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DEATH13  作者: DEATH13
7/8

DEATH Ⅵ 『The Devil』

JOKERの背中で泣き疲れて眠る人形。


蝉の声……


一夏の生命に悲嘆して、その生涯に悔いを残さぬよう、全力で声を張り上げ泣いている。


早朝の清々しい空気とは裏腹に、僕の心は、どんよりとよどんでいた。


僕達は、無言のまま帰宅した。


……


……


……


部屋に戻り、JOKERが背中の人形をベッドに移した時、人形は目覚めた。


『済みません……起こしてしまいましたね』

JOKERが頭を掻きながら小声で言うと、人形は首を横に振り、

『ありがとう』

と言った。


僕は服を着る為、クローゼットの前に行き、観音開きの扉を両手で開けた。


……


『何だろう……これ』


そこには人間の頃の服は無く、全てローブに変わっていた。


僕は、その中から青の就寝用っぽいローブを選び、袖を通した。


そして、ベッドに座っている人形の前で僕はしゃがみ、人形の頭を軽く撫でた後、そっと抱き寄せ

『これからは、僕達が君を守るから心配しないで』

僕は、耳元で言って人形から離れた。


JOKERが、座っている人形をベッドに寝かせると、人形はJOKERの手を掴んで離さない。


それを見て僕は、

『一緒に寝てあげて』

と言うと

『解りました』

JOKERは、そう言ってベッドの人形の隣で横になった。


『おやすみ』


僕達は、一時の安息に身を委ねた。


……


……


……


顔から首筋に流れる汗の不快感で僕は眼を覚ました。


時計を見ると13時。


蒸し風呂のような暑さの室内。


僕は、ベッドの奥の窓を、前に体を倒すような形で、壁に左手を突き、右手でカーテンを捲り、窓を開けた。


すると、カーテンが大きく膨らみ、部屋を訪れた風は、汗ばんだ僕の体を静かに通り抜けた。


視線を下にやるとJOKERは、とても寝苦しそうな表情で、お腹を出し、ベッドから片足を垂らして眠っている。


僕の顔は自然と綻び、JOKERの服を直して、お腹に掛け布団を掛けた。


それから、その横で眠る人形を見て、僕は唖然とした。


これは何かの間違いだと、僕は自分で自分の頬を平手で何度も打ってみたが、それは夢では無く、紛れもない現実だった……


ひとまず、僕は外に出て、心を落ち着かせてから、もう一度確認する事にした。


鍵を外し、扉を開けた。


蝉の声に合わせて、ゆらゆらと踊る陽炎。


むせ返る暑さと、じりじりと照り付ける日差しに僕は堪らず、すぐに扉を閉めた。


……


僕は意を決して、視覚を閉ざし、壁を手掛かりにベッドまで進んだ。


足にベッドの感触があり、そこでゆっくりと視覚を開き、再び人形を見た。


……


僕が佇んでいると、人形は起き上がり背伸びをしながら手の甲で口元を隠し、欠伸をした。


『お……、お人形さんですか……?』

僕が尋ねると

『何を言っているの?』

と不思議そうな表情で人形は言った。


今、僕を見ているその人形は、数時間前の僕の知っている人形では無かった。


僕が人形に小さく手を振ると、人形も僕に小さく手を振った。


その時、自分の手を見て驚いた人形は慌てて、JOKERのお腹を踏み付け、Vの字に曲がるJOKERを尻目にテーブルの手鏡を覗き込んだ。


『……』


端正な目鼻立ちと艶やかな唇。


胸元の開いたドレスから顔を覗かせる、たわわに実った果実。


人形は、容姿端麗な女性になっていた……


女性は手鏡を覗き込んだまま、自分の顔を指先で隈無く確かめている。


『一体、何故……』


僕は呟いた。


それを聞いた女性は僕を見て

『何故だかわからない……、だけど私も貴方達のように誰かの役に立ちたいと強く願っていたの』

と言った後に笑顔を見せた。


女性は笑うと頬に笑窪が出来、まるで少女のようでとてもあどけない。


僕がそう思っていると、JOKERは起き上がり、お腹を擦りながら顎が外れる程の大きな欠伸をしたまま女性を見た。


開いた口が塞がらないのか、それとも大きな欠伸で顎が外れたのか、JOKERは手で顎を押し上げている。


JOKERの滑稽な姿を見た僕と女性は、顔を見合わせ声を立てて笑った。


顎が戻ったJOKERは、

『人が苦しんでいる時に二人して笑うなんて酷いですよ』

と少し不貞腐れた態度で言った。


『ごめんなさい』

反省の色を顔に出して先に謝った女性に続き

『ごめんね、悪かったよ』

僕は必死に笑いを堪えて謝った。


『ところでそちらの女性は、どなたですか?』

JOKERは女性を見た後に僕を見て聞いてきた。


僕が口を開こうとした時、 『もしや……』

JOKERは驚き、

『私のお腹を踏み付けた方ですか?』

と聞いてきた。


僕は大きな溜め息を一つついて

『そう……そして、あの人形がこの女性に』

そう言うと、

『何と……』

JOKERは呟くと顎に手を当て、女性を上から下まで見ると、

『確かに言われてみれば、格好は人形と全く同じ……。それにしても絶世の美女ですね』

と女性の顔に視線を注ぎ、言った。


その言葉に女性は頬を赤らめ、それを隠すように直ぐ様、俯いた。


『もし宜しければ、貴方の御名前を教えて頂けませんか?』

JOKERが尋ねると、

『私は名も無き元人形よ……』

女性は俯いたまま小さく答えた。


『そうですか……、元人形や女性では失礼ですからね』

JOKERは、そう言うと黙り込んでしまった。


……


それから暫くすると、JOKERは手を打ち鳴らし、

『今日は貴方の誕生日ですから、私から貴方へ名を贈りたいと思うのですが、いかがでしょうか?』

と言うと女性は首を縦に振った。『貴方の印象にぴったりの名が、ただ一つあります。それは、貴方のそのドレスと同じ深紅で百年に一度しか咲かず、見る者全ての心を奪い、断崖絶壁に咲くという幻の華……その名もマドール。そして、今年はそのマドールが咲くといわれる年。その華を煎じて飲ませれば、不治の病がたちまち完治するとも、死者を蘇生させる力があるとも言い伝えられているそうです。無論、私は現物を目にした事がありませんので、真偽の程は不明ですが……。高嶺の華という意味も込めて、貴方に相応しい名かと』

