自分で叩きのめした相手を助ける馬鹿がどこにいるんですか?
「結婚したら、お前には毎日俺より早く起きて侍女とともに目覚めの一杯を用意してもらう。それから俺の身支度を侍女に混じって手伝うんだ。日々、お前の生活を支えてやっている俺への感謝気持ちを忘れずにな」
ナターリエの婚約者であるラウレンツは話の流れで自分の夢を語りだした。
「意見を言う時には俺の許可を取ってから女は口を開くべきだ、優先されるべきは思慮深い男の意見だ。女の言葉なんてものは信用に値しない」
「……」
「贅沢品なんかは欲しがらないようにしつける。そもそも爵位を継承している俺がいるから生活できてるんだ、俺に感謝して敬う気持ちがあればそんなものをほしがったりしないだろ」
ナターリエはラウレンツがそれを当たり前のことのように語るので、なんだかぽかんとしてしまって、とりあえず、想定していた話の内容ではないことを悟った。
もっと結婚したら、子供は何人欲しいとか、ラウレンツの実家であるエンデルス伯爵家はあまり恵まれた土地ではないけれど、協力してやっていきたいとか。
ラウレンツの家族と仲良くやっていけるか、とかそういう夢を描きながらも不安を共有して、未来を固める様な話をしたかった。
「家庭には序列ってものがある。それを守って居心地のいい屋敷にしていこう。優先するべきことを間違えて、男をないがしろにするような家庭などありえない」
しかし、ラウレンツから飛び出した言葉はまったくの方向性が違って、薄々感じていた彼の思想が浮き彫りになってしまった。
それは突然の出来事ながらも、もう取り繕うことはできないほどさらけ出され、目の前の人物をまるで別人に変えてしまったみたいだった。
「東方の国では、夫が帰宅したときに、地面にひれ伏し頭をこすりつけて喜びを表現するらしい。素晴らしい文化だろう。女をエスコートなんてしないで侍女のように後ろを歩かせて、従順さを示すんだ」
ラウレンツの目はキラキラとしていた。
彼は、二人で楽しく夢を語っているつもりのようだった。
「それこそ男女の正しい形だよな。女の爵位継承権などなければいいのに。ああ、そうだ。お前も、剣術なんか習っているなんて言っていなかったか?」
突然、話を振られて、ナターリエはとっさに「あ、え、ええ。うん」と素直に返してしまった。
「筋がいいんだかなんだか知らないが、いい加減早くやめてくれよ。剣術だなんて女親の顔がちらついて気持ち悪い」
ラウレンツはあからさまに嫌そうな顔をして、自身の母を気持ち悪いとまで言う。
しかし現実は、ラウレンツの母親、そして将来のナターリエの義母になる女性トルデリーゼは王国騎士団の一員であり、地方騎士とは一線を画す実力を持っている素晴らしい人だ。
ナターリエは彼女のことを尊敬してすらいる。
「女ってのは男よりも非力で可愛げがあるから、良いんだよ。武力があって威張って男をしばりつける様な女はゴミだ」
「……」
「父もあんな女をのさばらせて、まったく情けない。俺が後を継いだら、あんな女は追い出してやる。財布のひもを握ってるからって偉そうにしやがって、男がいるから暮らしていけているのに、俺の装飾品一つも簡単には買わせない」
鼻息荒くラウレンツは言う。その女性蔑視という思想はどうやら強固なようで、父親がトルデリーゼの言いなりであることをよっぽど腹に据えかねているらしい。
さすがにその物言いに、ナターリエは知っている限りの情報で、応戦するために口を開いた。
「で、でも、それは実際に領地の収入ではなくトルデリーゼ様の収入だからではありませんか? それに必要なものも買わせないようなことをする人とは思えませんが……」
彼女はきっと無駄な出費をしないようにして、家計を管理しているだけのように思うのだ。
