まるで叶わぬ恋のようだ【神原閻魔1】
「げっ、神原さん」
「げっって言うた?雅美ちゃん今げっって言うたよな?」
「言ってませんよ耳糞つまってるんじゃないですか?」
雅美ちゃんの出勤時間にあわせて朱雀店の近くの道をうろうろしていたら、予測時間ぴったりにやって来た彼女は予想通りの反応を見せた。何でも屋全体を騒がせた花木冴の復讐劇が幕を下ろした約二週間後のことである。
「で、今日は何しに来たんですか?この前も来たばっかりじゃないですか」
「いやな、特に用事はないんやけど、なんや急に雅美ちゃんの顔見とうなってな」
「そうですか。私は神原さんの顔見たくないのでもう行きますね」
「それじゃ」と片手を上げてボクの横を通り過ぎようとする雅美ちゃん。僕はそんな雅美ちゃんの袖を掴んで引き留めた。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょい待ちぃ。何でそんな冷たいこと言うん」
「だって神原さんと話すことなんて本当にないですもん」
「雅美ちゃん会うたび毒気増しとるなぁ……」
朱雀の店長はんに何か仕込まれているのか……それとも、店長はんを見ているうちに独自の進化を遂げたのか……。どっちにしても、昔の可愛いげは何処へ行ってしまったのか。
「……あ、別に昔も可愛いげあらへんたわ」
「今何か言いました?」
ギロリという擬音が付きそうな目つきでボクを見上げてくる。ボクは笑顔を取り繕って両手を振った。
「言うてへん言うてへん」
「ふん、ならいいですけど。私もう行きますよ」
「ちょっと待ちぃな、まだ全然話してへんやん」
歩き出した雅美ちゃんの袖を再び掴むと、雅美ちゃんは露骨に嫌そうな顔をして振り向いた。
「ちょっと触らないでくださいよ。菌がうつるじゃないですか」
「菌!?菌て雅美ちゃん」
あからさまな演技で嘆くボクを尻目に、わざとらしく掴まれた袖をはたく雅美ちゃん。神原菌を滅殺する作業が終わると、彼女は一オクターブ低い声で言った。
「で?いい加減用って何ですか?」
「いやー、雅美ちゃん本部に来うへんかなぁって」
「またそれですかぁ?」
雅美ちゃんは大きなため息をついただけでなく、さらに肩をすくめてやれやれと首を振った。
「神原さんいつ来てもその話しかしてないじゃないですか」
「そらいつもこの話しに来てんねやもん」
「わかりましたじゃあ私行きますね」
「ちょいちょいちょい、待ちぃな!返事は!?」
「だぁかぁらぁ、いつも言ってるじゃないですか!私は朱雀店が好きなんで本部には行きません!」
雅美ちゃんは袖を掴むボクの手を思い切り振り払った。
「じゃあ私ほんとに行きますよ!店長見張ってないといけないんで!私は神原さんみたいに暇じゃないんです!」
そう言ってずんずんと歩いてゆく雅美ちゃんを、ボクは今度こそ引き留めなかった。物理的に小さい背中がどんどん小さくなってゆく。
「またフラれてもうたなぁ……」
何故二人ともあの店長について行くのか。苦しみや悔しさを感じたりしないのだろうか。ボクには無理や。
「さて、店長はんが出張ってくる前に去のかいな」
踵を返したボクの着物の裾を、三月の風が優しく撫でた。