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DEATH13  作者: DEATH13
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DEATH Ⅶ 『The Moon』&『The Sun』

時計の長針が短針をすぐに何度も追い越し、回転している。


『今日は三人で動物園に行きましょう』

起き抜けの僕の所にマドールさんがやってきて、唐突に言い出す。


『もう、お弁当は作ってあるから』

と、悩んでいる僕に有無を言わさず、弁当片手に白い歯をこぼした。


『JOKERは、どうする?』

僕が聞くと、姿見の前のJOKERは髪型を整えて、準備万端といった所で鏡越しに笑顔で親指を立てている。


『それじゃあ、僕も今から準備するよ』

二人の目に急かされるように洗面所で歯を磨き、顔を洗うとローブを着替え、いつも通りに準備を済ませた。


『待たせてごめんね』

『早く行きましょう』

マドールさんはそわそわして扉を開けると、僕とJOKERの背中を押して部屋から追い出した。


『元気よく出発進行』

マドールさんは片手を上げ、張り切った掛け声と共に僕達は歩き始めた。


行き先は、隣町にある動物園。

交通機関は一切使わず、徒歩で行くらしい。

その動物園の存在は知っていたが、今まで一度も行った事はない。

人目を避けてきた僕には無縁だった。

でも、こんな機会がなければ一生、行く事などなかっただろう。

この姿になった僕が、まさか動物園に行く事になるとは……


『こんなにお天気が良い日に家でじっとしてるなんて勿体ないよ。本当に気持ちいいわ』

マドールさんは大きく両手を広げて深呼吸している。


僕は懐中時計を取り出して見てみると、時計の針は部屋を出てから三時間後の時刻を指していた。


「さっき部屋を出たばかりなのに、もうこんな時間に……」

僕がそう思っていると、遠くに動物園が見えてきた。


『あともう少しだから頑張って』

とマドールさんがJOKERの手を引いて走り出すと、JOKERはもう一方の手で僕の手を引いた。


JOKERに手を引かれるがままに走り続けると、多種多様な色彩の湾曲した大きな看板を掲げた門の前に着いた。


門をくぐるとマドールさんはJOKERの手を離し、一人、そそくさと奥へと消えた。


『やれやれ……』

僕の疲労がそう洩らし、僕はJOKERと二人で見て回る事にした。


僕達以外は誰一人として居ない無人の園内。


種々様々な動物を見ていると、一つの思いが湧いて出てきた。


あの動物達は狭い檻の中が全て。

出たくても出られない、他の誰かと話したくても話せない……

あの狭い檻の中で何も変化のない毎日を死ぬまでただひたすら繰り返す。


そこには、あの頃の自分と重ね合わせている僕が居た。


その時、僕の視界が急に暗転した。それからしばらくして体の違和感と共に視界を取り戻した。


その違和感……

この堅苦しさの原因……


それは、赤錆に浸食された、魚を模した一つの鉄の枷に手首と足首を繋がれ、体を前に半分折り曲げた状態になっていたからだ。


もう一つ驚くべき事に僕の手と足には肉が付いていた。


「人間に戻っている?一体、これはどういう事なんだ……」


体には黒と白の横縞の囚人服のような物を着せられている。


首から腐食した板状の物がぶら下がっていた。


その板状の物をよく見てみると、表面に番号が書かれていて、僕の目は反転している「13」の数字を見た。


