DEATH Ⅰ 『The Fool』
この僕が、あの忌まわしい死神に……
これから僕が誰かの生命を奪わないといけないというのか?
誰かが僕の存在に怯え、恐怖する……
僕が他人の生命を……
そんな事……僕には絶対出来ない。
絶対に……
……
……
……
この現実から逃れるように視覚を閉じた。
生前、何時も僕に付き纏っていた恐怖と絶望感……
それが今の僕は怯える事など何も無く、痛みさえ感じない。
あれだけ怯えていた死も、死神の恐怖も今の僕にはもう関係ない。
こんな形であの長く続いた苦痛から、いとも容易く解放されるとは嘘のようだ。
僕は大声で笑った。
人間だった頃、大声で笑った事など一度もなかった。
他人からすれば、僕の笑い方は下手くそだろう。
でも僕は、気が済むまで思いきり笑った。
……
『僕が大声で笑った……』
そして、気付いた。
今まで全く笑った事のなかった僕が……笑った……。
あの頃より今の方が、ずっと幸せだと感じていた。
僕は死神の存在を誤解していたのかもしれない。
ただ無差別に人間の生命を奪うだけの冷酷な存在だと思っていた、今までは……
きっと死神は苦しんでいた僕を見て、この幸福な時間を与えてくれようとしたのだろう。
今の僕には、そう思えてならなかった。
『僕の一番の理解者は死神だったのか……』
死神が向かうその先には、必ず何かがある筈だ。
僕が死神に選ばれた事にも何か理由があるのかもしれない。
僕は、その答えを見付ける為に死神というこの現実を受け入れ、そっと視覚を開いた。
すると、さっきまで居た筈の無機質な空間から見慣れた場所へと変わっていた。
『此処は……僕の部屋だ』
普通なら驚く所だが、あんな事があった後の僕は至って冷静だった。
雑然とした部屋。
僕は机に置かれた砂時計をただ見詰めていた。
その時、
『ニャー……ミャー……』
外から猫の鳴き声が聞こえてきた。
『仔猫か?』
何を隠そう、僕は動物が好きだ。
その中でも特に好きなのが猫。
あの愛くるしい仕草は見ていて本当に癒される。
動物は人間と違い、僕を裏切らない。
僕は鳴き声を頼りに部屋を後にした。
聴覚をその鳴き声に集中させる。
……
…………
………………
鳴き声が、だんだん近付いてくる。
そして、僕は自分の眼を疑った……
なんと、そこには僕の大好きな猫を虐めている愚者が居たのだ。
その仔猫は精一杯、声を出して抵抗しているが、愚者の耳には届かない。
愚者は容赦なく仔猫を痛め付けていた。
仔猫は傷付き、ぐったりと横たわっている。
『貴様……』
愚者の愚行を見て、俺は怒りに声を震わせた。
愚者が俺に気付き、俺を見るなり尻餅をつき、後退りしている。
俺は愚者をじっと見下ろしていた。
すると愚者は一目散に逃げた。
『さあ、狩りの始まりです』
俺は力強く言った。
逃げ惑う愚者を俺は少しずつ追い詰めてゆく……
ゆっくり……
ゆっくりと……
這いずりながら逃げる愚者を壁際まで追い詰めた。
壁を背にした愚者は俺を見上げ精一杯、命乞いをしているが、俺の聴覚には届かない。
『猫に鰹節……死神に猫……』
俺はそう言うと愚者の喉元目掛け、大鎌を降り下ろした……
俺は傷付いた仔猫の下へ駆け寄った。
仔猫は辛うじて、まだ息をしていた。
『もう大丈夫』
俺は身に纏った黒いローブで優しく仔猫を包んだ。
ふと振り返ると愚者がこちらを見て何かを言っている。
『ニャーニャーニャー』
……あの時、俺は愚者の声帯に細工を施していた。
『貴様は猫になったのだ……今日から死ぬまで一生その声で生き続けるがいい』
自分の言いたい事も、思っている事も相手には伝わらない。
この仔猫と同じ様に……
貴様の喉仏に仏など居なかった……
居たのは死神だ……。
あれから僕は、あの傷付いた仔猫を部屋に連れ帰った。
どこか僕に似ているこの仔猫を見捨てる事など出来なかったからだ。
僕は部屋に戻るなり、仔猫の傷の手当てをした。
『これでよし……と』
痛々しい傷口は、今は包帯で隠れている。
『君も孤独……そして、僕もまた孤独……』
傷付いた仔猫を優しく撫で 、
『似た者同士、これから仲良くやっていこう』
と僕が言うと
『ニャー』
と掠れた声で仔猫は答え、ざらついた舌で僕の指を舐めた。
……
僕はある事に気付いた。
『この仔猫の名前を決めないとな』
名前を考えてみた。
……×
……×
……×
なかなか良い名前が思い浮かばない。
そこで僕は部屋を見渡し、名前になりそうな素材を眼で探った。
……
……
……
『無いな……』
諦めかけていたその時、床に散らばったトランプに眼が留まった。
他のカードは全て顔を伏せていたが、一枚だけこちらに顔を見せているカードがあった。
『JOKER……か』
僕は仔猫に向かって
『今日から君の名前は、JOKERだよ』
と言った。
気に入ってくれるといいけど……
†数日後†
JOKERは徐々に元気になっていった。
まだ、ぎこちないが走れるまでに回復していた。
『JOKER、こっちこっち』
僕は手招きをして呼んだ。
JOKERは一度こちらを見て、それから少ししてそっぽを向いて何処かへ行ってしまった……。
『猫っていいな』
あの素っ気無さも僕にとっては堪らない。
死神になってしまった今でも……
やっぱり僕は猫が大好きデス。