雇用契約満了してました
「来期の舞踏会と魔素奉納式の事業計画書は、こんなものか。あー、パソコンが懐かしいな」
俺はペンを置くと、腕をもみ、肩を回しながらざっと書き上げた書類を読み返す。
「おっさん事務員をコキ使い過ぎだよなー。雑用ばっかだし。あ、書類は三十部づつでいいか。『複製』と」
かざした片手。中指に嵌めた安物の指輪の宝石が、キラリと光る。
宝石が光る度に、俺は魔法で書類を複製していく。
俺がぴかぴかと書類を複製していると、部屋のドアをノックする音。
「どうぞー」
「あ、カイン様! いらして良かった。王がお呼びです!」
「あーはいはい。わかりました。それにしても、わざわざ侍従長が自らお伝え頂き、恐縮です」
訪れたのは顔見知りだった。
単なる事務員の俺に比べると格段に身分の高い侍従長だったが、とても人柄の良い人なのだ。
王宮では、いつも親切にしてくれていた。
「いえ、そんなっ! いつもカイン様には助けて頂いてばかりなので。それと、あの……ここだけの話なのですが、リヒテンシュタイン新王は、あまり機嫌が良くないご様子です。何卒、お気をつけください」
声を潜めるようにして教えてくれる侍従長。
前王と皇太子が毒で亡くなってしまい、急きょ王位についた新王、リヒテンシュタイン。残念なことに他に後継者がおらず、色々あって、薄くても王家の血の流れる元地方貴族のリヒテンシュタインが即位したのだ。
その即位式の時に遠目では拝謁したが、俺は新王の人柄等は全く把握していなかった。ただ、今のところ、あまり良い評判は聞こえてこない。
そんな俺なので、侍従長は心配してくれたのだろう。
俺は侍従長へ感謝を返すと、作ったばかりの書類を手に、謁見の間を目指すのだった。
◇◆
「お前のような事務員風情に、この過剰な給与は目に余る。カイトといったか? お前の契約更新はしない。王宮より、今すぐ立ち去るがよい!」
──ええと、名前はカイン、なんだが……。はあ、そういえばちょうど雇用契約の更新の時期だったか。更新、無しかー。これって、無職になってしまった訳、か。まあ、それは仕方ないか。雑用しかしてないしなー
あまりに突然のことに、俺が実感もわかずにボケッとしていると、なぜか周囲から声が上がる。
「リヒテンシュタイン王っ! お願いいたします! ご再考を!」「ご再考をっ」「私からもお願いいたします!」「カイン様は、かけがえの無い存在ですっ」「そうです! カイン様のお陰で、万事、物事がスムーズにまわるようになり──」
謁見の間に居合わせた顔見知りの人々が口々に庇ってくれるのだ。
しがないおっさん事務員に過ぎない俺には、過剰なほどに皆、優しい。
とはいえ、組織のトップが辞めろと言うのだ。しかも、王という絶対的な権力者。
いくらまわりの心優しい方達が庇ってくれても、決定が覆ることはないだろう。
俺がそんな、覚めた目でいたせいか。はたまた、周囲から俺を庇う声にイライラしたのか、リヒテンシュタイン王の口調がヒートアップしていく。
「うるさいうるさいっ。王たる我の決定だ! 異論は認めぬ! そもそもなんだ、この書類とやらは! こんなものを作るだけの仕事しかしていない者など。王宮には不要だ! 衛兵っ、こいつの作った書類とやらを、全て処分しろっ」
そういうと、俺が先程完成させたばかりの、事業計画書を率先してビリビリと引き裂いて、辺り一面に撒き散らすリヒテンシュタイン王。
──まあ、書類作りが俺の仕事の大半を占めているのは否めない。でも、リヒテンシュタイン王の即位式の実施計画書も、俺が書いたんだがな……うわ、というか、あれ、掃除大変だろ。そんなに盛大に紙を撒き散らしたら……。
何か紙に恨みでもあるのかと疑うばかりに、ちぎった紙を振り回すリヒテンシュタイン。俺がその醜態に呆れた顔をしている回りで、俺を庇ってくれた人たちがみな顔を青くしている。
──ほら、やっぱり。みんな片付けのめんどくささに顔を青くしてる。侍従長なんて、偉いな。さっそく飛び散った紙を拾い始めているよ。仕事できる方ってのは違うな。率先して動いているところとか、流石だ。
雑用慣れした俺も、思わず手伝おうと動きそうになる。しかし、そういえばついさっき解雇されたんだったと、動きを止める。
今の俺はすでに部外者なのだ。下手に手を出すべきではないだろう。
「だいたい、舞踏会程度の催しなんぞ、こんなものがなくとも普通に行えるだろっ! そうでないのであれば、ここの人材が、よほど能力が低いのではないかっ?」
そういって、俺を庇っていた人々をにらむリヒテンシュタイン。
──いやいや、そんなわけないって。侍従長を筆頭に、ここのスタッフさんたちは皆、超優秀だけど。あっ、「わかった」。リヒテンシュタインはもしかして元の実家基準で考えてたりする?
俺の頭のなかに、そんな「わかった」が、すとんと現れる。
──あー、そうか。そうなのか。リヒテンシュタインは、一地方の辺境貴族の催す舞踏会レベルで考えているのか。そんなホームパーティみたいなのと、国の威信のかかった舞踏会がどれぐらい違うかなんて、普通の知能があれば、わかるだろうに。それに、魔素奉納式なんて、失敗したら国が傾くレベルなんだがな……
俺は転移した際に唯一授けられた自身の外れスキルでそう、理解したのだ。
ちなみにその外れスキルというのは「理解力」という名前のスキルだった。
その名の通り、理解力が向上するだけという、外れスキル。さっきのように突然、「わかった」が頭のなかにおりてくるという効果だった。
しかも、ある特定の事柄については、逆に理解できなくなるという、訳のわからないデメリットつき。
そんなスキルしか転移特典がなかったので、せっかく転移した異世界なのだけれど、俺は事務員なんて安定志向の仕事をしている訳だった。
とはいえ、前の世界でも事務仕事をしていたので、何とか食うに困らないぐらいには働けてはいた。
ついさっきまでは。
──まあ、ちょっとした刺激を求めて、こっそりとしていた副業の方も最近形になってきてたしな。ちょうど良いから少しそっちに集中してみるかな。
醜態をさらしていた、リヒテンシュタインが改めて俺に退場を告げる。なので、俺はこのままここにいるのは危なそうだと、さっさと謁見の間から退室しようと歩き出す。
そこへなぜか向けられる、侍従長をはじめとした十数人からの、すがるような眼差しの意味を、理解できずに、俺は謁見の間から出ると、その足で王宮からも出ていくのだった。