次に顔を横に向けて様子を探る。


僕から数メートル先に殺風景な板張りが続いているのを見た後、そのまま首を起こして前に顔を向けた。


僕の前には、僕と同じ服装で上半身のない人が居る。


僕は、ゆっくりと横に移動して前方を見た。


すると、僕の前には一人ではなく、数人が同じ服、同じ姿勢で一列に等間隔で並んでいた。


列の最前の前に二足直立の巨大な二頭の牛が、右と左に分かれて立っている。


一頭の牛は険しい表情で大きく口を開け、肩に大きな金槌を担いでいる。


もう一頭の牛は目を見開き、口をしっかりと一文字に結び、微動だにせずただじっと列の人間達を睨み付けている。


二頭の牛は、まるで阿吽像のような迫力だ。


列の先頭のすぐ前には二足直立の二頭の豚が横に並び、それぞれ手にした鋭利な刃物を×に重ね、待機している。


重なった刃物は天井から射し込む日の光によって怪しく光を放っていた。


瞬きをする度にちらつく残光に気を取られていた時、僕の背後から女性の辛そうな咳が聞こえ、振り返る。


その光景を見て、絶句した。


僕の前だけではなく、その後ろにも何かに降伏するかの如く頭を垂れる僕と同じ体勢で連なる人々。


大きく開放された出入り口から更に外へと大蛇のように列は伸びている。


出入り口付近には二足歩行の二羽の鶏が列の左右に分かれて、手にした警棒のような物をちらつかせてはそれで人間の頭や尻などを順にとんとんと叩いて前に向かって来ている。


どうやら列を巡回しているようだ。


その時、一羽の鶏と目が合ってしまった。


『お前、何をしている』

と鶏は甲高い声で叫び、手にした警棒のような物はバチバチと青い光を発して駆け足で僕に詰め寄る。


激怒している鶏は、やって来るなり僕を足蹴にして

『とさかに来るような事、二度とするなよ。わかったな?』

と言い、僕はそれに頷いた。


すると、そこにもう一羽の鶏がやって来て

『わかったのなら返事をしろ、返事を』

と甲高い苛立ちの声が僕に『はい』と返事をさせた。


『よろしい』

二羽の鶏は声を合わせてそう言うと前の方へ行った。 『大丈夫ですか?』

僕が列に戻ると前から女性の声が聞こえて顔を上げると、それは顔を少しこちらに向けたマドールさんだった。


『マドールさん、どうしてここに?』

『貴方は何故、私の名前を知っているのですか?』

僕が小声で聞くとマドールさんは不思議そうに言った。


「マドールさんは人間になった僕の事が解らないんだ」


『マドールさん、僕です。DEATHです。ほら、ね?』

僕は出来る限り頬をこけさせて言った。


『DEATHなのね、よかった。私が気付いた時にはもうこの状態だったからどうしてここにいるのかわからないわ』

とマドールさんが言った時、

『これは、まるで動く遺影だな。そんな悲しい顔をせずに最期くらい良い顔で笑えよ』

と前方から野太い声が鼻で笑った。


『さっさと片付けるか。よし、始めるぞ』

その野太い言葉で僕の思考が更に焦り始めた頃、

『待って下さい。御願いです。私の命と引き換えに他の方々の命をどうか見逃して頂けないでしょうか?』

と聞き覚えのある声がした。


『DEATH、私のすぐ前にはJOKERがいるわ』

とマドールさんが教えてくれた。


『今、言ったのはどいつだ?』

野太い声がそう言うと

『私です』

とJOKERは列の横に出た。


『お前、なかなか良い度胸してるな。だがな、何人たりとも断じて見逃しはしない。いずれにせよ、もうじき死ぬのだからそんなに死に急ぐ事もなかろう。抗う事の出来ぬ運命とは悲しいものよの』