なんせ目の前にいるラウレンツの指には宝石のついた指輪が嵌っているし、身なりも貴族らしく整えられて上等な衣類を着ていた。
とてもラウレンツが恨みを抱くほど、虐待のような金銭的な締め付けを受けているとは思えない。
しかしラウレンツは「は?」と威嚇するみたいな疑問符を吐き出して、それから薄ら笑みを浮かべながら言った。
「おいおい、結婚してたら、殴ってたぞ。ああ、嫌だな。俺の女親に似ないでくれ、頼むから。あの女もそうなんだ。そうやって男に口答えする」
ラウレンツはダンと拳を机にたたきつけて、薄ら笑みを浮かべた。
まったく答えになっていない上に、話し合う余地すらないようだった。
その様子にナターリエは、本当にこの人は今までの彼とは別人なのだと思うことにした。
そうとでも思わないと対処が難しかったのである。婚約して数年、優しく接してくれて何気ないことで意気投合したラウレンツはどこかへ消えたのだ。
そして残ったのは話の出来ないとんでもない思想を持った人だ。
けれどもナターリエの婚約は破棄されることなどない。
なんせこんなことは正当な理由にならないからだ。
そうすると目の前が真っ暗になったような気がした。これが女というものの宿命で、皆これを飲み込んで生きているのかと苦しい気持ちになった。
「……」
怒っているラウレンツに謝罪をした方がいいのかと頭によぎる。
けれども、ぐっと唇を引き結んで、ナターリエは戦おうと思った。
置かれた場所で咲くのは美しい、けれどもあがいて、咲ける場所を掴みとりにいった方がきっと早いと思うのだ。
ナターリエは憧れていた騎士になった。
筋がよかったことと、戦闘に使える風の魔法を持っていたこともあり、同世代の貴族には一歩遅れて見習いになったが、騎士の称号を得るのは誰よりも早かった。
そして、トルデリーゼを慕っていて、同じ魔獣討伐の部署へと志願したのは考えがあってのことだった。
トルデリーゼは、もともと子爵家の出身で魔力が多い方ではなく、出世よりも後進育成に力を入れていたので彼女の下につくのは簡単だった。
トルデリーゼとペアを組んでいる二年先輩のアルノルトという先輩騎士と三人で仕事をこなす日々。
ラウレンツは騎士になったナターリエに会うたびに文句を言うようになったけれど、ナターリエの方が強いので怖くは無かった。
「それで……最近どうかしら、ナターリエちゃん」
ふと、トルデリーゼに問いかけられてナターリエは、サンドイッチをもくもくと咀嚼してごくりと飲み込んだ。
なんせ唐突な問いかけだったので驚いた。
今から、森に入るので、その前に軽い食事を済ませておこうということで休憩に木陰でランチを取っていた時だった。
普段こんな時は、これから狩る魔獣の話をしたり、王都の新しい店の話をしたりと何気ない時間を過ごすのだ。
しかしながら今日は違うらしい。
「ごめんなさいね、最近忙しくて、面談の時間を設けられていなかったから、丁度いい機会だと思ったのよ」
トルデリーゼはもうすっかり食べ終わったらしく、頬に手を当てて淑やかにほほ笑んだ。
「ああ、急いで食べなくていいわ。時間はあるし……それに今日は簡単な仕事だもの」
「あの、自分はもう、食べ終わったんで。答えときますか?」
「あら、そうね。わたくしったらつい、年下の子からと思っちゃって。ごめんなさいね」
待たせるわけにはいかないとナターリエが急いで咀嚼をしているとアルノルトが声をかけて、彼の面談が始まる。
一応、一定期間に一度決められたようにやる必要がある業務の一環のようなものなので、アルノルトも同じように答える義務があるのだ。
「じゃあ、最近調子はどうかしら、何か変わったことはある?」
「ありません」
「悩み事とかでもいいのよ」
「ありません」
「……じゃあ前回の面談の時に立てた目標について――」
トルデリーゼはアルノルトに対して、なにかないかと不安そうに問いかけるが、彼は短く答えるだけだった。
