第8話〜賢者になること…〜
最近何かを忘れていた。
意図的に忘れていたわけではない。
一ヶ月ほどまえに街ごと魔物に襲われる事件があって、それに巻き込まれていたから頭から一時的に切り離していただけだ。だけど、僕が大きな事件に巻き込まれている間も、母と妹は苦しい想いをしている。レアードの皆の事はとても大事だし、三年間ここで家族のように親しくなった皆に別れを言わなくてはいけないのは辛い。でも、辛いのはほんの一瞬だと思う。なぜなら、次に会うときは僕達は敵同士になっているはずだから。
僕はベッドから起き上がると、寮の最上階にある一室を訪れた。そこは男子寮の生活指導教員の部屋だ。この人のところにも僕は何度かファトシュレーンを退学するという相談を持ちかけにいったことがあった。生活指導には厳しく怖い人だけど、生徒の生活上の悩みには必死で相談に乗ってくれる。僕がグラッツ先生と同じくらい気を許せる先生だろう。
部屋の前に立つと、扉の向こうから明かりが漏れているのがわかる。大丈夫だ、まだ起きている。僕は部屋の扉を軽くニ、三回叩いた。
「何だ、セシルじゃないか」
扉が開き、先生が顔だけをぬっと出してきた。
「どうしたんだ、こんな時間に。もう外出の時間は過ぎているぞ?寮の中でも…」
「先生、また少し相談が…」
先生の言葉を遮り、僕は言った。
「だろうな。じゃなきゃこんな夜更けに俺の部屋に来ないよな」
先生は苦笑すると、僕を部屋に入れてくれた。
教員の部屋は生徒の部屋より少しだけ豪勢だ。まず広さが違うし、小さいながら個人用の冷蔵庫があるし、洗面台もある。まるで研究室のようだ。
「そこに座って待ってろ。今、茶でもいれてやるから」
「どうぞおかまいなく」
「おかまいなくと言ったってお前がここに来るときはいっつも日付を越えての座談会になるだろうが」
先生は呆れ混じりに笑うと、大柄な体とは裏腹に丁寧な手つきでカップにお茶を注いだ。
「それで、また例の話か?」
「その通りです」
「そうか…。ここ一ヶ月大人しかったから諦めたかなと思ったのは俺の思い違いだったか」
「それはただ単に話す機会がなかっただけです。レアードが魔物の襲撃にあったことで学校のシステムもずいぶん変わってしまいましたから、それに慣れる時間も必要だったし」
「それに、お前はなんだかんだでレアードの襲撃事件の大きいものには結構関わっているものな」
「自分から首を突っ込んでいくつもりは一度もなかったですよ。ただ、僕を信頼してくれる人がいたから、その人達と一緒ならいいかと思っただけです」
「そうか…」
先生は会話に一呼吸おき、カップのお茶をすする。
「それで最近は襲撃も薄くなってきたから再びここに相談しに来たってわけだな?」
「そうです。深みにはまる前になんとしてもここを辞めます。レアードのことが大事じゃないわけではないですが、こんなことをしている間にも家族は貧乏と戦っているんです。未成年の僕のバイト代だけじゃ満足に生活することなんてできない。そのためにも僕は早く賢者になって家族の元に帰ってあげないといけないんです」
「だが、賢者になるにはこれまで同様試験が必要だ。それに加えて高等魔術の習得も条件となっている」
「………」
「お前達がそれを教えてくれずにいるんじゃないか、てところか?」
「どこが間違っているんですか?」
「……お前、そのことを若さゆえの教師陣の妬みだと思っているんだってな」
「違いますか?」
「違うな。なら、うちの生徒会長はどうなんだ?あいつは賢者だが、年はまだお前と変わらない十八だ」
「あ…!」
「大魔導師になった時期こそお前より遅いが、結果的には十八で賢者になり後は卒業試験に合格すれば晴れて卒業だ。来年の春にはもうここからいなくなる。といっても彼女は優秀な人材だから教師側もそのままここに残そうとしている。彼女が今やっている研究は割と大掛かりなものになりそうだからな。サンプルも必要らしいからここがうってつけだろう」
「………」
「とまぁ、こんなイレギュラーもいる。もしセシルが言ったとおりならば彼女こそ真っ先にここから除外されるだろう」
「ではなぜ僕にはあんな仕打ちをするっていうんです!?若さが原因でないのなら何が!!」