野太い声が言い放つと、JOKERの所に豚が来た。


『あまり盾突くなよ。それと命を粗末にするんじゃねぇぞ』

豚は、にやりと笑い、JOKERの太股に刃物を突き立てた。


「JOKER……」


『さてと……おっ始めるぞ。番号』

と、あの野太く刺刺しい声がして、それに続くように

『いっ……1番』

と酷く怯えた声が聞こえた。


そして、その直後に『あなた』と叫ぶ女性の声がして、番号を言った男性の声は数秒後、悲鳴に変わり、苦しげな鈍い音が響き渡り、辺りを騒然とさせた。


しばらくすると、誰一人として居ないような静けさがこの場に満ちていた。


その中で、ずるずると何かを引きずる音がして、僕が顔を上げると、動かなくなった人間の足を二頭の豚が右と左で手分けして引き、砂煙を立てていた。


この建物内の列の人間、皆の目に入りそうな位置で、二頭の豚は囚人服を刃物で切り裂き、人間の解体を始めた。


皆に見せ付けるように大袈裟な動作で、そして、わざと大きな音を立てるように皮を剥ぎ、肉を切り落としている。


悲鳴、絶叫、嗚咽……

囚われた人々の様々な感情が入り乱れていた。


『ぶうぶう言わずに黙ってよく見とけよ』

二頭の内の一頭の豚が鼻声で言い、また作業を続けている。


そこで僕は顔を伏せた。


『番号』

また、あの声だ。


『あなた……』

消え入るような女性の声。 『お前、あの男の女か?安心しろ、すぐに男の所へ逝けるのだから、そんなに悲嘆する事は無い』

『あなた……』

野太い声は強引に女性に番号を言わせ、一番目の男性の時と同じく、悲鳴と鈍い音が響き渡った。


『連れて行け』

野太い声がそう命じると、あのずるずると引きずる忌まわしい音がした。


その時、一人の男性が隙を見計らい、兎のように跳ねて逃げようとしたが体勢を崩してしまい倒れてしまった。


そこに透かさずあの鶏がやって来た。


『変な気を起こすとよ、どうなるか教えてやろうか?こうなる』

激高した鶏は、倒れている男性の体に青い光の警棒を押し当て、気絶した男性の頭に片足を乗せた。


それから男性と女性の臨終の嘆きが交互に聞こえては消え、そして、とうとうJOKERの番が来てしまった。


脇からの汗が腕を伝って流れてくる。


それに同調するように顔から流れる尋常ではない雫が砂地の地面を黒く濡らす。


『一つだけ聞かせて下さい。貴方方は何故、このような理不尽な事をするのですか?』

とJOKERが問う。


『何故、このような理不尽な事を……だと?』

野太い声がそう言うと、一斉に動物達の大きな笑いが起きた。


そして、その笑いが静まると

『それは、こっちが聞きたいぜ。俺に聞くまでもなく、お前等人間が一番よくわかっているだろう。だが、お前等に俺達の恨み辛みなんて到底わからないだろう』

と野太い声は答えた。


僅かな沈黙の後、

『番号』

と野太くいきり立った声が場の空気を一変させた。


不自由な体で僕がJOKERの前に立つと、僕の横にはマドールさんが居た。


僕は首を目一杯、横に倒して牛の顔を見上げていた。


『私の為に……有り難う御座います』

背後からJOKERの声が聞こえ、僕とマドールさんの間に割って入り、前に出た。


『番号』

力強い牛の声に対し、

『11番』

と全く動揺を見せないJOKERの声と同時に金槌は振り下ろされた。


JOKERは声を上げる事なく、血煙を上げてその場に倒れた。


砂埃が舞う中、僕はすぐにJOKERの下に行き、口元に手を近付けた。


『……』


その時、

『お前……何、勝手な事をしている』

と甲高い声がして、僕は後頭部に強い衝撃を受け、ズキズキと意識朦朧の末に気を失った。


地面に顔を付けて倒れている僕が目覚めると、僕の顔のすぐ目の前に、血塗れで瞳孔の開いた大きな目が瞬きせずにこちらを見詰めるマドールさんの変わり果てた顔があった。


マドールさんの頭部は大きく陥没して、そこからドロドロと、脳髄が、流れ出ている。


『……』


『今、上がった所だ』

牛が言うと、二頭の豚が倒れている僕を抱え起こした。


