虚無
「私はグランゼル王国第一王女ラナ=ラ=グランゼルです」
「はいっ! 存じ上げています!」
「ホロ=アトラント。もしかして【虚無】のホロ殿ですか?」
ラナの言葉にホロさんは目を大きく見開き、瞳を輝かせた。
「おぉ! 知っていただけていたのですかっ! 光栄ですっ! いかにも【虚無】は私の二つ名ですっ!」
まるで人懐っこい子犬のようだ。
……どことなくサナに似てるな。
正確に言えばサナと【黄昏旅団】の団長エミリーを足して二で割った感じだろうか。
一つ言えるのは、このホロという女性は悪い人間ではなさそうだということだ。
「久しぶりだな。ホロ」
聞き慣れた声に振り返るとそこにはウォーデンが立っていた。
「あっ! おじさんっ! お久しぶりですっ! 魔王討伐おめでとうございますっ! このバカのせいで宣言は見られませんでしたが……」
ホロは眉を顰めると、足元で倒れているファイマスの頭を蹴り飛ばした。
なんというか容赦がない。恨みがましそうに「楽しみだったのに……」と子供のように呟いている。
「知り合いか? ウォーデン」
「ああ。こいつは――」
「――はいっ! おじさんは私のお師匠さまですっ!」
ウォーデンの言葉を遮り、屈託のない笑顔で自信満々に胸を張るホロ。対してウォーデンは苦笑している。
「いつも言ってるが弟子じゃねぇ。お前が勝手に付いてきてただけだろ……。まあレイ。その、なんだ。……悪いやつじゃないのはオレが保証する」
「そうか。わかった」
俺はウォーデンの言葉に警戒心を一段階引き下げる。
「【虚無】といえば、たしかA級冒険者だったはずでは?」
「そうだ。お前S級になるって張り切ってたじゃねぇか。どういう風の吹き回しだ?」
ウォーデンの言葉にホロは「たはは」と力無く笑う。
「一歩手前まで行ったんですけどね……。でも一応私は帝国生まれなので、あの愚行が許せなくて」
「愚行……?」
「グランゼル王国への攻撃です。あの事件は明らかに帝国の責任です」
ガルドジス帝国によるグランゼル王国への襲撃事件。あのクソみたいな事件に思うところのある帝国民も居たということか。
「……私の前でそのようなことを言ってもいいのですか?」
「ホロ……。お前昔っからそういうところあるよな」
ラナは厳しい目でホロを見ていた。
覇星衆としてこの場にいる以上、それは帝国の代表者という事だ。そんな人物がグランゼル王国の王族に自ら非を認める発言をするのはよくない。
しかしホロは動じない。
「ダメでしょうね。ですが事実です」
ホロは真剣な表情でラナを見返す。
芯のある女性だ。しかし絶望的に貴族を相手にするのは向いていない。
ラナは少しだけ溜息をついた。
「わかりました。ではこの会話は聞かなかったことにします」
「はいっ! ありがとうございますっ!」
「その代わりと言ってはなんですが、ホロ殿。一つお聞きしても大丈夫ですか?」
「ホロで大丈夫ですよ?」
「お互い貴族としてこの場にいるのです。そういうわけにはいきません」
「そうですか。残念です……」
ホロさんは本当に残念そうにしゅんと俯いた。しかしすぐに切り替えたのか顔を上げる。
「それで、なんでしょうかっ?」
ラナは倒れているファイマスに視線を向けた。
「彼は私が死んでいたと思っていたようですが、それは帝国全体の認識ですか?」
「んー。どうでしょう? あの事件に関与した覇星衆はあまり残っていないので」
襲撃事件の後、現皇帝が前皇帝を殺害した事件。
あの時に現皇帝に反発した覇星衆は全員殺された。生き残っているのは確か四人か五人ぐらいだったと記憶している。
「だから少なくとも私は五分五分って感じでした。アイリスさまがラナさまを捜索しているって噂は聞いていたので」
「そうですか……」
ラナが険しい顔で考え込む。
「他にはなにかありますか? ご迷惑をかけたお詫びになんでも答えますよ?」
「貴族がなんでもなんて言うものではありませんよ。ホロ殿」
「たしかにっ! 気をつけますっ!」
なんだかエミリー成分の方が多いような気がしてきた。
「それで、何かありますか?」
「ではお言葉に甘えて。……彼の右目はどうしてこうなったのですか? 以前は眼帯なんてしていなかったと思いますが」
