ルナリア・フィロー
白いベッドの上で眠りについていたのは幼い少女だった。
髪の色はウォーデンと同じ金色だが、くすんではおらず透明感のある金髪だ。歳は小学生ぐらいだろうか。
その中でも目を引くのはやはりウォーデンの言った通り、痣だろう。まるで白い肌の上を這い回る赤い蛇のようだ。
ルナリアは珠のような汗をかき、その表情を苦痛に歪めている。
ウォーデンはそんなルナリアの汗を拭い、悲痛な瞳で見つめた後、俺たちに向き直った。
「紹介するよ。娘のルナ、ルナリア・フィローだ」
「よろしくルナリア。俺はレイだ」
きっと俺の声は届いてはいない。だけどそんなことは関係ない。そんな俺の気持ちに追従するようにみんなも一人一人がルナリアに自己紹介を行った。
最後に名乗ったカノンがウォーデンに目を向ける。
「……さっそくだけど、いい?」
「ああ。頼む」
「……ん」
ウォーデンが一歩下がると、カノンは頷きルナリアの前に進み出た。
その紅い瞳がルナリアの全身を観察するように見回している。十中八九、魔眼を使っているのだろう。
しばらく無音の時間が続いた。
俺を含め、皆が緊張した面持ちでカノンとルナリアを見守っている。部屋に設置された魔導具の駆動音だけが聞こえる静寂の中、永遠にも思える時間が過ぎていく。
やがてカノンの無表情が少しずつ険しくなっていった。
「……」
カノンが無言で目を閉じる。
「何か……わかったか?」
答えを薄々察しているのか、ウォーデンの声音に諦念のような感情を感じた。
予想通りカノンはふるふると首を振る。
「……ごめん。……だけど呪いである事はまちがいない……と思う」
「そう……か」
ウォーデンは備え付けの椅子に深く座り込むと、俯きながら大きく息をついた。その顔は見えないが、どんな表情をしているのかは容易に想像がつく。
「私も、診てもいいですか?」
「ああ。頼む」
今まで静観していたアイリスも断りを入れてからルナリアの手に触れる。
しかしその瞬間、触れた箇所から炎が迸った。
「きゃっ!」
「「アイリス!」」
弾かれたアイリスが倒れないようにラナと二人で支える。すると焦げたような臭いが鼻をついた。
見ればアイリスの服の袖が焦げ、手に火傷を負っていた。
「早く回復を!」
「は、はい!」
アイリスが素早く魔術式を記述し、回復魔術を発動する。すると瞬く間に火傷は癒えた。
俺はホッと息をつく。どうやら跡になるなんて事は無さそうだ。ラナがアイリスの手を握る。
「すみません。ありがとうございます。レイさん。お姉ちゃん」
「ううん。無事でよかった。でも今のは?」
「多分、拒絶? されたんだと思う。聖属性の魔力に反応した?」
「拒絶……」
ラナが考え込むように呟く。
「すみませんウォーデンさん。私ではお役に立てそうにないです」
「いや、いいんだ。それより怪我をさせてすまない」
「いえ、私の事は気にしないでください。すぐに治せますから」
「わるいな。……でも呪いも、聖女でもダメか……」
「ウォーデン……」
椅子に深く座り項垂れるウォーデン。正直、掛ける言葉が見つからなかった。
ウォーデンの様子からはルナリアが自分の全てだという事がひしひしと伝わってくる。
世界で最も大切な存在なのだろう。俺で言うところのラナだ。ショックを受けないほうがおかしい。
俺が言葉に詰まっていると、カナタが一歩前に出てカノンの隣に並んだ。
「ウォーデン。ショックを受けるのはまだ早いぞ」
「……カナタ?」
ウォーデンが顔を上げてカナタを見る。
「カノンは呪いの専門家だ。そのカノンがわからないってだけでも大きな情報だと思わないか?」
「それは……確かにそうだな」
「ならまだ出来ることはあるはずだ。だからウォーデン。辛いことを思い出させて申し訳ないが、お前たちに何が起きたのかを聞かせてくれ」
「……あ、ああ」
ウォーデンが部屋に備え付けられた大きな窓から空を見上げ、苦笑した。空は雲一つない快晴だった。
「オレとレオ、そして妻のシンシアは幼馴染だったんだ。英雄に憧れたオレが二人を小さな村から連れ出して冒険者になった。お前らに比べたらアレだが、才能もあってな。十五年前、十八の時に三人揃ってS級になった。その時にオレはシンシアと結婚した」
ウォーデンは遥かな過去を思い出すように遠い目をしながら青空を見上げていた。
「その頃からオレは危険な迷宮に潜るのは辞めるようになったんだ。幸い金はあったしな。家族で暮らす分には十分過ぎるほどだった」
それが正常な判断だろう。
大切な者が出来れば、幸せを手にすれば、危険な事なんてしたくなくなる。
迷宮攻略は常に命懸け。ましてやS級迷宮なんてモノはいつ命を落としてもおかしくないほどに危険な場所だ。
「レオは冒険者を続けるって言ってパーティは解散になった。そして一年後、ルナが生まれた」
ウォーデンが丁寧な手つきでルナリアの頭を撫でる。心なしかルナリアの表情が少し和らいだ気がした。
