花のような君だから【カステラ・パウンド1】
彼女は花のように美しく、そして脆い。
「あれ、別にいいのに、私が洗うから」
お昼過ぎ、滋賀県野洲市のメルキオール研究所。台所で夕食の皿を洗っていたらミルフィーユ・トリュフさんにそう声をかけられた。彼女は両手に皿の山を抱えている。
「すみません……。でも、そんな、悪いですから」
慌てて返事を用意する。第一声が「すみません」なのは、僕の癖みたいなものだ。
今日の食事当番はトリュフさんだ。彼女は、ほぼ全員分の食べ終わった皿を流しに置いた。一体あれにどれくらいの重量があるのだろう。非力な僕はただただ憧れるばかりだ。
「いいわよ。私どうせ暇だし。あんたは研究の続きでもしてなさいよ」
僕の右手のスポンジを取り上げるトリュフさん。彼女はそれきり何も言わず、黙々と皿を洗い出した。
「……いつもありがとうございます」
スポンジを奪われやることが無くなってしまった僕は、ぼーっと突っ立っていたらまた怒られると思い、そう呟いて台所を後にした。
トリュフさんはいつもそうだった。だいたいの人は、食事当番だからと言って後片付けまでしたりしない。みんなそれぞれの研究で忙しい。
でも、トリュフさんは違った。口ではぶっきらぼうな事を言いながらも、みんながやらないような後片付けまで進んでやる。彼女は人の見ていないところではとても頑張り屋さんだった。
初めてトリュフさんと顔を合わせたとき、その高飛車な態度と強気な目に僕は気圧された。苦手な人だと思った。
しかし、一ヶ月、二ヶ月と同じ空間で過ごしているうちに、トリュフさんの本質が見えてきた。トリュフさんはとても頑張り屋で、とても健気で、とても可愛い人だった。
集団研究室に入るなり、ウェーブしたオレンジ色の髪とピンクのリボンに釘付けになる。僕と彼女の距離は五メートルも離れているのに、僕と彼女の間には他にも沢山人がいるのに、僕の目は彼女しか捉えない。
つい、彼女を目で追っていた。気がつけば彼女を見ていた。それが恋だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
でも臆病で気の弱い僕は彼女に告白しようなんて考えない。
「ちょっと!午前ティーだって言ったじゃない!なんでリプトソなのよ!」
「午前の紅茶もリプトソもたいして変わんねぇだろ。買ってきてもらっただけ有り難いと思えよ」
「信ッじらんない!あたしは午前ティーじゃなくちゃ嫌なのよ!午前ティーのレモンティーじゃなきゃっ!」
そう言って彼女はせっかく買ってきてもらった紅茶のパックを、ティラミスさんに投げ付ける。ティラミスさんは間一髪でそれをキャッチした。
「いらないわよそんなの!」
「俺だっていらねぇよこんな甘ったるいもん」
それからティラミスさんはキャンキャン叫ぶ彼女を無視して、他の人に頼まれた飲み物を配りはじめた。
彼女は、とても我が儘だった。
頑張り屋でも、健気でも、可愛らしさもない。自分の気に入らないものは気に入らなくて、好きなものも素直に好きと言えない。でも、そんな彼女を僕の瞳は追いかけていた。
「パウンド、お前この紅茶いらね?」
ぼーっとしていた僕に、ティラミスさんは先程の紅茶を差し出した。慌てて我に返る。
ブレッドさんが出かける前に発した「コンビニ行くけど何か買ってくるもんねぇ?」という言葉に、みんながコーヒーや紅茶をの名を上げるなか、自分は「僕は何もいりません」と答えた。だから当然僕の分の飲み物はない。僕はパシリにされるのは慣れていたが、パシリにするのは怖かった。
「いらねぇんならいいんだけどよ」
「い、いえ、貰います」
ティラミスさんは僕にリプトソのレモンティーをわたして、他の賑やかな人達の方へ近づいて行った。
レモンティーにストローを差し込んで、さぁ飲もうという時に、背後から近づいてきた彼女に紅茶を奪われた。
「あっ、」
「喉かわいてるから。これ、ちょうだい」
僕が何か返事をする前に、彼女はストローに口をつけた。ごくごくと紅茶を飲み込んでゆく。
彼女はとても我が儘だった。頑張り屋でも、健気でも、可愛らしさもない。自分の気に入らないものは気に入らなくて、好きなものも素直に好きと言えない。でも、そんな彼女に僕は恋をした。
彼女の表面ではない。内側から滲み出る、暗い何かに僕は惹かれたのかもしれない。何故だか彼女がひとりぼっちの可哀相な子供に見えるのだ。
彼女は我が儘で、可愛いげがなくて、子供っぽくて、すぐに文句を言う。
でも彼女は負けず嫌いで、たまに優しくて、時々すごく綺麗に笑う。
頑張り屋じゃなくても、健気じゃなくても、可愛いげがなくても。そんな彼女だから、僕は惹かれたんだろう。