豚は鼻を鳴らし、僕の匂いを嗅いでいる。


『人間は本当に臭いな。鼻がひん曲がりそうだ』

豚はそう言いながら、僕を二頭の牛の前に連れて行く。


しばらく進むと牛の足が見えてきて、僕はそこで豚に止められた。


躊躇いながらも顔を上げると、高い位置にある牛の顔がゆっくりと僕の顔に近付いてくる。


怖くて動かない僕の顔の目前に、黒と白と赤の三色斑の牛の顔。


その大きな目は据わり、剥き出しの白目には幾つもの赤い枝を張り巡らせ、荒い鼻息が顔に当たり、右目を隠した僕の白髪まじりの長い髪を揺らしている。


唾液を垂らし続ける牛は時折、舌舐めずりをしては、また唾液を垂らしていた。


『番号』

牛は大声で言った。


『……』


僕が「13」の数字を言ってしまったら……僕は消えて、次は「14」になる。

そう考えると、どうしても 口から出ない、口が裂けても言えない数字。


『おい、どうした?』

『言えません……』

急き立てる牛に僕は言った。


『そうか……ならば、ここで一つ、お前に簡単な問題を出してやろう。見事、正解した場合、お前の命を見逃してやる』

と得意満面で牛が言った。


『この流れ……何かおかしい……』

僕が呟くと早速、出題された。


『問題。昔々、ある所に爺さんと婆さんが居ました。男、女の順で答えろ。制限時間は、3秒だ』

牛は言い終えると数え始めた。


『爺さん婆さん』

僕は咄嗟に早口で答えた。


すると牛は

『よく言った、13番と』

と言った。


『いや、違う。僕は「爺さん、婆さん」と……』

『問答無用。あばよ……』

牛は僕の言葉を捻じ伏せるように言い放ち、ゴクリと大きく唾を飲み込んで僕目掛け金槌を振り下ろした。


『悪く思うなよ。恨むなら俺達ではなく、己の運命を恨む事だ』


僕は金槌の風を切る音を聞きながら、今にも溢れ出しそうな口の唾を飲み込み、強く目蓋を閉じた。


そして、粉砕する音がした時、僕の体は大きく反応して、辺りを見るとそこはいつもの見慣れた部屋で、僕はベッドの上だった。


僕は、すぐさま頭部を手で確認したが、傷や血液らしいものは無かった……と言うより骨だった。


『夢か……』


こんなにも骨である事を心から良かったと感じた事は今までに一度も無い。


テーブルに眼をやると、テーブルに広げた新聞紙の上で、小さな金槌片手に胡桃を割るマドールさんが居る。『DEATH、おはよう。もしかして私が起こしちゃった?』

『おはよう。いや、違うよ。たまたま今、目が覚めたんだ。だから気にしないで。それよりその胡桃どうしたの?』

『えっと、これはね……机の引き出しを開けたらいくつか胡桃があったから一つ……ごめんなさい』

『それ、かなり昔の物だと思うけど……胡桃二つを擦り合わせると蛙の鳴き声がするって遊びをやっていた頃……いつだったかな……かれこれ数十年は……だから……』

と僕が言っている途中にマドールさんは胡桃の実を口に放り込んだ。


『うん、美味しい』

マドールさんは頬に手を当てて言った。


『この部屋にある物を自由に使ったり、食べたりするのは構わないけど、たまに何かしら変な物が出てくる可能性が無きにしもだから念の為、言っておくね』

僕は苦笑いで言った。


『変な物って何かしら?気になるわ』

マドールさんはそう言うと新聞紙を丸めて立ち上がり、それを持って台所に向かった。


しばらくすると僕の所にマドールさんがやって来た。


体の後ろで何かを持っているようだ。


その時、僕の頭の中で映像が流れた。


「もしかして、これは……」


『今日は三人で動物園に行きましょう。もう、お弁当は作ってあるから。と言って、後ろ手に持っている弁当片手に笑うんだよね?』

『どうして、それを……』

マドールさんは、とても驚いている。


僕は手招きしてマドールさんの顔を寄せさせると耳打ちした。


『マドールさんには、さっきの言葉を言ってもらって、次に僕が「JOKERは、どうする?」って聞くと、姿見の前のJOKERは髪型を整え終えてから鏡越しに笑顔で親指を立てる筈だから見ててね』