JOKERは話し終わると女性の顔色を窺っていた。


『マドール……、とても素敵な名前。JOKERありがとう』

マドールさんは眩い笑顔で礼を言った。


『どう致しまして』

JOKERは、ほっと胸を撫で下ろしていた。


マドールさんのその眩い光……僕には何処か影を含んでいるように見えた。


『でも、どうしてJOKERがその華の事を?』

僕は怪訝に思いつつ、JOKERに回答を求めた。


『あれは私が野良猫だった頃……私は各地を転々としてその日を何とか生きていました。その時に私の事をとても可愛がってくれていた年輩の方が友人らしき方とその話をしているのを小耳に挟みました』

JOKERは、そう言うと小刻みに顔を横に振り、流れる汗を払っていた。


『なるほどね』

JOKERの説明を聞き、僕は納得した。


『JOKERが……野良猫だったって?』

マドールさんは狐に抓まれたような顔付きで聞くと、JOKERは椅子を少し引き、

『どうぞ、こちらへ』

と言い、マドールさんはその椅子に腰を下ろした。


次にJOKERは、もう一つの椅子を手で示し、こちらを見てきたので僕は微笑み、首を横に振ると、JOKERは軽く頭を下げて椅子に腰を掛けた。


その後、僕は台所へ行き、食器棚からグラスを二つ取り出し、冷蔵庫の冷凍室から氷を幾つかグラスに落とし、蛇口を捻り、水を注いだ。


それを両手に

『ごめんね、気の利いた飲み物がなくて』

僕は、そう言って二人の前にグラスを置くと、

『いえ、有り難う御座います』

『ありがとう』

二人は、にっこりと笑って言った。


僕がベッドに座るのと同時にマドールさんは立ち上がり、

『ちょっと、お手洗いへ』

と言ったので、僕は前に買い置きしていた歯ブラシと歯磨き粉を渡し、洗面所まで案内した。


……


しばし待っているとマドールさんが戻ってきて、それと入れ替わりに

『済みませんが、私も……』

とJOKERは洗面所へ。


……


『お待たせしました』

JOKERは、そう言いながら急いで席に着いた。


準備が整った所で、マドールさんを中心にJOKERと僕は今までの経緯を話した。


……


……


……


話が終わりテーブルのグラスを見ると氷は溶けて無くなり、グラスも汗を掻いている。


マドールさんは静かに立ち上がると、

『あの時、見ず知らずの私のお願いを聞いてくれて本当にありがとう……。きっと、女の子も貴方達に感謝していると思うわ』

と言い、二度、頭を下げた。


マドールさんは続けて

『DEATH、JOKER、改めてよろしくね』

と言い、片目を瞬くと

『こちらこそ、宜しく御願いします』

とJOKERはマドールさんと握手を交わしている。


『DEATHって僕の事です?』

僕が自分を指差しながら聞くと、

『貴方しかいないでしょ』

とマドールさんは微笑んだ。


「DEATHか……」

僕がにやけていると、マドールさんは右手を差し出してきた。


それを見た僕は、全身が更に熱くなった気がしていた。


滝のように流れる白い汗……


僕は汗で滲んだ手をローブで拭き、マドールさんの指先を軽く抓み、

『よろしく……』

と早口で言って、素早く手を引いた。


『どうかしたの?』

マドールさんは首を傾け、俯く僕を覗き込みながら言ってきたので、僕は顔を背け

『いや、何でもないよ……』

と小声で答えた。


……


JOKERは服の胸元を掴み前後に揺すり、マドールさんは手で顔を扇ぎ、

『猛暑ですね……』

『本当に暑いわ……』

と二人共とても茹っている。


僕は、そんな状況を少しでも変えようと善かれと思って、

『夏は暑い、冬は寒い……、これは世の常。それなら季節をもっと肌で感じよう』

と左手は腰に当て、右手拳を突き上げると共に軽く跳ね上がり、満面の笑みで言った。



……



『貴方達に何か、お礼をしたいけど……』

マドールさんは何事も無かったかのように沈黙を破り、そう切り出すと

『御礼だなんて……、私達は貴方の笑顔とその気持ちだけで十分ですから』

JOKERの言葉に僕は頷いた。


『でも……』

マドールさんは頭部のヘッドドレスに装飾されている物を取り外すと、

『こんな物しかないけど、良かったら貰って』

と言い、それをテーブルに置いた。


銀色の小さな鈴。


僕達はマドールさんに礼を言い、僕がその鈴を摘んで揺らすと、美しい無色透明な音色が部屋に広がった。


その余韻の中、僕は机の椅子に座り、引き出しから細長い小さな鎖を取り出し、鈴と鎖を加工して首飾りを作った。


『これは僕が貰うよりJOKERの方が似合うと思うから、JOKERにあげてもいいかな?』

僕はマドールさんに背を向けたまま聞くと、

『うん』

と明るい声が聞こえ、横から首飾りを手に取った。


僕がゆっくりと後ろに顔を向けると、マドールさんは背伸びをしてJOKERに首飾りを付けてあげていた。


それから、JOKERの提案で記念に写真を撮る事になり、マドールさんを中央に、僕達はその両脇に立ち、閃光を浴びた。


耳障りな機械音と同時に押し出される写真。


その写真をテーブルに置き、眺めていると徐々に三人の笑顔が浮かび上がってきた。


その刹那、部屋の扉が酷く狂ったように激しく叫んだ。


僕達は、一斉に扉に目を向けた。


すると、そこには赤く長い髪で顔面を覆った細身で長身の人物が立っていた。


その人物は、全身黒尽くめの服装で肌の露出はほとんど無い。


手には、刀身の左右に互い違いに枝分かれした鋭く尖った三つの牙が剥き出しの赤い六叉の短刀が握られている。


赤髪の顔の無い人物の濡れた前髪が揺れ、

『俺の鼻は良く利く……此処には俺の大嫌いな吐き気のする悪臭がぷんぷんするぜ』

と棘のある言葉を吐いた。


その声を聞いて顔の無い人物が男である事がわかった。


僕とJOKERがマドールさんをかばうように立つと、手にした凶器をちらつかせて、

『俺は髑髏と色男に用は無い……大人しくその女を早くこっちによこせ』

と顔の無い男は顎をしゃくり、マドールさんを示した。


僕はマドールさんの様子が気になり振り返ると、マドールさんの表情は曇り、やがてぽろぽろと大粒の雨を降らせた。


胸を締め付けられる思いで見ていると、突然、真っ暗な部屋に閉じ込められた感覚に陥った。


……


『今日は、マドールの折角の誕生日だというのに……

俺達の大切な仲間に、よくも最悪なプレゼントをしてくれたな。貴様、絶対に許さんぞ』

俺は、怒り心頭に発していた。


『直ちに此処から立ち去りなさい。さもなくば……』

JOKERは強い口調で言い、顔の無い男を睨み付けている。


『やっぱり今日は、その女の誕生日か……俺の嗅覚は百発百中だ』

顔の無い男は、そう言って高笑いしている。


『もう一度、言います。直ちに此処から立ち去りなさい』

JOKERは前より強い口調で繰り返す。


JOKERの言葉を無視している顔の無い男は、首を左右に倒しながら

『見れば見る程、上玉の女だ』

とマドールを舐め回すように見ているみたいだ。


JOKERは振り返り、

『下がっていて下さい』

と言うと、マドールは小さく頷き、部屋の奥へ行った。


『奇遇にも今日は俺の誕生日……俺へのプレゼントにその女をさっさと差し出せよ』

顔の無い男は、そう叫びながら一気にこちらに詰め寄って来た。


短刀片手に迫り来る顔の無い男をJOKERは、ひらりと身をかわし、そのまま横から手首を蹴り上げると手から短刀は離れ、宙を彷徨う短刀は居場所を求め、辿り着いた先は顔の無い男の左肩だった。