寡黙で、弱音を吐かないし、率先して重たいものを運んでくれたりとアルノルトは『男らしい』を体現したような男の人だった。侯爵家の跡取りとして厳しく育てられているのかもしれない。
なのでトルデリーゼもナターリエも彼のことは誰も詳しくなかった。
やはり女性爵位継承が認められてから変わってきているが、男は男らしく、女は女らしく……ラウレンツのように女性を軽視して、序列を重んじる人が主流なのだろうか。
アルノルトを見ているとどうしてもそんなふうに考えてしまう。
しかし、ナターリエとラウレンツの結婚もいよいよ間近になってきた。
ナターリエはトルデリーゼと仲良くして、協力してラウレンツのことを矯正させてやっていこうと考えてこうしているわけではない。
こうして騎士になる間にも、一生懸命情報を集めて、ここまでやってきたのだ。
その成果を見せるときがすぐそこまで迫っている。
「はい、いつも通りね。アルノルトくん」
「……あの、くんはやめてほしいんですが」
「あら、それいつも言うけれどどうして?」
「自分はもう、成人した男なので」
「……成人していても、わたくしからすれば、いくつになっても小さな見習いよ」
「……はい」
トルデリーゼは穏やかにほほ笑んで、アルノルトはそれ以上言わずに、返事だけして口をつぐんだ。
それからトルデリーゼはナターリエの方へと視線を向ける。
「じゃあ次はナターリエちゃんね」
「はい、お待たせしました」
「待ってないわ、今日はもう少しゆっくりしてから行きましょう。……今日の仕事はわたくしのわがままだもの。二人には内緒にしてもらっている上についてきてもらったから、終わったらなにかさせて頂戴」
「いつもお世話になっていますから……このぐらい当然です、トルデリーゼ様」
彼女の言葉にナターリエも笑みを浮かべて返す。
トルデリーゼのわがままというのは、ここがラウレンツの実家のあるエンデルス伯爵領地だからだ。
正式に以来のあった仕事ではなく、私的な用事なのだ。
そして、この森にはトルデリーゼが難しい領地の伯爵家を、騎士の仕事一本で支えて、長らく屋敷を回しているとある秘密があるのだった。
やはりトルデリーゼはすごい人で、そして同時に、女というものそして母というものにとらわれている人だった。
トルデリーゼが秘密にしているものは、領地特有の魔獣だった。
魔獣は本来人に害をなす恐ろしい生き物だが、狩れば魔法に体性のある毛皮が取れ、魔石やほかにも魔法具に利用する素材が取れる。
とくに毛皮は結構な値がつくが、その中でもキツネや貂……稀にオコジョとも言われるがそういったもとから人気の毛皮は飛ぶように売れる。
そして、エンデルス伯爵領の森の端には、冬毛でなくても白い毛並みをもつ、赤い目をした貂が生息しているのだ。
それは尻尾まで真っ白で、トルデリーゼ曰く、そのあたりにだけ多く生息し魔獣化しているとのことだった。
もちろん魔獣の毛皮で真っ白な貂のものなど莫大な値がつく。
領地が苦しく、どうしても賄えない時にだけ、狩りに出かけ、その貂の血筋を途絶えさせないまま継続的に収入を得ていた。
今回もうまく売りさばけたということで、トルデリーゼは上級貴族も利用する王都の店へアルノルトとナターリエを連れて行ってくれた。
本来貴族というものは自分の家の屋敷の食事を最高のものと考える。
なので食事を振る舞う際などは自分の屋敷に招待するものだが、白貂の毛皮のことはエンデルス伯爵にも、ラウレンツにも秘密のことだ。
そう言ったわけで外での食事会になり、ナターリエはこういった食事会は初めてだったがいい機会だと考えることにした。
一頻りおいしい食事を楽しんで、食事時にふさわしい会話をする。
アルノルトは言葉少なだがそれでも退屈はしていなさそうだった。
