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巨人の腕  作者: 葉寧
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イントロダクション

 夜の闇が全てを覆う頃、地上の生物の大半は、闇の中に息を潜める。

 眠りにつくもの、暗がりに身を隠し獲物を狙うもの。いずれにせよ、本来静寂の中にあってしかるべき夜の中にあって、その場所は昼間の様な明るさと喧騒をたたえていた。

 商業都市『エッダ』、アースランド大陸の東西を陸路で結ぶ要衝の地であるこの都市は、冬は厳しい寒さながら、豊かな水と鉱山資源に恵まれ、古くは農業や鉱業を中心に発展していった。現在ではその地理的特徴を活かし、この大陸の商業・交易の中心としての役割を果たしている。また、流行や大衆文化の発信地としても有名であり、ここアースランドの経済的・文化的な中心都市となっている。


 暖かな食卓を囲む家族、家路に着く者を盛んに呼ぶ込む威勢のいい店員。ごとごとと人ごみをかきわける馬車。街は活気に溢れ、家々や店先から漏れ出した光はひとつとなり、道行く人々の様々な表情を照らし出している。

 この夜の平穏さを象徴するかのように。

 しかし、光で照らせば必ず相応の影ができるように、都市とはその眩いばかりの発展の過程において、闇を内包しやすい。一見華やかに見えるエッダとて例外ではない。


 この街の繁栄の影とも言うべき場所、それがここスラム街。

 華やかな街から路地を一つ抜けただけだというのに、そこはまるで別世界。そこら中にえもいわれぬ臭いがたちこめ、道はろくに整備されておらず荒れ放題。道往く者の顔には覇気が無く、拭いきれない悲壮感がべったりとへばりついている。このスラム街とは、エッダの繁栄の過程で蹴落とされた者の行き着く先、敗者達の吹き溜まりなのである。

 スラムの夜を彩るのはランプの明かりではなく、ところどころで灯された焚火の明かりだけが、弱々しく闇を照らしている。ゆらゆらと揺れる炎に照らされた人々の光景は、幻想的と言うより、亡者の群れを連想させると言ったほうが適切だろう。

 いつもと変わらぬ、スラムの静かな夜が更けていく……誰もがそう思っていた。だが、今夜は少し様子が違うようだ。


 スラムのはずれから突如として放たれた強烈な炎の光が薄闇を貫き、周囲を赤々と照らしている。

 天を焦がさんばかりに猛る炎の中心部にあるものは家屋――いや、それは今となっては「家屋であったもの」でしかない。もはや薪と化したそれは、猛る炎の餌となり、ただただ炎の蹂躙に身を任せるのみである。

 辺りの家々からは、この騒ぎに眠りを妨げられたのであろう、どこにこれほどいたのかという数の住人達が、ぞろぞろと炎の周りに集まってきた。

 もちろん、消火活動を率先して行おうというような、殊勝な心がけの持ち主はここにはいない。大抵が火事場泥棒目的か、よくて自分の家への移り火の是非を確かめにきた、といったところだろう。そのどちらも期待はずれであることを確認すると、遠巻きに大火を眺めているだけである。

 おそらく、炎が家屋の全てを喰らい尽くすのを見届け、燃え移る心配が完全に無くなり次第、各々の寝床に戻るつもりなのであろう。

 自己の利益に実害が無い限り動かない。それがここの住人達の常識であり、スラム街を生き抜くための鉄則であり、暗黙の了解なのである。

 もっとも、ここまで火が回ってしまっては、エッダの消防署をもってしても手の施しようはない。どちらにせよどうしようもない状況であるというのも事実なのだろうが。

 しかし次の瞬間、住人達の表情が一様にひきつる。

 ミシミシと木の軋む音とともに、火に喰われて脆くなった家屋が大きく傾く。同時に、焼け落ちる寸前までぼろぼろになった扉が、派手な騒音とともにこちら側に倒れてきたのだ。

 もちろん、その音に驚いた、というのも少なからずあったかもしれない。しかし、そんなことなど軽く 記憶のかなたに吹っ飛んでしまいそうなものが、そこには存在していた。


 小さな人影だった。


 それが異常だったのはその形でも、ましてや大きさでもない。異常な点は二つ。ひとつはそれが焼け落ちた扉の向こう、炎の海の中に浮かび上がったものであるということ。そしてもうひとつは、その影がゆっくりではあるものの、こちらに向かってくる動きを見せていたということである。

 野次馬達の視線を一手に浴びつつ、炎の中から影の主が姿を現す。


 そこには、一糸纏わぬ姿で立ちすくむ、少女の姿があった。


 大方こんがりと焼かれた半死人でも飛び出してくると踏んでいたのだろう。誰もが驚愕にとらわれ、間抜け面をさらしてその姿に魅入ってしまっている。

 地獄のような業火の中を歩いてきたというのに、火傷を負うどころか髪の毛一本焦げた様子もない。長いストレートの金髪が、冷たい夜風にさらさらと舞っている。

 背格好から察するに、歳の頃は10~12歳といったところだろうか。理知的な眼差しと端正な顔立ち、淑やか歩み姿はスラムの子供というより、貴族の令嬢のそれを思わせる。

 細く痩せた肢体はどこか幻想的で、まるで妖精のようだった。

 翡翠色の瞳は、およそその年齢には似つかわしくない感情――深淵のような悲嘆と絶望の色を写し出していた。


 そして不幸なことに、そこに歳相応の無邪気な輝きは見出せない。


 常軌を逸した空間に圧倒され、誰もが動けないでいる。そんな止まった時の中を少女はゆっくりと、独り、虚ろな表情で歩き続けた。


 突然 少女は 歩を止め 空を仰ぎ見る。

 一筋の涙が 眼窩から 零れ落ちる。

 そっと 紡がれる 言葉。

 音もなく 閉じられる 瞳。


「――――」

 しかし、そこから放たれた言葉は誰の耳にも届くことなく、突然起こった強い風にさらわれる。言葉を放つやいなや、少女の体あたかも風に煽られたかのごとく、膝から崩れ落ちる。

 トサッという軽い音を合図に時が動き出す。しかし、誰もが顔を見合わせ怪訝そうな顔をするばかりで、少女に駆け寄ろうとするものなどはいない。

 その顔に一様に浮かんでいるのは、異質な存在への、恐怖。

 ひどく冷えた風が容赦なく吹き抜け、少女の体から温もりを奪う。

 空を仰いだ少女の瞳には、何が映っていたのだろうか。澄んだ空気の広がる夜空には、降り注がんばかりの満天の星が、眩しいほどに輝いているのみであった。


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