狂気の声を上げ、のたうち回る顔の無い男にJOKERは静かに近付き、短刀を引き抜くとあちらこちらに黒い血が飛散した。


JOKERは顔の無い男にその短刀を突き付け、

『これで御理解 頂けましたね?』

と言い払った。


顔の無い男は舌打ちして、JOKERの手から短刀を奪うと傷口を押さえながら慌てて外へ出て行った。


大鎌を手に取り、俺とJOKERはすぐに部屋を飛び出し、後を追ったが既に距離が開いていた。


顔の無い男の背中を追う……


しかし、なかなか距離が縮まらない。


遠ざかる顔の無い男は突然、立ち止まり、こちらに体を向けた。


反射的に俺達が立ち止まると、顔の無い男は懐から白い紙のような物を取り出し、傷口を押さえていた手でそれに何か書いているようだった。


そして、その紙のような物を頭上に手放し、浮遊するそれを目掛け、六叉の短刀を放った。


短刀は、それを引き連れて驚異的な速度でこちらに向かって来ている。


狂気に満ちた短刀は、俺とJOKERの間を擦り抜けた。


俺とJOKERは時を置かず振り返り、

『不味い……』

『仕舞った……』

と同時に叫んだ。


その時、進行方向から強い風が吹いた。


俺は大鎌を縦に構え、強風に大鎌を預けるように振り被って投げた。


空は悲鳴を上げ、大鎌は砂塵を上げ短刀の後を追う……


マドールは恐怖からか、その場で固まっている。


加速してゆく短刀が部屋に侵入する頃、大鎌は短刀を射程圏内に捉えた。


短刀は意志を持っているかの如く、執拗にマドールを狙う。


短刀がテーブルを通過した時、耳をつんざくような金属音は火花を散らし、短刀と大鎌はマドールを避けるようにして左右に分かれ、短刀は壁に、大鎌は床に突き刺さった。


俺達が振り返ると、

『これは殺害予告だ』

と顔の無い男は遠くから捨て台詞を残し、去って行った。


俺達がマドールの下へ駆け付けると、マドールは口元に両手を当て、涙を流したまま目を見開き、震えていた。


そして、マドールは気を失い、JOKERの腕の中に倒れ込んだ。


JOKERはマドールを抱き抱え、ベッドに連れて行く。


俺は壁に突き刺さった短刀に近付き見ると、短刀に貫かれた紙には「666」と血文字で書かれてあった。


……


……


……


冷静になった僕は、うなされているマドールさんを介抱した。


JOKERは椅子に腰を掛け、両膝に肘を突き、顔の前で手を噛み合わせ心配そうにマドールさんの横顔を見詰めている。


暫くすると、マドールさんは自分の悲鳴と共に跳ね起き、

『とても怖い夢だった…… あの男が私を……』

と呟いた。


脳裏に焼き付いた顔の無い男に余程、苦しめられているのだろう……


マドールさんは今も涙を流し続けている。


JOKERはマドールさんの背中に手を当て、

『貴方には私達が付いていますから安心して下さい』

と言うと、マドールさんは手で涙を拭い、頷いた。


『兄さん、あの方は、このまま此処で休ませて私達二人であの男の後を追いましょう』

JOKERがそう言うと、

『私、一人になるのは怖い……』

マドールさんは震えながら小声で言った。


マドールさんの言葉を渋々受け入れ、僕達は三人であの男を追う事になった。


『あの男の行方……』

僕が考えながら言うと、

『それなら心配御無用です』

JOKERは、そう言って床を見詰めた。


血痕……


僕達は赤い糸口を掴んだ。


JOKERとマドールさんは先に準備を済ませ、外で待っているようだ。


僕はクローゼットから白のローブを取り出し、白い斑点模様の付いた青のローブを脱ぎ、洗濯機の中に入れ、着替えた。


この時、ある事を思い出し、その用事を済ませてから袈裟懸けの黒い鞄に必要な物を入れて肩に鞄を掛けた。


扉に向かう途中、ふとテーブルに眼をやると、三人で撮った写真の横に四角い箱が置かれていた。


「さっきまでは無かった筈なのに……」


何故だか解らないが、僕はその箱を鞄に仕舞い、急いで外に出た。


部屋を出て少し進むと点々と血痕が先に続いていた。


僕とJOKERは、マドールさんを気に掛けながら血痕を辿る。


……


……


……


暑さの所為か気が遠くなり、あれから全く進んでいないような錯覚を起こし、まるで蟻地獄の様だった。


『兄さん……、この辺りで一休みしませんか?』

JOKERが、ばてた様子で言い、僕はその言葉に頷き、すぐ傍の木陰で一時休憩する事にした。


木陰に腰を下ろし、僕は鞄から冷水の入った水筒と、紙に包んだ一摘みの塩を二つ、タオル二枚を取り出し、それらをJOKERに渡した。


JOKERはマドールさんに塩とタオルを先に、それから水筒の蓋に冷水を注ぎ、手渡した。


木陰で涼んでいると急に空が暗くなり、空気が変わった。


その後、雷鳴を纏った雨が激しく降り始めた。


JOKERは両手で耳を塞いでいる。


豪雨により血痕が消されてゆく……


それを見ていた僕が、

『JOKER……』

と話し掛けた時、雷光が閃き、けたたましい雷鳴を広げ、僕達が休んでいる立ち木に落雷し、その強い衝撃で僕達は前に飛ばされた。


……


僕は起き上がり、立ち木を見ると幹は裂け、黒煙を立ち上らせていた。


JOKERはマドールさんを守るように倒れている。


僕が近付くとJOKERは片膝を立て、右手を頭に当てたまま首を横に振った後、マドールさんを抱き起こし

『取り敢えず、この場から離れましょう』

と怯えた感じで言い、僕達は少し離れた別の立ち木まで走った。


立ち木の下で僕が

『JOKER、どうする?』

と聞くと

『私と同じ悲しい色……悲哀の色が見える……』

JOKERが何か言おうとしたのを遮るように涙を流し続けるマドールさんはそう呟くと雷雨の中、何処かに向かい、ゆっくりと歩き始めた。


『マドールさん、マドールさん……』

僕の呼び止める声を無言で振り切り、歩き続けている。


僕はJOKERと顔を見合わせ頷くと、マドールさんの後に付いて行く事にした。


