ニレルゲン
タウス公国ニレルゲン。
公国の首都から馬車で五日の位置に存在する都市だ。
別名、果ての牆壁。
北部最果てに面するタウス公国が【無常氷山】の対処を行うために建造した城塞都市だ。その異名の通り、高く聳える重厚な壁が北へと向けられている。
アストランデが居るため実際に使用されたことはまだないが、圧巻の威容が住民たちに安心を与えていた。
転移した先はニレルゲンの中心部にある創世教教会だった。教皇直々に転移させたのだから関連施設であることはわかっていたので特に驚きはない。予想通りだ。
転移してきた俺たちは手厚く出迎えられた。
これもクリスティーナが先んじて連絡を入れてくれたおかげだろう。
予定では今日のうちに準備を整え、明日の朝一番にアストランデが住む村へと向かうことになっている。【無常氷山】の機嫌によってはそこで足止めを喰らう可能性もあるらしい。
しかし今は目先の問題だ。
というのも教会には俺たち全員が泊まれる部屋がなかった。
だけどそれも当然だ。
いくら城塞都市とはいえ、最果てに近いニレルゲンは辺境。教会の規模も決して大きくは無い。
その為、俺たちはひとまず宿に向かうことにした。
レーニアがオススメの宿を聞いてくれたので俺たちはさっそく教会を出る。
「雪……か」
都市全体を覆う雪化粧に俺はポツリと言葉を溢した。
雪なんて何年振りだろうか。昨今、東京ではあまり雪が降らないため、思えば悪夢を見てから初めてかもしれない。
小学生の頃は雪が降れば幼馴染三人ではしゃいだものだが、今は成長した。ラナの髪みたいでキラキラ反射して綺麗だなとは思うがそれだ――。
「――ほい!」
軽快な声と共に後頭部に冷たい物が直撃した。
振り返ると左手に雪玉を持ったサナが満面の笑みで俺を指差している。
「あっはっはっは! 直撃〜!」
「サナ……。お前もう子供じゃねぇんだから……」
「なに大人ぶってんの〜? ほいっ!」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべたままサナの手から雪玉が放たれる。
照準は当然、俺の顔面。
さすがは勇者。子供の頃の放物線を描いてどこかへ飛んで行っていた雪玉はもうない。一直線に突き進んできた。
俺はため息を吐きながらも飛んできた雪玉を潰さないように右手で受け、遠心力を利用して一回転。そのままサナの顔面にぶち当てる。
カウンターだ。喰らえ。慈悲はない。
「へ?」
俺の絶技にサナは大きく目を見開いた。頬が引き攣っている。
「なにそ――ぶげっ!?」
女の子が上げてはいけない声を上げ、倒れるサナ。
幸い、降り積もった雪がクッションになっており、サナは雪に埋もれるだけで済んだ。
「サナ様!?」
レーニアさんが目を白黒させてからすぐにサナの元へ向かう。当のサナはと言うと、起き上がれなくなったようでめり込んだ雪の中でジタバタとしていた。
哀れだ。
「……レイ。容赦ないね」
「レイさん……」
お姫様二人に呆れたような視線を向けられた。だが悪いのは先に手を出したサナだ。
因果応報というやつだろう。
「情け無用。早く行くぞ」
俺はいまだにジタバタともがいているサナを無視して歩き出した。
「ぶー。酷い目にあった……」
その後、レーニアさんとアイリスに助けられたサナはぶつくさとわざと聞こえる声で文句を言いながらもしぶしぶ付いてきた。
アイリスの「急がないと日が暮れちゃいますよ」との言葉が効いたらしい。なぜか手に雪玉を持っているが。
「ひさしぶりに戻ってきたな」
そんなこんなで歩いていると、ウォーデンが街並みを見回しながら呟いた。
「戻ってきた? 来たことがあるのか?」
「ああ。オレが冒険者になったのがこの街なんだよ」
ウォーデンによると、レオと後の妻となるシンシアさんの三人で生まれ育った村を飛び出し、初めにたどり着いたのがここ、ニレルゲンだったらしい。
ニレルゲンの周辺は最果てが近いこともあり、迷宮が比較的多く発生する地域だ。
加えてタウス公国は迷宮の攻略を推奨している。
そのため迷宮は育つ前に発見される事が多く、危険度もそれほど高くない。
初心者にとってはうってつけの街だと言える。
「ってことはウォーデンの故郷はこの近くなのか」
「ああ。馬車で大体四日ぐらい行った森の中だ。辺境も辺境だな。まあもう何年も帰ってないが。……っとここだな」
ウォーデンが足を止めたので俺たちも足を止める。
たどり着いたのは小綺麗な宿だった。看板には緋色亭と書いてあり、炎をモチーフにしたイラストが書かれている。
それほど大きな宿ではないが、教会の人の説明だと評判はいいらしい。
「空いてればいいが……」
緋色亭は一階が食堂で二階、三階が客室になっているらしい。教会の人が言うにはこの時間は空いているはずとのことだ。
「ぞろぞろと入るのもアレだな。少し待っててくれ」
仲間たちに声を掛け、中に入る。
すると給仕中だった真っ赤な髪をした女性が元気な声で出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ! 緋色亭へようこそ! 何名さ……ま……?」
赤髪の女性の言葉が尻すぼみになり消えていく。
疑問に思っているとその視線は俺ではなく俺の後ろ、外で待っている人物へと向けられていた。
そこにいたのは先ほど故郷が近くにあるといったばかりのウォーデンだ。
「ウォーデン? 知り合いか?」
名前を出すと、赤髪の女性は大きく目を見開いた。
「やっぱりウォーにい!?」
どうやら知り合いだったらしい。