マドールさんは無言で頷いた。


『今日は三人で動物園に行きましょう。もう、お弁当は作ってあるから』


『JOKERは、どうする?』


姿見の前のJOKERは髪型を整えて、準備万端といった所で鏡越しに笑顔で親指を立てた。


『ほらね、間違いない……』

僕は呟くと、夢の顛末をマドールさんに話した。


『だから、なんとなくだけど動物園には行かない方が……そんな予感がするんだよね……』


しかし、マドールさんは僕の話に食い下がり、こう切り返してきた。


『確かに言い当てた事はすごいと思う。でも、それは夢であって、これは現実でしょ。そんな事を気にして私は一日を無駄にしたくないの』

マドールさんは聞き分けのない子供みたいに地団駄を踏み、駄々を捏ねている。


『……』


『わかったわ。DEATHが行かないなら、私、JOKERと二人で行くから。ね、JOKER?』

マドールさんはJOKERに腕を絡ませて言った。


『いえ、それは……』

JOKERは困った顔で僕を見ている。『僕の考え過ぎなのかな……わかった、三人で動物園に行こう』

気が進まなかったが、僕が折れる形で決まると、マドールさんは僕にも腕を絡ませ『ありがとう』と、いたずらっぽく笑った。


『マドールさん、確か隣町の動物園までは歩いて三時間くらいだよね?』

『そうね、それくらいかな。DEATH、さんはいらないわよ』

僕が腕を解きながら尋ねるとマドールさんはそう答えた。


『マドールさん、確か隣町の動物園までは歩いて時間くらいだよね?』

僕は言い直した。


『違う。そういう意味じゃなくて、マドールさんの「さん」は、いらないって事よ』

『あっ、そっちか……。了解です』

笑っているマドールに僕は敬礼をして言った。


『今から準備するから少し待ってね』

僕は少しでもあの悪夢を払拭するように言葉を変えた。


『お待たせ』

『早く行きましょう』

マドールは、そわそわした様子で扉を開け、僕とJOKERの背中を押し、部屋から追い出した。


僕は扉に鍵を掛けた。


『元気よく出発進行』

マドールは片手を上げ、張り切った掛け声と共に僕達は歩き出した。


『こんなにお天気が良い日に家でじっとしてるなんて勿体ないよ。本当に気持ちいいわ』

マドールは大きく両手を広げて深呼吸している。


ここで僕は懐中時計を取り出して見てみたが、時間はそれなりにしか進んでいなかった。


「やっぱり僕の思い過ごしだったか」


安心すると何だか急に足取りが軽くなった気がした。


取り留めのない会話を交えつつ、足は休む事なく目的地に向かっていた。


マドールは先頭に立ってどんどん進み、たまにこちらに笑顔で振り返り、僕達が追い付くとまた、どんどん先を急いでいた。


それからも歩き、歩き続けると、ようやく遠くに動物園が見えてきた。


『あともう少しだから頑張って』

マドールはそう言ってJOKERの手を引いて走り出し、JOKERはもう一方の手で僕の手を引いた。


『そんなに急がなくても動物園は逃げないよ……』

『いや、逃げる』

マドールの言葉に僕は呆れ気味に笑った。


手を引かれるままにしばらく走り続けると、色彩に富んだ湾曲した大きな看板を掲げた門の前に着いた。


僕達は入園料を支払い、門をくぐった。


園内は沢山の人でごった返している。


人混みを掻き分けるようにして進み、三人で見て回った。


動物園には大小様々な生き物が居て、マドールは目をらんらんと輝かせて見ていた。


一通り見た所で休憩する為にベンチを探していると、色々な動物が描かれた、顔の部分がくり抜かれている看板があった。


僕が、横に居たマドールを見るとそこに姿はなく、もう一度、顔出し看板に眼をやると、口を開け、しかめっ面の虎のマドールが居た。


僕は鞄からカメラを取り出し、通りすがりの人にお願いして、JOKERは馬、僕は猿になり撮影した。


通りすがりの人に礼を言い、カメラと写真を受け取った。


『写真も撮れたし、そろそろどこかでお弁当食べよう』

マドールがそう言った時、泥だらけの長靴を履いた飼育員が慌ててやって来た。


『皆さん、早く逃げて下さい。園内の全ての動物が檻から脱走しました。皆さん、早く逃げて下さい』

飼育員は両手で口を囲って大声で言うと、走って別の場所に行った。


それを聞いた人々は混乱状態に陥り、我先に我先にと押し合い圧し合いで逃げている。


激流のような人波。


僕達は、その強大な人波に飲み込まれて、そのまま流された。


動物園は飲み込んだ客を一気に吐き出している。


そして、流れの果てで薄汚れた小屋に眼が留まり、何故か足が止まった。


腐蝕した木造の扉を軽く叩き、中へ足を踏み入れる。