マドールさんは何も言わず、前だけを見据えて、ただ黙々と歩いている。


……


……


……


何かに引き寄せられるようにマドールさんが辿り着いたその場所は、眼前にそびえ立つ岩が立ちはだかり、縦に大きな口を開けていた。


さっきまで激しく降っていた雨は綺麗に上がり、見上げると晴れ間から虹が見えていた。

僕を先頭に、マドールさん、JOKERと続いて洞窟に入る。


中は、ひんやりと涼しく、入口を境にがらりと世界が変わった。


丁度、三人が横に並んで歩けるくらいの狭い通路をひた進む。


その時、ぬかるんだ地面に足を取られた僕は体勢を崩し、壁に手を突いた。


眼を凝らして壁を見ると、僕の手を取り囲むように数えきれない程の百足が、びっしり、もぞもぞと体をくねらせ動いていた。


身の毛がよだつ感覚によく似た状態の僕は、慌てて壁から手を離し、仰ぎ見て思わず、

『お母さん』

と叫んでしまった。


反響する声の中、マドールさんとJOKERは首を傾げて僕を見ている。


僕は咳払いをして、

『とにかく先を急ごう』

と誤魔化し、進んだ。


あれから10分程、歩いた頃、滴る水滴が僕の顔に落ち、立ち止まって上を見ると、天井に黒い大きな塊のような物が見えた。


背中にマドールさんがぶつかったが、僕はそれを凝視していた。


徐々に明らかになってゆく、それは……


岩肌にぶら下がり、密集して停まる無数の蝙蝠だった。


こちらに気付いた無数の蝙蝠は、威嚇しながら一斉に襲い掛かってきた。


押し寄せる大きな闇に僕達は咄嗟にかがむと頭上をかすめ、入口の方へ向かっている。


僕は何事も無く、早く羽音が通り過ぎるのを祈り、心の中で

「ごめんなさい」


と何度も謝っていた。


……


暫くして気が付いた時には、辺りは静寂を取り戻していた。


僕の祈りが届いたのか、全員無事だった。


『気を取り直して行こう』

僕はそう言った後、二人を元気付けようと十八番の歌を口ずさみながら、どんどん進んだ。


僕が歌い終わると道は途絶えていて、視界が開けた。


見上げると、そこだけ天井にぽっかりと穴が開いて空が見える。


恐る恐る覗き込むようにして見下ろすと、底には泉が湧き、その中央に浮かぶ建物があった。


マドールさんとJOKERは僕の横に来て、下を見ている。


足元から落下してゆく岩の欠片……


それを見た僕は、後退りしながら

『ここからあそこまでは高くて行けそうにないね……別の道を探そうか?』

と言ったその時、背後に何か気配を感じ、振り返ると、遠くから無数の蝙蝠がこちらに向かって飛んできていた。


僕達が左右に分かれ避けると、途切れた道の先からあの建物までを無数の蝙蝠が黒い橋となって繋いだ。


僕は、すくむ足で傾斜のついた不安定な橋に細心の注意を払いながら渡る。


一歩、一歩……沈み込む足場。


そして、僕達が渡りきると黒い橋は分裂して洞窟の入口の方へと飛び立ち、その内の一匹が建物へ向かっていた。


霊的な雰囲気の漂う異様な光景。


ひぐらしのどこか物悲しい歌声を耳にしながら、そのおぞましさに愕然とした。 建物の外壁の所々に人間の頭部や腕、足などが乱雑に埋め込まれていたのだ。


二階の窓に視線をずらすと、あの顔の無い男がカーテンの隙間から顔を覗かせ、俺の視線に気付いたのか、すぐにカーテンを閉めた。


『此処が奴のアジトか……マドール、ありがとう』

俺はそう言い、囲いがある入口に向かうと、ほぼ同じ背丈の一糸纏わぬ男女六体の人間の剥製が交互に並び、左の男性の右手だけこちらに握手をするように肘を曲げていた。


『何て事を……』

『酷すぎる……』

二人の嘆きが背中から聞こえる。


俺は、その男性の差し出す冷たい手を掴み、ゆっくりと手前に引くと、扉が悲鳴を上げながら開いてゆく。


俺達が中に入ると、扉はひとりでに閉まり、室内には悪寒と鼻を突く刺激臭で充満していた。


仄暗い広間。


天井を見ると、鎖で逆様に吊り下げられ髪を垂らし、口に電球を咥えた四つの首を合わせた照明。


四方を照らすその光の先には、足首を縛られ逆さ吊りにされた全身肌色の動かない男女が四体……


床には黒ずんだ絨毯が続き、その途中に複数の人間の胴体と四本の足で出来たテーブルが斜めに配置されていた。


卓上は血液が飛び散り、様々な拷問器具や切り離された首や四肢が幾つも転がっている。


それらに紛れて、朝顔形に開いた部分が人間の顔に付け替えられ大きく口を開けている蓄音機と数冊の古い書物の上に置かれている映写機があった。


それらから眼を逸らせずにいると、天井の明かりが消え、広間は暗闇に包まれた。


その時、映写機が突然カタカタと回り、暗闇を切り裂く一筋の光を放ち、宙で戯れる塵を照らした。


俺達は振り返り、光の先を追うと、古ぼけた映像が壁に映し出され、そこには殺害風景と思わしき映像が流れていた。


逃げ惑う者を執拗に追い詰め……


血染めの凶器が映し出された瞬間、蓄音機がうめき声を上げた。


口元を押さえ今にも倒れそうなマドールの肩をJOKERが支えている。


映像は消え、再び闇に包まれたが、間も無く左右両端の床から幾つもの光が放たれた。


俺はマドールとJOKERをその場に残し、光に近付く。


……


足元から照らされ壁に沿って立ち並ぶ、生まれたままの姿で顔に陰影のついた人々の剥製。


斧、毒薬、硝子片……


今にも動き出しそうな人々の手には、ありとあらゆる凶器が一人一つずつ握らされていた。


俺は振り返り反対側を見ると、こちらと同様に凶器を手にした人々が壁に沿って並んでいるのが見えた。


そのまま、二人が居るテーブルの所へ戻ろうとした時、左右両端の光が消え、すぐに広間奥の左右の壁が光で照らされた。


俺は光に導かれるように広間の奥へ進むと、中央にしなやかな曲線美の女性三体が両手を天に仰ぎ、背中を合わせた赤い噴水とその少し後ろに縦に伸びた四本の人柱が薄明かりで見え、それを挟むようにして左右に階段があった。


