リセットボタンは無いのです【相楽陸男1】
「どういうことだよこれさぁ。ほんといい加減にしてくれよ」
少し大きめの声で独り言を言うと、期待通り花音が反応した。
「どうしたんですの?」
窓際で椅子をくるくると回転させていた花音は、こちらを向いてピタリと止まった。手に持ってる紙から顔を上げる。
俺はパソコンのディスプレイに目を向けたまま答えた。
「また勇人んところが意味不明な報告してんだよ。この前店長会議で言われたばっかなのに」
「またですの?ほんっとに進歩しないんですわね、あの人は」
「いっそのこと店長代えちまえばいいのに」
「自分が有能だと思ってるからまたタチが悪いですわね」
勇人の愚痴で盛り上がっていると、コンコンと店長室のドアを叩く音が聞こえた。誰だろうと思いながら「どうぞ」と返す。すると、入ってきたのは妹の来夢だった。
「おー、来夢。どうした?」
パソコンから顔を上げる。来夢は無表情を崩さずに答えた。
「勝俣さんの依頼。この位置だと白虎店に事情を説明しておいた方がいいと思う」
相変わらず簡潔に、必要なことだけを述べる来夢。花音なんて、~ですわとか、~ありませんこと?とか、無駄にこってりした喋り方をするのに。
「ああ、そうだな。さすが来夢は気づくところが違うなぁ。すぐ荷太郎に連絡するよ」
来夢は他の店にほとんど知り合いがいない。だから、他の店に連絡を取るのはきっと勇気がいることだろう。ここは、兄としてかわいい妹である来夢を手伝ってやらなくては。
そう思って言ったのだが、来夢に自分でできると断られてしまった。きっと店長の仕事で忙しい自分を気遣ってのことだろう。本当によくできた妹だ。
「いや、白虎店に知り合いいないだろ。俺がやっとくよ」
「いい。自分で出来るから」
「ほんとに大丈夫か?何かわからないことがあったら兄ちゃんに……」
「大丈夫」
「そうか……」
再びどころか三度言ってみるが、全て断られてしまった。もしかして、来夢にとって自分は頼りにならない存在なのだろうか。
いや、今まで兄として最大限に妹を可愛がってきたはずだ。来夢は感情表現が苦手なだけなのだ。明日は日曜日で学校も休みだし、イルカが好きな来夢を水族館に誘ってみよう。確かあそこはド迫力のイルカショーが見れたはずだ。
「そうだ、なぁ来夢、明日暇か?暇だったら久しぶりに兄ちゃんと一緒に……」
「暇じゃない」
即効で断られてしまった。今までで一番早い断り方だ。
俺がショックを受けている間に、来夢はさっさと店長室を出て行ってしまう。俺は大きなため息をついた。いつからこうなってしまったんだ。
隣で花音が何か言ったような気がするが、よく聞こえない。本当に、いつからこうなってしまったんだ。来夢も昔はもっと俺に甘えてきてくれたのに。いつの間にか、俺への態度が素っ気なくなっている。まるで娘に避けられる父親のようだ。俺が何かしただろうか。
「俺が何かしたか……?いや、何もしてない。今も昔も来夢を可愛がってきたし、兄弟喧嘩なんてしたこともない……。来夢も少し前までは俺のことを"お兄"と呼んで慕ってくれていたし……」
そこであることに気づいた。それを花音に尋ねる。
「なぁ……。来夢っていつから俺のこと"お兄"って言わなくなったんだ?」
突然尋ねたせいか、花音は目を丸くして「さぁ?」と答えた。花音でも気づかない間に、俺は兄として見てもらえなくなっていたのか。
「俺なんかしたのか……?なんか来夢に嫌われるようなこと……」
「たぶんただの反抗期ですわよ。そのうちまた喋ってくれるようになりますわ」
花音はそう言うが、本当にそうだろうか。第一、そう言う花音には反抗期などなかったではないか。そう言い返すと、花音は「私は素直な子供でしたもの」とシレッと言ってきた。
「それに、私とお兄様は歳が近いですし、一般的に見れば仲のよい兄弟だったのではありません?」
「お前が素直だったかはさておいて、まぁ確かに……。つまり歳が離れてんのがダメなのか?」
「思春期ですわよ。来夢も一応女の子ですのよ」
思春期と言われても、来夢はもともと感情の起伏が乏しい子だ。キレて怒鳴ったりすることもないし、嫌そうな顔をして露骨に避けてくることもない。
それに、来夢が女の子というのは見ればわかる。そんな当たり前のことを言われなくても、来夢は世界で一番かわいい妹だ。
思ったままのことを言うと、花音は「わかってないじゃありませんの……」と呆れ顔で呟いた。わからないのはそっちだろ。
花音はため息を一つつくと、さっきより少し不機嫌な顔で「お昼をいただいてきますわ」と言って出て行った。店長室には俺だけが残される。
「いったいどうしろっつーんだよ……」
一人呟いてみても、いい案は浮かばなかった。しばらくぼーっとした後、俺は途中だった仕事を思い出して、再びディスプレイとにらめっこを始めた。