第一章 安楽椅子提督 その2
エンリッヒが旅立ってから三週間、国立帝国図書館ヨム館長は相変わらず決裁の判子を押す時と責任者必須の会議への参加以外は、館長室で本をめくり紅茶を飲む日々であった。
非公式の館長担当だったエンリッヒ不在のため、司書達は館長対応を押し付けあう。上司として厳しいわけではない。館長室に行くと変人館長に何かとお茶付きの雑談に付き合わされたり、面倒な書籍探しを依頼されたりするだけだった。相手をすると時間を取られるので、皆できるだけ近寄らないようにしている。
数日間の議論といくばくかの罵りあいの結果、各司書班から一人一日毎の交代制とした。こういう場合は励むのは若手の司書補達になりがちである。司書補達が班を越えて結束して不公正を訴えて、司書達も自らの参加を余儀なくされた。
今日の当番に当たった司書アルバート・バイエルフェルは、複数の書面について館長に説明した後、一通の確認済み封書を渡す。
「司書補のエンリッヒからの退職願が届きました」
それまで聞いているのか聞いていないかよくわからない表情だった館長が、素早く中を開くと忙しげに目を通す。
「これはいつ届いた」
「えっ、あっ、二日前かと」
「そうか」
バイエルフェルの回答を聞き、館長は考え込む。エンリッヒ直筆の書面の日付はニ週間前であり、彼の故郷の辺境から帝都まで移動は通常一ヶ月はかかる。高速艇による早便で送られたと推察するが文面は一身上の都合。通常料金の五倍となる早便に直筆の書面となれば書いている内容ではなく、このように届いたことに意味があるのであろう。
「超光速回線は使えぬだろし、人をやるにしても動かせるのは。すると相談するしかないか」
視線を宙に浮かせ何やら呟き始めた館長を、バイエルフェルは気味悪そうに眺めるしか無かった。
軍務省の次席次官アントン・フェルナー中将は本来の任務である所属省庁の円滑な運営の他に、憲兵隊にすら極秘とされる任務を持っていた。
「本当に飽きさせない人物だ」
フェルナーは一通の通信文を読みながら笑みを浮かべる。監視体制は24時間、常に一個小隊がその任にあたるVIPから送られてきたのはたった一文ではあるが、帝国軍務省として無視できないものであった。
『ルーベンデルト家にまつわる厄介ごとについて応相談』
笑みを浮かべる次席次官のその横で敬意以上の感情を持つ副官は興味深く上司を見ていた。
前軍務尚書の副官時代は軍務省を(嫌われながらも)厳格に統制するトップの腹心とみられていた。新軍務尚書エルネスト・メックリンガー元帥配下では、硬軟を使い分けて規律と効率の両方をバランスよく配する組織へと生まれ変わらせた。
その一端が軍務省限定の女性武官の登用であった。フェルナー自身は同盟流の女性の社会進出に興味などない。皇后陛下の意向に添い、軍務尚書メックリンガー元帥の了承のもとで採用枠を設けたのに過ぎない。だがその動きの柔軟性と登用の際の縁故を一切廃した的確さは高く評価された。
次席次官副官シャルロット・フォン・リースリングは夢で終わるはずの軍人への道のきっかけを作ってくれた皇后陛下の熱烈な支持者である。皇后自身は若い頃はあの総旗艦ブリュンヒルデの搭乗を許された唯一の女性であり、地位や美貌でなく能力を認められて佐官待遇であったと知られている。
入省後に猛烈な勤務姿勢と得意とした軍事知識で空回りするフロイライン・リースリングの姿が皇后陛下の目に止まる。後日、メックリンガーから「余白からはみ出た絵具の責任は、筆をふるった本人が持つべきだな」と言われたフェルナーが、渋々副官に指名した裏事情は関係者以外知らない。
シャルロット准尉待遇はいつも通り情熱のこもった視線で上司から指示を待っていた。




