ナチュラリストと踊る日々
人体改造の話
眼を売った。ちょうど、なじみの人体パーツ商から『程度のいいライトブラウンの眼を探している』と声がかかってたから。
近視も遠視も乱視もない、我ながら超が付くほど優良な眼は、相場よりかなり吹っかけたにもかかわらずこちらの言い値で売れた。よっぽどこの色の眼が欲しい金持ちがいるんだろう。両方揃って差し出せば札束がもう一つ二つ増えたかもしれないが、さすがに両眼を一時になくすのはリスクが高すぎる。ほら、デジタル義眼も合う合わないがあるらしいし。
とりあえず、左眼を売っぱらったその足で町一番の品ぞろえを謳った人工パーツショップに行って、すぐに新型モデルの義眼を入れた。それでも、むこう二年くらいは遊んで暮らせるほどの金が手元に残った。祝杯を上げたいところだが、今夜は酒もセックスもご法度だ。シャワーも、首から上は浴びないようにと、パーツショップお抱えの医師に言われている。駄目といわれれば余計やりたいと思う性質だけど、それで不具合が起きちゃ洒落にならない。
さすがに、二〇年近く使ってた加工なしの部位と違って、自分の一部になってまだ半日足らずの義眼はまだいろいろスムーズには機能していない。ピントの合うタイミングが右眼とちょっとずれていたり、視界にノイズがチラッと一瞬映りこんだりもする。おまけに、車や人を認識してはいちいち四角い赤枠が現れて追尾するわ、道が交差するたび危険防止システムが作動して「!」マークが突然目の前に表示するわと、なかなか疲れる機能が満載だった。
けど、使いこなせるようになれば便利になるはずだ。そう自分に言い聞かせて帰路に就く。
努めて質素な食事をして(刺激物も厳禁)、言いつけどおり大人しく首から下だけシャワーを浴びて、日付が変わる前にベッドへ潜り込んだ。――が、いつになく早い就寝、運動(俺は、女とペアになってベッドでする運動が大好きだ)に勤しんで疲れたでもない体では、スムーズに夢の中へ旅立てる訳がない。
これ以上目をつむっていても無駄だと分かったので、ギリギリまで落とした照明の中でまぶたを開ける。右手を持ち上げる。
人工パーツであることを隠すつもりはないから、夕暮れの色をしたわずかな灯りの中で、俺の右の肩から先は黒い硬質の輝きをまとっている。右脚も左脚も同じ。左手はまだ義手にしていない。利き手を売るのは最後の最後だと決めていた。そのことに取り立てて意味はない。しいて言えば、利き手がうまく使えないのは不便だから。それだけの話だ。
一晩経って目を開けると、さすがにもう術後の痛みはなかった。けれど、ごろごろとした違和感は依然として目の奥にある。まあそのうち慣れんだろ。右手ん時も、右脚と左脚ん時もそうだったし。
変わり映えしない朝食――うすくてまずいコーヒー、カビが生える寸前のぺらぺらなパンをトーストしたもの、それから義眼を身体に馴染ませるための薬がいくつか――を腹に収めて街に出る。各種機能はスイッチを切っておいたから、視界はいたってクリアだ。
そのせいで、気付くのに遅れた。
「人体カスタムは神への冒涜よ」という声は、背後から掛けられた。ったく、朝っぱらからめんどくせえのに絡まれたな。
「よお、人体非加工主義者」
振り向きざまに俺があざけるように言うと、見知らぬナチュラリストはキッとこちらを睨みつけた。
「手足だけでなく眼まで変えたのね……どれだけ、浅ましいの」
「知り合いでもないのに難癖付けておいて改心させようなんていうカルトなやつよりは深いと思うけど。いや、マジで」
「どういう意味よ」
「言葉のままですよ、レディ」
おどけて礼の姿勢を取ってらしからぬ口調で微笑むと、ナチュラリストの女はややたじろぐ様子を見せた。頬を染めて俯くそいつを、醒めた目で見やる。スラムの人間だって映画くらい観るっつーの。そんで、一生関わることのない上流社会の会話や仕草だって作品観りゃなぞるくらい出来るわ。
相手が怯んだ隙に、俺は「そんな訳なんで、次に出くわした時にはお互い見ないふりってことでよろしく」と言い捨てて逃げた。
「待ちなさい!」
抗議する声は聞こえるけれど、追いかけてくる気配はない。そらそうか。
この脚にはブースターがついているから、生身の脚しか持たないナチュラリストが俺を追いかけたところで捕まえられるはずもない。
しっかし、なんなんだろねあいつらは。改造してない人間がそんなに偉い?