「んーっと。聞いた話でも大丈夫ですか?」
「ええ。構いません」
「どうやら宰相さまからの罰らしいです。独断専行で殺したらいけない人を殺してしまったとか」
「殺したら……いけない人?」
「ごめんなさい。それが誰かはわからないです。ですが、私が覇星衆になったときには既にこうでした」
「そうですか……。わかりました。ありがとうございます。それと、その宰相は今、帝国にいるのですか?」
「それもわからないです。正直なところ、そもそも私は実在すら疑っています」
「……えっ?」
まさかの言葉にラナが声を漏らした。俺も同じ思いだ。
「それはどういうことですか?」
「私、会ったことすらないんですよ。同じ覇星衆なのに」
「会ったことがない? でも序列を決めるために戦うんですよね?」
帝国での序列は全て実力で決まる。
最強が皇帝であり、その次に覇星衆序列第一位が続く。その序列を決めるために、数年に一度大規模な闘技大会【覇星選別会】が開かれるのだ。
その大会で序列は一新され、皇帝が決まる。
「私は第二位の【剣帝】にボッコボコにされたんですが、その【剣帝】は棄権したんですよ」
「棄権……ですか?」
「『俺では宰相閣下には勝てない』って言ってましたね」
「なるほど……。【剣帝】は宰相の部下的な振る舞いをしていましたし、上下関係がありそうですね」
「あっ。そうですよね。ラナさまは会ったことがあるん……ですよね。ごめんなさい」
ホロが申し訳なさそうに目を伏せた。
「ホロ殿が謝ることではないですよ。責任は然るべき時、然るべき場所で本人たちに取らせますので」
「わかりました。その時は巻き込まれないようにしておきますっ! おじさんとは戦いたくないのでっ!」
「そうしてくれ。オレもお前とは戦いたくない」
それが実力的になのか情なのかはわからない。だけど俺もいい人そうなのでホロさんとは戦いたくないと思った。
「ラナ。一ついいか?」
「ん? なに?」
「その宰相ってなんて名前なんだ?」
宰相にアイリスを人質にされ、ラナは囚われたとしか聞いていない。
言いたくないのかと思い、今まで聞いていなかったがどうやらそういうわけでもなさそうな気がしてきたので聞いてみた。
すると俺の予想は正しかったらしく、ラナは首を振った。
「……私も知らないんだ」
「知らない?」
「それどころか顔も声も私は知らない。顔は魔術で真っ黒になっていたし、声は高くなったり低くなったりしてた。だから相当な魔術師ってことしかわからないの」
「そうなのか」
「そうなんですね」
ホロも驚いた様子だった。
「ちなみにホロ……殿はその宰相とやらの名前は?」
「私も知らないです。みんなが宰相と呼んでいるのでそう呼んでいます」
宰相。
ますます謎な存在だ。味方である覇星衆にすらその正体を明かさない。
もしかしたら帝国なんていう一つの国の為なんかではなく、もっと別の何か大きな目的のために動いているのかもしれない。
……至天の可能性もありそうだな。
そうなると現皇帝とやらもあやしい。
最悪、帝国という国が至天もしくは使徒の手に落ちている可能性がある。
「ホロ。あまりおかしなことに首を突っ込むなよ?」
ウォーデンも同じ考えに至ったのか、ホロさんに忠告していた。
「でもそうなると皇帝も宰相も帝国には不在の可能性があるんですね」
「改めて考えるとそれでよく正常に国が動いてるな」
「まあそこは事情があるので……」
「別に聞き出すつもりはないですよ」
「助かりますっ!」
「うぅ……」
と、その時、床に倒れていたファイマスが身じろぎをした。
「っとと。目を覚ましたら厄介、もといめんどくさそうなことになりそうなので私たちはこの辺で失礼しますねっ! ご迷惑をお掛けしましたっ!」
「こちらこそ情報、ありがとうございました」
「いえいえっ!」
そうしてホロさんはお辞儀をしてから去っていった。雑にファイマスを引き摺って。
「あっそうだっ!」
しかしすぐに思い出したように振り返る。
「たぶん近いうちに覇星選抜会が開かれると思うのでよかったら見にきてくださいっ!」
ホロさんはそれだけ言うと、今度こそ去っていった。




