肥えた豚
突如乱入してきた肥えた豚に俺は眉を顰める。せっかくいい気分だったのに台無しだ。
見たところ、どこかの貴族なのだろうが、醜いことこの上ない。身体中に宝石をジャラジャラと付けていて非常に下品だ。
調和という物を知らないのだろうか。アクセサリーというのはただ数を付ければいいという物ではない。
「誰だお前?」
「キサマァ! 誰に口を聞いている!? ボクはシルエスタ王国、第一王子ミローン=イルカス=シルエスタだ!」
胸を張って声高々に宣言するミローン。やけに甲高い声で耳がキンキンする。非常に耳障りな声だ。
しかも胸を張っているのに腹の方が出っ張っている。
一体どれだけ不摂生な生活をすればこんな体型になるのだろうか。
……ん? ミローン?
どこかで聞いた名前だ。
たしかラナに関係のあった名前のはず。と思ってラナを見ると先ほどの笑顔が嘘のように冷え切っていた。
本当に勘弁してほしい。あんな楽しそうだったのにこんな顔をさせるとは。許せん。
しかしここで斬ってはならない。いくら醜い豚だろうと相手は王族らしい。広い心で……。
とそんなことを考えていると、ミローンとやらの視線がラナとアイリスに向いた。
そしてドタドタと俺の方、もといラナに向かって歩いていく。
「これはこれはラナ様。このような場所でお会いできるとは! お久しゅうございます。ボクは貴女の無事を信じておりました。……おいキサマ。いつまでそこにいるつもりだ? 早く退け。そこは婚約者であるボクに相応しい席だ」
「……あ゙?」
……だれがだれの婚約者だって?
そして醜い豚がラナに向かって手を伸ばす。この豚はあろう事かラナに触れようとしている。
その事実を認識した途端、頭の中でなにかがキレる音がした。
「ぐべぇえええ!」
一瞬で肥えた豚の土手っ腹に回し蹴りを叩き込む。無論手加減はした。しなければ今頃身体が二つになっていた事だろう。それだけの理性はあった。
豚が椅子を巻き込みながらゴロゴロと転がり、個室の外にすっ飛んでいく肉塊。
追撃を仕掛けるべく追おうとしたところで服の裾を引っ張られた。
「レイ。ありがと。嬉しいよ? でも殺しちゃダメだからね? 半殺しでとどめて?」
それだけ言ってラナは服の裾を離した。俺はしっかりと頷く。
「半殺しまで。了解」
「ちょっ……ちょっと待ってくださいお姉ちゃん! レイさん! ダメです! それ以上は絶対にダメ!」
「アイリス。この豚はラナに触れようとしたんだぞ? 許せるか?」
「……許せません……けどぉ……」
アイリスが酷く葛藤している。理性と感情の葛藤だ。
アイリスもこの肉塊の事が相当嫌いなのだろう。
「キッ! キサマァ! 何を……何をする! ボクは王子だぞ! こんな事をして……許されると思っているのか!?」
「テメェこそ俺の目の前で誰に触れようとしてんだ? ぶっ殺すぞクソ豚が!」
「ボッ……ボクの婚約者に触れて何が悪い!」
「だれが婚約者だぁ? ラナは俺の女だ! 次言ったら王族でもぶっ殺すからな!?」
「うるさいうるさい! 黙れ! ボクの婚約者だ!」
「どうやら死にたいらしいな?」
俺は他の客がいるからと抑えていた殺気を解放する。そしてその全てを肉塊に叩き付けた。
すると情けないことに肉塊は一瞬で気絶し、失禁した。本当に情けない。
だが殺すチャンスだ。俺は豚に向かって足を進める。
「ちょっ!? レイさん!? 待ってください! お姉ちゃんも止めて!」
「えー止めなくていいんじゃない?」
「お姉ちゃん!!!」
「はいはい。レイ? 私は大丈夫だから止めて? 国際問題になっちゃう」
「……わかった。ラナがそれでいいなら」
俺は身体の熱を全て吐き出すように息を吐いた。
まだ身体の中に熱は残っているが、ラナが止めてと言ったのだから聞かないわけには行かない。