食事会も終わる頃、ナターリエは食後の紅茶を飲みながらトルデリーゼに話を切り出した。
「ところで、トルデリーゼ様……少し踏み込んだ話をしてもよろしいですか」
「あら……踏み込んだ、というのは……将来家族になる身としてということ?」
「はい。トルデリーゼ様はお忙しくあまり話をする機会はありませんでしたから、アルノルト様も関係のない話ですみません」
「気にしないでくれ。ナターリエ」
一応アルノルトを気遣うと彼は、二人の話を邪魔するつもりはないとばかりに、視線をそらして、短く言った。
アルノルトの言葉をありがたく思いつつ続きを言った。
「ありがとうございます。トルデリーゼ様……私、以前から伝えようと思っていたことがあるんです」
「それは、ラウレンツやわたくしの夫のことについて?」
トルデリーゼはナターリエの真剣な表情にすぐに察しがついたらしく、少し気まずいような表情で問いかけた。
「はい。そうです。トルデリーゼ様。……私はラウレンツが家庭をどんなふうに捉えていて将来どうしたいかを……もうずっと前に聞きました」
「そう……意外だったわ。知っていたのね、ナターリエちゃん。嫌な思いをしたでしょう」
「……」
「結婚をやめたいと思っている? あなたは筋がいいもの、爵位継承者に限らなければもっといい人がいるものね」
「違います」
トルデリーゼは当たり前のように、そしてとても優しい顔でそう言った。もし逃げ出そうとしても彼女は怒ったりはしないらしい。
むしろナターリエのことを心配してくれているようだった。
しかしそうではない。ナターリエは戦おうと思ったのだ。ラウレンツのような人と勝敗をつけるために動いたのだ。
「……じゃあ、このままラウレンツと結婚をしてくれるのかしら……」
「それも違います。トルデリーゼ様。……私は、誰でも、女でも、母親でも、トルデリーゼ様」
「……ええ」
「私は誰にでも、自分の幸せのために行動する権利があると思います」
ナターリエが言うとトルデリーゼはぐっと眉間にしわを寄せる。
「人は、必ず、自分が幸せに暮らすために手を尽くす権利があると思います。たとえ母親でも、自分を大切に扱わない人を助ける義務などないと思います」
「……」
「トルデリーゼ様、あなたは一人の方がよっぽど幸せではないのですか。あなたに指導される側になって、改めてその忙しさや、ラウレンツの言葉の傲慢さがわかりました」
「……」
「愛することは素敵です、でも時には自分を大切にするために愛する人を選ぶこともまた大切なことではないのですか」
ナターリエは、あまりに感情がこもってしまって少し声が震えていた。
願うような気持ちでトルデリーゼを見ていた。
けれどもやっぱり彼女は、長考してそれから悲痛な顔で頭を振った。
「夫も息子も、それでも……わたくしになにかあればきっと手を貸してくれる、ああは言っていても、場合によっては支えてくれる時もある……と思うのよ。ナターリエちゃん」
「……」
「家族って助け合いだと思っているの、少なくともわたくしは……だから捨てたりなんてで……できない」
分かっていた答えだったが、それでもその言葉を聞くのは悲しかった。
しかし、それだけでは終わらない。
ナターリエはそう言われるとわかったうえで、考えた。
そうして、囚われて自分の幸せのために動けないこともあるだろう。
でもそれは絶対に絶ち切れないものではない。
「なら、トルデリーゼ様、一つ案があります。彼らが本当に夫や息子としてトルデリーゼ様を思う気持ちがあって大切にしてくれるか確認しましょう。一人でずっと支えてきたのです、彼らに好機が訪れた時、彼らもトルデリーゼ様を支えてくれるか図るのです」
「……そんなこと……どうやって?」
「単純なことです、すでに私の父に了解を得ています」