手すりは何本もの腕で、仰向けに横たわる人々の頭と足が交互に続く階段。


階段の横の壁には、光に照らされ左右対称に飾られた肖像画の数々……


俺は階段を上らず、右の壁に近付き、下から肖像画をよく見てみると、それは絵では無く、額縁の中に様々な姿勢で上半身を埋められた人だった。


この世で最も写実的で残酷な肖像画に見入っていると、また光が消え、次は左右の階段の先の中央が光に照らされ、

『ようこそ、我が悪の館へ』

黒の燕尾服姿に白手袋をはめた顔の無い男が両手を広げて言い、その肩には一匹の蝙蝠が止まっていた。


顔の無い男の後ろの壁には、一際目を引く大きな肖像画が飾られている。


『どうだ、この演出は?』

と顔の無い男は、けらけらと笑っている。


『小癪な真似を』

と俺が言うと、顔の無い男の笑いが止まり、左の階段を一段、一段、ゆっくりと下りながら

『わざわざ此処まで足を運び、ようやく俺に女を差し出す気になったか?御苦労さん、御疲れさん、死神御一行さんよ』

と見下した態度で言った。


『勝手な事を抜け抜けと……その減らず口、二度と叩けない様にしてやる』

と俺が言うと、広間の明かりが全て点き、顔の無い男は俺に背を向け、壁沿いの人々に顔を向けていた。


『此処にあるオブジェや肖像画の全ては、俺の手によって誕生日に殺害された物だ』

自慢気に言い放つ殺人魔に

『どうして……そんな事をして一体、何になるというの?』

とマドールが涙声で訴えると、殺人魔はマドールに顔を向け、

『黙れ、お前に俺の何が分かる……俺は、ただ奴等の誕生日に素晴らしい死をプレゼントしてやっただけさ。どいつもこいつも嬉しさの余り、泣いてやがったな』

と言い、更に続けて

『やはり、お前は俺の666番目のコレクションに最も相応しい。この俺の美しい髪を今よりもっと……お前の鮮血を浴びて、より綺麗な赤へと……。もうじき、お前も俺のコレクションの仲間入りだ。泣いて喜べ……って、もう泣いているみたいだな。とにかく今日は、俺にとって最高の記念すべき日となる』

そう言うと高々と笑っていた。


『貴様の数々のコレクション……確かにそのコレクションは、もう一つ増える事になる。そう、貴様自身だ。即ち今宵、貴様の誕生日は命日へと変わる』

俺は殺人魔の嘲笑いを打ち消すように言った。


殺人魔は鼻で笑い

『あと一体で666になる……そして遂に俺は本物の悪魔となるのだ』

と叫び、震えながら仰け反った。『御託は、それだけか?』

俺の言葉に背を向けた殺人魔は、

『どれにしようかな……天の神様の言う通り……』

と歌いながら壁沿いの人々数体を指差し、選んでいる。


『おいおい、これから本物の悪魔になろうとする奴が神頼みだと?悪ふざけも程々にしろよ。貴様は、この死神様の言う通り、無駄な抵抗は止めて大人しく処刑されればいいのだ』

