4 ヘルムント辺境伯令嬢
(おや?)
サルフは、一人だけ微動だにせずに広間中央付近で立っている女性に目がいく。
列をなして、ルートロック殿下に辞退する非礼を詫びながら退室していく女性たちがズラッと並んでいるのに、一人ポツンと顎に手をあてて何かを思案しているようだ。
その令嬢は、明るい亜麻色の髪を緩くまとめて、水色の飾り気の少ないシンプルな衣装を身に着けている。
同じタイミングで今回の仕掛け人であるルートロックもその女性に気が付いたようで、視線でサルフにあの女性はどこの誰だと問うてくる。
サルフは慌てて、令嬢名簿の名前を順に確認していき、もう一度その女性の顔を見る。
(はて? 初めてお目にかかるご令嬢のようだ)
いままでの王宮主催の夜会に参加したことがない令嬢だということだけはわかる。
辞退して広間から退室するためにお別れの挨拶をしようという女性の列はまだ出口に向かって長く続いている。
すると、その先ほどの水色のドレスの女性が、そっと手を挙げる。
それに気が付いたサルフは、その女性に視線を合わせて、コクンと頷く。
「あの……発言をお許しいただけますか?」
落ち着いた声音で静かに発せられた声に、出口に向かって列をなしていた女性たちが何事かと一斉に振り向き、訝し気にその女性に注目する。
「どうぞ、お話ください」
サルフがその令嬢に発言を許可をすると、その令嬢はルートロックに視線を定めて、澄みきった声で質問を投げ掛けた。
「服毒をして生き残ったら、王太子妃になれるということですよね? 王太子妃になれるのは本当でしょうか?」
その女性の発言に、まだ会場に残っていた女性たちは、ここに頭のおかしい女性がいるのだとざわめき出す。
その喧噪をルートロックは手で制して、静かにするように促してから返事をする。
「あぁ。その通りだ。まず服毒して生き残れたら……という条件がつくがな」
そのルートロックの返事を聞いて、再びその女性は服毒するのか思案している様子を見せる。
周りの女性も、ひそひそとどこの家の令嬢かとか、止めて差し上げるべきだとか口々に話を始めている。
誰も人の死に関わりたくないから、服毒を阻止しようとする女性は優しい女性に違いないのだが、ルートロックはそういう優しい女性が必要なわけではない。
「そうですね。一度、別室に案内していただけますでしょうか? 盃を見てから、やはり辞退することも可能ですか?」
果敢にも服毒に挑戦しようとしている令嬢がいるのだとわかると、辞退する女性の中にはまるで勇者に遭遇したかのように尊敬の眼差しで見つめる者まで出始める。
「あぁ。もちろん、盃を見てから毒を煽るかどうか決めても構わない。辞退するのはどのタイミングでもいいぞ」
ルートロックは、挑戦してくれる女性がまさか本当に現れるとは思っていなかったので、予想外の令嬢の登場を喜び、喉で静かにクツクツと笑う。
(ルートロック王太子殿下のあの目は本気だ。必ず死に至る毒を別室に用意しているはず)
それを感じとったサルフは万が一のことがあってはならないので、急いで王宮の医師を別室近くに呼び寄せる手配を行う。それと同時に、この猛者のような行動を起こす人物の名前を本人に問うてみる。
「ご令嬢。確認の為、お名前を伺っても宜しいですかな」
サルフは万が一、最悪の事態に陥った時に、どこの爵位を持つ家に謝罪をしないといけないのかだけでなく、勢力と派閥争いなども併せて考えなければならない。
だからこそこの令嬢の名前を確認する必要があった。
「申し遅れました。私はヘルムント辺境伯の娘、アラマンダ=ヘルムントでございます」
サルフは、美しいカーテシーをしているその娘の名を聞いて納得がいく。
王国の東の位置は軍事上重要な場所となっており、ヘルムント辺境伯領は敵国からの侵入を阻止するための要となっている場所を守っているのだ。王宮から遠く離れているため、馬車に乗っても3週間ほどかかるので、今回の王太子妃選考会には招待状を受け取ることはできたとしても、令嬢は王都に来るには間に合わず参加できるはずもないと思い込んでいた。
だからこそ、今まで一度も王宮の夜会に参加したことがないことに納得がいった。
(もしかして、騎乗してここまでやってきたのだろうか)
王太子妃選考会を執り行うという案内状を出してから、今日までの日数を考えるとこの目の前の女性が馬車ではなく、騎乗で王宮まで来たように思えてならない。
(もしくは、たまたま王都の近くに滞在していたから、間に合ったのだろうか)
ルートロックは椅子から立ち上がって、派手さがなくても上品なドレスがよく似合っているアラマンダの傍まで来るとエスコートをするような仕草をとり、彼女の手を自分のひじに絡ませた。
周りの女性には、死へと続く道案内人のようにルートロックが映っていたかもしれない。
辞退する女性たちは、ルートロック殿下と辺境伯令嬢のアラマンダの二人が手に取ってほほ笑みながら歩く姿を見ても、今から毒を選びに行く姿には到底思えなかった。
お互い寄り添って、楽しそうに微笑み合う姿を目の当たりにすると、お似合いの二人だとも感じた。