そうしてナターリエは作戦を説明した。いつの間にかアルノルトもとても真剣に話を聞いていて複雑な表情をしていた。
トルデリーゼは長いこと考え込んだ後、了承したのだった。
エンデルス伯爵領の森にいる珍しい貂は公になった。
伯爵も、ラウレンツもその素晴らしい素材の所有権を持つ貴族として大いにもてはやされた。
次から次に魔法使いや騎士を雇って依頼を出し、二人の身なりは目に見えてよくなっていった。
社交界ではその話題で盛り上がり、ナターリエはラウレンツから呼び出されて、以前とは様子の違うエンデルス伯爵邸にやってきた。
なんだか屋敷の中は忙しなくて、模様替えをしている最中のようでありながら、すでに王宮のような贅をつくした内装に代わっていた。
応接室に通されて腰かけると、ラウレンツは前置きなど一切なく、侍女に運ばせて、ずっしりとした革袋をローテーブルの上に置いた。
ドジャリと中から音がしてそれが金貨だとわかった。
「婚約破棄だ、慰謝料はこれな」
「……」
「驚いたか? まぁ、でも当たり前だろ。俺は何度もお前に言っただろ。騎士なんてやめろ、自分勝手なことをするなって」
「いいましたね」
「でも俺は我慢してやっていたんだ。仕方なくな。でもやっと運が回ってきた。父もやっと踏ん切りをつけてあの女に離婚をたたきつけたんだ」
「……」
「やっと俺たちを縛り付けて、惨めな思いをさせてきた女親も追い出せた。次はお前の番だ。男を立てられない女なんて捨てられて当然だろ」
ラウレンツは勝ち誇った表情をしていて、ナターリエを捨てると宣言した。
「今更悔やんだって遅いぞ、もう俺は長いことお前を待ってやっていたんだからな」
言うだけ言って彼は立ち上がり、金貨の入った袋だけを置いて一人、応接室を後にした。
ナターリエは中身を見て、思わぬ副産物だったと思うのだった。
「困ったわね、アルノルトくん。まさか魔獣のように切り伏せるわけにもいかないし」
「自分が、対応しましょうか。トルデリーゼさん」
「いいえ、私がいきます、どうやら今日は私をお望みのようなので」
王宮のそばにある騎士団本部、そこに詰めていた三人は最近とある来客に悩まされていた。
主にトルデリーゼを出せと要求されるものであるが、そんなものに対応していたら業務が滞る。
どうせ見張りの兵士たちににらまれて部外者は入ってくることができない。
放置するというのも一つの手だったが、今日の来客であるラウレンツは母がいつまでたっても出てこないことによって狙いをナターリエに変えたようだった。
そうとなれば話が早い。早速話してこようと歩き出そうとすると、がしりと二の腕を捕まれて、ナターリエは驚いて斜め上を見た。
「あっ、いや、悪い。元は婚約者とはいえ、それでも危険じゃないか? やはり自分が」
「……それは私が女だからであなたが男だからですか? 私も騎士です。簡単に負けたりしません」
「……いや」
「それに、自分で決着をつけるべきことというのは誰にでもあるのでは?」
「すまない」
行動に移してまで止めてくるアルノルトに驚いて、男女の性差が問題かと問いかけた。
しかし彼はどうにもまごついた様子で、最終的には謝った。
以前だったら、こういうことは男が言っていたと記憶しているがアルノルトもアルノルトで、変わってきているらしかった。
そして、最後にトルデリーゼにネタばらしをしていいかと確認したら、もちろんだと言われたのだった。
「助けると思って、もう一度俺とやり直してくれ!」
ラウレンツは騎士団本部の応接室に通されて、開口一番そういった。
婚約破棄されてから、半年ほどしかたっていなかったのに、身なりは以前よりも悪くなっていて、トルデリーゼに文句を言っていた時よりもずっと貧相に見えた。
つけていた指輪も、装飾もなくなって、以前よく見た着古したジャケットにくたびれた革靴、肌つやも悪くあまり健康的な生活を送っていないようだ。
