緋色亭
「久しぶりだな。……ミル」
名を呼ばれたウォーデンも宿の中に入り、俺の隣に並んだ。
「帰ってきてたんだね。びっくりしちゃったよ。……久しぶりウォーにい」
傍から見た印象は久しぶりに再開した友人同士。しかし二人の間に流れる空気はどこかぎこちない。
かつて何かがあったことは容易に想像できる。
「あの……ウォーにい。その――」
「――すまないミル。もう決めた事だ」
言葉を遮り、突き放すウォーデン。
するとミルと呼ばれた女性は泣きそうになりながらも床に視線を落とした。
「そっか……。そう……だよね」
二人にしかわからない会話。
ミルさんの表情に浮かんでいるのは諦めの色。ウォーデンの言葉通り、既に結論が出ている話なのだろう。
しかしそんなミルさんの表情を見て、ウォーデンも苦しそうに顔を歪めた。
ウォーデンもウォーデンで出した結論に心から納得はいっていない様子だ。
「すまない」
「ううん。ウォーにいが謝ることじゃないよ。でも私はお兄ちゃんを信じてる。だから……ね。会えたら話だけでも……」
「……ああ。わかっている」
ウォーデンが絞り出すような声で呟いた。
それから二人とも口を閉ざし、沈黙が空間を支配する。
……お兄ちゃん……ね。
俺は目を細め、ミルさんの燃えるように真っ赤な髪に視線を向ける。
おおよその推測はできるが、この件に関して俺は部外者だ。ここで首を突っ込むべきではないだろう。
俺はそう判断し、話題を変えるべく口を開いた。
しかし声が言葉になる前に、カウンター脇の扉がゆっくりと開く。
「ミル? お客さん?」
現れたのは黒縁の眼鏡を掛け、少し長めの茶髪を後ろで緩く纏めた男性だ。
顔には柔和な笑みが浮かんでおり、人当たりの良さが滲み出ている。
名前を呼ばれたミルさんはハッと我に返り、男性の方を向いた。
「あ、うん。ごめんねラスティン」
「ううん。大丈夫だよ。知り合い?」
ラスティンと呼ばれた男性がミルさんと俺たちを交互に見る。するとミルさんは再び俺たちの方を向いた。
「ウォーにい。紹介するね。彼はラスティン・ミスティア。私の夫……です」
「ウォー……まさか! 貴方があの英雄、【炎槍】のウォーデン様ですか!?」
ラスティンさんが大きく目を見開いた。
どうやらウォーデンはここ、ニレルゲンでは有名人らしい。
しかしウォーデンは気恥ずかしそうに頭を掻く。
「英雄はやめてくれ。ガラじゃない。それにしてもミル。……お前、結婚してたのか」
「うん。三年前にね」
「そう……か。あのミルが結婚か……」
「ちょっとウォーにい!? あのってどういうこと!?」
「ああ、すまない。あんなにちっちゃかったミルがって考えると感慨深くてな。とにかくおめでとう」
「うん。ありがと。……それでウォーにい? そちらの方は?」
ミルさんが俺に視線を向ける。
「……っと、こいつはレイ。オレが今所属しているパーティのリーダーだ」
……リーダー? リーダーはサナだろ?
