人間体温アナフィラキシー【瀬川陸1】
「なぁ、瀬川、数学の宿題やってきたか?」
現代文の授業が終わり、教科書を片付けていると、後ろの席の男子生徒が話し掛けてきた。どうやら彼は、今日の数学の宿題をやってきていないらしい。
「一応」
「頼む、見せてくれ!」
僕は現代文の教科書を仕舞う代わりに数学のノートを取り出した。この学校はあまり真面目な生徒がおらず、宿題をやってこない事なんてよくある事なのだが、こうしてノートを借りるということはこの男子生徒は今日当てられる日なのだろうか。
数学のノートを貸してやると、男子生徒は「サンキュ」と言って早速宿題を写し始めた。僕は特に何も言わず再び前を向く。昨日来た飼い犬探しの情報収集をした方がいいだろう。なるべく情報を集めておかないと、また荒木さんが走らされるハメになるだろうから。
しばらくスマホを操作していると、つんつんと背中を突かれた。僕の後ろには今一人しかいない。振り返ると、後ろの席の男子生徒が数学のノートを差し出していた。
「サンキュー。助かったぜ!」
「いいよ、これくらい」
ノートを受け取り、これ以上話すことはないと思って前を向こうとしたが、後ろの席の男子生徒が話題を振ってきた。
「俺出席番号十八だからよー、今日当たるんだ。あの先生答えわかるまで何度も当てるもんな」
「そうだね」
正直に言うと、僕は人と話すのが嫌いだ。一人で居る方が落ち着くんだ。だからさっさとこの男子生徒との会話を打ち切りたかった。
「俺頭よくねーからさ、いっつも答えわかんねーんだ。席替えして、瀬川が前でよかったぜ!」
君にとってはラッキーだけど僕にとってはアンラッキーだよ。外ならない君のせいで。
スマホの画面に表示された掲示板に、次々と文字が現れる。ああ、あの犬見つかったみたいだ。商店街の肉屋が保護している……さっさとこの情報提供者にお礼の返事を打たなければ。
「でも瀬川って頭いいよな。何で野洲高なんて受験したんだ?俺はサッカー得意だからスポーツ推薦できたけど」
そんなことは聞いていないし興味もない。僕が野洲高を受けた理由は店が近いからだが、そんな理由は通じないだろうから「家が近いから」と答えておいた。家が近いのも事実ではある。
「瀬川って家野洲にあんのか?そういやチャリで来てるよな。見たことあるぜ。俺は電車通学なんだけど‥‥」
そこでチャイムが鳴り、数学担当の教師が教室に入ってきた。僕はやっとこの男子生徒から解放されるとホッとしていた。
「先生きちまったな。また今度話そーぜ!せっかく同じクラスになったんだから仲良くしような!」
意外な言葉に、僕は少し驚いていた。それから、もう九月なのに何を今更、と思う。そんな事を考えるようだから僕にはあまり人が寄ってこないのかもしれない。
僕はこの男子生徒の名前も知らないのに、何だか悪い気がする。スマホを操作して出席番号十八番で調べると、「冨永康弘」という名前が出てきた。
数学教師がさっそく宿題のチェックを始める。冨永は自信満々に汚い字の書かれたノートを開いた。
ああ、こんな事をしていたから情報を提供してくれた人に返事するのが遅れてしまった。僕は机の下にスマホを隠して文字を打ちはじめた。