「傲慢な態度をとって悪かった。お前のことを一方的に捨てておいて、今更というのはわかってる、でもっ、頼む! 稼げる人間がいないとこのままじゃ首が回らなくなる!」
ナターリエは、切羽詰まって目を血走らせながら頼み込むラウレンツを見つめてそれから、一応確認として聞いた。
「待ってください、まずは何があったか言ってくれますか?」
「あ、ああっ、そうだな。そう、だよな。お前は詳しくは知らないか」
「……」
「そもそも、始まりは俺の母が森にいる珍しい種類の貂を発見したことからだったんだ」
ラウレンツは、早く話を進めたいのか早口で続けた。
「どうやら、その貂は魔獣化していてもしていなくても、普通の十倍以上の値段で、確かにとても美しかった。欲しがる奴も山ほどいた。でも母さんは俺たちがいくら狩って売るべきだといっても、希少なのだから守っていくべきだと言ったんだ」
「……」
「俺たちにもそれを手伝えと。だから父さんと話したんだ、母さんは自分だけがいい思いをして、俺たちには我慢させて今までみたいにいうことを聞かせたいだけなんだって! だから、そんな女はいらないって切り捨てることにした!」
「……それで、どうしたんですか」
「でも間違いだった! 母さんの言葉は正しかったんだ。いなくなってからやっとわかった、ずっと支えてくれていたのも、母さんだったし、同じように手に職をつけて自立しているナターリエもとても立派だった!」
ラウレンツは手のひらをくるりと返して、トルデリーゼのこともナターリエのことも肯定する。
そしてその仕事も肯定して、自分の言葉に反してナターリエに復縁を迫っている。
それは、とても滑稽なことだった。
「文句を言ってばかりで、悪かった! ナターリエ、あの日も傲慢に婚約破棄をたたきつけて、悪かった」
「……」
「もう、男だ女だと理由をつけて付き従うべきなんていわない。母は俺たちのことを考えてくれていたんだ。今更わかった……そしてお前も俺との未来を考えて、くれていたんだろう?」
ラウレンツはぎこちなく笑みを浮かべる。悲しみをこらえているみたいな顔つきだった。
「俺はなにもわかっていなかった。母もお前も、本当の意味で男に尽くしてくれていただけだというのに!」
そしてやっと愚かな自分に気がついた。捨ててしまった大切なものを取り戻すために言葉を尽くし、愛したいと心から望んでいる。
ラウレンツの頭の中にはそんなモノローグが浮かんでいるのではないだろうか。
そう思うとさらに可笑しくて、ナターリエは、よかったと思う。
「俺を助けてくれ、ナターリエ。俺の愛し方は間違っていた、捨てて悪かった」
すがるように見つめているラウレンツにナターリエはちゃんと勝ったと自覚した。
(戦おうと決意してよかったです)
「ラウレンツ」
「ああ!」
「実は仕組んだのは私なんです。トルデリーゼ様に近づいて貂の話を公にするようしむけました」
「……え?」
ナターリエがいうとラウレンツは途端に、勢いを失ったみたいに、口を半開きにさせて怪訝そうな顔をした後「な、なんだって?」と聞き直した。
「あなたは知らないでしょうけれど、私は以前から、私の幸せを守るために行動していました。あなたは私の敵です。私の幸せを害するとても強大な敵でした」
「……」
「人を搾取して話を聞かず、最終的には暴力まで出して自分の主張ばかり、支え合っていく家族なんかにはなれません。ならば戦うべきでしょう。違いますか?」
ナターリエはラウレンツに話を振る。彼は混乱している様子で言葉を返さない。
「結局、トルデリーゼ様と離婚して立ちゆかなくなったということか、彼女に頼っていたということですよね、人に頼りながらもないがしろにして、罵って、そんな人ってどうですか?」
「……い、いや、立ちゆかなくなったのは……これからの収入を見誤ったから、で……」