「シンシアとルナと三人でしばらくは幸せに暮らしていた。冒険者の仕事もたまにA級に行く助っ人になるぐらいで殆どはB級に潜っていたんだ。だけどルナが六歳になった日、悲劇が起きた」
ウォーデンの顔が悲痛に歪んでいく。
「八年前、ルナが六歳の時、世話になった人がA級の踏破を目指すっつんでその助っ人に行ったんだ。だから数日家を空けていた。そして見事迷宮を踏破して帰った時、家が燃えていたんだ。そこに……レオがいた」
握った拳には血が滲んでいた。
きっと何度も後悔して来たのだろう。
もし、家を空けなければ。
もし、もう少し早く帰っていれば。
何度も何度もそう考えたに違いない。
「……悔しいがボロ負けだったよ。同じぐらいの力量だった親友が、少し見ない内に遥かに強くなっていた。『助けてパパ』って伸ばしたルナの手をオレは取ることが出来なかったんだ。今思えばあの時には既に至天になっていたんだろうな」
壮絶な人生だ。
親友を殺すと言ったウォーデン。あの言葉の重みを俺は改めて思い知った。
「話してくれてありがとなウォーデン。いくつか聞いてもいいか?」
「ああ。もちろんだ。それがなにかの希望になるのなら、オレは協力を惜しまない」
「じゃあまずは確認だ。ルナちゃんを呪ったのは至天であるレオ・アーガストルムで合っているか?」
「……おそらくはそうだ。そうじゃないとあの強さは納得できない。アイツはまるで炎そのもののようだった」
「斬っても炎を斬っているような感じで手応えがなかった?」
ウォーデンの言葉にラナが質問をする。
俺もラナとレオの戦いを見ていたからわかるが、ウォーデンの言う通りアレは人間というよりも炎の精霊と言われた方がしっくりとくる。
それほどまでにレオは人間離れしていた。
「ラナの言う通りだ。オレの攻撃は全て通用しなかった」
「なら私も間違いないと思う。レイは?」
「同じだ。アレ……というより赫の至天を殺すのは普通の剣士じゃ無理だろうな。俺が戦ったヤツもそんな感じだった」
俺たちの言葉にカナタが頷いた。
「実際に戦った二人が言うなら間違いなさそうだな。って事は使徒絡みか?」
「……ありえる。……使徒の呪いだというならわたしがわからなくても頷ける」
「カノン。もし使徒を倒せたらこの呪いは解けると思うか?」
「……解けない。……呪いはほとんどの場合が独立しているものだから」
「なるほど。厄介だな」
カナタとカノンが頭を悩ませる。
そこで俺は気になった事を聞いてみた。
「ウォーデン。確認なんだがルナリアに呪いが掛けられたのは八年前、六歳の時って言ったか?」
「ああ。その通りだ」
「それなら今は十四歳って事になるよな? 幼すぎないか
?」
十四歳といえば、日本では中学二年か三年にあたる。
だけどルナリアの見た目は小学生、それも低学年だ。どう考えても計算が合わない。
「レイの言う通りだな。ルナはあれから成長してない。呪いを掛けられた時の姿のままだ」
「……時間を停める魔術?」
停止の概念を司る星剣を持つラナが呟いた。
「ちょっといい?」
ラナはそう断りを入れ、ルナリアに触れた。そして目を閉じる。
「……確かに停まってる。アイリスを拒絶したのも……。だけどこれは……惨い」
ラナが大きく眉を顰めたのがわかった。
「ラナ。どんな事でも隠さずに教えてくれ」
「だけどこれは……あまりにも……」
「それでもだ。心の準備は出来ている」
「……わかった」
ラナは頷くとルナリアから手を離し、ウォーデンに向き直った。
「多分これ、呪いだけじゃない」
「いろんな魔術と呪いがぐちゃぐちゃに絡み合ってる」
「……あっ」
カノンが声を漏らし、再び紅い瞳をルナリアに向ける。
「……たしかに。……混ぜ合わせようなんて思った事がなかったから……盲点だった。……こんな事が出来るんだ。……成立しているのが不思議。……それに呪いの数も……多い」
「おそらく成長する時を停めている。だけど苦痛を感じる機能は……停めてない。……永遠に苦しませようって術者の考えが透けて見える」
「だから惨い、か。……クソ野郎だな」
つい本音が漏れた。
しかしそれを咎める者はいない。皆が一様に同じ事を思っているのだろう。
「……ラナ。教えてくれ。それは解除できるのか?」
「できるかできないかで言えばできる。だけど何が起きるかわからないからお勧めはしない」
「……わたしも同意見。……解呪するには全ての呪いと魔術を同時に消去する必要がある。……くやしいけどいまのわたしにはそれが出来るほどの実力がない」
「いまの?」
カナタの言葉にカノンはしっかりと頷いた。
「……ん。……いずれ必ず出来るようになる。……だからウォーデン。……すこしだけ待ってて」
「なら私もその時には魔術を全部消せるようになってるよ。なんて言ったってウォーデンさんには恩があるからね」
「ありがとなラナ。そしてカノン。その言葉が聞けただけで心が軽くなるよ」
ウォーデンは無理矢理表情に笑みをつくった。
どうやら魔術の使えない俺では役に立たなそうだ。でも、もしかしたら――。
……呪いだけ斬れないかな?
俺はふとそんな事を思った。




