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捨てる覚悟と拾う勇気【北野玲那1】




「むっ、」

素振り中、誤って壁にぶつけてしまった日本刀を見て、玲那は小さく呻いた。刃が少し欠けている。

大事な刀を壁にぶつけてしまうなど、不注意だった。疲れて集中力が落ちているのだろうか。最近は真面目に一限目から授業を受けているし、連日の深夜稽古も欠かさずに行っている。寝不足かもしれない。

玲那は刀を鞘におさめ、床に放り投げておいたタオルで汗を拭いた。今日の稽古はもう終わりにして、たまには早めに寝よう。そのままシャワー室へと向かう。

刃こぼれした刀は明日学校へ行った帰りにでもいつもの刀屋で直してもらおう。ジェラート・トライフルと知り合ってから刀を折られることが多くなったので、一応予備を持ってはいるが、玲那は今の刀を気に入っていた。昔から使っているので、馴染みがある。

シャワー室で汗を流し、自分の部屋へ戻る。濡れた髪をタオルで拭き、ドライヤーもかけずに布団の中に潜り込んだ。

布団の中で耳を澄ますと、一見無音だと思われる研究所だが、カチャカチャと小さな音がしている事がわかる。それは、玲那の隣のアンニン・ヨウカンの部屋から聞こえてくるもので、おそらく金属やプラスチックなどがぶつかって鳴っているのだろう。

玲那の知る限りこの音はほぼ毎晩鳴っていて、一体彼女はいつ寝ているのだろうと思いながら、玲那は眠りについた。

翌日、学校の後にさっそく刀屋へ行くことにした。新しくできたファミリーレストランへ行こうという小灯のしつこい誘いを断り、刃こぼれした刀を腰に提げ刀屋へ向かう。行きつけの刀屋は相変わらず薄暗い細い路地の奥にあった。

いつ来ても古臭いその店は木造で、小さな地震で崩れ落ちてしまいそうだ。たてつけの悪い引き戸を力任せに開け、玲那はかび臭い店の中へ一歩足を踏み入れた。

「む」

店へ入って驚いた。店主以外に人がいる。ここの店主は子も弟子もおらず、さらにこの店は頻繁に客が訪れるようなところではない。玲那はかなり長い間この店を利用しているが、今日この瞬間まで店主以外の人間がいるところを見たことがない。

見たところその客は二十代前半くらいの女性で、店主の横にあぐらをかいている。玲那と同じ表情をしているところを見ると、彼女も自分以外の客がこの店に来たところを初めて見たのだろう。

「おお、今日はどうしたんじゃ?また刀でも折ったんか?」

玲那の来店に気づいた店主が声をかける。彼を見るときはいつも来ると刀を打っているが、どうやら今日は違うらしい。この女性の商品だろうか、箱からクナイらしきものを出している。玲那は実際にクナイを使ったことはないが、ジェラートが使っていたものに似ている気がする。

「いや、刃こぼれだ。すぐに直してほしいのだが……」

そう言って玲那は店主の傍らに座る女性を見た。彼女の用事はあとどれくらいで終わるのだろうか。どうせ自分しか客はいないのだから、すぐに打ち直してもらえるものと思っていた。

ずっと店先に突っ立っているのもどうかと思い、とりあえず玲那は店の中へ入ることにした。店主と女性が座っている、コンクリートでできた床から一段高くなったところに靴を脱いで上がる。木製の床の隙間に、埃や鉄屑が詰まっている。

「また無茶な使い方をしおってからに」

最近頻繁に訪れるようになったので、店主は玲那の刀の使い方に問題があるのだと思っているらしい。実際、玲那は力任せに刀を振るので、その考えは間違ってはいないのだが。

しかし最近店に来る回数が増えたのはジェラートと喧嘩をしているからだ。玲那の刀の使い方が特別雑になったという訳ではない。

クナイの詰まった箱を女性の方へ押しやって、玲那の刀を見る店主。その間に玲那は箱を分厚い風呂敷で包む女性を観察した。

長い黒髪を頭の高い位置で一つにまとめ、気の強そうな目をしている。が、間違いなく美人だ。服は短パンとTシャツというラフな格好の上に、何故か大きな羽織りを羽織っている。玲那の視線を感じたのか、女性が顔を上げた。目が合ってしまう。

先に口を開いたのは女性の方だった。

「お前、よくここに来るのか?」

「まぁ……」

玲那は知らない人間に対しては口数が少なくなるタイプだ。「刀を直してもらいに来たんです」とか、「あなたはどうしてここへ?」とか、その後に続く言葉は沢山あるにも関わらず、何と言っていいかわからない玲那は「まぁ……」としか言えなかった。結果、二人の間に気まずい沈黙が流れる。

先に口を開いたのは、またしても女性の方だった。

「ここでアタシ以外の客初めて見たからさ、ビックリしたよ。こんな辺鄙なとこに来る奴いるんだな」

「それは私も同感だ」

「常連なのか?」

「最近は割と」

「アタシは半年に一回って感じかな。アタシ刀振んのは苦手だし」

しばらく会話が続いたところで、離れた場所で玲那の刀を打っていた店主が声をあげた。

「おい嬢ちゃん、用が済んだならさっさと帰んな!」

「アタシ客だぜ?それはねーだろ」

「刀買わん奴はうちの客じゃないわい!」

女性は「へいへい」と言いながら腰を上げる。風呂敷をつかみ、土間へ降りた。背中を向けて刀を打つ店主に「じゃあ帰るわ。ありがとなー」と大きめの声で言う。店主から「おーう、また来いやぁ」と返ってくる。

女性は次に玲那の方を振り返り、「じゃあ、お前もまたな」と言ってニカッと笑った。

「……うむ」

玲那はそれに相変わらずの仏頂面で答える。女性はひらひらと手を振って出て行った。

「…………」

しばらく女性が出て行った引き戸を見つめる玲那。少し前の自分なら、知らない人間に話しかけられても返事などしなかっただろう。あの研究所に来る前の自分なら。

玲那は、他人との係わり合いが楽しいと感じている自分がいることに気づいた。それが信じられなくて、しばらく引き戸を睨みつけたまま固まっていた。そこに、店主から声がかかる。

「まだ時間がかかるんでな、新しく入った刀があるから見てってくれやい」

目線でその刀の場所を教える店主。玲那は「よかろう」と呟いて立ち上がった。

変わっているのだな、と思った。もう何も持たないと決めたはずなのに、いつの間にか両手がふさがる程の荷物を抱えている。

「このままでは、じきに刀も振れなくなるな……」

小さく呟いた玲那に、店主の背中が「なんじゃーい」と反応する。「何でもないわ」と返して、玲那は手に取った刀を見た。銀色の刃に、自分の目が写っている。

その目はもう、「暴君」と呼ばれたときのものではなかった。変わっているのだな、と玲那は思った。





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