「では、計画性もなく、散財したということですよね。そんなことでは暮らしていけないのに今まで暮らしてこれたのはトルデリーゼ様のおかげではないですか」
「……」
ラウレンツのつぶやくようないいわけにも、ナターリエはきちんと正論を返すと、ラウレンツは黙るしかなくなった。
「彼女のおかげで暮らしていけていたのに、大切にせずむしろ踏みにじって……そんな人と家族になりたいわけがない、と思いませんか。あなたなら家族になりたいですか?」
「…………そ、そんなこと知らないし」
「私はなりたくないです。誰に聞いてもなりたくないというでしょう。でもそれがまかり通るとあなたは思っている。男と女というだけで、それは戦うべき理不尽です。だから手を打った」
「……」
「トルデリーゼ様に近づいて話を聞いて、母という役割に捕らわれてないがしろにされながらも受け入れて支えていたあの人に言ったんです」
「な、なにを」
「大切にしてくれない人なんて捨ててもいいって」
トルデリーゼに説明したように彼にも説明する。
「いつか、きっと家族として大切にしてくれるはずだというのなら試してみようといいました。希少な貂が欲望のままに狩ればすぐにいなくなることぐらいわかっていたんですよ。だからそもそも隠していた」
「……」
「知らせてあなたたちがどんな行動に出るか、仕事をしながら見ていましたよ。トルデリーゼ様と二人で」
ラウレンツは信じられないものを見るような目をしていて、キョロキョロと視線を動かす。
自分の行動を必死に思い出しているようだ。
「お金を手に入れる方法があるとわかった途端、彼女の助言を聞きもせずに、贅沢三昧、止める彼女に昔から腹が立っていた、嫌いだったと罵って離婚をたたきつけた」
挙動不審で焦っているのが手に取るようにわかった。
「それを知って二人で、少し笑ってしまったんですよ。あまりに滑稽で欲望にまみれた理性のかけらもない人たちなのだってわかって、二人ともあなたたちと縁を切れたときには祝杯を挙げましたよ」
「っ……」
「あなた方は私たちを捨てたことを後悔しているみたいですけれど、違いますよ。後悔すべきは、自分たちの醜悪さですよ。そのどうしようもない性格を露呈させたところを見て、やっぱり切り捨ててよかったと思いました」
ラウレンツはうつむいて、ずいぶんと小さく見えた。
人として小さくどうしようもない人だとわかっているからそんなふうに見えたのだろうか。
「だから、いくら職場にやってきても、答えは決まっています。……自分で叩きのめした相手を助ける馬鹿がどこにいるんですか。せいぜい破滅してください」
ナターリエはとてもすがすがしい気持ちで引導を渡した。
すると、小さなノックの音が鳴ってそれから、扉が開く。
ラウレンツもナターリエもふとそちらに視線をやると、そこにいたのは当事者のであるトルデリーゼだった。
彼女は、「ごめんなさいね、ずいぶんと時間がかかっているようだったから……」と少しいいわけをして、やってくる。
「いいえ、もう終わるところでした」
「あ、母さん……」
ラウレンツは、こぼれるように、そして助けを求めるようにとっさにトルデリーゼを呼んだ。
しかしトルデリーゼは、少しだけ横目でラウレンツを見て吐き捨てる。
「今更『母さん』だなんて虫がいい、怖気がするわ」
それはとても冷たい声で、ラウレンツは言葉を失って青くなった。
もうそれ以上、なにかを言う気力はわかないらしかった。
「でもね、誰かと幸せになりたいと望むことは尊いことだと思うわ」
トルデリーゼは突然物思いにふけってそんなことを言った。
彼女のそばには小さく真っ白で目の赤い子貂がうじゃうじゃと集まっていて、余さず拾い上げてトルデリーゼは笑みを浮かべた。
「……再婚を考えていらっしゃるんですか」
「自分は賛成したい」