狭い部屋の中央に丸いテーブルがあり、それに肘を突き、指を交互に組んだ手を口元に、俯き加減で静かに佇む人物が居た。


『待っていたぞ。私は予言者だ。全ては神の思し召し』

見るからにいかにもそれらしい格好をしている自称予言者は静かに言った。


その声は男のようであり、女のようでもある、中性的などっちつかずの声だ。


僕達がテーブルに近付くと、自称予言者はテーブルの上の台座に乗った水晶玉を手に取り、もう片方の手をそれに翳して覗き込んだ。


水晶玉に映り込む自称予言者の顔が膨らんでいる。


しばらくそのまま時が過ぎた。


『来るぞ……』

自称予言者は突然言い、何か割れる音がした。


『消えた……』

ほんの数秒前まで僕達の目の前に居た自称予言者の姿が消え失せていた。


床には倒れた椅子と粉々に砕け散った水晶玉の破片、そしてテーブルの下を見ると一匹の獏が居た。


『何かがおかしい。とにかく、ここから出よう』

僕が言うと二人は頷き、部屋から飛び出した。


外は、すっかり日が落ちている。


僕達は車道を探し、走り続けた。


すると、どこからか車の走行音が聞こえて、道を左に曲がるとその先に移ろう光が見えた。


まばらに走り去る車を眼で追いながら、こういう時に限ってなかなかタクシーは来ないと改めて思い知らされた。


それから何台もの車を見送った後、向こうから天井灯を点灯させた車が見えた。


僕は歩道の防護柵から身を乗り出すようにして手を上げ、車の到着を待つ。


車が近付くにつれ空車の文字がはっきりと見えた。


タクシーは僕の手前あたりから減速して、こちらを確認すると天井灯が消灯、青の「空車」の表示から赤の「助けて」に変わり、タイヤを鳴らし猛スピードで走り去って行った。


『あれが所謂、乗車拒否というものですか』

『うん……』


それからも数台の車と時間だけが僕から通り過ぎていった。


僕は背伸びをするように遠くを見ていると、天井灯を点灯させた車が続けて三台やって来た。


「よし、よし、よし」


僕は思い切り両手を振った。


そして、数秒後、力無くその両手を下ろした。


『DEATH』


呼び声に振り返ると、少し離れたマドールの所に三台のタクシーが停車していた。


しかも反対車線のタクシーまでもが、わざわざ方向転換して列をなしていた。


『ありがとう。でも僕はもう少しでガラス窓に突っ込んでいく所だったよ』


一番先のタクシーに近付くと、さっきまで青の「空車」と表示されていた筈だが、僕の見間違いか、薔薇色の「喜んで」になっていた気がした。


タクシーに乗り込み、後部座席に深く腰を掛け、運転手に行き先を告げた。


車内は独特な匂いで、無線のざらついた声を聞きながらいつしか眠った。


窓に頭をぶつけては起き、またすぐに眠った。


そして、夢から覚めるとタクシーは信号待ちで、僕は何気なく前を見た。


『こっちが夜で、あっちが朝?』


これは夢か現か、この信号から数十メートル先、境界線を引いたように相反する静と動、陰と陽が、くっきりと真っ二つに分かれている。


信号が変わり、しばらく進むとトンネルを抜けたように夜から朝になった。


僕の視覚は細くなり、そのまま眠った……


『お客さん、着きましたよ』

眠りこけていた僕は運転手の声で目覚め、窓の外には見慣れた風景があった。


料金メーターに表示された運賃を支払い、タクシーを降りた。


次の瞬間、僕の足の裏に踏み締める筈の地面の感触はなく、暗い穴へ真っ逆様に落ちた。


それから目蓋の向こうにある強い光で意識を取り戻した。


破れたローブの横に横たわっていた僕は立ち上がろうとするが体が重く、何やらいつもと様子が違う。


何とか身を起こし、近くにある水溜まりを覗き込む。


水面に映るその顔は、どこからどう見ても牛以外の何物でもなかった。


『……』


これはきっと何かの間違いだと自分に言い聞かせ、JOKERとマドールを捜す。


車道を見ながら歩いていると、向こうから冷たく輝く金色の昇り竜が装飾された黒い神輿車がやって来た。


運転者の姿がわかる程の距離になった時、突然、運転者の姿が消え、主を失った神輿車は路肩の縁石に乗り上げ、こちらに向かってきたが間一髪の所で僕は難を逃れた。


神輿車は壁に激突して大破している。


僕は走りながら警戒して車道を見ていると、神輿車と同じように突然、主を失った車は対向車に衝突したり、玉突き事故を起こしていた。


それから走っている途中、様々な動物とすれ違った。


装飾品を身に付けた豚、念仏を唱える馬、警察官の帽子を被った犬……


気付くと僕は川のせせらぎを耳にして、紅葉が広がる川に着いた。