なんと言ったって勇者だ。俺たちの旗頭なのは間違いない。
だけど口には出さない。
話が進まなくなる。
「紹介に預かったレイだ。よろしく頼む」
「これはご丁寧に。僕はこの緋色亭で店主をしていますラスティン・ミスティアです。……その、レイ様というとあの黒の暴虐様でしょうか?」
ラスティンさんの言葉に頬が引き攣った。
だけど当然だ。ここは北部。大陸の中心に位置する聖都からはかなり離れている。
俺が黒の暴虐なんて痛々しい二つ名ではなく正式に【救氷騎士】という二つ名になったと伝わるのはだいぶ先だろう。
「まあその通りだが……」
言葉を濁しているとヒソヒソ話が聞こえてきた。
「黒の暴虐だってよ。本物か?」
「ただのガキにしか見えねぇぞ?」
ラスティンさんの声はあまり大きくなかったが、こちらに意識を向けていた何人かには伝わってしまったらしい。
耳がいいので小さな声でもよく聞こえる。
……でも良い機会か。
俺はそう思い直す事にした。
伝わるのに時間がかかるというのならば、今この地で上書きしてしまえばいい。
そう考えるとグランゼル王国から一番遠い北部に来られたのは僥倖か。
俺は緋色亭にいる全員に聞こえるように声を大きくする。
「俺がその黒の暴虐で間違いない。だけど先日、教皇様直々に【救氷騎士】の二つ名を賜った。以降はそっちの名で呼んでほしい」
「これは失礼しました。【救氷騎士】レイ様ですね!」
ラスティンさんも俺の意図を察したのか、比較的大きくなった声で答えた。
「勇者パーティのお二人がお越しくださるとは光栄です」
「……あー。わるい。外に全員いるんだ。人数は八人で一泊したい。可能なら三部屋、最低二部屋あるといい」
俺たちの内訳は男が三人、女性がレーニアを加えた五人だ。一部屋に五人は少しばかり手狭だろう。
だから三、三、二でわけられるならそれがいい。
「かしこまりました。ちょうど三階が三部屋空いております」
「それはよかった。支払いは……ウォーデン。建て替えといてもらっていいか? 俺はみんなを呼んでくる」
「ああ。任せてくれ」
ウォーデンが頷いたのを確認し、俺は外に出る。
その瞬間、真っ白な雪玉が目の前を通り過ぎ、サナの顔面に直撃した。
「なにやってんだお前ら……」
投げたのはカナタだ。
思いっきり投げ切った姿勢をしていた。
頭が真っ白になっていることから、先に手を出したのはサナだろう。
「……サナ」
「ぶはっ! なんでよ! 投げたのはカナタでしょ!?」
「お前が先に投げたんだろ。さっき手に持ってた雪玉はどこいった」
「………………はい」
言い訳はないらしい。
俺はため息を吐くと仲間たちを見回した。
「部屋は取れた。三部屋だ。女子で二人と三人で分かれてくれ」
「それじゃあ私とアイリスの二人でいい?」
「……ん。……それが無難」
「私も問題ございません」
ラナの言葉にカノンとレーニアが頷いた。
「決まりだな。早いところ荷物を置いて買い出しに行こう。カノン。どんな物が必要か書き出してもらえるか?」
北部最果てはカノンの故郷だ。
きっとこれまで暮らしてきたカノンにしかわからない必要な物もあるはずだと思う。
「……ん。……わかった」
「頼んだ。それじゃあ行こう」
踵を返し、みんなを引き連れ再び室内へ。
するとウォーデンが鍵を投げ渡してきたのでキャッチする。
「先に行っててくれ」
どうやら無事支払いは終わったようだ。
「ラナ。鍵渡しとく」
「ありがと」
鍵の一つをラナに手渡し、もう一つをサナに渡そうとしてやめた。
こいつには前科があることを思い出したのだ。
あれは小学六年生の修学旅行。
サナが鍵を無くして大騒ぎになったのだ。直接俺に被害は来ないはずだったが、サナと同じ班の女子に泣きつかれて大捜索に発展した。
しかも結局はサナのリュックの奥底に入っていたというオチ。もっとよく探せと全員から責められていた。
そんな経緯もあり、俺はサナを素通りする。
「なんでよ! もう無くさないよ!」
文句を言うサナを無視してカノンに渡すことにした。
「カノン。鍵を頼め……。カノン?」
しかしそこでカノンの様子がおかしい事に気付いた。
「……なん……で? ……あれは……」
隣にいたカナタの服の裾をしっかりと掴み、怯えたような目でミルさんのことを見ている。
カノンの小さな身体は小刻みに震えていた。
その尋常ではない様子にカナタがすぐに二人の間に入り、視線を遮る。
「大丈夫か? なにがあった?」
「……カナタ。……あれ……呪い。……それも多分……静寂の赫のモノ――」