「――金持ちなのは確かだよなー」
さっきのナチュラリストは、頭のてっぺんから足の先まで、どこにも改造が見当たらなかった。今日日、そんなのは特権階級だけだ。
食うに困らないお金持ちのお嬢さんの義憤の対象になるだなんて、今日はどうもツイてないねえと思いつつ、ぶらぶらと街を流した。
知り合いを見つけちゃ立ちどまって挨拶を交わし――『お、とうとう義眼にしたな!』とどいつもこいつも早々に気付きやがる。ヒマな連中だ――野良犬をかまって、もらい煙草をして、遅い昼飯を食って、馴染みの女の部屋へ行って食後の『運動』をして、そうこうしているうちに一日が終わろうとしていた。
いつものことだが実りのない日だった、と何の感慨もなくそう思いながら、物騒な時間帯のはじまりに向け、念の為に危険察知のセンサーをオンにする。と同時に、俺の左眼には、路地から飛び出してきた一人の女と三人の男が、四つの赤枠と共に映し出された。
「……おいおいおい」
勘弁してよ。なんで朝のナチュラリストとまた遭遇しちゃうかな?
双方を刺激しないようにそっと近づいて、空気の読めないフリして「こんばんはー」と陽気に声を掛けた。
「お兄さんたち鬼ごっこ?」
「うるせえ! こいつが先に絡んできたんだ! 部外者はすっこんでろ!」
ですよねー。
俺が乱入してトーンダウンしてくれればそのまま男らと飲みに行く流れにして、その隙にナチュラリストを逃がすことも出来た。でも、どうやらこのプランは失敗だ。なら。
俺は、やれやれという顔をして男らから離れる。端から見たら揉めてるやつらと距離を取る態でじりじりと女の背後に回って、そして。
「つかまってろ」
「……え、」
屈みながら耳うちした、と同時に女をセメント袋かなにかのように担ぎ上げた。
「おい!」
「悪いねほんと」
一応口先で謝っておいて、道端に積んであった段ボール箱を彼らの方に蹴飛ばし、もうもうと土ぼこりを立ててから遁走した。
「ちょっと!」
「あいにく車は持ってないんでね、舌を噛まないように口を閉じていてください、レディ?」
成人した女を担いで未改造ではありえない速度で走りながら笑いかける。ナチュラリストには耐え難いシチュエーションだろう。
でもそいつは大人しく口を結んでいた。
「……ここいらでいいかな」
さっき揉めた盛り場からは遠い、でも治安は比較的悪くない場所――高級住宅地へと続く中間層の多く住むマンション群と、スラム街とを隔てるためのだだっ広い公園のスラムじゃない側――で女を下ろした。抗議かお礼かは知らないが、なにやらもごもごと口にし立ち尽くす女を、ベンチに腰掛けて見上げる。
「あのさあ、俺確か朝、忠告したよね?」
俺は俺、君は君、分かりあえない同士はお互い知らんふりでやり過ごすのが平和で一番。そんなの、富裕層だろうが貧困層だろうが対人の最低限のマナーだ。
「だって……」
「だってじゃねーよまったく……」
「だって、私は『体に意味もなく傷を付けてはいけない』って教わったのよ! なのにあなたたちは目先の便利さやお金目当てですぐ身体を改造する! そんなのは、見過ごせないでしょう!」
「はははは」
「笑わないでよ!」
「いや笑うっしょ……なんだそれ」
怒りが昇華すると笑いになるってほんとなんだなあ。
ゆらりと立ち上がると、ナチュラリストが怯んで後ろによろめいた。さらに一歩踏み出せば、また後ろへ。
そうやって歩かせながら、話す。
「俺たちはなにも義足だと足速えーとか腕売ると楽して儲けるわーとか、そんな理由だけでカスタムしてんじゃないんだよ」
「……え」
「ばっかだなあ。ほんと、金持ちで苦労したことのない人間の理想論なんて、キレーごと過ぎて吐き気がする」
俺が笑いながらそう言うと、なぜかナチュラリストはびくりと身を震わせた。
世間知らずのお嬢さんを怖がらせちゃった、と手綱を緩めたい気持ちも一瞬したけど、でも今は自分のこの怒りの方が優先だ。
「俺の右眼、キレーだろ」
琥珀色。もしくは夕焼けに染まってきらきらと光る海の色。海なんて実際に見たことないし琥珀なんて知らないけど。
「これを、金持ちが欲しがる」
「!」
女が、ひゅっと息を飲むのが聞こえた。
「健康な手足も。老朽化したり、大けがしちゃった自分のと取り換えるんだって。当然、表向きは生きてる人間から臓器もパーツも取っちゃいけないことにはなってる。でもまだ培養技術がおっついてないらしいし、どっかの国の死刑囚から回してもらってる分だけじゃ足りないし、ってんで、闇ルートでこっちに声が掛けられるって訳。おかげさまで生体から切り売りした部位は、人工パーツ買ってお釣りがくるくらいの高値がつくよ。知らなかった?」
知ってたら今これ聞いて顔真っ青になってないよねって自分にツッコんだ。
「それでもって、スラムの俺たちには仕事がない。学も教養もね。だったら、生きるためには売れるものを売るしかないでしょ?」
