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さた遊紀

雪煙戯 《サナギ》

作者: さた遊紀


「何考えてたの?」

 暖炉では薪がパチパチとはぜ、暖かな部屋は穏やかで少し眠気を誘うような雰囲気が漂っていた。

「内緒」

 やわらかなキルトにくるまって、手の中のココアに軽く息を吹きかける。

「けち臭いこと言わないで。どうせ話すことくらいしかやることないんだから」

 彼は苦笑気味に微笑んで、チラッと窓に視線を向けた。ガラスは白く曇っていて、その向こう側では真っ白な雪が激しく舞い踊っている。

 彼の言うとおり、何もないこの山小屋では話すこと意外出来そうになかった。

 それでも。

「『商品』に話し掛けるなんて変だよ。一人で空想でも楽しんでなよ」

 ついさっきまで考えていた事を口にするなんてことは到底出来っこない。

 彼は自分を買った【商人】で、自分は身を売った【商品】だ。そして当然、【商人】は【商品】を【客】に売り渡す。

「……冷たいなぁ。そんなじゃ買い手がつかないかもよ?」

 人の身を扱うのはあまり好きじゃないと言っていた。それでも無理やり彼に頼み込んだのは、もしかすると、さっき考えていたことを、心の奥底で、自分でも気付かないうちに思っていたのかもしれない。

「――それとも何かいやらしい事だった? ……じゃあ後ろめたくて話せないかな」

 少し面白がっているような彼の口調に、ムッとして下唇をわずかに突き出す。

「別に後ろめたくなんてない」

「じゃあ、話してくれたっていいじゃないか」

「それとこれとは話が別だよ」

 どう別なんだ、と苦笑まじりのため息を吐きながら、彼は乗り出していた体を肘掛け椅子に沈めた。それを一瞥して、ココアにまた息を吹きかける。――今度はさっきよりも少し勢いをつけた。

 熱々なのを飲みたいのはやまやまだが、猫舌だから仕方がない。

「そんなに冷まさなくてもきっと平気だよ」

 頭まで背もたれに預けたまま、彼は少し呆れたように言う。

「極度の猫舌なんだよ」

 視線も上げずにつっけんどに返して、また息を吹きかけることに集中。

 彼は喉の奥で小さく笑って、そう、という囁きを漏らした。

 暖炉の火は明々と燃えて、他に灯りはないというのに部屋をオレンジ色に照らし出している。

「朝にはやむかな……」

 窓の外を見つめて小さく零す。

「うん、きっと朝にはやんでるよ」

 安心させようと微笑む彼を少しだけ見つめて、手の内にある暗い液面に視線を戻す。

「さっき考えてたのは……」

 揺れる液面を見つめたまま言うと、彼が少し身じろぎした。

 そのまま静かな沈黙がおりる。

 薪だけがパチパチと鳴く、シンと静まった空間。

 本当に穏やかで、良すぎる居心地に頬が軽く緩んでしまう。

「……やっぱり内緒」

 それを隠すように、顎までキルトに潜りこませた。

 残念そうに眉を下げて、天井を見上げる彼を視線のはしに留めて。

 だって言えるはずがない。

 それは彼を困らせるから。

 ただの我侭だ。いや、自分から頼み込んだのだから、我侭なんて程度の言葉ではすまない気がする。


 『本当は売られたくなんてない』

 大声でそう叫べたらいいのに。




*+*




「オレには人間を『物』として見るなんて出来ないよ」

 久々に来た行商人は、なんとも人が良さそうで、まだ少年を抜け出たばかりのようにも見える、精悍な若者だった。

 夏に起こった干ばつのお陰で、たいした収入が得られなかったこの小さな農村に、人じゃないなら一体何を買い付けに来たんだと訝しむ。

 何処かへ行くついでに寄るには、街道から離れてすぎているし、知人を訪ねて来たというわけでもないらしい。

 もっとも、この村に外の知人がいる人が、いったい幾人いるのかというところから問題だが。

 ここには珍しい物なんて何もない。特別評判のいい麦を作っているわけでもないし、果実酒だって、どこの村でも似たようなものを作っているだろう。

 大凶作のこの時期に、わざわざこんな所まで足を運んでくるのは、せいぜい人買いくらいのはずなのだ。

「別に『物』として売ってなんて言ってないよ。この身体をお金に変えてって言ってるだけで」

彼が哀しそうな瞳でこっちを見るから、キッと睨み返して強く言う。

「嫌でも何でも買ってもらうから。いい儲かり話でしょ。商人なんだから飛びつきなよ」

 次兄は体が弱いのだ。これからどんどん寒さが厳しくなっていく時期、薬は絶対必要になる。

 弟妹たちだって食べ盛りなのに、いつもひもじさを我慢している。

 てっとり早く大金に変わるのが自分の身しかないのだし、兄弟の中では一番高値で売れるだろう。口減らしにもなるのだから、一石二鳥だと思う。

 家族の為に、自分は迷うわけにはいかなかった。

「君が家族を大切に想っているように、家族だってキミが大切だろう」

 気弱そうにも見えるのに、頑として首を縦に振らない彼に、もどかしさが募って、少し泣きそうになる。

「言われなくても分かってるよ。でも生きていかなきゃならないんだ。離れ離れになったって、そろって飢え死にするよりは百倍まし」

 決してもう二度と会うことがなくても、とりあえずは同じ世界で生きているのだから。――生きているのだから。

 我慢しきれなかった涙が、目の淵から転がり落ちていくのはもう諦めることにして、それでも彼を睨み続けた。


 冬の風に窓がカタカタと揺れて、部屋の沈黙を際立たせる。

 涙で視界はぼやけるのに、彼の双眸は揺らぐことなく。


 そうして睨みあったあと、彼はゆっくり溜め息をついて、少し哀し気な、優しい笑みを浮かべたのだ。




*+*




 それこそこっちを『物』ととして見る人買いたちでもなくて、業突張りの商人でもない、商人らしからぬお人好しの彼なら、ちゃんとした、人間として扱ってくれるところに連れていってくれるはずだ。

 そう見込んで喧嘩を売った。

 ……といっても自分はまだ若い娘だから、色街に行くことくらいは覚悟している。

 暖炉の薪は相変わらず穏やかに燃えて、うっかりしていると涙腺が緩んでしまいそうだ。

「この山を越えたら、大きな港町があるんだ」

  懐かしい光景を思い浮かべているのだろうか。瞼を下ろし、微笑をうかべて、彼は優しい声音で言った。

「――大きな海が、どこまでも広がっているのが見える。とっても綺麗で、いい街だよ」


 ずっと山で育って来たから、海が見れるのは嬉しかった。

 どこまでも、どこまでも、視界いっぱいが青い水なのだと聞いたことがある。しかも、その水が塩っ辛くて、ずっと波立っているらしい。

 身を売ることなどなかったら、あの村から出ることはなかっただろうし、そうしたら海なんて一生見ることなど出来なかっただろう。

 大きな街にだって行ったことなどない。きっといろんな人達がいて、珍しいものがたくさんあるのだ。


 だからそればかり考えていようとしたのに。

 冷まし続けたココアを飲んでみても、下唇をかみ締めてみても、振り切れなかった。――消えなかった。


 この雪に閉じ込められた空間が愛しく思えて

 ずっと君のそばにいたいと、一瞬思ってしまった

 ――そのことは。


                                   〈サナギ・了〉


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