好きな後輩を酔った勢いでお持ち帰り、朝目覚めたら何やら様子がおかしかった
──若気の至り、で済む話しではないなと思った。
事実、俺はもう28。
新人の初々しさは完全に薄まり、まだ若手という称号は消えないまでも、徐々に仕事以外のことが考えられなくなってきた、独身男性。
同級生の結婚を知らされる度舌打ちをしてきたが、今ではそんな余裕もない。勝手に幸せになりやがれ。
……しかしそれは、俺が恋をしないこととイコールになるわけじゃない。
もちろん俺だってビュアピュアな恋心を持つ青年なわけで、実際職場には密かに思いを寄せる後輩がいる。
天海谷 月乃。
3年目の新人にしてバリバリ仕事ができる、まあ先輩諸君からすれば怖くてたまらない逸材。
そんなキャリアウーマンともなれば、先輩に媚びるような真似はしないし、何なら必要最低限の事務的な会話以外してくれない。
クールビューティー、ってやつか。
そんな冷徹な彼女だが、社内で一番可愛いのは、それも間違いなく彼女なのだ。
肩の辺りで切りそろえられたミディアムヘア、ぱっちり二重の大きな瞳、顔立ちはモデルの中でも上位層に匹敵する。
スタイルも良く、またなぜか常に良い匂いがするため、会社で女性社員総選挙をしたら多分圧勝するだろう人気。
だが俺が好きなのはビジュアルじゃなく、いやまあビジュアルも好きなんだけれど、とにかく、彼女の仕事に対する姿勢には、素直に目を見張るものがあるという話だ。
部署が同じで教育係を頼まれたとき「ふっ、あなたのような弱者男性に教わるなんて──言語道断ですわっ!」みたいに言われるのかとビクビクしていたのだが、彼女の方が実は何枚も上手で。
「よろしくお願いいたします。何かとご迷惑おかけするかと思いますが、なるべく早く慣れることが出来るよう、尽力します」
と、ご丁寧にお辞儀までされてしまったのである。
めちゃくちゃ怖い、氷の女王という前評判を聞いていただけに、彼女の第一声には驚いたし、すごく礼儀正しい子だなと思った。
──しかし、まあそれはそれとしてだ。
その後の研修期間での天海谷は、もちろん怖かった。俺が教育係のはずなのに、
「先輩、そこ違ってます」
「先輩、このスケジュールはこう変更した方が良いかと」
「…先輩、少しがっかりです」
と言った様子で、なぜか俺が教育され尽くしたのである。
だがまあ、彼女の言うことが間違っていたことは今まで一度もない。
仕事に対して情熱あるが故のことだし、それは全然悪いことじゃない。
何かに従事する者として、彼女の姿勢には学ぶものがあって、気がつけば意識してしまっていた。
──しかし。
オフィスLOVEというのは、マンガやドラマほどスムーズに進むもんじゃない。
そもそも仕事という前提的なタスクがあるわけだし、尤も天海谷はそのタスクに人生を懸けている奴なわけだ。
俺のこれは成就するわけないものだし、何ならLOVE足り得るのかもわからない。
そんな綺麗なものじゃないかもしれないが、まあ、恋と書いたら、あと書けなくなった、みたいなもんだ。
*
恋心らしき恋心を抱えたまま、季節はそれでも巡っていく。
会社を上げての一大プロジェクトもついに終わり、結果としては何とか成功を収めたところ。
普段はあまり飲み会に参加しない俺だが、今回の打ち上げにはさすがに名乗りを上げた。
──それに、なにげ天海谷も飲み会初参戦らしいのだ。
「いやー、皆さん、とにかくお疲れ様でしたー! 成功を記念して、今日は飲んで食って、土日は目一杯休みましょう!」
プロジェクトリーダーを務めた先輩が音頭を取る。
金曜の夜というだけで皆少し弛緩しているのに、今日となればもうだらんだらんに解れている。
──かんぱぁい!
店に響き渡ったその声は、いくぶんの達成感と清々しさに満ちあふれていた。
「……悪いな、テーブル、俺と天海谷だけで」
どんちゃん騒ぎの向こう側を見つめながら、余り物としてなぜか二人席に通された俺たちは、ちびちびと酒を飲んでいた。
「……別に良いです。ああいう人達と二人で飲むくらいなら、先輩がいいので」
天海谷はなんでもないような口調で言い放つと、レモンサワーを一口含む。
……この子、たまにこう言うこと言うから。
男ってのは単純な生き物なので、こんなこと言われちゃったら勘違いしちゃうわけである。
まあ、まさか天海谷に限ってそんな意図はあるまい、ええい今日は飲もう。
久しぶりの生ビールをグビッと一口。
「良い飲みっぷりですね」
「禁酒してたからな。プロジェクトが終わるまでは我慢」
「お疲れ様ですけど、飲み過ぎて倒れたりとかしないでくださいね。介抱なんかしませんよ」
天海谷のとげとげっぷりは今日も堅調だが、しかしいくぶん浮き足立っているような感じがする。
こんな雑談に乗ってくれるなんて、もしかして天海谷も上機嫌なのか?