優れたパーツを持つ者は、その部位を。痛みに弱くてパーツを売れないものは性を。
それも出来ないなら、命を絶つ。実にシンプル。きれいごとの挟まる余地なんてここにはない。
「あんたにはあんたの信じるものがあるんだろうけど、それをここで叫んだって無駄だって理解しな。だって、ナチュラリストは何十年もチラシくばったり演説したり罵声を上げたりしてるけど、誰も『そうだね! 体は生まれたままのものがいいよね!』なんて悔い改めないじゃん」
それどころか、激昂したナチュラリストがカスタムした人間を殺したり、カスタムした人間が難癖に激高してナチュラリストを殺したり、そんなのが日常茶飯事だ。
「もうねえ、飽き飽きだよ。仕事しろって言うなら仕事をちょうだいよ。体を売るなって言うなら買うやつにもそのおキレイな理屈こねてよ。――それも出来ないなら二度とこっちには来るな」
とん、と肩を押せば、ナチュラリストはまた無様によろめいて二、三歩後ろに下がった。そこはもう、中間層住宅街の入口。
「バイバイ、夢に住んでるお嬢ちゃん」
音を立ててゲートを閉める。
はい、おしまい。
これで、あのナチュラリストとのかかわりは一切ない。あっちはあっちの、俺は俺の世界を歩く。
さえない毎日。金がなくなったら、今度は何を売ろうかを算段する。たまに危ない目に遭う。返り討ちにする。酒を飲む。女と運動する。野良犬をかまう。
そんな風に、ず――っと変わらない一本道が破滅だけに向かって続いていく。
そのはずだったんだよ。
「……なんでこーなっちゃうかなあ?」
「いいから、しっかり集中なさい」
「へいへい」
「返事は、」
「かしこまりました、レディ、だろ?」
ニコリと笑顔付きで返せば、元ナチュラリストは「出来るんだから最初っからそうしなさいよ……」とぶつぶつ文句を言いながら俺に庇われて、弾丸の行き交う通りを足早に渡った。もう、俺の言葉にいちいち動揺なんかせずに。
そう。
ナチュラリストは、なんと転向した。
『内臓やパーツを売る人間の後ろには、それを欲しがる金持ちがいる』というこの国のどうしようもない構造を抜本的に変えると宣言し、議員になったのだ。
自身の立ち上げた団体で学校に通えない子どもに読み書きや計算を教え、私費を投じて無料の食堂を運営しているため、貧困層にはむちゃくちゃ支持されている。反対に言えば、今までどおりを享受したい層からはむちゃくちゃにバッシングされている。
それだけで済めばまだいいが、一部過激な輩に命を狙われているので、俺たち『改造しまくり組』がボディーガードとして雇われてるって訳さ。
もちろん、いくらカスタムして能力を高めてある身体だっつっても、人間なので撃たれれば当然ダメージを負う。最悪死ぬ。
仲間は、車に仕掛けられた爆弾の爆発に巻き込まれたり、ライフル銃で頭を正確に射抜かれたりで、もう何人も天国に行っちまった。俺も、いつそうなるか分かんないね。
でも、辞める気はない。
元ナチュラリストの熱に当てられて、生まれて初めて自分が生きる喜びってやつを味わっているから。
まあでも、そら怖いよ。いつ死ぬか分かんないなんてさ。でも、あの街でただ自分が『終わる』のを待つ日々より全然マシだ。
自分や仲間の鉄壁の守りで、今日も元ナチュラリストは加工なしの人体なまま、俺らがかつて忌み嫌ったまっすぐさをこれっぽっちも損なわないまま生き抜いている。それが、どんなに誇らしいか。
そして、彼女の活動が、どれだけ自分らを変えたか。
俺たちは変われる、という真実だけが、ただ金持ちの生体パーツとして飼い殺されるだけのようなあの日々を、自信に満ちた『今』にした。魔法なんかじゃなく、地道な活動で。
『慈善活動でもしたつもりなんだろうけど、あいつらは変わらんよ』という声もある。実際、すぐにまた酒とヤク漬けの生活に戻るやつだってたくさんいる。
けれど、一本道に見えたものは実はたくさん枝分かれしていて、それを選ぶのも自分だということを、俺たちはもう知っている。元ナチュラリストも。
また、身体を掠める跳弾。いいねえ。最高に生きてるって感じる瞬間だよ。俺が無意識に笑みを浮かべると、元ナチュラリストは恐怖に強張った顔を少しだけ緩め、「……あなたってほんっと変態よね」と毒づく。
「でもレディ、その変態に惚れている人は、もっと変態なのでは?」
「!!」
ばか、と小さく毒づく人を胸に抱えて、跳ぶ。建物の陰へ。途端、さっきまで俺らのいた角をめがけて降り注ぐ銃雨。
こんなことあと何年続くのかね、と呆れていると、「いつかは必ず終わる。物事とはそういうものよ」と、震える手でしがみ付きながら、元ナチュラリストが分かったような口をきく。
「あんたのそういうとこが最高に好きだよ」と耳元に囁き、弾の軌道を読みながら俺は跳び続けた。ひらりひらりと、ワルツを踊るように。