どんな事情があろうがなかろうが罪は罪。あなたには相応の罰を受ける責務があります。生活の保障を受ける対価として、法律と言う名の制約を受けねばならない。それが社会に生きるということです」
金髪の人物の説教じみた言葉を聞きながら、男の媚びるような表情が、次第に怒りに染まっていく。
「責務だ……? 綺麗事ばっかぬかしやがって……。保障だぁ? どこにそんなもんがあるってんだ! お前みてぇないいとこのぼっちゃん丸出しなヤツには分からねぇだろうけどな、俺らみてえな貧民階級は綺麗なままじゃ生きていけねぇんだよ!」
「ぼっちゃん……?」
ぴく、と眉根が僅かにつりあがる。その様子に、後方でハイネは笑いを噛み殺していた。
「てめえ以外どこにいるってんだ! 鏡見てみな、苦労知らずの世間知らずなクソ坊ちゃん顔が写ってらぁ!」
ぼっちゃん、その単語が出るたびに、ぴくぴくと眉根が痙攣する。
「……度し難い。罪を犯した上に罰を受けたくない。その挙句、その責任は自分にではなく社会にある、と。そして思い通りにいかなければ、周囲の人間に暴言を吐く、まるで子供の所作だ。少なくともあなたが今苦しんでいるのは、御自分で作った借金がそもそもの原因でしょう。悪因悪果、自業自得、自身の怠慢を社会のせいにしないで頂きたいですね」
「ふ、ふざけんじゃねぇぇ!」
金髪の人物が言い終わるが早いか、懐から取り出したナイフを手に、怒り心頭でエドが駆け出す。
年下の人間に虚仮にされたのがよほど腹に据えかねたのだろうか、小さい男だ。
腰だめにナイフを構えて突進してくる男に対し、しかし金髪の人物は動じることなく、僅かに腰を落としただけだった。
硬いものが肉にめり込む鈍い音、二人が衝突する。
だがエドのナイフの刃は、金髪の人物の身体には届いていない。代わりにエドのみぞおちに、逆手に構えて突き出された剣の鞘が深々と食い込んでいた。
自身の力、プラス相手の突進力。単純にして強力無比なカウンター。
金髪の人物がゆっくりと離れると、エドは身体をくの字に折ったまま膝から崩れ落ちる。痛みに悶絶しながら地面に吐瀉物を盛大に撒き散らす。
「それと一応言っておくが私の名前はアリッサ……見ての通りの女よ」
地面をのた打ち回るエドを、アリッサと名乗った人物は髪をかきあげ冷たく一瞥する。そんなアリッサに、ハイネは満面に浮いた笑みを隠しもせず肩に手をおく。
「まぁ気にすんなって。夜で視界も悪いし、その上制服が男女共通なんだから間違われても仕方ねぇって、な?」
「別に……私は気になんかしていませんよ? ええ、気にしてませんとも」
そう言うとアリッサはぷいと不機嫌そうにそっぽを向いてしまう。
「まぁ……せめてもう少し身体の凹凸が激しけれ――」
明確な敵意をもった視線に、ハイネは口を閉じる。
「いくらハイネさんと言え次は抜きますよ……」
「悪い、そこまで気にしてたとは」
「だから気にしてません!」
「はいはい……」
「しかし……どうやらハズレのようですね」
みたいだな、とハイネも疲れたようにため息をつく。
「とりあえず……私はエッダの警察に連絡してきます。その間の犯人の拘束をお願いしたいんですが」
「おいおい、上司に雑用を押し付ける気かー?」
不満気味なハイネに対し、しれっとした態度で応じるアリッサ。
「上司を使い使いぱしりにするよりはマシでしょう? それに――」
意味ありげな表情で
「あなたのほうがこの手の作業は向いている。違いますか?」
まぁな、と頭を掻きながらハイネも意味ありげに笑うと、やにわ後方へ向け手をかざす。
途端、かざした手の先でエドがもんどりうって倒れる。
どうやら、注意が逸れた隙に逃げ出そうとしていたらしい、なかなか抜け目のない男だ。逃げ出そうとしていたことはバレバレだったようだが。
「な、なんだ……身体がうごかねぇ……」
正確には身体が動かないわけではない。腹ばいになった状態で死に掛けの虫のように手と足がさかんに動いている。ただ起き上がって歩き出すことができないのだ。
「やめとけってお前はもう“補足”済みだ。逃げらんねぇよ」
そういってハイネは、エドの背にどっかりと腰をおろす。
「このわけわかんねぇ力……まさかあんたら……」
「神の使者か? そうさ、これが神の御業――奇跡の力ってやつさ」
どこか自嘲気味なそのニュアンスはエドには伝わらない。ただ力なくがっくりとうなだれる。
神の使者、それは人の身でありながら、神によって超常の力を与えられた存在であり。地上における神の奇跡の体現とされる。
教会によるならば、彼らはときに悪魔の僕から弱き人々を守る神の盾となり、邪悪を切り払う神の剣となる。そして地上に神の威光を示し、人々に平穏と安寧を導く、文字通り神の使者なのだという
神の使者ねぇ、と呟きハイネは紙巻タバコを取り出し、口にくわえる。
「畜生……ついてねぇ……」
いや、お前はついてるよ、とハイネ。
「俺が止めなきゃ、そこの怖~いおねぇさんに右か左もってかれてたぞ」
なんのことか分からない様子のエドの脚をつま先で小突くハイネ。途端、エドの顔からさっと血の気がひく。どうやら言葉の意味を理解したらしい。
「誤解を招くような言い方はやめてください。斬るのは腱だけです」
いやそれはそれでどうなんだ、といった表情でハイネは懐から懐中時計を取り出す。
「おお、もう六時だぜ六時。久々の肉体労働で腹減っちまったよ。飯にしようぜ、飯。コイツはその辺に括りつけといて、エッダの警察に連絡だけ入れとけばいいんじゃねーか?」
「いいわけないでしょう……というか任務中ですよ、我慢して下さい」
やれやれ、といった感じで答えるアリッサ。
「かー、真面目だねぇ。若いうちからそんなんじゃろくな大人にならねぇぞ」
「余計なお世話です。というかハイネさんの方こそもう少し真面目にすべきかと思いますが。一応聖騎士の称号もちなんですから……もっと生活態度をしっかりして頂かないと、他の騎士たちへの示しがつきませんよ」
「いや、俺だって最近は結構気をつけてだなぁ」
「確かこの前も酔っ払って騎士団内を徘徊した挙句、廊下のソファーで寝てましたよねぇ?」
「いやそれはその……ああ、分かった分かりました。以後気を付けますよ……ったく、若いころのお前の親父さんにそっくりだよ、お前のそういうところ。親子二代で説教しなくてもいいだろうが……」
不満気味に答えるハイネの抗議に対し、どういうわけかアリッサは照れたように微笑んでいた。
「分かりました、なるべく早く戻ってきますから。それと今夜の夕飯は私のおごりです。コレでどうですか?」
「お、なかなか分かるじゃないか。久々のエッダだ、聖都じゃありつけない刺激的なモンが食いたいから……『イフリート』で激辛料理なんてどうだ? ついでにビールを……」
「奢るとは言いましたがお酒はだめです。まだ任務が残っているでしょう」
大真面目な顔できっぱりと言うアリッサに対し、ハイネは大仰に肩を落とす。
融通が効かねぇのも親譲りか、と独りごちた。
遠く見える教会の尖塔に突き刺さった夕陽が、静かに沈みはじめていた。