俺が言い終わるのと同時に

『これだ』

と殺人魔は言い、右手には拳銃が握られていた。


俺は背中の大鎌を握り、様子を見ていると、殺人魔は拳銃を横に寝かせ、マドールに銃口を向けた。


そして、引き金に指を掛けた、その時、

『御忘れ物です』

JOKERは、そう言いながら殺人魔に向かって何かを放った。


次の瞬間、殺人魔の右足が下がり、

『お前、何しやがった?まあいい、死ね』

と殺人魔は言い、

『どうぞ』

とJOKERが言うと、自分の血飛沫の右腕に気付いた殺人魔は、失神してそのまま後ろに倒れた。


倒れている殺人魔の上で激しく翼をばたつかせ旋回する蝙蝠。


俺が殺人魔に近付くと、拳銃を握り締めたままの右腕が六叉の短刀に貫かれて壁に突き刺さっていた。


俺は短刀を引き抜き、二つを持って殺人魔の下へ行き、短刀を足元に突き刺し、空いたその手で倒れている殺人魔の胸倉を掴んで起こした。

『ねんねには、まだ早い……まんまの時間だ。眠気覚ましに、まあ一本いっとけよ』

俺はそう言って、もがき狂う殺人魔の口に右腕を無理矢理、捩じ込んだ。


俺は、その姿を見て

『喉から手が出る程、どうしてもマドールが欲しい様だな』

と言うと、殺人魔は口の右腕を横に投げ捨て、血反吐を吐き、

『馬鹿な……この俺が何故こんな屈辱を……』

そう言うと殺人魔は自分の髪を何度も引き毟り、顔反面が露になった。


額には血管が浮き上がり、隈のある切れ長の目に赤く鋭い眼光と唾液に塗れた口。


殺人魔は左手の白手袋を歯で噛んで外し、懐からオイルライターを取り出すとそれを口に咥え、上着を破るように脱ぎ捨て、着火したオイルライターを落とした。


燃え盛る炎に傷口を当て、叫喚する殺人魔の体には無数の傷跡があった。


暫くすると殺人魔は立ち上がり、薄笑いを浮かべて人差し指と親指を折り曲げて口に入れ、指笛を吹いた。


壁沿いの人々に近付き、チェーンソーを手に取った殺人魔は、

『あと一体、あと一体でいい……俺の邪魔をするな』

と言い、口で始動ロープを勢いよく引いた。


唸りを上げるチェーンソー。


『いいぞ、この音だ』

殺人魔の呼吸は荒く、口からは黒い息、チェーンソーは白煙を撒き散らしている。『こうなれば四肢を離して皆殺しだ。ズタズタに切り刻んでやる。まずは色男……お前からだ』

と殺人魔が言った時、落ちていた殺人魔の右腕を後ろ足で掴んで飛んでいる蝙蝠が、JOKERに銃口を向けたまま凄まじい速さで後方へ下がり、発砲させた。


銃声は闇を従え、その直後にJOKERの悲鳴が聞こえ、鈴の音と倒れる音がした。


凶弾に倒れたJOKER。


その時、猫のJOKERの亡骸が頭をよぎった。


『JOKER……』

俺とマドールの悲痛な叫びが闇の中で重なる。


『あと一体……あと一体……』

と呪文のように復唱する殺人魔の声とJOKERに向かい疾走するチェーンソーの音。


時間が止まってしまったように、俺はその場から一歩も動けなかった。


その時、一瞬、明かりが点き、俺の眼に映ったのは、チェーンソーを振り翳し、テーブルを跳び越える殺人魔の姿だった。


目の前に転がる餌食に高揚し、歓喜の声を上げているチェーンソー。


暗黒の中、肉を貪り喰らうチェーンソーの生々しい音とJOKERの悲鳴が聞こえる。


「JOKERが生きている」


『やめろ……やめてくれ……』

俺は、言う事を聞かない体で必死に叫んだ。


『俺を侮辱した罰だ……死への秒読みを悲鳴で刻め』

と殺人魔は言い、ひたすらJOKERを切り刻む。


次第に弱くなってゆくJOKERの悲鳴……


やがて、JOKERの悲鳴は聞こえなくなった。


『どうやら、くたばったみたいだな……口程にも無い、雑魚が』

殺人魔がそう言うと、広間の明かりが点いた。


『やったぞ……これで俺は……』

チェーンソーを高々と上げる殺人魔の後ろ姿を見て、眼から涙が溢れた。


『貴様……よくも……』

大鎌を手に駆け寄ろうとした時、殺人魔のチェーンソーが下がった。


狼狽している様子の殺人魔は、

『何処だ』

と叫び、上下左右を繰り返し見ていた、その時、

『此処ですよ』

殺人魔の背後に立つJOKERはチェーンソーを取り上げ、停止させると、

『どうですか、私の迫真の演技は?』

と言った。


それを見た俺は、

『JOKER』

と叫びながら駆け寄ると、マドールがテーブルの下から出てきた。


『でも、お前……どうやって……』

震える声で殺人魔が聞くと、

『私は人間であり、猫でもあります。あの程度、私の前では猫だましにもなりません』

とJOKERは言った。


床を見るとJOKERと瓜二つの横たわる傷だらけの人形があった。


JOKERは殺人魔の肩を指で叩き、ゆっくりと振り向いたその顔面を強く握り締めた拳で殴り飛ばし、

『遊戯の様に自分の思い通りに都合良く何度も戻す事は出来ません。被害者の方々の生命も、貴方の犯した罪も……』

と言い、床に横たわる大剣を拾い上げ、背負った。『JOKER……心配させやがって』

俺が背を向けて言うと、

『済みません』

と小さく聞こえ、

『否、無事ならそれでいい』

俺はそう言って、気付かれぬように眼の端で見ると、JOKERは笑顔を見せていた。


上体を起こし、口から流れる血を手で拭う殺人魔に

『奇しくも今日は貴様の誕生日……死神のこの俺から現実と絶望がたっぷり詰まった最初で最後、最高のプレゼントを呉れて遣ろう。遠慮無く受け取るがいい』

と俺は言い、鞄から四角い箱を取り出し、投げ渡した。


殺人魔の足の上に落ちた黒いリボンの掛かった白い箱。


突然のプレゼントに殺人魔は驚き、戸惑っている。


『これは、取って置きのプレゼントだ。早く開けろよ』

俺が近付きながら言うと、躊躇していた殺人魔の左手は箱を乱暴に開け、中身を見た途端に俺に向かって投げてきた。


俺の体に当たって足元で音を立てながら転がる殺人魔のデスマスク。


その音に呼び覚まされるように殺人魔の髪に染み付いていた赤い血が零れ落ち、床に「DEATH」の文字が浮かび上がった。


『被害者達も俺と同じく貴様の死を望んでいる。DEATH……貴様に死の宣告だ』

俺は殺人魔を見下ろし、指差した。


殺人魔の赤髪は色を失い、白髪になっていた。


『これは悪夢だ。俺は今、悪い夢を見ているだけだ』

殺人魔は床の血文字に頭を擦り付けている。


『その文字は消えない。そして、これは現実……愚の骨頂には奈落の底が似合いだ』

俺がそう言うと、殺人魔の引き毟った散らばる髪から血が離れ、救いを求めるように大鎌に吸収された。


その後、デスマスクと大鎌は宙で融合して、一つの半透明の物体が殺人魔の前に降り立った。


その半透明の物体は、徐々に人間の姿となり、

『どうして、僕が……』

と言い、立ち尽くす殺人魔の腹部に刃物を深く突き刺した。


絶叫と共に殺人魔が倒れると半透明の人間の姿が変わり、

『なぜ、私なの……』

と言うと、倒れている殺人魔の頸部を縄で強く締め上げた。


殺人魔の顔が紫に鬱血すると人物が変わり、

『俺の命を返せ……』

そう言って殺人魔の頭部を鈍器で激しく殴り付けた。


『こんな事では死なない……何せ俺は悪魔だからな……』

虚勢を張る殺人魔の言葉が虚しく聞こえる。


それからも様々な凶器を手にした老若男女が一人一人、無念な思いを訴えながら手を下していた。


殺人魔が無数の生傷で彩られた頃、半透明の物体は宙で分解して、大鎌は俺の手に、デスマスクは殺人魔の傍に落ちた。倒れている殺人魔はデスマスクを見詰め、

『あれは俺の6歳の誕生日……両親に祝ってもらっていた。笑顔溢れる楽しい誕生日になると思っていた、その時までは……。俺が少し席を離れた時、突然、大きな物音が聞こえ慌てて戻ると、見知らぬ男がそこに居て、俺の目の前で両親を……。テーブルのケーキは床に散らばり、プレゼントは男に踏み潰されて……俺は怖くて物陰に身を潜め、息を殺して、ただただ見ている事しか出来なかった。暫くして男が立ち去ると、さっきまでの皆の笑顔は、どこにも無かった……。俺の記念すべき日に……俺の大切な人を一度に……。俺は堪らなく悔しくて、無力な自分が許せなかった。そして、あの惨劇から俺の心は変わり始めた。大好きだった誕生日が大嫌いになった。自分がこんなにも辛い思いでいるのに他の奴等は皆、幸せそうにしてやがる……それを見る度、記憶の中の両親は、決っていつも俺に優しく微笑みかけていた。だが、そんな優しかった俺の両親は、この世にはもう……。俺は復讐を胸に他人の幸福を殺し続け、気付けば幼かった俺がこんなに年を取ってしまった……』