喉の渇きを癒そうと川のほとりに近付くと、その傍らの河原に何か白い物が落ちていた。


それは見覚えのある白い服で、その上で体を反り返し、ひたひた跳ねる魚がいた。


まさかと思いつつ、念の為、魚に声を掛けてみる。


『もしかして、JOKER?』


するとどうだろう……


『兄さん、私です』

とJOKERの声で魚が答えた。


『JOKER……とにかく無事で何よりだよ』

僕は魚のJOKERを咥えて川辺まで運び、ゆっくりと水を掛けた。


そして僕が水を飲もうと川に顔を近付けた時、水面に人間の顔が浮かび上がった。


僕は思わず怯んだ。


川から這い上がってきたその人間は、目から鱗を落としながら喜び、万歳三唱してどこかへ走り去って行った。


……。


『JOKER、痛いかもしれないけど少し我慢してね』

『済みません。この姿では手も足も出ません……』

僕は石の上のJOKERを咥え、そのまましゃくるとJOKERは僕の背中に乗った。


マドールを捜す為、知らない場所を彷徨う。


僕の舌が顔を出した頃、遠くに磔にされた人影のようなものが見えた。


そこまで走って行くとそこは畑で、さっき見た人影の正体は、くたびれた案山子だった。


『私を食べないで……私を食べないで……』

案山子の方からマドールの呟く声がした。


『マドール……こんなにボロボロになって……』

『その声は……DEATHね。来てくれてありがとう。私は、こっちよ』

その声を追うと、案山子の後ろに深紅のドレスが横たわっていて、その上に完熟した真っ赤なトマトがあった。


僕は、JOKERの時と同様にマドールを背中に乗せた。


その時、『あそこにいたぞ』と聞えて、見ると、少し離れた場所からこちらを指差す人と、その近くには数人いる。


『……ごめんなさい。私がわがままを言ったばっかりに……』

『貴方の所為ではありませんよ。兄さん、私の方こそ済みません』

『二人のせいじゃないよ。あの時、強引にでも僕が引き止めるべきだったんだ、ごめんね。でも、今は皆で謝っている場合じゃないよ』


僕は四つの足で必死に駆ける。


気が触れたのか、前から猛進する猪が駆け抜けていった。


命からがら逃げ切った僕達は茂みに身を潜めた。


そして、夜になるまでここで待機する。


僕は横になり、背中のJOKERとマドールを滑らせて草の上に降ろした。


無言のまま静かに時間が流れる。


風にさざめく草に隠れて枝の折れる音が聞こえた。


風が消えた後、尚もそのさざめきは続いている。


僕は体を起こして草陰から向こうを窺った。


すると、そこには一列に並んで横切る羊の群が居た。


『駄目だ……ごめん……ね?』

僕の意識は羊達に奪われ、そのまま倒れた。


『兄さ……兄さん……』

その声で僕が目覚めると、既に月夜になっていた。


『追っ手が近くまでやって来ています』


懐中電灯のような光が左右に揺れている。


僕は慌ててJOKERとマドールを背中に乗せて立ち去った。

朝と夜を何度か繰り返したある日、安息地を求めて彷徨っていた僕達は追っ手に見付かってしまった。


『ごめんね』

僕は走りながらJOKERを用水路に、マドールは草むらに落とした。


町中に入ると左右に住宅が立ち並び、その一角に駄菓子屋があり、子供達は指をくわえて玩具やお菓子を眺めている。


僕は、駄菓子屋の奥を右に曲がり、走り続けた。


振り返ると小さな追っ手達の姿が見えた。


そうしてまた路地裏を突き進んだ。


すると、顔の先には壁があり、他の道もない……


壁に体当たりしたり、よじ登ろうとしたが全く歯が立たない。


慌てて後ろを見ると、すぐそこまで追っ手達が来ていた。


じりじりと歩み寄る 言い知れぬ恐怖……


『現実、お前は牛だが、今のお前は袋の鼠だ。さあ、観念するんだ』

『僕は誰にも迷惑を掛けていないじゃないか。何故、僕を』

追っ手の一人が言った言葉に僕は全身で叫んだ。


『何言ってんだ?』

どうやら追っ手達には、僕の声は鳴き声にしか聞こえていないらしい。


こうして僕は、あえなく捕まった。


首に掛けられた縄を無理矢理に引っ張られ、数台ある内の一台のトラックの荷台に押し込まれた。


別のトラックの前では大きな牛と小さな牛が引き離され、それを見ていた両の掌を広げたような桃色の花が土に潜り、姿を隠した。


大きな牛は声を上げ、必死に抵抗するも空しく終わった。


トラックの荷台に強引に乗せられた大きな牛は、悲しい目で小さな牛をずっと見ていた。


その時、ゆっくりと車が発進した。


しばらく車に揺られると、木造の古い小屋の前に着いた。


僕は小屋に連れて行かれ、一人に縄を手繰り寄せられた。