俺は椅子に腰を下ろした。
「んで、こいつだれ?」
「シルエスタ王国の第一王子。私の元婚約者だよ。前に話したよね?」
「あーーー。思い出した。コイツか。……こんな醜いヤツが? 元とはいえ許せないな」
眉を顰めざるを得ない。
この肉塊がラナに釣り合っているとは到底思えないからだ。もっと完璧な男ならまだ一億歩ぐらい譲ってわか……りたくはないがわかる。
……いや無理だな。
だれが相手でも無理だ。この苛立ちはおさまらない。
「まあもう過ぎた事だから」
「でも俺がラナともし出会ってなかったら……」
そう思うと胸の中に蟠っているモヤモヤが取れない。気持ちが悪い。
だけどそんな時、ラナが両手で包み込むようにして俺の頬に手を当てた。そして強制的にラナと目が合う。
「出会うよ。何があっても私たちは出会っていたよ」
ラナはキッパリとそう告げた。その目には強い光が宿っていた。
「愛してるよレイ」
「……ああ。そうだな。俺も愛してるよラナ」
「それでよし!」
ラナは満足したように俺の頬から手を離した。
「まあ私、昔っからコイツのこと嫌いだったし、何があっても結婚することはなかったと思うよ。弟くんは優秀なんだけどね。なんでこうなったのやら。っとこうしてる場合じゃないね」
ラナが個室の外に歩いて行ったので俺も続いた。
幸い、俺の殺気に当てられたのは豚一頭だけだった。一瞬で気絶してくれたからだろう。
豚の近くにいたウェイターが青い顔をしていたぐらいだ。
「すみません。シルエスタ王国の代表が滞在している場所はご存知ですか? ご存知なければ大聖堂に問い合わせてください。おそらく把握しているはずです」
「はい。キミ! 問い合わせをお願いします!」
ウェイターが他のウェイトレスに指示を出す。そして俺たちに向けて深々と頭を下げた。
「この度は私どもの不手際で申し訳ございませんでした」
「いえ、これでもこの人は王族です。貴方がたが対応をするのには無理があるでしょう。悪いのはこの人ただ一人です」
ラナが転がっている肉塊に冷めた視線を向けた。
「それでもです。私どもはお客様に幸せなひと時を提供する義務があります。それを疎かにしてしまったのは……」
「でしたら、夜景も見たいので後日この部屋を予約できますか? 勇者パーティ全員で来たいです」
ラナの言葉にウェイターが目を見開いた。
「そう仰っていただけるなんて光栄です。その際は必ずや幸せなひと時をご提供させていただきます」
「よろしくお願いしますね。さてレイ! アイリス! コイツのことは忘れよう! せっかくいい店なんだからいい気分で食事をしたいしね!」
「だな。こんなヤツに気分を掻き回されるだけでも腹立つからな。切り替えよう」
俺は転がっている肉塊を蹴り飛ばして視界から消す。
「これで居なくなったな」
「レイさん……。でもそうですね。気を煩わせるまでもないですね。食事にしましょうか」
「おう」
俺たちは再び席に着くと、メニューを手に取りラナと相談しながら注文を選んだ。
俺が食べたのはニフラム・メルスの焼き魚だ。なにやら名前がついていたが複雑すぎてすぐに忘れた。
しかし高級レストランとあって味は申し分なく、ラナとアイリスとの会話も弾み、肉塊によってもたらされた不快な気分はすぐに吹き飛んだ。
結果としては良い食事になったと思う。
三日後の夜に予約も取れたので今度は勇者パーティ全員で来るつもりだ。
今からその時が楽しみだ。きっと夜景も絶景な事だろう。
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終わる世界の禁忌録 〜叛逆の徒《Rebellion》から、やがて堕ちる楽園へ〜
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