と涙ながらに、か細い声で言った。


『どれだけ他人や自分を傷付けようと貴様の両親は帰ってこない……。年に一度の大切な記念日を家族揃って祝う者、愛する人と二人きりで祝う者、親しき友と祝う者……人それぞれ思い思いの時間を築こうとしていた。一人一人の残されていた筈の時間……それを貴様は、己の願望の為だけに数々の尊い存在を玩具の様に弄び、踏み躙った。一度ならず二度までも……』

俺が言うと殺人魔はゆっくりと跪き、一際目を引くあの大きな肖像画を見詰め、

『お父さん、お母さん……』

と言った。


殺人魔の目に映る、光に照らされた若い男女が口付けを交わす肖像画。


『いつも笑顔で僕の頭を優しく撫でて肩車をしてくれたお父さんの温かくて大きな手も、いつも笑顔でたくさんお話してくれたお母さんの優しい声も……夕暮れの帰り道、二人と手を繋いだ事も……何もかも……。 お父さん、お母さん……ごめんなさい。僕は取り返しのつかない事を……。でもね、これだけは、わかって……短かったけど、僕はね、本当にお父さんとお母さんが大好きだったよ。二人の子供で本当に良かった……ありがとう』

殺人魔は号泣しながら震える拳を床に何度も何度も叩き付けていた。


号泣する殺人魔の姿が無邪気な幼子に見えた。


『貴方の大切な人を想うその気持ち……それは、あの被害者の方々も同じだった筈です』

JOKERがそう言うと、

『こんな筈では無かった……』

と静止した殺人魔は、ぽつりと洩らした。 『親にとって我が子は、何があっても何時まで経っても永遠に子供だ。どんなに出来損ないであろうと何物にも代えがたい宝。母親は自分の腹を痛め、その生命を賭け、まだ見ぬ我が子に思いを馳せて……。そして、貴様は産声を上げた。横で見守る父親に抱かれて、その時の二人は生涯で一番の笑顔で、さぞ嬉しかった事だろう……。短い間だったかもしれないが、名や体、貴様の全てには両親の惜しみない愛がちりばめられている。貴様は愛の結晶そのものだった。しかし今、あの二人は天国で悲しみに暮れている……』

俺は肖像画を見詰めて言った。


JOKERは、項垂れたまま動かない殺人魔に近付くと、片膝立ちで

『貴方は悪の夢を叶えようと額に汗まで滲ませ必死に私達を殺めようとしていました。貴方のその恐るべき原動力……負の執念を善に変えて、それを別の何かにぶつけて打ち込む事が出来ていたのなら、きっとあの二人も……』

と言い、振り返って暫く肖像画を見た後、殺人魔に視線を戻した。


『貴方は、最後の最後でJOKERを引いてしまいました。人生とは因果なものです……』

JOKERはそう言うと殺人魔の手を取り、その手を殺人魔の胸に当て、

『最期に今一度、貴方自身の生命の声を聞いて下さい』

と言った。


目を閉じ、唇を噛み締めてその声を静かに聞いていた殺人魔は突然、

『嫌だ……死にたくない……』

と叫びながらJOKERの胸元にしがみ付いた。


その時、広間の明かりが全て消えた。


『往生際の悪い奴め、悪足掻きしても無駄だ。貴様には聞こえないのか?俺には聞こえる…貴様の蛍の光が』

俺が言うと何処からともなく一つ、二つと徐々に数を増やし、いつの間にか、おびただしい数の蛍が天井を埋め尽くし、暗闇を幻想的に包んだ。


無数の蛍は、一糸乱れぬ点滅を繰り返している。


『人間始まりは皆、赤子……。何時しか人間は意識を持ち、誰しも一度は死の恐怖を感じる。切ればそこから赤い血液が流れ、痛みを伴う。血も涙もある貴様は、あくまでも人間だ。それならば人間としての道を歩まなければならなかった』