もう一人は顔を真っ赤にして、両端の尖った金槌を腰を回しながら後ろに持ち上げ、その勢いのまま振り下ろす。


僕は砕け、視界が倒れた。


生温かく広がる血の海に僕は浮かんでいた。


薄れゆく意識の中、今までの喜怒哀楽が端的に、足早に通り過ぎる。


そして、僕の目は人間の足を横に見詰めたまま映像が途切れた。「ここは、どこだろう……どうして僕は、ここに?それにしても寒い」


辺りは軽快な音楽が流れている。


僕は仰向けの状態で白いベッドに寝かされているようだ。


その時、突然こちらを覗き込む中年女性の顔が現われた。


僕は驚き、思わず目を逸らした。


その中年女性は僕の体の至る所を触り、何度か頷いて、ベッドの僕をそのまま、檻のような場所に移動させた。


僕の錯覚なのか、地面が揺れているようだ。


次に僕と同じ白いベッドの患者が檻に立て掛けられるようにして運び込まれてきた。


いや、それは患者ではなく、魚だった。


『兄さん……』

魚から発せられた、こもったその一言が、僕の記憶を鮮明に思い出させた。


「JOKER……」

僕は声を出す事が出来なくなっていた。


それからまた、新たな何かがやって来た。


『DEATH……』


完熟した真っ赤なトマト。


「マドール……」


僕達はレジを通され、ビニール袋に入れられた。


軽快な音楽は消え、夕闇が揺れている。


足音、自転車の鈴、自動車の音……

どこにでもある日常を聞いていた。


しばらくすると上下の揺れが激しくなり、それが止むと扉の開く音がした。


そして僕は調理され、最初に食卓へと運ばれた。


中年男性と青年がテレビを見ている。


大音量のテレビは大食いを競い合う番組を映していた。


その人間達の食べ方は、骨付き肉を両手に持ち、交互に、豪快にかぶり付いていた。


脂でギトギトに汚れた大口を開け、口いっぱいに肉を頬張っている。


むせると胸を叩いては口の中の肉を外に飛ばし、水で流し込んでいた。


それが終わると一人の男が大食漢にマイクを向けた。


『優勝おめでとうございます。それにしても本当に凄い試合でしたね』

『いや、たいした事ではない。こんなの朝飯前だ』

大食漢は言い終わると頬を膨らませながらげっぷをした。


観客達の鳴り止まない拍手や歓声に応えるように大食漢は、動物の形をしたトロフィーを頭上に掲げ、上下に振っていた。


見るに耐え兼ねていた時、番組が変わり、競馬を映した。


レース終盤だろうか、せわしなく、まくし立てる実況が続いている。


そして、無数の白が舞い上がった。


そこでまた番組が変わり、次は化粧まわしを着けられた、頬のたるんだ二頭の犬が別々に映った。


場面が変わり、円形の檻の回りには観客がひしめき合っている。


化粧まわしを外された二頭の犬は、右と左に分かれている入口から檻の中に入れられた。


両者は睨み合ったまま円を描くようにゆっくり回り、相手の出方を窺っているようだ。


その時、一頭の犬が飛び掛かり相手を押し倒すと、ここぞとばかりに喉元を食い千切った。


観客達は歓声を上げた。中年女性が調理した魚のJOKERとトマトのマドールを食卓に置いた。


料理が出揃うと無言で食事が始まり、結局 僕達に箸が付く事はほとんどなかった。


ほぼ手付かずのままの料理は台所に下げられ、僕達は深い暗闇に落とされた。


『おはようございます』

『おはよう』


包丁がまな板を叩く小気味よい音が聞こえる。


味噌汁の良い香りが嗅覚に届き、湯気の立つ白い御飯と香り立つ味噌汁が頭に浮かんでいた。


それに梅干しと納豆を頭の中で勝手に補完した。


左から懐かしい音が聞こえる。


僕は横になっているまま首だけを起こし、バスローブを捲って見てみた。


『胴体だけが人間に戻っている……』


手を滑らせるようにして、首から局部へと順に触った。


体の事を二人に話すと自分の事のように喜んでくれて、マドールが僕の食事を運んできてくれた。


『いただきます』

三人で手と声を合わせた。


久々の食事は、生まれて初めて塩分を強く感じた味だった。


僕は一口、一口を大切に噛み締めていた。


『ごちそうさまでした』

三人で手と声を合わせて食事が終わり、台所に食器を下げて洗った。


それから僕は外に出た。


僕は今まで沢山の生命を食べました。

そしてまた、これからも頂く事でしょう。


僕はあの頃を思い出しながら、自らの過ちで骨となったこの手を合わせ視覚を閉じた。


胸で感謝と敬意の念を唱え、ゆっくりと視覚を開いて、いつまでもいつまでも忘れないようにと、天を仰いだ。

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