ナターリエが少し考えて返すと、アルノルトはすぐに賛成した。彼は以前よりもずいぶんと自分の意見を言うようになった気がする。
それより現在なにをしているかというと、ナターリエの実家が協力している真っ白な貂の養殖の視察だった。
魔獣化した個体は繁殖率も高く成果は上々らしい。これらを管理された森の中に離して定期的に狩りの要請をトルデリーゼに出し、領地とトルデリーゼの半々で成果物を分ける。
そんな夢のような事業が進んでいる。
そしてトルデリーゼはなぜか白い貂によく好かれている。彼女が白い貂がいなくならないように周りの強い魔獣を狩ったりしてご先祖を守っていたのがわかるのだろうか。
トルデリーゼの言葉よりも、それが不思議で絡まり合ってまるくなる子貂たちを見ていた。
「いいえ、そうではなくて。どんなに大切にしても、家族として当たり前だとか女だからと理由をつけて酷いあつかいをする人も、変わらない人もいる」
「……」
「……」
「でも、同じ考えを持って、支え合える人もいるはずで希望はあると思うわ。それも意外と身近に……あまりのんびりとしていると、誰かにとられてしまうわよ。アルノルトくん」
トルデリーゼはアルノルトに話を振って、ナターリエは自然と彼を見た。
アルノルトは、少し目を見開いて驚いて、それからナターリエへと視線を動かす。
「……」
「……」
「っ…………あの、少しいいか。ナターリエ」
「はい」
「ナターリエ……自分は……とても頭の固い人間だった。父や母は昔気質で、男なのだから強くあれと言われ、自分もそれに準じることで楽をしていたように思う」
「……はい」
「しかし、そういう考えの中で軽んじられる女性もいる、俺の家庭はそうではなかったが、トルデリーゼ様のように」
唐突な話の流れに、ナターリエは驚きながらも頷いた。
「それはどうしようもないことだと思考停止していた自分に、ナターリエの言葉はとても深く刺さった。誰だって、自分が幸福になるために戦う権利がある。俺も深くそう思う、とても素敵な考え方をする女性だと思っていた」
「え、……そ、そう、ですか?」
「ああ。言葉少なだった父をまねて、そうでいれば楽だった。でも好意というのは表さなければ伝わらない」
「……」
「まだまだ至らないところはあるだろうが、俺も君のように、一歩を踏み出す勇気を与えられる生き方をしたい」
恥ずかしくなるぐらい褒められて、ナターリエは否応なしに赤くなった。
こんなふうに直球に伝えられたのも初めてで、憧れられたのも初めてで、まさか何気なくそばにいたアルノルトがそんな考えを持っているとは知らなかった。
「そして、そばにいたい。そう願うぐらい、慕っている。今度二人でお茶会でも」
二人きりでのお茶会に誘われ、ここまで敵を倒すためにめきめきバリバリやってきたので、こういったロマンスにナターリエはまったく免疫がなかった。
どう答えるのが正解なのかわからずに「あ、ええと」「エエト」と繰り返し、顔が熱くてクラクラして、保留にしようと考えた。
しかしふとトルデリーゼと目があって、彼女は苦笑して言う。
「大丈夫、気楽に返せばいいのよ。ナターリエちゃんの好きにしていいのよ」
と優しく言った。
その言葉と声音になんだかナターリエはほっとして頷く。
アルノルトが、自身に好意を抱いていたというのは意外なことだったが、接していていやだったことはない。
話していなくても許されるような雰囲気があって、とても居心地がいい人だと思っていた。
そんな彼が、ナターリエの言った言葉に感化されて、考えを変えて、憧れてくれているなんてとてもうれしい。
その思いに気がついて、「したいです、お茶会」と目を細めて返したのだった。
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