俺の言葉で殺人魔はJOKERの服から左手を離し、最後の力を振り絞るように強く指笛を吹いた。


『俺と罪は、犬猿の仲だ。罪を犯した者に対して俺は一切、情け等掛けない……終わりだ』

と俺は言い、渾身の力と被害者達の悲愴を大鎌に込めて振り下ろすと緑の鼓動は止まった。


静寂の中に足音だけが響き、その音が止まるとオイルライターの着火する音が聞こえ、闇にJOKERの顔が浮かび上がった。


三人で広間を見て回ると人々の剥製、肖像画等は全て消えていた。


男女六体の剥製が交互に並んだあの扉に向かうと右の女性の左手だけ、こちらに握手するように肘を曲げている。


俺は、その女性の差し出す手を掴み、押すと扉は静かに開き、ふっと消えた。


建物から出て、何気無く見上げると夜空には天の川が広がり、それを挟んで二つの星が見詰め合っている。


出口の方へ進むと、此処から向こうの途切れた道までを無数の蝙蝠が黒い橋となって結んでいた。


俺達は体を貼り付けるようにして攀じ上り、全員が渡りきると無数の蝙蝠は、ばらばらと下へ落ち、幾つもの水飛沫を上げた。


……


……


……


洞窟を抜けた時、待ち構えていたかのように生温い夜風が全身に纏わり付いてきた。


『JOKER、大剣は大丈夫?』

と僕が聞くと、

『あの程度で壊れる程、この大剣は柔ではありません』

と笑顔で答えた。


それを聞いて僕が安心しているとマドールさんは急に立ち止まり、僕達を見て

『ごめんなさい……私、怖くて何も出来なかった……。足手纏いになってしまっただけだね』

と浮かない顔で言った。


『いえ、それは違います。貴方の御蔭であの男の居場所を突き止める事が出来たのですから。愁いばかりのこんな世の中でも生きていて良かったと思える時がきっと来ます』

JOKERは優しく微笑み、マドールさんの頬の涙を指で拭った。


その時の僕は、JOKERの言葉に何度も頷いていた。


それから三人で話しながら帰った。


そうこうしている内に部屋に着き、僕は鍵を開けて

『ただいま』

と言いながらテーブルに近付き、ランプに火を灯して、クローゼットから黒、白、赤の三つのローブを取り出し、白と赤のローブを二人に渡した。


僕は、すぐに黒のローブに着替えて、鞄を肩に掛けるとテーブルにある三人で撮った写真を手にして、本棚から一冊の本を取り出し、写真と一緒に鞄の中に入れた。


そして僕は扉の前で振り返り、

『僕は今から少し用事が……』

と言うと

『同じく私も……』

と言いながら白のローブに着替えたJOKERが僕に近付いてきた。


『マドールさん、留守番よろしくね。すぐに戻るから』

マドールさんは僕の言葉に頷いた。


僕が鍵を掛けると、

『行って来ます』

とJOKERは言い、僕達は別々の方向に進んだ。


僕は急いで、ある場所へと向かった。


……


……


……


『間に合って良かった……早く帰ろう』

僕は呟き、両手で抱えた箱を見て笑みが零れた。


街灯の光に誘われて集まる虫達を見て、雑踏に紛れてどこからか『ここにいるよ』と言っているような鈴虫の声を聞いていた。


今、僕が居るこの世界で姿形は違えど、生命が動いていて、日々、様々な暮らしをして存在している。


そんな事を考えながら足早に帰った。


辺りに人っ子一人、居なくなった頃、 鈴虫の声とは別に僕の後ろの方から何かが聞こえた。


聴覚を澄まして聞くと、それは、うなり声だった。


その声に恐る恐る振り返ると、少し離れた所に獰猛な顔の大型犬が目を光らせ、僕をじっと見ている。


『ちょっと勘弁してよ……』

僕が眼を逸らさず呟くと、大型犬は前足で地面を掻き始めた。


僕は、ゆっくり前を向き、両手と胸で箱を固定して、透かさず走り出す。


すると、大型犬は待ってましたと言わんばかりに吠えながら僕の後を追い掛けてきた。


僕は走りながら何度も振り返り様子を窺っていると、見る見る距離が狭まり、僕のすぐ後ろまで来ていた。


『僕は君が喜んでかじるような、そういう骨ではないんですけどね……』


箱をなるべく動かさないように注意して足の回転数を上げた。


幾度となく鞄が僕の骨盤を叩く。


逃げ足に自信のあった僕に、負けず劣らずの脚力で付いてくるあの大型犬は只者ではないとその時、悟った。


何とか大型犬を振り切ろうと僕は、無我夢中で全力疾走した。


そして、気が付くと僕の部屋が見えてきて、後ろを見ると大型犬は居なくなっていた。


「歴史に残りそうな名勝負だったよ、ありがとう」

僕が心で言うと、頭の中の大型犬は、獰猛な顔から穏やかな顔になった。


僕が部屋の扉を開けると、時を同じくしてJOKERが帰ってきた。


JOKERは僕を見るなり

『兄さん、凄い汗ですね』

と言い、

『犬のおかげで予定より、かなり早く帰ってこれたよ』

と僕が言うと、JOKERは首を捻っていた。


僕は、テーブルに顔を伏せて眠っているマドールさんに近付き、そっと箱を置いた時、マドールさんは目を覚まし、

『おかえりなさい』

と寝ぼけた声で言った。


『ただいま』

僕はマドールさんに言って、JOKERを見ると

『只今、帰りました』

とJOKERは言い、後ろに隠し持っていた赤いリボンの掛かった箱をマドールさんに手渡した。


思いがけないプレゼントに驚いている様子のマドールさんは、

『開けてもいい?』

と聞くと

『どうぞ』

とJOKERが笑顔で返した。


マドールさんは嬉しそうに箱のリボンを解き、中身を手にした。


『貴方は今のままでも十二分に御綺麗ですが、女性なのでやはり必要だと思いまして……。正直な所、私は全く解らなかったので、御店の方に選んで頂きました』

JOKERが申し訳なさそうな顔で言うと、

『私の為に……ありがとう』

とマドールさんは言った。


JOKERは化粧道具一式をプレゼントしていた。


僕はJOKERを椅子に座らせ、テーブルに置いた箱を横から開けて中身を引き出す。


少し形の崩れた丸いケーキ。


回りは苺とホイップクリームで飾られ、中央のチョコプレートには

「Happy Birthday マドール」

と白文字で書かれていて、その後ろに真ん中がマドールさん、両脇に僕とJOKER、三体の砂糖菓子の人形が仲良く寄り添って並んでいた。


それを見たマドールさんは、

『本当にありがとう』

と涙を流したままで言った。『何か僕の人形は二人と比べて、かなり作りが簡単だね』

と僕が言うと、皆の笑顔と笑い声が溢れた。


僕はケーキの箱を覗き、透明の袋に入った蝋燭を取り出し、開けると、大きな蝋燭と小さな蝋燭がそれぞれ二本ずつ入っていた。


その時、蝋燭を見たJOKERが、

『何故、22歳なのでしょう?』

と僕に問う。


『店員さんが間違えたのかな……でも、まあいいじゃない』

と僕が言うと

『そうですね』

とJOKERは微笑んだ。


大きな蝋燭二本をマドールさんに、小さな蝋燭一本をJOKERに渡し、三人でケーキに蝋燭を立てる。


僕はランプの火を消し、ケーキの蝋燭に火を灯してベッドに座り、

『誕生日おめでとう』

と言うと、それに続いて

『御誕生日おめでとう御座います』

とJOKERが言った。


マドールさんは、はにかみながら

『ありがとう』

と言って、大きく息を吸い込み、ケーキの蝋燭を一息で吹き消した。


黒い部屋の中、音の違う二人の拍手が響く。


再度、ランプに火を灯しマドールさんを見ると、あの男が現われてから止めどなく降りしきる雨は上がり、綺麗に晴れ渡っていた。


笑顔の僕は、ふと姿見に映った自分の姿を見ると、露出していた顔と手が小麦色の骨になっていた。


僕はベッドの奥のカーテンと窓を開け、夜空を見ると、天の川に月が架け橋となっていて、二つの星は橋の中央で仲睦まじく幸せそうに寄り添い、こちらを見詰めている。


僕は振り返り、二人を見て頷き、また窓からの夜空を見ていると、二人は僕の両脇に来て、両膝を突いて三人並んで夜空を眺めた。


遠く離れていても、いつもお互いが想い、心で感じて。


たとえ、そこに言葉が無くとも、いつまでも永遠に繋がっている。


二つの星は、どれよりも強く輝き、この日だけは片時も離れず、再び愛を確かめるように。


その時、マドールさんの誕生日と二人の再会を祝福するかのように大輪の華が夜空に咲いた。


『どうぞ、御幸せに』

JOKERが夜空にそっと呟いたのを僕は聞いた。


こんがり小麦色の笑顔で。

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