「それは、お前の能力が決定的に低いからだ」
「!!」
「確かにお前は飛び級もしているし学力・実力面でもまったく問題がない。しかし、それだけだ。お前はただ敷かれたレールの上をその通りに進んできただけに過ぎない。ファトシュレーンに限らず魔法学校に入学する者には何かしら理由がある。それは生徒会長のような魔法研究が多い。お前の身近で言うのならばマリノ・オルスカーナはまだまだ伸びる生徒だと言えるだろう」
「マリノちゃんが…?」
「あいつがここに入った動機は確か、憧れている大道芸人に弟子入りするためらしいじゃないか。と、すると大道芸人になるにはどのような魔法の扱い方をすればよいのかを極めなければならない。お前は知らないようだが、あいつはそういう面ではいろいろと努力を重ね、たまに友人のノエル・ハミルトンに手伝ってもらって実験をすることもあるらしいぞ」
「え?」
そんなこと、マリノちゃんは一度だって僕に話してくれたことはなかった。
「それはそうだろう。彼女の実験ではまだ大道芸には程遠いからだ。彼女の性格を知っているお前ならわかるだろうが、きっと彼女は実験が成功した時点で友人達を呼び集めることだろう。楽しいことをして喜ばせるのが好きなマリノらしいやり方だろ?」
「………」
「セシル、お前がここに入学した動機が不審だとは言わない。だが、家族を守ろうと急ぎ足でカリキュラムの階段を上るだけでは魔法学校というのは卒業できない。実力主義を重んじる我が校ならなおさらだ。実力にあわぬものは降級もありえるという我が校のシステムにお前が引っかかっていないのが不思議なくらい、大魔導師級の主任は相当お前に期待しているのだろうな。だからこそ、急ぎ足で頂点を見極めた気になってほしくないのだ」
「そんな……。じゃあ間違っていたのは僕だというんですか!家族のために魔法を習うのは間違いだというんですか!」
「そうは言っていないだろう!ただ、家族を守るという目的では急ぎ足になり兼ねないと言っただけだ」
「もういい!それ以上言わないでください!これ以上、自分がファトシュレーンにいる存在意義を否定されたくない!」
僕はそのまま先生の部屋を泣きながら飛び出した。
「ま、待ちなさいセシル!」
追いかけようとするが、扉のすぐ脇にいた男に気をとられて足を止めてしまう。
「グ、グラッツ先生…」
「先生の部屋が騒がしいと思ったので見にきたのですが、やっぱりあいつがらみでしたか…」
「ああ、今回はいささか俺も熱くなりすぎてしまってな。あいつの心を逆なでするような結果になってしまった…」
「仕方ないですよ。ダイゴ先生は本当のことを言っただけです。あいつがここにいる以上、学校を辞める辞めないに関わらずこの問題には直面したでしょう」
「……かもな。セシルの家族が苦しい思いをしているのは彼が入学してすぐに知ったが、こればかりは避けられえぬ問題だ」
「ええ。賢者になりたいのならば、自分の探求する分野を持ってそれに向かって努力をすること、つまり自分のための目標が必要ですからね。マニュアルどおりに魔法を『習う』だけではそれ以上の進歩はありません」
「家族を想う心は素晴らしいことだが魔法使いの世界では生きにくいだろうな。しかし、どんな理由であれ彼が賢者を目指すというのならば我々はそのための努力は惜しまない。たとえ、憎まれ役に回ろうとも……な」
「ダイゴ先生はずっと変わりませんね。俺がいた頃のまんまです」
「そうか?お前が学生だった頃は今以上にうっとうしい存在だっただろう?」
「タハハ、本当にお世話になりました」
「ま、そういう面倒を起こす奴のほうが俺は好きだがな。そういう奴に限って案外全うな方向に転ぶからな」
「俺がいい証拠、ですね?」
「おいおい、俺はそこまで言っていないぞ?」
「アハハ。それよりダイゴ先生、セシルのことなんですが、少し俺に任せてくれませんか?」
「うん?何か秘策があるのか?」
「秘策ってわけじゃないですけど、ちょっとした荒治療です」
グラッツはそう言ってにっこりと笑った。
ダイゴにはその目がまるで彼の学生時代を訪仏させているように見えたのだった。