「──ところで、天海谷って酒強いのか?」
「なんです、弱かったらいっぱい飲ませてお持ち帰りするつもりですか?」
「違うよ、普通に気になっただけ」
「ふーん、あやし……まあ、弱いですね」
「ああ、やっぱりそうなんだ──って、弱い?!」
「そこそんな驚きます?」
てっきりめちゃくちゃ強いんだと思ってた…。
意外なギャップもあるもんだ。
「レモンサワーくらいなら飲めるので、ちょびちょび飲むことにしてます」
「ま、まあ、倒れないように気をつけろよ」
「大丈夫です、そこらへんの配分は先輩よりずっと上手なので」
そう言うと天海谷は、テーブルに置かれた唐揚げに手を伸ばす。
いつの間に頼んだんだ…?
「……なーんですか先輩。そんな待てさせられてる子犬みたいな顔して。言いたいことあるなら言えばいいのに」
天海谷は柄にもなく、小悪魔ティックな笑みと口調で俺を煽る。
もう酔ってるのかこいつ?
…というか、いつの間にか出現した唐揚げに視線を送っていたら、俺がそれを欲しがっているというあらぬ誤解を生んだらしい。
「いや、いつの間にか唐揚げが来てたからビビっただけ」
「ふーん? ほんとはあーん、してほしいんでしょ」
「何言ってんだ、天海谷らしくないぞ」
「正直に言えばいいのに。だーい好きな後輩が、せっかくあーんしてあげるって言ってるんですよ?」
──刹那、気絶しそうなほど心臓が跳ね上がるのを感じる。
割と真面目に心停止するかと思った。
だーい好きな後輩、って…。
これを冗談のつもりで言っているのか、それともガチなのか…。
悩ましくて、しかし欲望には勝てず、俺は口を開けてみる。
「ふふっ、そういうとこ可愛いですよね」
天海谷は相も変わらず悪戯な笑みを浮かべたまま、俺の口に唐揚げを運んでくれる。
鶏ももと思わしき唐揚げは中々に美味しい。
「美味しいですか?」
「うん、うまい」
「ちなみに先輩は、私のファースト間接キス奪いましたからね」
…思い返せば、あーんしたのって、天海谷の箸──。
俺はぶわあっと顔に朱が注がれるのを感じる。
完全に酔っ払ってる状態の天海谷、破壊力強すぎるだろ…!!
「ふふっ、先輩顔真っ赤」
「ち、ちがっ…。ちょっと酔いが回ってきたんだよ」
見苦しい言い訳。28歳を名乗っているのさえ恥ずかしくなるほど、小三レベル。
*
──その後も、完全に酔っ払いとなった天海谷に翻弄され続け、フライデーナイトは過ぎていった。
飲み会も終盤に差し掛かったころには、天海谷は完全に出来上がっていた。
「せんぱぁい、今日帰れなそうなんで泊めてくださぁい」
おい、クールビューティーどこ行った…。
幸い向こうのテーブルは向こうのテーブルで盛り上がっているらしく、天海谷の酔っ払い具合には俺以外気付いていないようだったが、しかしこのまま行くと天海谷が可哀想だ。
「……抜け出すか?」
「はい、抜け出します、いますぐ」
無駄に気合いの入った天海谷の表情。
俺は仕方なく、同僚にこっそり耳打ちして、抜け出すことを伝え、二人分の会計を渡す。
こいつは信頼できる同僚なので、取りあえず彼にだけは伝えておこうという算段だ。彼にはグッドラックを言われた。
それから酔っ払いの天海谷を促し、俺と天海谷はそれとなーく店を後にした。
──若気の至り、で済む話しではないなと思った。
いくら天海谷が了承したからって、相手は酔っ払い。
一人暮らししている家の玄関を開け、天海谷を入れてしまった時点で、それはもう紛れもない「お持ち帰り」なわけだ。
しかも、天海谷が言っていた「いっぱいお酒を飲ませて~」云々に該当するおそれさえある。
いくら好きな後輩とはいえ、不貞を働いたらすべてを失ってしまうのだ。
……絶対健全!
朝になって天海谷に「なにも、なかったですよね……」と言われてもめちゃくちゃ深く肯けるくらい、まじで何もしないぞ!!
