宇宙空港 Ⅴ. 異文化交流
空港職員と旅客(予定)の話。
Ⅴ. 異文化交流
「ね――そらっち――、あーしカラコンの色で迷いまくってんだけどさ――、そらっちはどっちがいいと思う?」
「…………私は『そらっち』という名前ではありませんが」
そもそも名前などと言った上等な代物を与えられてすらいないのだが。
こちらの控えめな困惑と訂正を、カウンターに身を乗り出して肘をついているこの人は「知ってるっつ――の~」と笑うばかりだ。
「空港で働いてっから、空港の空の字つかった愛称だよ」
「……なるほど」
「あ、それとも『そら』じゃなく『くう』読みでくぅちゃんの方がよかった?」
「どちらも自分にはふさわしくないかと」
「んなことないって!」
彼女はパーソナルスペースを大いに侵略し、カウンターを占領しながらしゃべり倒す。ほかに旅客でもいれば『仕事中ですので』と終わりの見えない会話を断ち切ることも出来ようが、あいにく彼女以外の人間は見当たらない。
そして彼女は旅客ではなく空港の近隣住民で、時折こうしてここに顔を出しては私と異文化交流を図っている。――おかげでカラコン・つけま・エクステなどといった、自分には生涯必要のないものを知るに至った。
「で? どっち???」
ずいと差し出されたのはパスポートではなく、携帯電話のディスプレイ。そこには先ほどから議題に上がっているカラーコンタクトレンズのサンプルが表示されていた。戸惑いつつ、画面に目を走らせる。
「……こちらの『キャンディピーチ』は、かわいらしいピンクですね。もう片方の『ダスティスノウ』はクールな印象かと」
こちらの苦しみ紛れの答弁に、問うた側は「おぉ~」と拍手付きで感嘆を漏らした。
「さっすがそらっち、かしこ~!」
「恐れ入ります」
「まっ、選んでもらったところであーし買えないんだけどさ」
「存じ上げてます」
「だよね~」
ははは、と笑うこの人の境遇は、トレードマークの笑顔に反してなかなかにシビアだ。
『あーし、お金貯めていつか違う星に行くんだ』
そう言って、時おりなけなしの収入を持ってくる。以前、自宅に金を置いておくと身内が酒やギャンブルで使ってしまう(そして銀行のカードも取り上げられている)と聞き、カウンター下の金庫で預かることを申し出たからだ。
使っている携帯電話は、出星する富裕層から『もういらないから処分しておいて』と問答無用に渡されたもの。これも、見つかると取り上げられてしまうとのことなので、彼女がここへ来た時だけ金庫から取り出し、手渡している。――充電は私から賄えばいいし、空港内は無料の電波が使える。金庫に何が入っていようが監査も入らないし、私自身は預かった金品を横領しようなどといった欲を持つことがない。いつか空港のユーザーになる人へのほんの少しの手助けをしたところで何の問題もないだろう。
彼女がせっせと運んでくるしわくちゃの札を、どうやって得たのかは想像に難くない。ここへ来る時、たいていその頬は赤く腫れ、手首や首には痛々しい痕が残っている。乱暴を働く者に春を売ることと、渡航すること、どちらかを諦めた方がよいのではないかと思ったりもする。けれど、出星が彼女のただひとつの夢ならば、一介の空港職員でしかない私には反対する権利などなかった。
楽しそうにカラーコンタクトを眺めていた彼女は、「もーこんな時間! じゃーそらっち、あーし帰るね~」と携帯電話をこちらに押し付け、カウンターから離れる。
「お気をつけて」
「ありがと~!」
未だ貯蓄額は渡航費用に遠く及ばない。けれど、彼女が出星を夢見るのと同じように、私もいつか彼女に『幸運を』と添えつつパスポートを手渡す日を夢見ている。
その日まで、『そらっち』呼びは甘んじて受け入れるとしよう。