拳を握り締め、ひとまず俺は風呂に入った。
*
風呂上がり、俺は狭いワンルームを借りていることを痛烈に後悔した。
部屋が別れていないので、どう頑張っても一緒の空間で寝ることを強いられる。
悪いが、少しでもリスクを減らすために天海谷には俺のベッドで寝てもらおう。
もし天海谷が床で寝たとして、夜這いしたんじゃないかとか言われたら困る。
まあ、同じ空間で寝る以上、どう頑張ってもリスクは拭えないが……。
ひとまず、俺は来客用の布団をかなりキッチン寄りの床に敷き、だいぶベッドから遠い位置で寝ることにした。
ここまで離れてれば、天海谷が目覚めたときもまあ安心というものだろう。
朝、ちゃんと事情を説明すれば良い。
俺の健全作戦は、成功するはずだった。
*
鳥の囀りで目が覚める。
久しぶりの何も無い休日、しかし日の射す角度的に、たぶんまだ朝七時くらい。
早起きしちゃったな、と思うと同時に、体がどことなく重いのに気付く。
自分では自覚していなかったが、やはり俺も相当酔っていたのだろう。
頭はそんなに痛くなかったが、二日酔いというのが来ているのかもしれない。
──はあ、飯食べて薬……あ、その前に天海谷──。
ふとベッドを一瞥すると、そこに天海谷の姿がない。
「えっ」
俺は体を起こして確認する──ことを試みたが、しかしそれは叶わない。
体を起こそうとしても、体が重すぎるあまり起き上がれないのだ。
──起き上がれない…?
思えば、この重さは不自然すぎる。寝ぼけ眼で左半身当たりを凝視してみると、そこにはさながらモデルのような女性がいた。
……ん?
あれ、俺って彼女あるいは妻、いましたっけ?
しかもその女性は俺のことを思いっきり抱きしめていて、なんなら目覚めている。
俺の胸板あたりに顔を埋めて、ちらちら上目遣いでこちらに視線を配っているのだ。
「……先輩、どういうつもりですか?」
声色はほのかに冷たいが、しかしそこに冷酷はない。
冬のしんと降る雪のような、優しい冷たさがそこにはあった。
「どういうつもりって…、俺はたしかにベッドで寝かせただろ」
「それですよ、それ! なんで一緒のベッドで寝なかったんですか」
途端不貞腐れたような顔になって、ただでさえ強い力だというのに、いっそう力を込めて抱きしめられる。
「いでででで」
「一緒に、寝たかったのに…」
──そこかい。
てか、そんなこと言うってことは、まだ酔いが抜けてない…?
「お持ち帰りしたことは糾弾しないのか?」
「しませんよ、私から望んだんですし」
「……やっぱまだ酔ってる?」
「酔ってまーせーん! 素面ですよ、もう」
こいつ、本当に天海谷だろうか。
いや、たとえ天海谷だったとしても。なんでこんな俺にべったりなんだ?
「……今、なんでこんなべったりなんだ?って思ったでしょ」
天海谷は相変わらず不機嫌そうな口ぶりだ。
てか、思考を透視するの怖いから辞めて欲しいかもしれない。
「はぁっ…、やっぱ先輩察し悪すぎ。そんな悪い人にはこうです」
そう言うと、天海谷はただでさえ密着していた体をもっと密着させ、よじ登ってきて唇を重ねてくる。
──いわゆる、キスという奴だ。
「……!?」
俺の抵抗虚しく、主導権は100%天海谷が保持しており、舌と舌が絡み合う濃厚なキスをお見舞いされる。
──何か、舌の上をコロコロとしたものが転がっていく感覚。
それが不思議と心地よくて、一体何だろうと思っていると、刹那天海谷が一旦キスを止め、にやにやとしながらこちらを見つめてくる。
「気になりますか? 舌……」
そう言って天海谷は、べーっと舌をこちらに見せてくる。
そこにあるのは、淫靡に煌めく舌と、その真ん中に点在している銀色の点──いわゆる舌ピアスだった。
「ぴ、ピアス…?」
「みんなクールビューティーとか言ってきますけど、私結構こういうタイプなんですよ?」
そう言うと天海谷はシャツをまくりだし、ああ愈々俺は社会的に死ぬのかと覚悟していると、ほら、と言われるのでそっとそちらに目を向ける。
天海谷のへその部分にも、銀色の点があった。
「んふふ、これ、意外と気持ちいいでしょ?」
そう言うとまたこちら側によじ登ってきて、再び唇の主導権を握られる。
コロコロと舌の上を転がるピアスの感覚が、たしかに気持ち良くて脳が麻痺するのを感じる。
「ねぇ、先輩……?」
キスが止まり、静謐の中に天海谷の声だけが響く。
「好きです、大好きです、先輩……♡」
ぎゅーっ、と強い力で抱きしめられる。
心の奥がじんわりと熱を帯びて、これを人は幸福感と呼ぶのだろうと思った。
「……俺も」
心なしか声が震える。
「俺も、ずっと、好きだった」
ハグの力がいっそう強くなる。
やがて緩むと、天海谷はあの小悪魔ティックな微笑を湛える。
「んふふ、知ってます」
そしてまた、そっと唇の主導権を握られるのであった。




